アイザック・デュークハルト

 とうとう夏休みになった。


 そんな俺は四半年ぶりに、10年以上住んでいたデュークハルト家の領地へと足を踏み入れる。目的は帰省ではない。

 俺は4か月前の『就職の儀』にて、この世界では何故か最弱とされている『農民』の職業を与えられ、それが理由で勘当されているからだ。


 目的は――レイナの婚約者候補。アイザック・デュークハルトと雌雄を決するためである。


「ハイト。いつになく顔が強張っていますね。緊張してますか?」


 勝負を見届ける為に俺と一緒に来ているレイナが尋ねてくる。


「ああ、緊張はしてるよ。この戦いに勝ったら、数か月ぶりにレイナがちゃんと俺の婚約者になるんだ」


「そうですね。……でも、万が一にも負けたら結婚は難しくなりますからね? それは私としても哀しいですし、油断はしないでくださいよ?」


「勿論だよ」


 勝てばレイナとの婚約復活。

 俺もレイナも15歳で、この世界では立派な大人だし――レイナは王族なので結婚前に手まで出せば問題になるかもしれないけど、その前段階程度ならある程度融通が利くようになるかもしれない。


 正直俺は早くこの勝負を終わらせ、国王(お義父さん)に認めて貰ってレイナと人目憚らず堂々といちゃいちゃしたい。


 だが万が一負ければレイナとの結婚がかなり遠のいてしまう。

 だが、俺の表情が強張っていたのはそれが理由ではない。


 アイザック・デュークハルト。

 JROでも聞いたことがない正体不明の――しかし、武闘派で有名なデュークハルト侯爵家の新たな嫡子。

 気になって調べたのだが、年齢は俺と同じく15歳で、職業は『剣聖』らしい。


『剣聖』と言えば、JROでも屈指の攻撃性能を誇る職業――その職業補正はかなりピーキーで、素早さと魔力ステータスに大幅な下降補正が掛かる代わりに、それ以外の生命力、攻撃、物理防御に大幅な補正が掛かる。

 特に同じ職業であるアイリーンとかは攻撃の補正は凄まじく、その数値は雷龍と共に最強育成し、物理偏重のレイナに匹敵する。


 そしてレイナの強みが、物理判定の雷によってオールレンジから途轍もない火力を発揮できる点にあるとすれば、アイリーンは遠・中距離の攻撃手段がかなり乏しい代わりに、近接戦における攻撃力はレイナを遥かに凌ぐ。


 何でもありの実戦なら遠くから雷を打っていれば良いだけのレイナに軍配が上がるけど、例えばそう――今日やる婚約者候補の座を賭けた『決闘』のような、決められた狭い会場で向き合いつつ、よーいドンで戦う戦闘ならアイリーンは……『剣聖』は最強の職業である。


 流石にアイザックがアイリーンなんて馬鹿げた話はないと思うけど、しかし相手が近接戦最強の『剣聖』と言う情報はほぼ間違いなさそうで……。

 特に『剣聖』にはレベル55で、場合によってはレベル142の俺相手に『決闘』と言うルール内で判定勝ちを取るくらいなら出来かねない技を覚える。


 だからと言って負けるとは思っていないけれど……。


 とどのつまり、俺の顔が強張っている理由は――四か月前に勘当された実家に帰って、アルジオや新しい嫡子と顔を合わせるのが気まずいだけですね。はい。

 そうこう考えている間に、あっという間にデュークハルト邸宅前に着いてしまう。


 メロッサ神殿跡地で小型化できると言う事を知って以来、室内飼いしているファフニールの背中に乗ってきたために本当に一瞬だった。

 正直顔を合わせたくない。

 前世ではこういう気まずい人間関係のトラブルが会った時は「にげる」コマンドを選択して引き籠ってきた俺だ。


 正直今にもファフニールの背中に乗って王都に帰りたい。


 だけどそう言うわけにはいかない。レイナが少し震えている俺の手をぎゅっと強く握りしめてくれる。レイナの手は少し冷たくて、柔らかくて、落ち着く。

 ……レイナが一緒に来てくれなければ俺は逃げ出していただろう。


「レイナ。俺、頑張るよ」


「頑張ってください。……その、正式に婚約者になったら、その時はちゃんと婚約者らしいことをしましょうね」


 レイナが白い顔を真っ赤に染めながらそんなことを言ってくる。

 ドキドキするのと同時に、俄然やる気が出た。頑張ろう――!!




                   ◇



「ふん。よくも私の前に顔を出せたものだな」


 実家に帰ると、少し痩せていて目の下に隈を拵えたアルジオが不機嫌そうに俺たちを出迎えた。数か月前に見た時は筋骨隆々で正に武人! って感じの人だったのに、今では筋トレが趣味の疲れたサラリーマンのように見えた。


「…………」


 俺はそんなアルジオの姿になんと言えば良いのか解らず閉口する。

 レイナはチラッと俺の眼を見てから、アルジオに尋ねる。


「……そう言えばアイザックのお姿がお見受けできないようですが」


「おぉっ、これは失礼しましたレイナ殿下。息子はレイナ様にお会いできるのを楽しみにするあまり、少々準備に手間取っておりましてね」


「そうですか……」


 それから誰もしゃべらない地獄のような沈黙が流れる。

 なんて言えば良いか解らない俺は勿論のこと、レイナやアルジオも特に話すことがないのか黙ったまま、10分ほどが過ぎた頃の事だった。


「お待たせしました」


 変声期がまだ来ていないような、男にしては少し高い――ともすれば女の子のような声が響く。


 小走りで俺たちの目の前にやってきたのは黒髪を爽やかに切りそろえ、黒いタキシードに身を包んだ中性的なイケメンだった。

 そのイケメンは少しぎこちない動作でレイナに頭を下げる。


「お初にお目にかかります。わた…僕がデュークハルト侯爵家の嫡男にしてあなたの婚約者候補であるアイリ…ザック・デュークハルトと申します」


「……あ、アイリザックさんですか?」


「い、いえ。こ、これは失礼を。……初めてお会いした殿下があまりにもお美しいあまり、噛んでしまいました。アイザック・デュークハルトです」


 一人称や自分の名前がつっかえつっかえで、レイナの些細な指摘にもダラダラと汗を流す。その割に歯の浮くような口説き文句だけはぺらぺらと回る変な奴。

 ……と言うかコイツ、完全にアイリーン・デュークハルト……女だろ。


 やらかしたな、アルジオ。


 確かにアイリーン(アイザック)の男装はとてもクオリティが高く、もしJROでアイリーンと言うキャラを知っていなかったら、中性的なイケメンですと言われても信じてしまったかもしれないほどだ。


 だが俺はJROで何度もアイリーン・デュークハルトを見て来た。ワンチャンその可能性も(あり得ないとは思っていたけど)考えてないわけじゃなかったし、 髪の色や髪型はゲームで見て来たそれと大きく違うけど、それでも俺がアイリーンを見間違えるわけがない。


 髪型や色は大方かつらとかそんな所だろう。


 さてこれを指摘するかどうか。

 ……いや、でもJROでアイリーンがちゃんとした強キャラとして登場するのはレイナが7回生になっている英雄学園編の時間軸だし、今は職業を得たばかりだから、そんな極端には強くなってない可能性が高い。


 戦うべきか、それとも指摘して政治に持ち込むべきか。


 どちらの方がレイナと結婚する上で有利に働くかを考えながら、アイリーンを観察する。するとアイリーンが俺の方に近づいてくる。


「兄さん。悪いことは言わないからこの勝負降りてくれま…ないか? ……わ…僕は『剣聖』で兄さんは『農民』――兄さんの勇名は聞き及んでいるけど、それでも僕は強いですから、どうか引いてください。兄さんを可能な限り傷つけたくありません」


 そして大真面目な表情でそう持ち掛けて来た。

 アイリーンは強く、それでいて弱い者いじめを何よりも嫌う正義感の強いキャラだ。故にその発言はらしいっちゃらしいけど、それでも、レベルをこの短期間で142まで上げた俺を『弱い者』扱いは面白くなかった。


 それに……。


「降りれるわけないよ。レイナとは俺が結婚したい」


「……そうですか。ですが僕にも事情があるので手加減は出来ませんよ?」

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