第89話【シミリとエスカの水面下での攻防】
新規オープンのデイル亭は食事処を売りとした宿屋だったがもうひとつの売りが『お風呂』だった。
このあたりでは珍しい掛け流しタイプの大浴場を併設しており広々とした空間で開放的にゆったりと出来る造りになっていた。
「うわわ、凄いお風呂。
こんな広々としたお風呂に入るのは初めてだわ。
専用の湯浴み着もあるし、これは絶対に人気になるわね」
隠れて特訓しようと考えていたエスカだったが、オルトに見透かされていた事もあり素直に入浴して休もうとお風呂に来たのだが、あまりにも快適な空間にただただ感心していた。
エスカは湯で体を洗い流してから湯船に浸かり、さっきまで教えてもらっていた内容を頭の中で反復していた。
(でも、あの患者人形ってどんな原理なんだろ?
今までに見たことも聞いたこともないし、あれがあれば治癒士の勉強もはかどってレベルアップも出来るわよね。
この講習が終わってからも勉強のために譲ってもらおうかな。
でも人形とはいえ、リアルすぎるから人に見られたら殺人犯と間違えられて怒られるかもしれないわね)
エスカがそんな事を考えながらゆったりしていると入り口の方から扉を開ける音がした。
(誰かが入ってきたみたいね。他の宿泊客かしら)
エスカは女性専用の浴場と言うことと湯浴み着姿だったので特に気にする事もなくその人物に背を向けるかたちで考え事を続けていた。
「エスカさんも入られてたんですね」
考え事をしていたエスカは後ろから名前を呼ばれてビクッとして声の主を探した。
そこには同じく湯浴み着姿のシミリが立っていた。
「ああ、シミリさんでしたか。
ちょっと考え事をしていたのでびっくりしました」
「そうでしたか。それはすみませんでした」
「いえいえ、大丈夫ですよ。
それよりこのお風呂凄く快適ですね。
こんな浴場は今まで見たことないです」
「そうですね。
なんでもディールさんがカイザックに居たときに外国からきた商人に話を聞いて是非自分もやりたいと考えて何度も職人さんと話し合って造ってもらったそうですよ」
シミリはそう話ながら体を洗い流してエスカの隣に座った。
湯浴み着をつけている状態でも体のラインはハッキリ出ており、前回の一件からシミリは一段と魅力的な女性になっていた。
そんな姿を横目に見ながらエスカは思いきってシミリに聞いてみた。
「シミリさんはオルトさんと婚姻を結ばれているのですよね?
一体どうやってあんな凄い人を捕まえたのですか?」
その言葉にシミリは少し顔を赤らめて思い出すように天井を眺めながら答えた。
「オルト君はね、私の全てなの。
ある事件をきっかけに私は全ての大切な人を失い、私自身も暗闇の底にいたのだけど、そんな時に彼はさっそうとその場所から救いだしてくれたの。
その後も何度かトラブルに巻き込まれたけれど彼はなんでもなかったように笑って側にいてくれたの。本当に嬉しかった・・・」
シミリは昔を思い出すようにオルトへの気持ちがにじみ出た話をエスカにした。
「婚姻の話は彼の方から話してくれたわ」
「えっ?」
「その時私も彼の事が好きだったけど、とてもそんな関係になれるなんて考えてもなかったからかなりびっくりしたのを良く覚えてるわ」
「どうしてですか?」
「彼はちょっと、いえ、かなり特殊な人だから自分とは縁のないものと思ってたから・・・」
「ああ、なんとなく分かるような気がします。
オルトさんがまとっている魔力オーラとかもそうですし、いろいろな道具もそうですね。
私みたいに無力でお金も持っていない者にも親切にしてくれていますから」
「それが彼の良いところなんですが、欠点でもあるのです」
「欠点・・・ですか?」
「ええ、彼はいつも自分で『目立ちたくない』と言いながらも困っている人や気になる人がいたら考えもなしに手を差しのべる傾向があるのです。
まあ、私もそのおかげで今ここに居られるのですからその行動は無下には出来ないのですけどね」
シミリはそう言うと湯船からあがり浴室から出る準備を始めた。
濡れた湯浴み着を脱いで準備されたタオルで全身を拭き、夜着に着替えて浴室から出る際にシミリはエスカに言った。
「そうそう、あなたが彼のためを思うならばこのチャンスを生かして治癒士としての自分を磨きあげる事を最優先にする事が最高の恩返しであると言わせてもらうわ」
そう言い残すとシミリは浴室から出て部屋に戻っていった。
残されたエスカはシミリの言葉を素直に受け取り『明日も頑張ろう』と思いを馳せながら浴槽からあがった。
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