尊いが溢れるこの世界で

@chauchau

縁の下の力持ち


 ネット技術の発展は、様々な恩恵をもたらすと同時に課題を生み出すことにも繋がった。

 これは、人類の心を守るために人知れず戦う者たちの記録である。


 ――某所。某日。某時間。


「高尊み反応確認! 推定尊み力三十八万! 発信源は日本、山口県!」


 アナウンスとともにけたたましく鳴り響くサイレンの音に、工場全体に緊張が走る。すでに行動を開始していたベテラン職員とは異なり、入社してまもない若い職員は苦悩の表情を顕としていた。


「またかよ……、これじゃあどれだけ頑張っても足りないじゃないか……」


「愚痴をこぼす暇があったら手を動かせ、新人」


 彼の頭にこつん、と小さな衝撃が与えられる。

 目に焼き付いた隈が取れなくなってしまった先輩が、弱弱しくも勇ましくも見える相反した笑顔で立っていた。


「私たちが尊み力を生み出さないとどうなるか、分かっているだろう?」


「それは……、人間社会で尊い感情を生み出すことが出来なくなって」


「人間の心が、この忙しすぎる社会のなかで殺され、そして人類が滅ぶ。分かっているじゃないか。じゃあ、どうする」


「動くしかない。動くしかないのは分かっていますが」


 お砂糖とミルクを混ぜ合わせる。

 少しでも分量を間違えた途端に、出来上がるものはまったく使い物にならない尊さとなってしまう。


「じゃあ、動こう。大丈夫。今日だって乗り切れるさ」


 別の現場では、卵を黄身と白身に分ける作業が続けられていた。

 分けられた白身はあっという間にメレンゲと攪拌されていく。


「高尊み反応確認! 推定尊み力二十二万! 発信源は日本、京都府!」


 その間にも新たな指示がアナウンスで届けられる。


 ただでさえギリギリだった生産ラインが圧迫されていく。

 予備として保管されていた尊み力も次々に出荷されて行き、在庫が底を尽くのは時間の問題だった。


「多すぎるんですよ!」


「そうだな」


「人間が何も考えずにどんどんと尊み力を使用するから! 先輩たちだって本当は分かっているんでしょう! もう、もう無理なんです! 先輩たちだってこんなに疲れ果てて! だというのに、人間は感謝もしない! こうなったらいっそのこと一度全部!」


「そこまでだ」


 叩いたのか、撫でたのか。

 パニックに陥りかけた新人の頬に、先輩の手が触れた。


「ありがとう。私たちのことを心配してくれて」


「先輩……」


「君は優しい子だね。でも、少し落ち着こう」


 手から頬へと伝わる熱は、泣きじゃくる子どもをあやすように新人の心を落ち着かせていく。

 狭くなった視界が広がっていくように、色あせた世界に輝きが戻るように。


「君はどうしてこの工場に来たんだい」


「……、人間が笑う顔が……、好きだから……、です」


「同じだ。私も、ここに居るみんながそうなんだ」


「でも!」


「そうだね。だから私たちが壊れてしまってはおかしな話。だが、勘違いしないでおくれ。この程度のことで倒れるほど私たちは弱くアガっ!?」


「せんぱぁい!?」


 場をまとめようとした先輩社員が吹っ飛んだ。

 どこからともなく飛んできた鍋が彼女をぶっ飛ばしたのだ。


「高尊み反応確認! 推定尊み力十万! 発信源はここ! 忙しいんだからそういうことをするなって言ってんでしょうがァ!!」


 危うく貴重な尊み力を使いかけた先輩をふるぼっこにしている同僚たちの姿を見て、転職を考え始めた新人職員なのであった。

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