尊いとはどんな感情に分類されるのか
香月読
それ即ち、 。
朝八時二十分、校門前。
始業より二十分ほど早いこの時間は、登校してくる生徒は一番多い。疎らに門を通る生徒の中に、あの人はいる。
風に吹かれてさらりと揺れる黒髪、スタイルが良く長い足、くりくりっとした大きな目。今日も可愛らしさ満点。最高だ。
視線に気が付いたのか、にっこりと笑って僕に駆け寄ってくる。
「おはよう」
「先輩、おはようございます」
いつもと同じ通る声を聞いただけで心が弾んでしまう。この心をうまく表現できる言葉が見つからない。ただそう、何とか絞り出すとしたら……尊い。
僕を見る目が(僕にとっては)優しくて、僕に掛ける声が(僕にとっては)甘えているようで可愛い。真っ直ぐ見つめてくるその視線に耐えることが既に難しくて、ふいっと横に逸らす。
勿論それくらいで引き下がりもそのままにもしないのがこの人だ。身体をぐいっと動かして逸らした視線の前に顔を持ってくる。
ああいけませんよ、いけません! そんなに眩しい尊顔を目にしたら潰れてしまいます!
身体の底から湧き上がる照れと、無邪気に浮かべられた百点満点の笑顔に殺されそうになる。殺されそうというか、これがゲームだったら早くも五十回くらいコンボ食らっている。こんな時何て言えばいいのかわからない。溶け切った語彙で何とか言葉を紡ぐなら―――尊い。こんな幸せがあっていいのだろうか。いや、ない。
「……朝から会えるなんて幸運かも」
「本当ですね! 朝から元気になれますから」
ああもう穏やかに浮かべる笑顔がたまらない。こんな朝から拝むことができて今日は希望に満ちている……。思わず両手で本当に拝みそうになったけど、何とか堪える。ここで変な行動をしてしまっては、今まで築き上げて来た地位(という名のこの挨拶できる関係)を失ってしまう。
僕の心をこんなに乱すのはこの人だけだ。それをはっきりとわかっていて、でも離れることができない。挨拶するだけでこんなに幸せになれるなんて、こんな素晴らしいことはないのだ。
□
朝、校門前で会って会話をするだけ。学年が違うから校舎内で話すことなんて片手の指で足りるくらいだし、性別が違うからあまり一緒にいても噂になってしまうから、自分から近づくことはない。
何より―――推しは応援したいもの。推しと同じ空気を吸えることは見に余る幸福だが、その為にゴリ押しアピールをしていいのか? いや、いけない(反語)。
僕はあの人を見ているだけで幸せになれる。生きる活力を貰える。それで良いのではないだろうか。
「いや、それって好きってことじゃん」
僕のささやかな願いは渋谷の鋭い一言で叩き切られた。食後のいちごオレを思わず吹き出しそうになったが、寸でのところで堪える。代わりに放出されることなかったいちごオレは、一滴残らず気管に入り込み、一、二分ほど激しく咳き込む結果になった。
「え、いや、は?」
「は? じゃなくない? どう考えても好きでしょ、推しとかそういうのは知らないけど」
渋谷は購買の焼きそばパンを食べ終わり、そのゴミを丸めて近くのゴミ箱に放つ。ゴミ箱にナイスシュートされたゴミを目で追いながら、僕は今の言葉を頭の中で反芻していた。
「……いや、好きと言うのは」
「顔見て嬉しいとか、話せて幸せとか、一緒にいられるだけで良いとか、完璧恋してるって。違うって言うなら何が違うか言ってみなよ」
「違う……ええと」
あの人の、周さんの顔を浮かべてみる。綺麗な黒髪とぱっちりした目、長い足で駆け寄ってくる様。どれを思い出してもどきどきと心臓が暴れる。
自分はただのファンで、その尊さを見て幸せになっていただけで、あれ。
……心臓が暴れる? え?
そこまでじっくりと考えてから、やっと声が漏れた。五十音中の最初一文字を絞り出したに過ぎないが。
「……うああああー……」
「まさかとは思うけど、本気で気づいてなかったわけ?」
「そのまさかです。今の今まで尊い推しを愛でているだけのつもりでした」
「睦って結構ばかでしょ。少し鏡見た方がいいよ」
言われて渋谷は持っていた鏡を突き出した。映った僕は全然動かない表情筋と、それを乗せて赤く照った肌を持っていた。
彼とお揃いだと喜んださらりとした長い黒髪と、そんな些細なことすら幸せに思う自身の感情を想い返して。僕は自分が恋していることにやっと気が付くのだった。
「私……周君のこと、好き、だ」
口に出してみたら、もう駄目だった。尊いとか、推しとか、そんな言葉で誤魔化すことなんてもう出来そうもない。
僕、春原睦は、尊いとはどんな感情に分類されるのか、遅ればせながら理解してしまったようだ。
尊いとはどんな感情に分類されるのか 香月読 @yomi-tsuki
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