推し

Re:over

推し

 "推し"という存在は"好き"とは違う。ただ眺めているだけでいい。触れられなくてもいい。その人が幸せで、美しくあれば、それだけで自分も幸せになれる。


 桐崎さんは真面目で大人しい。授業は積極的に取り組み、宿題も毎回しっかりやってくる。休み時間になると、仲の良い友達が桐崎さんの机に集まって楽しそうに雑談している隣で本を読んでいる。かと言って、話を聞いていない訳でもないらしく、急に質問されてもちゃんと答える。


 器用な人だと思う。頭もいいし、多分スポーツもできるに違いない。


「やーなーぎー」


 人差し指で頬を突かれた。振り向くと藤田だった。


「ガン見しすぎ。そんなに好きなら話かければいいのに」


 顔を近づけ、他の人に聞こえないように小さな声で話した。


「別に好きじゃないよ。ただの推し。見てるだけでいいんだ。むしろ近づきたくないと思ってる」


「めんどせーなぁ」


「本当に好きならさ、直視できないよ」


「そうですか」


 呆れた様子で席に戻っていった。ストーカーみたいで気持ち悪いと言いたげな顔だった気がした。そりゃあ自分でも気持ち悪いと思っている。でも、彼女のことで新しい発見をするのがすごく楽しいのだ。相手からどう思われようと、僕は気にしていなかった。


***


 授業中、桐崎の首がやたら上下していた。そう、めちゃくちゃ眠そうにしていたのだ。いつも真面目に授業へ取り組み、授業中の睡眠とは無縁の存在だと思っていたが、やはり、桐崎も人間。眠くなる時はあるのだ。頭をカクンッと落としては上げて、首を振り、目を擦り、頬を抓り、といろいろ工夫するがまぶたは重そうだ。滅多に見られない光景。尊すぎてこっちまで目が開けられなくなってしまう。


 体育の時間、たまたま女子がバドミントンをしているところを見た。桐崎は相手のスマッシュから逃げるように体を竦める。飛んできたシャトルを空振り、空振り、空振る。シャトルを全然返せないのだ。その上、体の動きもどこかぎこちなく、サーブの時は変に上半身が前かがみになり、転びそうになる。緊張しているのか、表情も硬い。スポーツができないと初めて知った。スポーツが下手くそなのもすごく可愛いと感じた。見惚れていると、藤田に頭を叩かれた。


 休み時間、いつものように他の女子に囲まれながら本を読んでいた。


「そういえば、ゴムって財布に入れたらダメらしいね」


「え、なんで?」


「財布に入れてたら傷つく可能性があるからね」


 桐崎さんがそう答えた。僕はその瞬間、どこか別の次元に存在するであろう、知識の宇宙を見た。いわゆる、悟りというやつだ。


「もしかして、財布に入れててやらかしたことあるの?」


「いや、それくらい常識……だと思ってたけど」


「さては、使う時にググッたな」


「えっと……」


 図星だった。宇宙から無理やり現実に引き戻され、無慈悲な事実を突きつけられる。


「今も彼氏いるの?」


「うん。中学の時から続いてる」


 桐崎さんは頬を赤らめながら馴れ初めや相手について質問攻めされる。その照れている表情もまた可愛かった。

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