君は尊い、僕の神様

華川とうふ

神様のこと

《1》


 尊いというと神様のことを思い出す。

 子供のころ、神様に願ったことがある。


「こんな家族もうやめたい」って。


 その頃、僕の家族(正確にいうと母親)はおかしくなっていた。

 母親は新興宗教にハマり。父との喧嘩が絶えなかった。

 そんな母に連れられて、僕は子供の頃に神様に会ったことがある。

 その新興宗教は雑居ビルの中にあった。


 どこにでもありそうで、どこにもなさそうな灰色のビル。

 あのどんよりとして煙草のヤニで黄ばんだような灰色はよく覚えているのに、同じ色を絵の具を混ぜて作ることもできないし、同じ色のビルさえも見つけられていない。

 夢だったんじゃないかって時々思うくらい。

 その奇妙な灰色のビルの中で神様だけは真っ白だった。


 真っ白なワンピースをきて、月の光を集めたみたいな銀色の髪は肩の当たりで切りそろえられていた。僕と同じくらいの年齢の小さな子供の姿をしていた。だけれど、あの子は神様だった。


 僕なんていつも喋るのを我慢するのが大変なのに、あの子は何時間も黙って信者の人たちの話を聞いていた。

 ただ、静かに相手のことをみつめて、最後に願いを聞く。

 ときどき、ミサと呼ばれる集会に願いが叶わなかったと怒鳴りこんでくる人もいた。

 そんな時も、神様は泣いたりせずにただ、相手のことを見ているだけだった。


 だけれど、僕の願いは叶ってしまった。

 神様と二人きりになったとき、僕は神様にいってしまったんだ。

「もう、こんな家族いやだ……」って。そしたら、しばらくして両親は離婚して、僕は父親と二人で暮らすようになった。

 両親が毎晩怒鳴り合う生活にはうんざりだった。


 夜、眠れないから昼間学校で勉強もまともにできないし、体もだるかった。

 食事の前に変なお祈りもしなくていいし、誰かが喧嘩することもない。静かな日々を取り戻して、僕がやっと落ち着いて、神様にお礼を言おうとあのビルを訪れたとき、そこにはもう神様はいなかった。


 灰色のビルはもぬけのからで、奇妙なしめ縄だけがまるで学芸会の小道具のように、壁の上の方に張り巡らされているだけだった。


《2》


 僕は静かな生活を取り戻し、まともな人間のフリが順調に上達していた。

 普通に友だちづきあいをして、成績も普通、不良にもならない。

 とにかくなフリをしていた。


 だって、少しでもまちがえて普通でなくなってしまったら、自分の母親のように壊れてしまうんじゃないかと思って怖かったから。

 できるだけ普通であるように努力した。

 良い子でいられるように。

 父親は仕事で単身赴任している。俺がこの家を一人で守っている状態だった。


 愛着がないといえば嘘になる。母さんがおかしくなる前、家族三人でしあわせに暮らした記憶のある家だから。俺は、その幸せが空っぽになった家を守りながらなんとか普通のフリを続けていた。


 だけれどある日、神様がまた僕の前に現れたのだ。


 僕の知っている神様の姿とは随分違っていたけれど。


 神様は、すごく綺麗な女の子になっていた。

 すらりとのびた手足に、サラサラの長い髪は腰まで届きそうなくらい、真っ白な肌に青みがかった瞳。

 僕の知っている神様は幼い女の子の姿をしていたのに、目の前に現れた神様キミはすごくきれいな大人でも子供でもない存在になっていた。

 すごく神秘的な美少女だった。


 それは早朝のことだ。小学生がいたずらでもしているんじゃないかと思うくらい、玄関のチャイムがならされた。


「助けて下さい!」


 そうキミ神様は言ったんだ。

 どうして、神様が僕に助けをもとめているのか分からない。

 けれど、何かに追われているみたいだった。

 どうしてだろう。あんなに嫌な記憶と結びつく存在なのに、僕は神様を受け入れずにはいられなかった。


「入って」


 僕は周りを見渡して妖しげな人がいないことを確認してから神様を家に招き入れた。

 そして、神様との生活が始まった。


《3》


 神様との生活は楽しかった。

 静かで冷たかった家が再び温かい場所に戻ってきた。

 そう、小さなころ神様に出会う前の僕の家だ。


 神様キミはとてもよく笑った。

 二人で料理をして、それを食べて、お風呂に入って一緒に眠る。

 ただ、それだけで満たされていた。

 すごく幸せだった。


 だけれど、そんな日々でも子供の頃と一緒で真夜中は恐ろしかった。

 真夜中になると、キミは泣くのだ。

 声を上げずに嗚咽する。

 細い肩を震わせて、まるでその体が悲しみに殴られているのに絶えているみたいで見ていて辛かった。


 なのに、僕はなにもできなかった。

 なんだか自分の母親を思い出したから。

 背中をさすろうと手を伸ばしかけるが、それがきっかけでキミが壊れてしまったらどうしようと思い手を引っこめる日々が続いた。


 そんな自分がなさけなくて、悔しくて、ある日やっとキミの背中をぽんぽんと子供のころ眠りにつくようにされたことをしたとき、キミは語ってくれた。


「本当は私、神様なんかじゃないの」


 とても、弱々しい声だった。キミは吐き出すように語った。


 キミは神様じゃなくて、あの宗教団体の教祖の義理の娘であること。

 あの宗教はインチキであること。

 キミはちょっとした特技、たまに未来が見えるとかその程度。

 なのに、僕の願いが叶ってしまってから恐ろしくてしかたないとキミは思っていたらしい。

 そして、僕の願いをかなえてからキミのちょっとした力は消えてしまった。


 それからが、キミの本当の地獄だった。

 でなくなったキミは、神様のフリをするために色んな無茶を強いられた。

 沸騰したお湯に手を突っ込むマジックまがい(失敗すれば大やけど)に不死身を証明するために毒の盃を煽るパフォーマンス。キミは本当に生きていたのが驚くべき確率だ。


 信者が帰れば、「この世で一番卑しい存在だ」と言われ続けた。

 だけれど、キミは生き続けていた。

 それは運が良かったとも、とらえ方によっては悪かったとも言える。


 そして、僕のところに来る直前、教祖はキミを襲おうとしたということだった。

 とっさに逃げたキミは僕を思い出したということだった。


「ごめんね。神様じゃなくて……卑しい存在で」


 キミは消えそうな声でいった。


 だけれど、そんなことは僕にとっては関係ない。

 キミの存在は確かに僕を救ってくれいたから。

 キミは尊い、僕の神様であることに変わりはないのだから。

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君は尊い、僕の神様 華川とうふ @hayakawa5

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