第3話 一難去って又
ゴブリンから逃げた森の中、そこはまたしても安全では無かった。低く響く唸り声。時おり揺さぶられる地面。肝心の姿は見えないまでも、何かとんでもない化物が居るのは確実だった。
「絶対、見つからないように……」
つま先立ちになり、足音を殺して進む。とにかく静かに、そして速やかに退散しなくては。そう考えていたのだが、突然揺れた草むらに思わず尻もちをついてしまった。
逃げなきゃ。でも腰が抜けた。震える足で地面を蹴っても大した距離は稼げず、やがて重たい恐怖が腹の奥からこみ上げてきた。
そうしてマゴつく間に、ガサガサと茂みを揺らして現れたのは、随分チンマリとした四足の魔獣だった。純白の体毛で、頭の一部だけアクセントのように染まる金色の毛。この種族には見覚えがあった。
「ダンシングキャットの……子供?」
「ミュウミュ!」
「お、おい。こっち来るなよ!」
魔獣の子供は、オレが拒むのを無視して駆け寄った。そして肩まで登ると、そこで首の裏にしがみつく。
「さっきのヤバイ気配って、もしかしてお前が……?」
勿論そんな訳が無い。唸り声は咆哮となって響き、汗ばむ肌をひりつかせた。足音もコチラに迫っており、振動の大きさから尻が浮き上がる。並の生物ではなかった。
そうして登場したのは巨大な魔獣だ。行く手を阻む木々を片足で薙ぎ倒し、強引に自らの道を造る様は、まさに絶対的強者と言えた。
「ギ、ギ、ギカントドラゴン……どうしてこんな所に!」
バグのせいで魔獣の分布が狂っていると聞いた事がある。それがまさか、こんな形で目の当たりにするだなんて。
「逃げなきゃ……うわぁ!?」
前足による攻撃を寸でのところで避けたのだが、風圧ばかりはどうにも出来なかった。嵐のような突風で身体が吹っ飛び、そのまま大木に叩きつけられてしまう。
痛い、いや痛いなんてもんじゃない。内臓が潰れでもしたのか。体力メーターがグングン激減するのは、見るまでもなく分かった。
途切れそうになる意識の中、今度は雄叫びが聞こえた。オレみたいな弱者を倒して嬉しいのか、ドラゴンはこちらへと歩み寄ってきた。ゆったり、ゆったりと、いたぶる様な素振りで。
その様子を霞む視界で眺めている。こんな所で死ぬのか、お終いなのか。悔しい気持ちはあるが、どうにもなりはしない。
「あ、あぁ……」
ドラゴンの大口が迫る。獰猛な歯をしやがて、オレの骨格なんか簡単に噛み砕ける事だろう。そうして、待ち受ける未来をボンヤリと見据えていると、不意に言葉が漏れた。
それは習い性というヤツで、来る日も来る日も独り言のように呟いた言葉だった。
「ようこそ、ここはレストールの村だ」
炸裂したのは挨拶スキル。なぜこのシーンで発動したのか、自分でも分からない。
これが人生最期のセリフか。モブ村人の終焉か。冗談みたいな展開に泣きたくなるが、それからは想定外な事態に見舞われた。
「グ、グルルゥ……?」
ドラゴンは急に飛び退き、小首をかしげた。そして辺りを見回すと、さらに首を捻り続け、ついには混乱して走り去っていく。深傷の身体に痛く響く振動は徐々に遠のき、やがて静けさが戻ってきた。
「えっと。助かった……のか?」
何が何やら分からず呆然としてしまう。そんなオレの耳に、幼い声がキィンと響く。
「ミュウミュ!」
「あぁ、お前も無事だったんだな」
魔獣の子は上手く難を逃れたらしい。オレの膝周りで転がる姿のどこにも怪我は見えなかった。
「だったら、回復はオレだけで良いよな」
インベントリから回復薬を取り出し、コルク栓を開けた。それだけでツンと鼻をつく薬草類の臭いが漂う。塗る分には良い。だが飲む時ばかりは、いまだに慣れる気がしなかった。
「ゲフッ。不味い! 洗ってない脇の味がする……」
「ミュウミュ」
「あぁ、もう大丈夫だ。あと2ポイント削られてたら死んでたけど」
魔獣は幼いほど警戒心が薄い。赤の他人でしかないオレと対話できるのも、そういった理由からだろう。
「お前、家族は? 親とはぐれたのか?」
「ミュゥゥ」
「あっ。そうか、すまん……」
辺りには争った形跡があり、金毛の束が落ちていた。恐らくドラゴンの仕業だ。この子の親は、きっと身を挺(てい)して守ろうとしたんだろう。毛束はまだ温かだ。ついさっきまで命が宿っていたに違いない。
「墓を造ってあげよう。キチンと弔えば、死後の世界で苦しまないって聞いた事がある」
「ミュウミュ」
「立派なものじゃないからな、期待しないでくれよ」
本当に簡単な造りだ。木の根元に穴を掘り、金毛を埋めたらお終い。大木が墓標代わりだ。親に名前は無かったそうなので、一文を幹に彫り込んでおいた。
――子を救いし勇敢なる魔獣、ここに眠る。
それから両手を合わせて祈る。初対面だが祈りを捧げておく。果敢に戦い、散っていった命に敬意を抱きつつ。
「さてと。お前はこれからどうするんだ?」
「ミュゥゥ」
「そうだよな。こんな所で放り出せないよな」
「ミュウミュ」
「どうせなら、一緒に旅をするか?」
「ミュッ!」
「よしよし。話が決まったなら行くぞ!」
こうして、旅は道連れとばかりに仲間に加えた。きっと寂しい独り旅も、少しは華やかになるはずだ。特にこの子は見た目の愛らしさに加え、真っ直ぐな気質をしている。こちらとしても助けられる部分が大きいだろう。
そんな淡い期待を寄せたのだが。
「お前、めっちゃ食うよな……」
「ミュミュ〜〜ゥ」
「そろそろ止めなさい、もう3人前は食ってるぞ!」
食べ盛りなんてもんじゃない。大男と引けをとらないレベルで食おうとするぞ、コイツ。
「このままじゃ破産だな……アハハッ」
酷く渇いた笑いの後に、言葉は続かなかった。出立初日で、まさか魔物に追い回された挙げ句、食料の心配までする事になろうとは。
村で過ごした、平穏で代わり映えのない日々が懐かしく感じられる。それでも、決して戻ろうとは思わなかった。
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