ガラス越しの想い

あぷちろ

第1話

 私はあなたの横貌を、ガラス越しに眺めているだけで十分なのだ。


 私の通う女学院は間隔の狭いコの字のような形をしている。吹き抜けの中庭があり、教室によっては中庭に面した席もある。私が入学する数年前までは木造の古めかしい建物であったそうだが、私がこの学院に入学する頃には改装がなされて、中途半端に新しい建物になっていた。

 建物自体は動かしようもないので間取りは旧態依然であるし、私が今授業を受けている教室も、耐震の基準を満たしているからか、ここだけ木造の旧い状態のままだ。

 この教室だけは冷暖房がついていないし、生徒からは不評だったが、選択授業の時くらいしか使わないので教職たちからは見逃されていた。

「あ」

 その中で授業に没頭せず、退屈を持て余していた私の瞳に映るのはひと学年上の少女。

 緑の黒髪を細く揺らしながらゆったりと唄う彼女の横貌に、私は見惚れる。

 彼女は合唱の授業を選択しているのだろう。私がこの教室で授業を受けている間、中庭で気持ちよさそうにいつも唄っていた。

 名前は、知らない。クラスも、判らない。

 けれど横顔だけは瞼の裏に焼き付いている。

 長い睫毛に切れ長の瞳。緑の黒髪をさらりと微風に揺らし、整った顎先を傾いで、透き通る鈴鳴りの声で爽やかに唄いあげる。

 この退屈な空間を彩る絵具であり、中庭が彼女のキャンバスだ。

 ぼうっと彼女を眺めていると、ふと彼女が私の方を向いた。

 目が合う。咄嗟に私は教科書を持ち上げて勉強をしている振りをして瞳を逸らしてしまった。なんだか母に悪戯を見咎められたかのように羞恥と罪悪感が心をうめる。

 ちらりと目を中庭にやると、彼女は真っ直ぐに前を向いて先生の指導を受けていた。

 私は安堵と寂寥感がない交ぜとなった面持ちでまた、彼女の横貌を眺め続ける。

「お慕いしております」

 と、面向かいで云えたのならどれほど良いのだろう。

 級友の中には私と違って思い切りの良い方もいらして、見事上級生の心を射止めた方もいた。

 私は臆病なのだ。ガラスを挟んだくらいで、透明なスクリーン越しに眺めるくらいがちょうどいいのだ。

 そうこうしているうちに、授業の終わりを告げるチャイムがけたたましく鳴り響く。

 私は教科書を閉じ、とめどもない思考を打ち切る。手提げの中に教科書類を仕舞いこみ、席を立つ。

「もし」

 突然投げかけられた言葉に、私は声の主を見上げる形で制止する。

「あなた、私の事いつも見ていたでしょう」

 声の主は私の想い人であった。

 ――ばれた、しまった、怒られる、失望される。

「はぃえ」

 突然の事にしどろもどろになりながら私はうんともいいえとも言えない声を漏らす。あまりにもふざけた台詞に私の耳はあっという間に熱くなる。

 彼女はそれを肯定と受け取ったのか微笑みをたたえた。

「私も、あなたのことを見ていたの」

 再び喉から変な音がこぼれおちた。

「良ければ、こちらでお話しいたしません?」

 私は目を見開いてただ頷くことしかできなかった。

 自分でも顔が真っ赤になっているのが解る。

 たぶん、私は今日、心臓が破裂して死んでしまうかもしれない。





 おわり

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