ウィッチ・エクストリーム
中村 傘
第1話 敗者復活戦自由形
【TIPS】
MVR=空間属性の魔法と機械技術の融合によって生まれた特殊なフルダイブ型仮想空間。MVRポッドと呼ばれる機械によって起動する。ダイブした使用者の肉体はMVRポッド内の専用領域によって保管され、分身魔法によって生まれた使用者の仮想体のみがその空間で活動が可能となる。
●
緑色の景色が足早に流れる。乾いた草木が砕かれる軽い感触が、短い間隔で足裏に伝わっている。走っても走っても、疲れる気配は全く無い。
耳翼がぴくりと動く。近くに敵がいる。
密林を抜けてすぐ。中央に切り株のある広場に出た瞬間を狙われ、ブーメランの形を成した水の塊が高速で飛んできた。
走行中に身を屈める。ブーメランが頭上を通り過ぎた。
次は馬鹿正直に正面から剣型の魔装具を振りかざす男子を視界に捉える。片足だけで踏み切って、彼の頭上で車輪のように一回転して背後を取る。
ここで、さっきの水のブーメランが返ってくる。そりゃそうか。ブーメランだし。
羽夜はすかさず身を翻し、すぐ近くにいた男子を引っ掴んで彼を盾にしようとする。
『そのままだよ、渕上さん』
右耳に装着していたインカムから、別の男の声がした。
羽夜は自分の仕事を思い出し、これ以上は何もせず、男子を掴んだまま停止する。
ブーメランが男子の首を刈る、貫通して羽夜の首も刈る。
目の前が光に包まれる。淡く白い輝きが瞬いたと思ったら、たった一瞬だけ、視界が灼熱の景色に様変わりする。
きっと、チームの誰かが炎属性の魔法で、自分の周囲にいた敵二人を、仲間である筈の自分ごと焼き払ったんだ。ヘルプに入ることなく、自分が死んだ瞬間を狙って。
まあ、いいだろう。今回は相手チームの敵を二人も引き付けたんだ。上出来だ。
景色が変わる。突然、四方八方から歓声が飛び込んできた。
さっきまで自分が存在していた空間は紛い物の密林。そして、いま存在しているこの場所は、ウィッチバトルアリーナのボックス席。つまり、現実の空間だ。
ボックス席のベンチにただ一人、ぽつんと座る自分の姿を、正面のガラス窓越しに見る。
いつも通り、酷く気の抜けた、情けない顔だった。
いまも分厚いガラス一枚を越えた先の空間に投影されているホログラフィックモニターには、VR空間内の試合の模様が映し出されている。まだ試合は終わっていないが、いまの羽夜にはこれから先の展開など、極めてどうでもよかった。
不意に、視線が少しだけ上を向く。
モニターの投影装置も兼ねているステージ中央のMVRポッドと呼ばれる機械を取り囲むように配置された観客席には、今日もたくさんの
その脇に背中を預けている少年が、ずっとこちらを見ている。
距離が遠いので、彼の面貌の詳細は分からない。でも、少しだけ冴えた感じがする。
彼は壁から背中を浮かして姿勢を正すと、またこちらを鋭い眼光で射抜き、冷たい表情をそのままにして背を向け、静かな仕草で出入口の奥に消えた。
それまでの様子をただ呆然と見ていた羽夜は、ただ一人、ぽつりと呟いた。
「……誰?」
●
「チーム・アンビシャス、新年度からの五連勝を祝って……乾杯!」
やたらテンションの高い茶髪の男子生徒が、ウーロン茶(の割にはやけに泡立っているような気がしないでもない)の入ったグラスを掲げて意気揚々と乾杯の音頭を取る。周りのメンバーも適当に合わせ、お菓子をつまみながらわいわい談笑を始める。
ここは【チーム・アンビシャス】の作戦室だ。その中にあってただ一人、羽夜だけが、ずっと無言だった。
「いやー、しかしアレだな。渕上さんが上手く囮をやってくれるおかげで、点が取りやすくて仕方ないわ」
乾杯の音頭から騒がしいこの男の名は、
「ていうか渕上さんさぁ、めっちゃ足速いじゃん。なに? 何かスポーツやってたん?」
「……パルクールを、一応」
「ぱる……何? システム?」
「…………」
知らんのか。そこそこ有名なエクストリームスポーツだぞ。
「まあ、何でもいいや。魔法がショボくても、足の速さだけで十分やってけると思うよ? いや、マジで」
「…………」
「つれないなあ。ていうかー、本当に渕上さんて魔法アレしか使えないの? 本当は何か隠してんじゃない?」
「…………前にも説明しました。私が使えるのは、本当にこれだけ」
羽夜は掌を弘毅に向け、直径一センチにも満たない光の粒を出現させる。
「【
「うーわ、ショボ過ぎ」
弘毅の隣に座る女子生徒が露骨に嘲笑する。彼女は
「さすが最低最弱の魔女と噂の渕上様。顔が可愛くなきゃ人生終わってるわ」
言い返す気にもならない。怒りも沸いてこない。恐らく、事実だろうから。
自分の顔とか見た目については、女子として不細工でなければそれ以外はどうでもいい。魔法についても、既に諦めがついている。
高度経済成長期以降に急速に台頭した魔族と呼ばれる種族は、魔法が使えるという特徴以外は普通の人間とほとんど変わらない、言わば人間の亜種。神話は童話などに登場するエルフやドワーフ、果ては悪魔や吸血鬼といった連中が、ごく普通の人間の姿で生活している。それが、いまの世の中だ。
羽夜や瑞希は魔女と呼ばれる、複雑な魔法を扱う事に長けた魔族のはしくれだ。
「福島。そりゃ言い過ぎだろ」
羽夜の隣に座る男子生徒が苦い顔をして抗弁する。彼は弘毅の幼馴染で、
「つーか、露骨に暴言吐くなよ。形は何であれ、今回の試合には貢献したんだし」
「は? うっせーし。それともなに? その子が好きになっちゃったとか? きゃーっ」
「対人関係の一般常識の話をしてんだよ……!」
「あー、はいはい。二人共、喧嘩しない!」
部屋の冷蔵庫から新たにミネラルウォーターのボトルを取り出して席に戻ろうとした女子生徒が仲介する。彼女は
「やるならアタシがいないところでやってよ」
「別にそんなつもり無いし」
瑞希がソファーの背もたれに思いっきり背中を預ける。
「ていうか、何で新入生でスカウトしたのが渕上さんなワケ? 今年は
「五新星?」
春乃が目を丸くする。羽夜も聞きなれない単語に、少しだけ興味が湧いていた。
「何よ、それ」
「知らないのか? 超有名人だぜ?」
弘毅がさっきよりもさらに調子良く答える。そういえば、手元のグラスからウーロン茶(らしき謎の発泡飲料)が無くなっているような……。
「魔導事務局・刑事部戦闘課。魔導犯罪のスペシャリスト達がひしめく最強の戦闘部隊の中にあって、ある時期に特級魔装士の試験に合格した五人の天才達。特級魔装士の中でも十年に一人の逸材と言われた、天賦の才覚を秘めた黄金世代。それが今年度、この天都学園に三人も入学してきた」
「マジ? じゃあ、一人でも勧誘出来れば最強チーム爆誕じゃん」
「……その筈だったんだけどなぁ」
さっきのハイテンションは何処へやら、弘毅が遠い目をして落胆する。
「一人は『
「残り二人は?」
「もう一人、我妻さんと同じレベルの実力者に声を掛けてみたんだが、何故か断られた。そして最後の一人なんだが……」
弘毅が言い淀む。どう説明したら良いのか分からない、とでも言いたいような顔だ。
「……俺も詳しくは知らないが、そいつは親の七光りとか噂されている、最低最弱の五新星らしい。名前は
「うわ、イラね」
瑞希がすげなく一蹴する。
「じゃあ、マジで勧誘とか無理ゲーじゃん」
「そーなんだよ……で、他の一年にも声を掛けたんだけどさぁ、何故か皆逃げてくし。で、ようやく捕まえたのが渕上さん、ってワケ。いやー、良かった良かった。他のチームはみんな新入生を獲得してベンチ層強化してるし、ウチらだけ出遅れるトコだったわ」
「…………」
その挙句、特攻同然の囮の末に味方の魔法で爆殺される扱い、と。
たしかに、そんな精神性のチームリーダーについていこうとする者は誰もいない。羽夜も、親から一回でもいいから適当なチームに入っておけと言われたから誘われるがままにこんなクソチームに加入したまでである。自分から他のチームに売り込もうにも、魔法がショボ過ぎて話にならないだろうし。
そろそろ脱退しよう。うん。そうしよう。
「つーか、俺達レベルだったら『
この発言をした事で、弘毅は身の程知らずを絵に書いたような存在となり果てた。
「いや、無理だろ」
真也が真顔で否定する。
「魔導事務局最強と謳われた、幻の魔装士。数々の極秘任務をこなし、単独でSSS級魔導犯罪者を三人以上もとっちめた、まさしく生ける伝説。ただ、そいつは素性どころか生死不明。そんな眉唾モンの化け物が、学生服着て優雅に青春してると思うか?」
ポ●モンみたいな言われ様である。
「たしかに」
弘毅が同意する。真也なりに気を遣って論理的にアプローチしたのだろうが、本音は絶対に違うだろう。
「じゃ、そろそろお開きにしますかね」
弘毅が席を立つと、他の面子もぞろぞろ立ち上がった。
すると、瑞希が高圧的な命令を下してくる。
「渕上さん。お菓子とか飲み物の片づけ、アンタやっといてよ」
「え……」
「どうせ足が速い以外に取り柄ないし、こんぐらいはやっといてもらわないと」
「ちょ」
「じゃねー」
言うなり、瑞希は部屋の電気を落としてすぐ部屋から退出する。弘毅も特に瑞希の態度を咎める事もせず、それどころかノリノリで羽夜に「ヨロシクネー」と手を振って瑞希の後を追う。春乃もちらりとこちらを見ただけですぐ弘毅の後に続き、真也は少し迷った素振りを見せた末に、結局は彼らの背中についていった。
作戦室のドアが閉まり、暗い部屋に羽夜一人だけが取り残された。
「……酷いチーム」
呟いても、聞く者はいない。
【チーム・アンビシャス】は真也以外のメンバーのそれぞれが人格に問題を抱えているらしい、という噂を加入直後に知った時は、内心で信じがたい気分だった。自分が入ったチームがそんな連中の集まりだなんて、誰だって最初は信じたくないだろう。
だが現実は非情なものだ。彼らは親の社会的立場からスクールカースト最上位にいて、その立場を傘に着て好き勝手に問題を起こしては、大人達に咎められる事も無く事件をもみ消してもらい、いまに至るのだという。
チームの結成時期は彼らが天都学園に入学してから。つまり、丸一年はこんな状態のスポーツチームが存続していたのだ。考えるに悍ましい。
もう嫌だ。入って一か月で心が折れそう。一か月前、あんなリーダーの前で首を縦に振った自分を殺してやりたい。
「……とりあえず、片付けよう」
まずはテーブルに散在するお菓子やら紙コップやらの始末からだ。
羽夜がゴミ袋を探そうとしたところで、部屋のインターフォンが鳴る。
「……?」
はて。こんなチームのところに来客? 先生でも来たのかな?
とりあえず、インターフォンの受話器を取ってみる。
「はい」
『あー、もしもし? その可愛らしい声は渕上羽夜さんですな?』
「は?」
何だ? 新手のナンパか?
『ちょっと君にお話しがあるんですが、部屋入ってもよろしいですか?』
とりあえず、部屋のドアにカギを掛けた。
『え? いまガチャって……オイ!? いきなりシャットアウトかテメェ!』
「すみません。宗教の勧誘はお断りしてますので」
『ウチは無宗教だ!』
「うちN●Kと契約してないんで」
『集金人ちゃうわ!』
「…………」
相手はやけにテンションが高い人物のようだ。男子はもっと落ち着きがある方がいい。
『あ、そういや名前言ってなかったわ。ごめんごめん』
電話口の向こうで、その人物は咳払いして、自己紹介を始めた。
『俺は一般コース魔装士科一年の天霧耀真です』
「天霧……?」
はて。何処かで聞いたような。
とりあえず、カギを開錠して、部屋の扉を開ける。待ち受けていたのは、さっきアリーナの対岸で見かけた、あの少年だった。
「……君は、あの時の」
「お? 気づいてたんだ」
少年は明るく笑った。ただテンションが高いだけの弘毅と違い、見ている者の心を晴らすような、澄み渡るような笑みだった。
外見は全体的に小綺麗にしている、普通の男子生徒だ。騒ぐ程のイケメンではないが、何処となくメンズ美容室の美容師みたいな印象の少年だった。
「さっきの試合は惜しかったな。お仲間の……福島さんだっけ? 彼女の爆撃に巻き込まれなきゃ、渕上さん単独で二得点はしていた筈だしな」
「……私が? 一人で得点?」
「まあ、話は後にしようや」
耀真はするりと部屋に入るなり、親指でテーブルのゴミの数々を指し示す。
「とりあえず、これ片付けない?」
★★★
【ウィッチバトル】。
それは、とある魔女が考えた魔族のeスポーツ。MVRという特殊な異空間の中で行われる、フルダイブ型VRサバイバルゲーム。
魔族が唯一参加可能なスポーツであるが故に、全ての魔族の娯楽と夢が詰まったその競技は、大規模な装置が必要であるにも関わらず、世界各所で大流行していた。
この物語は、【ウィッチバトル】という新たなスポーツ競技に自らの心血を捧げた、無力な人間達と九つの魔族による、熱い激闘の記録である。
★★★
「どうぞどうぞ」
「いやー、すまんね」
作戦室の片づけが終わるなり、一休みの為に羽夜が残り物の茶葉を使って温かい緑茶を淹れ、ソファーに腰を落ち着けた耀真の前に差し出す。
彼の向かいのソファーに腰を下ろし、羽夜は改めて訊ねた。
「ところで、天霧君は何の用でここに来たの?」
「ああ、それな。単刀直入に言うと、お前さんをスカウトしに来た」
「……ん?」
うっかり頷きそうになるが、考えれば考える程に怪しさ満点の発言だった。
「私をスカウトって……何処へ?」
「俺がこれから作るウィッチバトルのチームに」
「何故?」
「渕上さんには俺のチームのエースになってもらう」
「……エース?」
エース。つまりは、チームの中心人物にして、最も頼られる存在。
それを、この最弱の魔女にさせようと言うのか、この男は。
「無理だよ」
口を突いて出たのは、当然の返答だった。
「私の試合を見てたんなら分かるでしょう? 私にそんな力はありません」
「どうだかな。渕上さんの実力は、あんなもんじゃないさ」
「買い被り過ぎだよ」
「不審な点が二つある」
耀真がいきなり、片手の指を二本立てる。
「一つはさっきの試合で爆撃される直前に動きを止めた事。他の試合の記録を見ても、同じような動作がいくつも見受けられる」
どうやら、弘毅の指示で相手の注目を集める為にわざと動きを止めていた事が見抜かれていたらしい。【チーム・アンビシャス】の最近の必勝パターンは、適度に素早く動き回る羽夜が陽動役として相手の注目を集め、攻撃の準備が整った瞬間に羽夜ごと瑞希と春乃の魔法で相手を一網打尽にする、というものだ。
「渕上さんが加入して以降、連中がこの作戦で失敗して負けた事は無い。だが、もし相手チームに戦術パターンを見切られて渕上さんが囮として機能しなくなったら、アイツらどうするんだろうな」
ここまで見抜かれていると、逆に気持ち悪さすら覚える。
「そして二つ目。渕上さんが全試合で丸腰なのは何でだ? 【アンビシャス】の連中は値の張る競技用魔装具を持ってるってのに、どうして渕上さんは【エアブレード】すら装備してない?」
「それは、私が魔装具を持ってないから……」
「嘘だな。仮にも君は光属性身体強化魔法の名門、渕上家の末裔だぞ。その気になれば近接戦闘用の魔装具くらい持ち出せただろうに。ていうか、授業で使う為に入学時に無償で与えられた【エアブレード】すら装備してないのはちょっと異常だぞ」
この人はストーカーか何かだろうか。どうしてこちらの情報をこうまで握っているのか。
「まあ、理由は大体想像がつくけどな」
耀真が後頭部をかきながら言う。
「ただ、これだけの情報を掴むくらいには君の事を買っている、というのは理解して欲しい」
「……はあ」
つい間の抜けた返事をしてしまう。人にここまで言われるのが初めてだったからだ。
「でも、どのみちスカウトなんて、ちょっと……」
「まあ、最初があのチームだもんな」
無論、それだけが理由ではない。
天霧耀真。さっきの話に出てきた五新星の一人。親の七光りと呼ばれた、最低最弱の特級魔装士。
こんな噂が流れているこの男を、果たして自分は信じて良いのだろうか。
「分かった。じゃあ、こうしよう。いまから俺が君に一つ、ウィッチバトルで使える必殺技を伝授しよう。それを明日のランキングバトルで使ってみてから、俺を信じるかどうかを決めて欲しい」
「そんな強引な……っていうか、必殺技って一日で簡単に身に着くものなの?」
「正確には〇日だ。君はもう、その技を使える」
「はい?」
身に覚えの無い事を聞かされ、羽夜はさらに混乱した。
「何を言ってるの?」
「答えを知りたきゃ、俺についてこい」
お茶を飲み干し、耀真がすくっと立ち上がる。
「君に本当の戦いを教えてやる」
●
ウィッチバトルを行う為のアリーナとは別に、MVRが設置してある施設が天都学園の中にはいくつか存在する。その一つが、他のチームの選手達が練習場として使うプラクティスジムだ。建物自体はあまり大きくはないが、受付の奥がMVRポッドの設置ルームになっているので、そこから練習用の異空間へとダイブする事が出来る。その電脳空間の収容人数は、某ネズミの国の二倍くらいはあるという。
体育館みたいな風景の空間にダイブするなり、耀真は羽夜の姿をしげしげと眺め、満足げに言った。
「うんうん。スポーツウェアがよく似合うじゃないか。それ自前の奴?」
「うん。友達とパルクールをする時によく着てる」
「意外な趣味だな」
「中学時代から仲良くしてる人間の子が、自分が所属してるパルクールのサークルに誘ってくれたから。それで始めたの」
「運動性能の高さはそっから来てる訳だ。なら、あまり手間が要らなさそうだ」
耀真が羽夜の手に提げられた布袋を見遣る。
「ちゃんと【エアブレード】は持ってきたな。とりあえず、履いてみよう」
「うん」
【エアブレード】とは、簡単に言うとスケートシューズ型の魔装具だ。魔力によって構成されたエッジを足裏に出現させ、重心移動をトリガーに推力を得て高速移動を可能とする。常にアクションを要求されるウィッチバトルにおいては必須とも言える機動力の要だ。
装着を終えると、羽夜は再び耀真に向き直った。
「で、どうするの?」
「よろしい。では、ここで座学に入ろう」
耀真が何処からともなく眼鏡を取り出して素早く装着する。どうやら彼は眼鏡を掛ける事でインテリモードが発動するらしい。
「そもそも【エアブレード】とは、二級魔装士以上が公道での使用を許される免許必須の魔装具です。ただし天都学園では魔装士科に入った一年生の全てにこの靴が与えられる。二年時には進級試験の過程で、必ず二級魔装士の資格を習得しているからです。そして天都学園では、一年時の専門科目の授業で【エアブレード】を使用する場面がある。だから学校内やウィッチバトルのステージ内なら、競技用魔装具として無資格者でも使用が許されている。そこまでは知っていますね?」
「はーい」
「良い返事です。次は基本的な使い方や性能についてです」
耀真は制服の懐から、二枚の白いプレートを取り出す。
「【エアブレード】最大の特徴は、重心移動による加速と、アタッチメントによってその加速性能を変化させられる点です。いま私が持っているこのプレートを靴裏の接続部にセットする事で、ようやく【エアブレード】が起動します。まずはホイールタイプから試してみましょう」
耀真からそのプレートを受け取って、足裏の接続部にプレートの突起を合わせて装着する。思った以上に感触が気持ち良い。
「セットしましたね。では、電源を入れましょう。一回地面を強く踏みしめて、それから軽くジャンプしてみましょう」
言われた通りに、地面に足裏を押し付け、軽く飛んでみる。すると、エアブレードのアタッチメントの出力部から、黄色い車輪みたいな薄い発光体が出現した。
「おお、出た」
「素早く起動するのは多少の慣れが必要です。そして起動直後に直立の姿勢を保つには更に練習が必要ですが、渕上さんにはその必要が無さそうですね」
言われてみれば、足裏よりも接地面積が少ない筈の黄色い車輪で地面の上を直立している筈なのに、全くバランスが崩れる気配がしない。不思議だ。
「この状態でいきなり直立姿勢の制御が出来る時点で、渕上さんのバランス感覚が他の魔族や人間以上に優れている事が立証されましたね。本当に使うの初めて?」
「うん。私、嘘つかない」
「そうっすか」
耀真が少し引き気味だ。そんなに凄い事をしているんだろうか、自分は。
「……えー、気を取り直して。この状態で移動するには全身の重心を傾ける必要があります。そして足を前に蹴りだす事でさらに加速します。ちょっとやってみて下さい」
「ほーい」
これまた言われた通りに、重心を前に傾ける。
すると、体が勝手に前進を始める。足裏のローラーが回転して、体をゆっくり前に進めているのだ。
今度は足を前に蹴りだしてみる。いきなり、ぐんと体が前に引っ張られる。
これらも含めたいくつかの動作を何度か試行してみる事、数分が経過。
いまの羽夜は、フィギュアスケート選手も真っ青なトリプルアクセルを連発する程の成長を遂げていた。
「おお……思ったより楽しい」
「……マジかよ」
眼鏡がずり落ち、耀真が唖然としている。
「おかしいだろ。もう俺の操縦技能超えてるじゃねぇか」
「そうなの?」
「少なくとも魔導事務局の全職員が腰を抜かすレベルだ」
それは言い過ぎだろう、と思ったが口には出さないでおく。何か可哀そうな気がする。
「よし。次はストレートタイプのエッジを試してみよう。これは俺も愛用してる奴だ」
「ホイールタイプと何が違うの?」
「ホイールタイプは加速の制動性や小回りに優れた、いわゆる初心者向けのエッジだ。ちょっと練習すれば誰にでも使える反面、加速性能や耐久性に難がある。ストレートタイプはその真逆。加速は弾丸並みだが、制御が極めて難しい上級者向け。特級魔装士でも使う奴は少ない」
「ほほう。それじゃ、ちょっとお借りして」
ホイールのエッジからストレートタイプのエッジに交換。起動すると、それこそフィギュアスケーターが装備するような直線状のブレードが出力部から発生する。
耀真が腕を組んで注意してくる。
「気をつけろよ? いくらMVRの中だからって、さっきみたいなトリプルアクセルを連発すると現実の三半規管にもダメージが及ぶからな。特にストレートタイプはMVRの空間内でも、推奨された訓練時間があるくらいだ」
「なるほど」
言いながらも、さっきと同じ要領で重心を前に傾け、足を蹴りだす。
加速はいつも通り――じゃない。一瞬で全ての景色が激流のように流れ、いつのまにか全身で壁に直撃してべったり貼りついていた。
もはや声も出ない。仮想空間なので痛みも無ければ怪我も無いが、心臓に悪い。
「ほらな。言わんこっちゃない」
「…………よく分かりました」
次からは教官殿の警告にはもっと耳を傾けよう。
などと心に誓い、再び【エアブレード】を起動して加速する。
さっきの衝突でだいぶ要領が掴めてきた。蹴り出す力を最小限に抑え、咄嗟の加速に合わせて体幹を意識さえすれば、S字走行もクアドラプルアクセルもお茶の子さいさいだ。試しにムーンサルトキックをしてみるが、意外と上手くいった。
「こんな感じですかね」
「……もうアナタに教える事は何もありません」
何やら落胆している様子の耀真が、とぼとぼと羽夜に背を向け、数歩歩いてから再びこちらに向き直った。
「では、訓練の最終段階に進もうか」
「最終段階?」
「俺とのタイマンだ」
耀真が制服の裾を払うと、腰のベルトに括り付けてあったホルスターから、こなれた仕草で黒い自動拳銃を引き抜いた。
足元に、火花が散る。
「にょっ……!?」
変な声が出て、本能的に片足を跳ね上げた直後、羽夜はようやくいま自分が足元に銃弾を撃ち込まれたという事実を実感した。
いま、いつ発砲した? 何で撃たれた直後でさえ発砲された事に気づかなかった?
「まさか、こうも早く【エアブレード】の扱いをマスターするとはな。俺も少し自信を失くしかけて、さっきまでちょっと泣きそうだったぞ」
耀真は銃口をこちらに向けたまま情けない事を言い始める。
「だが、それとこれとは話が別だ。俺だって特級の意地がある。それをここで見せておくとしようか?」
「あのー、私の必殺技の話は何処へ? 何やら目的が変わってるようなのですが……」
「いーや、変わってない。【エアブレード】さえ使えれば、やる事は一つだけ」
とても嫌な予感はしていたが、この男、まさか。
「十本勝負だ。題して、『銃弾を【エアブレード】でぶった斬るまで、帰れまテーン』!」
「うそぉおおおおおおおおおおっ!?」
最後の最後で、とんでもない課題が降りかかってきた。
飛来する銃弾を斬るのは剣の達人でも難しい。というか無理だ。それを、使い方を覚えたばかりの魔装具で、本来の用途以外の使用法で、発砲のタイミングさえ撃たれた直後まで分からない謎の技術によって放たれた銃弾を斬る?
しかも十本勝負? タイマン勝負を十回やるの? マジで?
「安心しろ。MVRの中だ。死にはしない」
「いや、そうじゃなくてね?」
「お前がウダウダ言い始めると物事が前に進まん! という訳で、レッツダンス!」
「いいぃぃぃぃぃぃやぁああああああああああああっ!?」
こうして、耀真と羽夜の、十回にも渡る地獄のタイマン勝負が始まった。
結果は、当然と言うべきか、羽夜の全敗で終わった。
●
「天霧君、強すぎません?」
下校中、背を丸めて歩く羽夜は、隣の耀真に恨み節をぶつけた。
「噂だと最低最弱の魔装士とか呼ばれてましたよね。天霧君が最弱なら、他の五新星はどんだけバケモノなんですかね」
「たしかに、他の四人は確実に俺よりヤバい連中ばっかりだな」
耀真が苦笑する。件の噂に触れてもこの態度という事は、どうやら彼本人は自分でも最弱という自覚がある様子だった。
「まあ、局長のパワハラというか嫌がらせで勝手に流された噂だけど、半分くらいは真実だったって事かな。周りからそう言われても、あまり怒る気にもなれん」
「ん? その噂って、本当はデマだったの?」
あまりにもさらりと言ったものだから、うっかり聞き逃すところだった。
「半分デマで、半分本当だ。特級魔装士の試験は自分の力で合格したけど、局長がそれを認めなかったんだ。おかげで試験記録は全部消されるわ変な噂を流されるわで、その時はちょっと大変だったなー」
「……普通に話してるけど、かなりのパワハラ事件だよね、それ。天霧君って、そんなに魔導事務局のトップと仲悪いの?」
「俺っつーか、俺の親父だな。いまは戦闘課の課長で、次期局長を噂されるくらいには有能だったのさ。対して現局長は、それこそ親や他の政治家とのコネだけでのし上がった無能のボンクラだ。だからなのか、よく局長は自分の立場を脅かしかねない課長を目の敵にしてたのさ。俺はそのとばっちりを喰って、特級の資格を貰い損ねそうになった。でも局長がやろうとしてた事は普通に公文書の改ざん。つまりは立派な犯罪だ」
「分かった。その犯罪を黙っててやるから、天霧君の資格取得を許諾するように課長さんが脅しをかけたんだ」
「大体はそんな感じだ。結局、半分デマの、半分本当だ」
耀真はこう言うが、羽夜にはそうは感じられなかった。
たしかに無茶苦茶なところがある。お茶目なところもあるし、見た目からそこまでの威厳を全く感じない。言われなければ、彼が特級魔装士であるなどとは誰も思わないだろう。でも、さっきのタイマン十本勝負を経て、羽夜の耀真に対する評価は一気に反転した。
この人はきっと、本当はもっと、とてつもない力を持った人間なんだ、と。
「全部デマになるよ、きっと」
「え?」
「少なくとも、私に必殺技を授けてくれた」
いったん立ち止まり、羽夜は一か月ぶりに笑った。
「明日の試合。楽しみにしててね」
「……少しは自分に自信が持てたか?」
「多分ね」
羽夜は耀真より数歩先に躍り出た。
「じゃ、私、こっちだから」
「ああ。また明日な、羽夜」
「また明日」
理由は分からないけど、少しだけ小走りになる。不思議と息は上がらない。
それはきっと、今日は散々だったけど、楽しい一日だったからだろう。
●
ウィッチバトルアリーナ。天都学園が学年問わず共通で使える施設の一つで、ここでは土日祝を除く平日、放課後にランキングバトルという催しが実施されている。
ランキングバトルというのは今年から始まった制度であり、簡単に言うと今年の地区予選大会に出場するウィッチバトルチームの選定に必要な試合だ。そのシーズンの最終日までに各チームが勝利数を奪い合い、その多寡で地区予選への参加チームが決定される。この通り、まずは学校内から優秀なチームを選抜する必要があるのだ。
「よう、やっぱり来てたか」
観客席の出入口付近からアリーナを眺めていた耀真の背後から、声を掛ける者がいた。
「
「まーた渕上さんの試合か。ストーカーは大変だな」
人を犯罪者予備軍呼ばわりする失礼なこの男は、生徒会副会長にして、【チーム・アマツカミ】のリーダー、
「失敬な。ファン一号と呼んで下さい」
「ここんとこ、仕事が無きゃ毎回観戦してんだろ。ここまでお熱とは思わなかったぜ」
「ウチの羽夜様は見てるだけで癒されますからね」
「ウチのとか、キモ過ぎ」
楓太の隣で苦い反応をする美少女は、生徒会書記の
「そういえば昨日、渕上さんとプラクティスで何かしてたみたいね。もう手籠めにしたの? 手ぇ早過ぎ」
「あんまり俺をみくびるなよ、稲穂ちゃん。俺がいかに美少女好きでも、そこまで自分の欲望に素直じゃないぜ? 俺は三六五日、全方位三六〇度で紳士的な男として有名だろ?」
「この前、戦闘課に導入された新型ドローンでとある女子のスカートの中身を盗撮しようとしたのは何処のバカでしたっけねぇ?」
「あっれー? そんな奴いたかなー? 俺は知らねーなぁー」
そういえば、そのバカは手が滑ったとか初めて使ったもんだから操作ミスったとか変な言い訳をして逃げた挙句にその女子の怒りを買って魔法で黒焦げにされたんだとか。無論、断じて、俺の話ではない! ……そういう事にして下さい。
「……で、真面目な話。どうなの、実際?」
「聞いても信じられないだろうからな。そいつは見てのお楽しみだ」
「じゃあ、そうさせてもらうわ」
ごく当たり前のように我妻兄弟が耀真を挟むようにして並び立つ。
『皆様、お待たせしました! ただいま試合開始十分前です!』
観客席の前列に設けられた実況席から、稲穂よりも小柄で、なんなら幼児体型と言っても差し支えない少女がマイクを片手に元気にアナウンスを始める。
『これより本日のランキングバトル第一試合、【チーム・アンビシャス】VS【チーム・ラッシュスター】の試合を開始します! 実況・解説は不肖この私、魔装士科一年の
「雪緒の奴、楽しそうねぇ」
稲穂が雪緒の姿を眺めて微笑する。
「何かやりたい事があるとか言ってたけど、それが広報委員で試合の実況とはね」
「意外とハマってんじゃねぇか。あいつ、チームには入らないんかな」
「さあ? あれで案外ソロ充だし、チーム競技のプレイヤーには興味無いんじゃない?」
姫風雪緒。彼女も耀真と同じ魔導事務局戦闘課の魔装士だ。頬のソバカスが愛嬌的な意味で良い味を醸し出す、耀真の中では稲穂と同じくらい接しやすい相手だ。周囲からはあんまり美少女としては見られていないが、あれはあれで可愛いと思うのは自分だけか?
『そして本日のゲストは、魔族コース索敵科一年の担当教諭、
『はーい、鬼塚ですー。本日はお招きいただきありがとうございますー』
雪緒の隣に、彼女とは対照的に上背のある丸眼鏡の美人教師が座っていた。大人しく知的な風貌な彼女は、索敵系魔法のエキスパートにして、もしかしたらこの学校で最強の危険人物かもしれない魔女である鬼塚灯里だ。気の弱そうな振る舞いをしているようで、実際は耀真が最も恐ろしいと感じる魔族でもある。
『鬼塚先生。今日の試合の見どころはズバリ何でしょう?』
『私のイチオシは【チーム・ラッシュスター】ですね。彼らの試合はいつ見ても面白いです』
『それは、どのあたりですか?』
『まず、選手の層ですね。
『加えて、驚くべきは清水選手の戦闘センスですね。魔法が無くとも魔族四人を従えるリーダーシップに天性の格闘技術。たしかに、今年の台風の目になり得ますね』
『逆に姫風さんから見てどうですかね、この試合』
『私は渕上さん一択ですね』
お? わかってるじゃないか。さすが俺と同じ羽夜様贔屓。
『今回は前回までの試合で装備していなかった【エアブレード】を持ち出してます。逆に前回まで何故装備してなかったのかが気になるところですね』
『私にも詳しい事情は分かりませんが、今回は学園長からの指示らしいです。やはり、授業で使う魔装具すら装備しないのは選手としてどうかと思ったのでしょう』
『なるほど。さあ、各チームの選手が入場してきました』
アリーナ中央のMVRのフラップを上り、それぞれのチームの選手が無言で対面する。
無表情で相手を視界に捉える羽夜を見て、耀真は口元を緩めた。
「いいぞ。完全にやる気だ」
「ていうか、もはや人殺しの目だろ」
楓太が早くも羽夜の思惑を見抜きにかかった。
「殺し合い直前の耀真にそっくりだ」
はて。そこまで恐ろしい顔を作った記憶はこれまでに一度も無いが?
『両チーム、気合は十分のようです! それでは各選手、ダイブスタート!』
『よろしくお願いします!』
お互いに挨拶を交わし、全員がフラップから飛び降りる。すると、全員の体がMVRポッドの中央に吸い込まれて消えていった。
それから程なくして、MVRポッドの遥か真上にいくつかのモニターが展開される。各チームのメンバーの位置を示したマップや、ステージ内の様子を表示した映像だ。
『ステージセレクトは毎回ランダムで行われます。今回は森林ステージ。天候は晴れ、時間帯は昼です!』
『ごくオーソドックスな自然ステージですが、森林戦はかなり奥が深いです。兵士にも山岳兵と呼ばれるプロがいるように、森には森の戦い方があります』
「今日はついてるな。ビンゴを引いた」
耀真が小さく拳を握る。
「足場が悪くて遮蔽物が複雑に入り組んだステージは羽夜の独壇場だ」
「でも彼女が装備してる【エアブレード】はストレートタイプだろ。そんなに性能を発揮しきれないんじゃないか?」
「その辺は問題ないっす」
いくつか出現しているうちの二つのモニターには、それぞれ待機中の出場選手達の姿が映し出されている。ウィッチバトルはスタート時、必ずチームメンバーが合流している状態からスタートするので、ここからどう手分けして相手の面子を狙うかが重要になってくる。
『試合開始のカウントダウンを始めます』
選手達の頭上に数字のアイコンが出現する。
『三、二、一――』
カウントダウン中は、さすがに会場も静まり返る。
そして――
『ゼロ!』
カウントアップと同時に大歓声が湧く。
既に、モニターから羽夜の姿が消えていた。
「……は?」
稲穂が目を丸くする。
「渕上さんが消えた?」
「【アンビシャス】の連中は何してんだ?」
稲穂と楓太の疑問は尤もだった。どういう訳か、スタートしたにも関わらず、画面に映っているアンビシャスの面子は遠い目をしたままその場から動かないのだ。
理由は、新たに表示されたモニターによって判明する。
『おぉおっと!? 渕上選手、味方を置き去りに一人でロケットスタートしたぞ!?』
『しかも速いですね。ストレートタイプのエッジで出せる、理論上の最高速度です』
羽夜は草木が生い茂る林の中を、F1カー並みのスピードで突っ切っていた。しかもただ速いだけでなく、立ちはだかる木々をするりと抜け、適当な大木を【エアブレード】の加速のみで垂直に登り、さらに隣接する枝と枝の間を飛び跳ねている。これを、最高加速と最低減速を繰り返しながら実行しているのだ。
『あの動きはパルクールですね。意外とアグレッシブなスタイルで驚きました』
『問題はさっき置いてけぼりを喰らった【チーム・アンビシャス】! どういう訳か、ポカンとしたままその場から動かない! 対する【ラッシュスター】は、岡島選手と飛田選手が動いた!』
マップを見ると、後衛はリーダーの清水小太郎を含む三人がその場で待機して、先遣隊として獣人族の
「
不審な動きに、耀真は眉を顰める。
「いつもなら後ろに下がってる筈だろうに」
「おそらく、渕上さん封じだろうな」
楓太が顎に手をやって述べる。
「お前と渕上さんが接触した事が小太郎の耳にも入っていたんだろう。だから、最初にブレイクオーバーの危険が少ない岡島を前に出して様子を見る事にしたんだろうな」
「俺達が何をしてたかもよく分かってないのに? ビビり過ぎじゃないっすか?」
「そろそろ渕上さんと【ラッシュスター】が接触する」
稲穂がモニターから目を離さないまま注意を促してくる。
彼女の言う通り、羽夜が林を抜けたあたりで、羽夜と了が正面から会敵する。
まず動いたのは羽夜だった。周辺の草木に飛び込み、木と木の間を縫うように動き回って了の視線を攪乱する。羽夜の目論見通り、了は視線を巡らすだけで、その場から動けないでいた。拝むだけで御利益がありそうな優しい顔つきの下は力士並みの巨体なので、流石に羽夜の高速機動に対応するのはやや難があるか。
彼が装備している魔装具は盾型だ。まずは様子を見に来たと言ったところだろう。
『渕上選手、カウンターを嫌ってか岡島選手を攻撃しない?』
『体格差や純粋な身体能力の差で攻めあぐねている印象ですね。いくら渕上選手の身体能力が高くても、獣人族であの体格の岡島選手を沈めるのは至難の業です』
灯里の言う通り、いまの羽夜には決定打が無い。
「……来る」
耀真の呟きとほぼ同時に、オレンジ色のエネルギーで構築されたミサイルのような形の飛翔体が、大体八発くらい、羽夜の頭上から降り注いだ。羽夜が慌てて回避起動に切り替えたので一発も命中しなかったが、いまの攻撃で手近な地面に黒く焦げたクレーターが出来上がっていた。
『ここで近くに潜んでいた飛田選手の爆撃魔法が炸裂! 炎属性の魔力のみで構築されたミサイルの流星群が緑の楽園を焼け野原に変える!』
『爆撃直後に飛田選手が動きました』
もはや隠れる意味が無いと判断したのか、飛田三縁が驚くべきスタイルで登場する。
なんと、炎属性の魔力で構築されたスペースシャトルみたいな構造体の上に乗って、さっきのミサイルをまき散らしながら羽夜の頭上に躍り出たのだ。
これにはさすがに、耀真も面を喰らう。
「ブッ!? あいつマジかよ!? 攻撃魔法のミサイルに乗ってるぞ!?」
「派手だなー」
「ああいうスタイル、嫌いじゃないわ」
三人揃って爆笑する。数多くの魔導犯罪に関わってきた特級魔装士三人をして、彼女みたいな清々しい派手好きにはそうそう出くわした覚えが無い。
しかし、これが意外と功を奏したようで、羽夜の注意がそちらに引き付けられている間に、了がホイールタイプの【エアブレード】で加速して羽夜に肉薄していた。
シールドを大振りして羽夜を殴り飛ばそうとして、彼女がその打撃を回避した直後、三縁の放ったミサイルが羽夜の退路を妨害する。もう羽夜は迂闊に高速移動できない。
それでも何とか小回り重視で回避機動を取り続ける。羽夜もよくやるものだ。
『渕上選手、とうとう逃げ場を失ったか? 動きが徐々に小さくなっていくぞ!?』
了がこれまた素早く接近して盾を押し出して牽制を仕掛け、すぐに大きく後退する。この時既に、三縁が頭上から、ひときわ大きなミサイルを羽夜に投擲していた。
牽制によって一瞬ひるんで生まれた隙に、この攻撃。さっきのクレーターの直径から察するに、回避したとしても誘爆には確実に巻き込まれる。
「終わったな」
楓太が渋い顔をする。
「ここだ」
だが、耀真は笑っていた。
「行け、羽夜」
観客席の声はMVR内の選手には届かない。
しかし、その時の羽夜は、まるで耀真の合図を聞いたかのように急加速して、正面のミサイルに向かって一直線に跳躍した。
「突っ込む気!?」
稲穂がぎょっとする。いまの羽夜の装備を考えれば、当然の反応だ。
ミサイルと羽夜の位置関係は、既に目と鼻の先。
羽夜が右脚を一閃。
ミサイルが真正面から切り裂かれ、二つに分かれて羽夜の両脇を通り過ぎる。
『……は?』
雪緒が後生大事に握っていたマイクをテーブルの上に落とす。
二つに分かれた炎属性の構造体の爆発音と、マイクから鳴った鈍い衝突音が重なった。
『え……』
灯里ですら、ぽかんと口を開けたまま動かない。
彼女だけではない。稲穂も、楓太も――何なら、さっきまで騒がしかった全ての観客が、一瞬で静まり返った。
この合間に、羽夜は他の観客と同じように固まったまま降下していた三縁の首をストレートタイプのエッジで刈り取る。三縁の体が光の柱となって細くなり、このモニター上から姿を消す。さらに、これまた同じく動きを止めていた了にも羽夜の踵落としが下る。
了が三縁と同じ消え方をしたのを見届けると、雪緒がいきなり我に返り、慌ててマイクを拾い上げる。
『な……何だぁあああああああああああ、いまの!?』
雪緒の驚嘆から、再び大歓声が沸騰する。
『魔法を【エアブレード】で斬り裂いた!? 普通にあり得ないぞ!?』
『いまの技って、たしか……』
灯里も驚愕を隠せなかったのか、コメントも最後まで続かなかった。
ややあって、楓太が身を乗り出して細い目をカッと見開いた。
「【エアスラッシュ】だと!?」
「あの技って、公式試合で誰も成功させてない筈じゃ……」
稲穂も愕然としている。普段は強気な彼女も、こればかりは素直にびびったようだ。
耀真が満を持して、二人に答える。
「ええ。俺が教えました」
「それって昨日の話だよな? まさか一日で覚えさせたのか?」
「正解、越●製菓!」
耀真のアホなギャグに取り合わず、稲穂がゆっくりと顔をこちらに回頭してきた。
「……何か普通に答えてるけど、あれって【エアブレード】の設計者が理論上は可能だけど、実際に成功させた奴が自分を含めて一人もいないって言ってた技じゃないの?」
「ああ。魔法の中心点に的確な一撃を与える技術と、ストレートタイプのエッジを加速させるタイミングがピッタリ合わなきゃ成功しない、まさに神業だ」
「それをあの子に教えたの? 耀真君自身が使えない技を?」
「あいつなら出来ると思ったんだよ。実際、俺の弾をあれで斬ってるしな」
「はぁ!?」
稲穂とは正反対に涼しい顔で喋ってはいるが、耀真も実際にはかなり驚いている。
弾を斬るまで帰れないとかいう無茶ぶりの訓練を吹っ掛けたは良いものの、ある程度のところで切り上げて終わりにするかー、とかいう軽い気持ちで十本勝負を持ちかけたら、本当に彼女は銃弾を【エアブレード】で斬ってしまった。しかも、完全に狙って、だ。
想像以上に凶悪な才能だ。それも、五新星に匹敵するくらいの。
『おんや? 【アンビシャス】がようやく動いたぞ?』
雪緒の実況に倣ってマップを見ると、さっきまで呆然としていた筈の【アンビシャス】の面々が、四人まとまって羽夜の足跡を辿るように直進していた。
『このまま渕上選手のフォローする狙いか?』
『だとしたらもう少し早く動いていた筈ですが……ていうか、ああも纏まって行動しては良い的でしか無い気が……』
『どうやら【ラッシュスター】もその気のようです』
ステージの東側から進む【アンビシャス】に対し、ラッシュスターの選手二名が羽夜の現在地点を迂回するように両サイドへ進行する。
『索敵系神人の新藤選手を西側の端に残し、清水選手と魔女の沖合選手が迫る! どうやら新藤選手の索敵魔法が、既に渕上選手を含む【アンビシャス】全員を捕捉したようだぞ?』
『面白いのはここからですね。キーマンは新藤選手です』
【チーム・アンビシャス/森林地帯東地区】
これは羽夜がいきなり爆走してから数分後の事。彼女のあまりの行動に言葉を失った【アンビシャス】の面々のうち、最初に口を開いたのはリーダーの弘毅だった。
「お……おい。行っちまったぞ、アイツ。どうすんだよ、コレ」
弘毅の質問に答える者はいない。
当初のプランでは羽夜がいつも通り陽動を引き受け、適当に相手の人数を一か所に集約してから瑞希の魔法で焼き払うつもりだった。そして、打ち漏らしは弘毅を含む他の三人でやるつもりだったが、羽夜がスタート直後から一方的に通信を切った為に、その作戦は使えなくなってしまった。
しかも、さっきから何度彼女に呼びかけても反応が無い。
「クソッ……! あんにゃろう、インカム壊しやがったな?」
「どうするの? もう作戦もへったくれも無いじゃん!」
瑞希が憤慨して訴えてくるが、それはこちらが訊きたい。
「とにかく追うぞ! これ以上好き勝手されてたまるか!」
「オイ、あれ見ろ!」
真也が指を突き出した方向に、立て続けに二本の青い光の柱が突き上がった。誰かがブレイクオーバーしたのだ。ちなみにブレイクオーバーとは、選手のHPが全損した場合にステージから現実世界に強制排出される現象を指す。簡単に言うと、強制退場だ。
色付きの光の柱が天に昇るエフェクトによって、ステージ内の全ての選手が何者かの退場を知る事が出来る。
「柱の色は青……【ラッシュスター】の誰か二人がやられたのか」
「嘘だろ? あの貧弱魔女がやったってのか!?」
魔法に何の攻撃能力も無い魔女が、どうやって相手の選手を仕留めた? しかも【ラッシュスター】は五人のうち四人が魔族なので、最低でも魔族一人は葬った事になる。
問題はそれだけではない。彼女が、自分達以上に目立ってしまっている。
「こうしちゃいらんねぇぞ! このままだとアイツ一人に手柄を持ってかれる」
「ざっけんじゃないよ! 雑魚の癖して生意気な!」
瑞希と弘毅が【エアブレード】を起動させ、即座に駆け出す。真也と春乃も二人の後を追って、慌てて【エアブレード】を加速させた。
このチームの理念はワン・フォー・オール。一人は全員の為に、だ。
一人だけが手柄を独り占めなど、言語道断だ。
「とにかく渕上を止めるぞ! 言う事を聞かないならこっちでブレイクオーバーさせてやれ!」
「味方を殺るのかよ。観客からの印象最悪だぞ?」
「うるせぇ! お前もグダグダ言ってないで渕上をさが――」
余所見をしていたのがいけなかったのか、それとも反応速度が鈍かっただけなのか。既に起きていた大きな異変によって、並走していた瑞希と春乃が宙に打ち上げられていた。
「え……」
木の根っこのような何かが、弘毅と真也の足首に巻き付く。真也がすぐ反応して、装備していた魔法銃を茂みの奥に発砲しようとするが、無駄だった。
弘毅と真也の背後に音もなく降り立っていた清水小太郎が、居合抜きからの素早いソード型魔装具の一閃で、一息に二人の首を撫で斬りにしていたからだ。
宙に浮かされていた瑞希と春乃が、いきなり空中で穴だらけになる。
この一瞬で、四人の選手のHPが、一気に全損した。
何が起きたか全く理解できない中、四人はブレイクオーバーした。
「案外チョロかったっすね」
「ええ。拍子抜けも良いところ」
あっさり羽夜以外のメンバーが全滅したのを見届け、小太郎が微妙な顔をしていると、これまたやれやれと首を横に振っていた
「さすが、親の七光りだけで存在が許されてるチームは格が違うわ。悪い意味で」
「だとしたら、何が理由で岡島さんと飛田さんがブレイクオーバーしたのやら」
『オイオイ、リーダーリーダー! ヤバイてヤバイて!』
インカムの向こうでパニックを起こしてるのは、【チーム・ラッシュスター】のムードメーカー第二号こと、
『渕上さんマジパネェ! ヤッベーの見ちゃった!』
「落ち着いて下さい。何があったんすか?」
『斬ったの! 魔法を! 【エアブレード】で!』
『…………たしかに、ヤバいっすね』
涼香の情報を素直に信じられる自分の神経が信じられなくなりそうだ。正直、自分の眼で確認しない限りは半信半疑だ。
でも、昨日たまたまある男が羽夜と一緒にプラクティスジムへ歩いているのを見た時、もしやという予感はしていたのだ。
「あの人なら、それぐらいの技を彼女に与えても不思議は無いっす」
「あの人って?」
「いまは目の前の敵に集中しましょう。相手は五新星とほぼ同格と思った方がいいっす」
『渕上さんが接近、九時の方向。距離二〇〇』
「近い……!」
小太郎が剣を構えるのと同時に、桜が足元から極太の木の根っこを生やして臨戦態勢に移行する。沖合桜は大地属性の魔力によって巨木や木の根を含む植生を創生して操る、応用力の高い魔法の使い手なのだ。
涼香の情報通り、九時の方向から羽夜が飛び出してきた。このまま一直線に、手近な小太郎の首を刈る狙いだ。
「新藤さん!」
『あいあいさー!』
合図と共に、桜が発生させた木の根の裏に隠れていた紅色の蜂の大軍が姿を現し、一斉に羽夜の正面から特攻を仕掛る。
彼女はすぐに回避へ移り、適当に動き回っては、最初から手に握りこんでいたと思われる砂を蜂に投げつけた。黄色い粉塵まみれになった蜂が、視力を奪われ攻撃対象を見失って動きを止める。
『ぎゃー! 目が! 目がぁ!』
「こっちの魔法の弱点もリサーチ済みっすか」
言うなり、小太郎が素早く羽夜の間合いに接近して、すかさず剣を一閃。彼女はまるで当然と言わんばかりに、ムーンサルトキックと【エアスラッシュ】の合わせ技で力強くこちらの斬撃を弾いてくる。
とりあえず後退すると、小太郎の背後から両脇を回り込んで太い枝が伸びる。枝の鋭利な先端がいくつも彼女に迫る。
しかし羽夜はあろう事か、回避するどころか、近づいてきた枝の上に乗ってレール代わりに滑走してきたのだ。
「そんなのアリ!?」
『【空間魔法 ホーネットバスター】!』
涼香の蜂が羽夜の手前を大軍で横断する。ついでにその突撃で枝まで折ったので、これで羽夜は足場を失った形になる。
速攻を諦め、羽夜が地上に降り立ち、すぐにターゲットを桜に切り替えて突撃しようとする。
「新藤さん、ナイスっす!」
小太郎が羽夜の前に立ちはだかり、彼女の進路を妨害する。
羽夜の動きは速い。だが、戦局をコントロールしている桜に接近さえさせなければ、こちらが頭を押さえるだけで涼香の蜂が羽夜を捉えやすくなる。
最悪、制限時間四十五分までこの状態が続けば、得点は四対二でこちらの勝ち。先にアンビシャスの四人を纏めて仕留めた事で、ルール的にもこちらが優位になった。
この勝負はこちらの勝ちだ。
【観客席】
「もう勝負は決まったな」
楓太が冷静に述べる。
「渕上さんに援護は無い。後衛の新藤さんの位置も判明してない以上、彼女の空間魔法にHPを削り倒されてゲームオーバーだ」
「的が小さくて多い蜂に【エアスラッシュ】は使えないしね」
稲穂が手近な手摺に肘を載せて頬杖をつく。
「渕上さんもよくやった方だけどさ、まだ【ラッシュスター】とやり合うには早かったね。せめて、もうちょっと仲間に恵まれていればねぇ……」
「それはこれからの話さ」
耀真は決して悲嘆を表に出さなかった。
「それに、これだけで終わりじゃない」
こちらが睨んだ通り、羽夜はまだ諦めていなかった。
桜が伸ばした枝を【エアブレード】で斬り裂き、小太郎の斬撃を最小の身のこなしでかわし、最も回避が難しい蜂の十重二十重の突撃を、周囲の遮蔽物を盾に何とかしのいでいた。
「最後のあがきだ。思いっきりやれ、羽夜」
たしかに、この勝負でもう勝ち目は無い。
だが、諦めて良い理由にはならない。そうだろ?
【森林地帯・中央区】
小太郎にべったり張りつき、至近距離で斬撃をかわし、目が慣れてきたら初動の段階で相手の手首の動きを阻害する。これさえ続けていれば、少なくとも仲間の魔女と神人族は迂闊に魔法を撃てない。
「これまでの行動、全て耀真さんの入れ知恵っすね……!」
小太郎が舌打ちせんばかりの表情で唸る。やはりバレていたか。
「だったら!」
もはや長期戦ですら有利にはなり得ないと判断したのか、一旦距離を置き、強引に急加速して接近してくる。
このチャンスは見逃さない。羽夜はすかさず足を振り上げ、ストレートタイプのエッジの先端を小太郎のソード型魔装具の鍔に引っ掛け、さらに足だけ加速させる。
すると、見事に小太郎の手からソードが離れ、宙を舞った。
「よし……!」
小太郎の肩の上に飛び乗り、跳躍。剣を掴み取って宙で一回転して体勢を整えると、桜が再び自身の足元から木の枝を何本も伸ばして羽夜を串刺しにしようとする。
羽夜は宙で体を捻り、相手の枝を逆に足場として利用し、三角飛びと似たような要領で素早く着地。小太郎の背後を取った。
しかし小太郎は羽夜が踏み込む直前に、予備で腰に提げていた大型ナイフを引き抜いて、身を急に反転して襲い掛かって来た。
羽夜の剣と、小太郎のナイフが交差する。至近距離でマシンガンでも撃たれているかのような激しいナイフの刺突と薙ぎ払いを、羽夜は慣れない剣の重量に苦慮しながら何とかいなしていく。
剣の扱いなら覚えがある。秘伝魔法の修行で散々やったからだ。結局、渕上家秘伝の身体強化魔法は覚えられなかったけど、その頃に覚えた体術は全て体に染みついている。
もしかしたら耀真は、そのあたりも見越して、自分をチームに誘ったのかもしれない。
「ふっ……!」
羽夜が剣を一閃。小太郎のナイフを弾き上げた。
もう小太郎にこちらの次の攻撃を回避する余裕も、防御手段も無い。終わりだ。
「沖合さん、新藤さん! いまっす!」
信じられない事に、蜂の大群とおびただしい数の木の枝が、羽夜と小太郎と挟み撃ちにするかのように、前後左右から襲い掛かっていたのだ。
まさか、最初から相打ち狙い……!?
「そっちのリーダーの作戦をお借りしました」
小太郎がにやりと笑う。
「上手いもんでしょ?」
たしかに、上手い。
最初のうちは味方を捨て駒にする戦術を嫌ったかのような動きが目立っていた。特に羽夜がクロスレンジで小太郎に挑み始めたあたりから。耀真もまさか、小太郎がここまでやるとは思っていないだろう。
それでも最後は、相手が勝ったと思わせたタイミングで、自分を捨て駒にした。
見事だ。他に言う事は無い。
「――ごめん。負けちゃった」
枝と蜂の波に飲み込まれ、羽夜はブレイクオーバーした。
【観客席】
『渕上選手、ブレイクオーバー!』
試合終了のブザーが鳴り、雪緒が試合の集計結果を発表する。
『【チーム・アンビシャス】が二得点。【チーム・ラッシュスター】が合計五得点。よって、五対二で、【チーム・ラッシュスター】の勝利!』
『両チームお疲れ様でした。後半は特に素晴らしい試合でしたね』
灯里の言う通り、たしかに良い試合だった。主に羽夜のおかげだが。
「まあ、妥当なところだな」
耀真のコメントは素っ気なかった。
「むしろ、あの小太郎相手によくやったもんだ。ナイスファイトだぜ」
仮想空間から排出された羽夜がアリーナの隅に出現したのが見えた。帰って来た彼女は、見るからにお疲れの様子だった。
稲穂が眉をひそめる。
「? 何で渕上さんだけボックス席に転送されないの?」
「チームの作戦を無視したからな。帰還直後のリンチ防止の名目で、俺が学園長に頼み込んで羽夜だけ転送先を変更してもらったんだ」
「この試合を終始動かしてたのは耀真君だったのね」
学園長命令で羽夜に【エアブレード】の装備を【アンビシャス】に強制させたり、転送先を変更したり、羽夜に【ラッシュスター】の情報を与えたりしていたのは全て耀真の仕業だ。つまり、全てが耀真の掌の上だった、という訳だ。
ただ一つ。小太郎が急に意外な作戦を実行したのには驚いたが。
『さーて、鬼塚先生。この試合、全体通してどうでしたかね』
『渕上選手の動きがキレッキレでしたね。前回までは特攻同然のデコイでしたが、今回は一線級のエースアタッカーとしての働きを見せました。おそらく、体術だけなら清水選手と並んで天都学園で最強クラスかも』
『【ラッシュスター】も普段とは違う作戦展開だったようですが……』
『渕上選手が【エアブレード】を装備していたのを見て作戦を急変更したんでしょう。普段は索敵系の新藤選手とガードの岡島選手はセットでしたからね』
『それはそれとして、一番驚いたのは飛田選手の魔法を斬った、渕上選手のあの技です』
『【エアスラッシュ】ですね。彼女が公式試合では史上初の成功者、という事になります。この技のメリットは機動力と防御力の両立です。一つの用途しか持たない筈の魔装具に、二つ以上の用途が加わるというのは、相手にする側からすれば鬱陶しい事この上無い』
『今回の試合で渕上選手は【エアブレード】をただの機動兵装として運用せず、相手の魔法を斬り裂く防御手段、相手の首を刈る為の攻撃手段という使い道を追加しました。ある意味、魔装士の手本みたいな運用方法です』
『それでも今回は【ラッシュスター】相手には一歩及ばなかった。【アンビシャス】はこれまで渕上さんありきの作戦展開を続けていたので、渕上さん以外のメンバーにも今後は頑張っていただきたいものですね』
【チーム・アンビシャス】、もはやボロクソである。いま彼らが収容されているボックス席を覗いたら、きっと面白いに違いない。
羽夜がステージの端からこちらを見上げていると、【ラッシュスター】のボックス席から小太郎を始めとする五人がぞろぞろ出てきた。
先んじて小太郎が羽夜の前に出て握手を求める。羽夜が少しおどおどしながら応じている姿は、先程まで激しい戦いぶりを披露していたとは思えない可愛らしさがあった。
一通りの挨拶が済むなり、羽夜が【エアブレード】をいきなり起動。急加速してアリーナの壁を垂直に登って観客席に飛び込むなり、手摺をレールのように伝い、一息に耀真達から少し離れた通路の一角に着地した。
突然の奇行に観客達が驚いて注目する中、耀真は羽夜の傍に歩み寄った。
「よう。気分はどうだ?」
「初めてだよ。負けて悔しいのは」
「それでいい。退かず負けた数だけ、お前に与えらえた権利」
「敗者復活戦自由形?」
「当たり」
どうやらアーティストの趣味は同じらしい。気が合いそうだ。
「で、どうする? 昨日の話。少しは俺を信じる気になったか?」
「博打で人を信用するのは耀真さんで最後にする」
「そっか。じゃ、次の目標だな」
耀真が視線を向けた先には、最初に乗り越えねばならない大きな壁が立っている。
我妻楓太と我妻稲穂は、さっきの【ラッシュスター】以上の強敵だ。
「【チーム・アマツカミ】をぶっ倒す」
「ほう?」
楓太が唸り、腰に手を当てる。
「それはつまり、五新星を擁する学園最強のチームを攻略するって意味だな?」
「ええ。その時まで、首を洗ってお待ち下さい」
耀真と楓太の間で火花が散る。対して、羽夜と稲穂は、ただ無言で睨み合っていた。
「稲穂ちゃん、帰るぞ」
楓太が踵を返してこちらに背を向ける。
「生徒会の仕事が残ってる。それに、渕上さんの対策も考えなきゃいけないしな」
「了解、楓にぃ」
稲穂は羽夜から耀真に視線を移すと、小憎たらしく舌をちょろりと出して挑発する。
「ま、精々頑張りなさい。そのうち黒焦げにしてやるから」
こうして、最強の宿敵たる二人は観客席からゆったりと立ち去った。
二人の姿が見えなくなると、羽夜が質問してくる。
「あの二人、そんなに強いの?」
「当然だ。はっきり言って、あいつらの相手をするのは魔族の王でも骨が折れる」
「そんな人達に勝てますかね、私達」
「勝つさ。その為には、まずメンバー集めだ」
そもそもチーム登録には最低五人のメンバーが必要になる。羽夜が加入したので、残り三人だ。
「どんな人達を集めるの?」
「その話はまた後だ。とりあえず着替えて、校門の近くで待っててくれ。俺は今回の試合の事で学園長に挨拶しなきゃいかんから、少し遅れて来る」
「分かった。私も人事管理課で脱退申請してくる」
手近な出入口を並んで歩き始めて、耀真ははたと思い出す。
「そういえば、耀真さんって……何故にさん付け?」
「さっき清水君がそう呼んでた」
「そうか。まあ、いいけどよ」
二人はそれぞれの用事で別れるまでの間、そんな他愛のない話を続けていた。
●
チームの脱退申請は本来、脱退する本人がリーダーとの協議の末に行われるのが慣例だが、今回は相手が相手なので自分一人で勝手に済ませる許可を貰っていた。これも耀真が特級魔装士の権限をフル活用して根回ししてくれたから成しえた業だ。持つべき者は権力者である。
人事管理課から出て昇降口に着く。後は靴を履き替え、校門前で耀真を待つだけだ。
「……?」
何だろう。やけに良い匂いがする。
これは……ラベンダーの香りか? それにしては少し薬っぽいが。
「お香でも焚いてるのかな……」
ついつい鼻が香りを掻き込んでしまう。下手すれば、そのままふんわりと意識が持っていかれるかもしれない。
突然、膝がかくんと折れ、その場に跪いてしまった。
「……! なに? 体が……」
「おうおう、本当に効いたな」
羽夜の前に、高井弘毅がのんびりと立ち塞がった。
「魔族の動きを止める【スタンアロマ】。魔装具の一種なんだと」
「何のつもりですか?」
「こういう事だよ」
目の前にあった弘毅のつま先が、羽夜の鳩尾に突き刺さる。ただの痛みを通り越し、腹の中に自分と同じ体重の重りが生まれたような感覚が全身にのしかかる。
声が出ない。呼吸すらままならない。
「来い」
弘毅が羽夜の髪を乱暴に掴み、ずるずると引きずって昇降口から連れ出す。
誰か周りに人は――いない。こんな時に限って……!
「よくも俺達に大恥をかかせてくれたな。しかも勝手にチームを抜けるだ? ふざけてんのか、ええ?」
彼の怒りはごもっともだが、原因を作ったのは彼自身だ。高校生にもなって自業自得という言葉を知らないのか。
数多くの文句が胸中をかき乱す中、これまた人気の無い建物の陰に放り出される。
ここは解体予定の協会の裏側だ。ウィッチバトルが導入される以前の天都学園はカトリック系の学校だったが、多種多様な魔族の流入によって学生社会における宗教の必要性が議論されていた頃の名残である。
記録の一環として建物だけ残っていたが、まさかここを私刑スポットに選ぶとは。
「おい、福島。連れてきたぞ」
「ご苦労さん」
近くの木に背を預けていた福島瑞希が居住まいを正し、居丈高に羽夜を見下ろす。
「さて。今日の試合の反省会をしようじゃないの」
「……そんなの知らない。負けたのは、あんた達が弱かったからでしょ?」
羽夜の背後の外壁に小さな爆発が起きる。瑞希が掌から生やした食虫植物みたいな花から、炎属性の弾丸を撃ち出したのだ。
あのヒトデみたいな形の花は、スタペリアか。腐臭でハエを誘い込み卵を産ませ、翌日に枯れて卵を死滅させる多肉植物の一種だ。
「ダメダメ、違う違うー。どこかの誰かさんが、人の指示も聞かないで勝手に突っ込んでいったからでしょー? で、そんな事をしたおバカさんには、ちょっと熱めのお灸を据えなきゃダメじゃない? って話」
「……こんな事をして、ただで済むと思ってるの?」
「は? 何それ。人頼み? こんなところに助けなんて来る訳ないでしょ?」
瑞希が片足のつま先で地面を突くと、彼女の足元から巨大なスタペリアが六つぐらい、長い茎を引き連れて育ての主の頭上まで伸長する。
花の中心部が全て羽夜に向けられる。瑞希お得意の、炎属性の魔力弾による一斉掃射の構えだ。
「そもそも先公が私達に手ぇ出したら、あっちがタダじゃ済まないから」
持つべき者は権力者……か。
こいつら自身は何もない、空っぽなのに。
「あんたの死体も、お父さんに頼んで処分してもらおうかな。ゴミ処理施設なんかにあるみたいな、肉も骨も残らない、証拠隠滅にぴったりな場所で」
「……好きにすれば」
ここで死んだところで、特に悔いは残らない。
耀真との一時だって、死ぬ前にちょっと良い思いをした、程度の思い出で済む。
自分の人生に、未練は無い。
「あっそ。じゃ、そうさせて貰うわ」
全てのスタペリアの中心が赤熱して、轟々と唸る火球が生まれる。
それら全てが一斉に撃ち出され――一斉に、破裂した。
「は?」
瑞希が頭上を見上げて目を丸くする。羽夜も同じ反応をしていた。
「来るのが遅いから何をしていたかと思えば……」
建物の陰から、自動拳銃の銃口を突き出しながら歩いてくる人物を見て、羽夜は思わず泣きそうになった。
彼の姿はまるで、暗闇の中に差す、一条の光のようだった。
「何してんの? 君達」
天霧耀真が、剣呑な面構えで当事者の三人に訊ねた。
「耀真さんっ……!」
「羽夜、無事か?」
「全然無事じゃないっ……体が動かないんだよ……!」
「やっぱりそうか」
耀真が何か知っていそうな反応をすると、彼の後ろから意外な人物達が姿を現した。
彼らは【チーム・アンビシャス】の有田真也と辻本春乃だ。
「弘毅、福島! お前ら、何やってんだよ!」
「あ? もしかしてお前らがそいつ呼んだの?」
「そうだよ。天霧が近くにいて助かったぜ」
「邪魔しやがって……!」
弘毅が忌々しそうに真也を睨み、瑞希は春乃をねめつけていた。
「春乃? もしかして、その子の味方する気?」
「そうじゃないけど……いくら何でもやり過ぎだって! あんた、いま確実にこの子を殺そうとしてたでしょ!」
「それが何? 殺しても証拠なんか残さないし」
「それ、俺の前で言っちゃって良かったの?」
耀真がチームの内輪揉めに口を挟む。
「まあ、立ち話もなんですし、この後ゆっくりお茶でもしましょうや。この辺でイイ喫茶店知ってるんですわ。魔導事務局刑事部にある取調室って言うお店なんですけど」
「あんたみたいな雑魚にあたしが止められると思ってんの?」
瑞希の敵意の対象が、耀真に切り替わった。
「五新星最弱のクソザコ魔装士が、調子に乗ってんじゃないよ!」
「雑魚はどっちだ?」
耀真が瑞希を睨んだかと思えば、いくつかの破裂音と共に、さっきまで猛威を振るわんとしていた炎属性の植物達が立て続けに破裂して消滅する。
この場にいる耀真以外の、全ての者達がぎょっとして固まった。
「……な……え……? いま、何……を……?」
「【シルフィードバレット】。暴徒鎮圧目的で使われる、風属性の魔力が封入された弾丸だ。殺傷力は無いし威力も低いが、おかげで結構使いやすいんだな、これが」
朗々と説明する耀真は、ごく自然な動作で銃から弾倉を抜く。
「一応、投降の勧告はしておく。いまなら美味しいエスプレッソがタダで飲めますぜ」
慣れてはいても、未だに信じられない光景だった。
耀真はただ銃を撃っただけ。なのに、それがあまりにも速過ぎて、この場にいる全ての人間と魔族が反応どころか意識すらままならない。
しかも【エアスラッシュ】と同様、魔法の中心点を寸分の狂いも無く撃ち抜く射撃精度は、あらゆる種族でも決してあり得ない神の領域だ。
「さっき仮想世界で穴だらけになったばかりだろ。現実世界でも同じ憂き目に遭いたくないなら、俺の言う通りにしてくんない?」
「こ……の……」
瑞希が全身を震わせ、かっと目を見開く。
「ナメんじゃねぇよ、このカスがぁあああああああああああああっ!」
咆哮と共に、さっきと同じく、巨大なスタペリアを複数召喚する。さっきより数も多いし、サイズも桁違いだ。
魔力の発現量だけなら、瑞希はもしかしたら魔族でもトップクラスなのかもしれない。
「死ねぇええええええええええええええええええっ!」
全ての花の頭が耀真に向けられ、さっきよりもさらに巨大な火球が生まれる。
「……俺も少し、本気を出すかね」
耀真はやれやれとため息をつき、新たな弾倉を装填する。
合計して十二もの巨大な火球が頭上から撃ち下ろされる。これではターゲット認定されている耀真どころか、周りの羽夜や真也達まで巻き込みかねない。
耀真はごくリラックスして、発砲。
彼の手前で全ての火球が動きを止め、次の瞬間、炎の矢に変形して正反対の方向に飛翔した後、全てのスタペリアの中央をぶち抜いた。
再び全ての花が火の粉を散らして消え去ると、今度こそ、瑞希の顔面が蒼白になった。
「うそ……うそだ……魔法が……全部跳ね返った?」
「マジかよ……!」
弘毅が一歩、後ずさる。
「あいつ、マジで何したんだよ!?」
「……凄い」
いまの技は羽夜も初めて見る。これも特殊な魔法弾の効果か?
「最後通牒だ。投降しろ」
銃を瑞希に突き付けたまま、耀真が冷たく言い放つ。
「無抵抗の一般人に対する高い殺傷能力を持った魔法の使用。これだけでも魔族刑法に抵触する。これ以上は殺処分されたっておかしくないぞ」
続いて、耀真は弘毅を睨んだ。
「それから、アンタは別件で逮捕だ」
「は?」
「アンタが羽夜に使った【スタンアロマ】のポッドをさっき回収させてもらった。あれは危険薬物の一種で、特別な理由が無い限りは麻薬同様、所持が許されない代物だ。昇降口に置いてきたのは失敗だったな」
「クソっ」
どうやら耀真への抵抗がそのまま死に直結すると悟ったらしく、弘毅が悪態交じりにその場に座り込んだ。彼なりの降参のポーズだろう。瑞希もさっきの話をかろうじて聞いていたのか、膝をついてぺたんとその場にへたり込んでしまった。
圧倒的過ぎる。これが最強の天才の一人。五新星・天霧耀真の実力か。
「渕上、大丈夫か?」
真也が羽夜の横にしゃがみ込む。
「すまない。俺一人じゃアイツら止められなくて、助けるのが遅くなった」
「い……いえ。ありがとうございます」
「立てるか?」
「はい。もう回復しました」
アロマの吸入量はさほどでも無かったらしく、意外とすぐに立ち上がれた。
「耀真さん。これからどうするの?」
「とりあえず、あの二人を連行する。有田先輩、辻元先輩。アンタらも同行願います」
「……まあ、そうなりますよね」
春乃が諦観を露わにする。
「でも、すぐに帰してはもらえるんでしょ?」
「それはうちの課長次第です」
淡々と答えてから、耀真は弘毅と瑞希に立つように促した。弘毅は気だるそうに立ち上がって耀真のもとへ向かっていくが、瑞希一人だけが、心身を喪失したかのようにその場から動かなかった。
「どうした? 早く立て」
「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」
ぶつぶつと呟き、全く動かない。
何だ? 様子がおかしい。
「私がこんな奴に負けるなんてあり得ない絶対に夢だそうに決まってる」
「あれ? メンタル壊れちゃった? そこまでの事をしたかね、俺――」
「耀真さん、足元!」
羽夜の目に映ったのは、瑞希を中心に展開されている、金色の魔法陣だった。
耀真が銃口を引き、一歩下がる。
「魔法陣? 一体何処から――」
魔法陣が輝きを増し、強大な魔力の波動が彼女を包み込む。魔法陣の中から生えた夥しい数の金色の蔦が瑞希の全身に絡みつき、やがて一つの形を成す。
あっという間に完成したのは、根本の瑞希を核とした、傍の協会すら超える巨体を誇る、それこそ巨木と呼べるような構造体だった。
「……この~木何の木、ミズキの木~?」
「歌うな。ていうか、何アレ?」
「はい?」
「あいつにあんな魔法があるなんて、俺は知らねぇぞ!」
どうやら仮初にもリーダーである弘毅ですら未知の魔法らしい。
謎の巨木が頂点に巨大なスタペリアを咲かせる。さっきと同じ形かと思ったら、中心部には鋼で出来たような砲塔らしき物体が備わっている。
人の頭が一息に六人分くらい入りそうな砲口の奥に、灼熱の塊が見えた。
「まずい、伏せろ!」
耀真が警告したと同時に、砲塔が火を噴いた。
爆音と共に撃ち出された巨大な火球が、背後の協会の上半分を丸ごと消し去り、勢い余って隣接する建物を爆砕する。
起き上がった耀真が、いまや固定砲台と化したスタペリアを見上げる。
「この威力……暴走でもしてるのか?」
「耀真さん、今度はこっちに来る!」
砲塔がこちらを向き、再び火球が発射される。耀真達が慌てて退避すると、さっきまで五人がいた地点に着弾して、これまた大きなクレーターを作る。
「ヤバイヤバイヤバイ! とにかく逃げろぉ!」
全速力で疾走して、何とかあのスタペリア型固定砲台から距離を大きく取る。そうしている間にも、あの砲台は無差別に周囲の建物や地面を立て続けに爆撃していた。
一発が着弾する度に耳障りな爆音と地震みたいな衝撃がのしかかる。
「何だ、あのクリーチャー!? 魔法とかそんなレベルじゃねぇだろ!」
「耀真さん、さっきの弾であの炎を反射できないの?」
「やってもいいけど、福島先輩も消し飛んじゃいまっせ!」
どんな絶技にもリスクはある。耀真の弾丸も例には漏れないようだ。
自分もどうしたものかと考えていると、スタペリアが突如として砲塔を自らの頭上に向けて、発砲。火球が空高く打ち上がり、花火のように散る。
散った火花が、新たな豪火の流星となって、天都学園全体に降り注ごうとしていた。
「全体攻撃だと!? MAP兵器かよ!?」
「お……オワタァアアアアアアアアアアアアアア!」
とりあえずもう死亡は確定したものと判断した羽夜は、隣で全く同じ事を考えていたと思われる耀真と抱き合った。
おお、意外と収まりがいいぞ。安らぎすら覚える。
「「ひぃいいいいいいいいいいいいいいっ!」」
流星が頭上から間近に迫る。直撃コースだ。
そして数秒も経たないうちに炎が二人の体を燃や――さなかった。
「……おや?」
それどころか、無差別に降りかかる予定だった流星の全てが、白銀色の魔法陣の前でぴたりと停止して、あっさり消滅する。
しばし唖然とするや、耀真が小さく呟いた。
「魔法陣の連続生成と退魔属性の魔力……これを使えるのって」
魔法陣の即時生成とは本来、魔族における魔法の極致。これを手早く行える魔族は例外なく強者として認定される。だが、どんな魔族でも、数秒の間に生成可能な魔法陣は一つが限界だ。
それを複数連続で、ピンポイントに展開する技術を持っている人物は、この世にただ一人しか心当たりが無かった。
「無事ですか? 天霧君、渕上さん」
耀真達の背後から悠然と歩いてくるのは、雪緒と同じくらい小柄な老婆だった。濃い紫色のレディーススーツをぴっちり着こなし、身の丈以上の木製の杖を携えるその姿は、古き伝承の魔女が現代の装いで具現化したようだった。
「学園長!」
彼女は天都学園高等学校の学園長、
つまりは、魔女の王だ。
「何があったのかはさておき、まずはアレを止めないといけませんね」
「魔女の生徒が一人、あの中に取り込まれてます。下手に攻撃したら致命傷になるかも」
「どうりで攻めあぐねている訳ですね」
こうして会話している間にも火球が連打されているが、それと同じくらいの数だけ展開された魔法陣が、学校の建物と生徒の全てを脅威からガードしていた。
「さて。どうしたものですかね。建物を破壊され続けるのも困るし、だからといって彼女を見殺しにも出来ませんが……」
「せめて弱点があれば良いのですが」
「だったら、アレの事でしょうね」
黄泉が示した先をよく見てみる。
相も変わらず狂ったように火球を放ち続けるスタペリアの首元が、砲撃の度に赤く光っているのが見える。いくつもの太い木の根に覆われて分かりづらいが、たしかに何かエネルギーを溜め込まれていそうな器官がある。
「あの魔法を発動している本人は木の根元から動いていません。その魔女から搾り取られた魔力が全て、あの貯蔵器官に蓄積されているのでしょう」
「だったら、アレを破壊すれば」
「さっきからやってるんですがねぇ」
黄泉はのほほんと言いながら、広域防御の真っ最中にも関わらず、新たな白銀の魔法陣を例の貯蔵器官へ貼り付けるように展開する。
しかし、その魔法陣は硝子細工のように、簡単に砕け散ってしまった。
「何者かが強力な魔力障壁と物理障壁を同時に展開しているようですね。しかも破った先からすぐに再生してしまう。困りましたね」
さすがの魔女の王も、これは悩ましい事態らしい。黄泉の退魔魔法は魔族に対して絶対の制圧力を誇るが、自身の魔法の展開速度を超える再生力の防壁には無力だ。
「あ、忘れてました」
黄泉が突然、羽夜に向き直る。
「渕上さん。天霧君の前に、【蛍火】を浮かせてもらえませんか?」
「え? 私? いや、でも……」
「いいから」
続いて、黄泉の視線が耀真に移る。
「天霧君は彼女の魔法を全て【ブランクバレット】で撃ち抜いて下さい。あなたの得意技なら、この状況を打開出来るかも」
「羽夜の魔力で【ヴァニティバレット】を?」
「話は後です。早くしないと、相手方の魔女が生命力を全て吸われてしまいます」
「……羽夜!」
耀真は振り返りもせず、背後の羽夜に鋭く指示を飛ばす。
「一度に出せるありったけの量の魔法を寄こせ。コントロールは適当で構わない」
「りょ……了解!」
羽夜は体内で魔力を練り、苦労しながらも淡い光の球を同時に五つ生成して、耀真の頭上を越えるように飛ばした。
光の球の動きは遅い。ふわふわと彼の頭を飛び越え、やがて目の前に落ちていく。
耀真が一瞬で五発発砲。驚異的な早撃ちが、鈍重な光の球を全て撃ち抜く。
「え……?」
耀真が素っ頓狂な声を上げる。羽夜からしても驚くべき現象が、眼前で起こっていた。
淡い光に包まれた耀真の弾頭が極太の白いレーザービームみたいな姿となり、文字通り光の速さで直進して貯蔵器官を丸呑みした。
弾が通った軌跡には、虚空以外、何も残っていない。
「わーお」
耀真が呑気な感嘆を上げている間に、次の異変が起きた。黄泉の予想通り、魔力の貯蔵器官を失った巨木が煙を噴いて消えようとしているのだ。
支えを失ったスタペリアが、瑞希を包み込んでいた木の根の群れと共に消える。
「消えた……」
羽夜が呟いていると、耀真は速足で地に伏せる瑞希の傍まで歩み寄り、しゃがみ込んで彼女の手首を取る。
少しして、耀真が安堵する。
「無事だ。ちゃんと脈もある」
「良かった」
いくら危害を加えてきた相手とはいえ、目の前で仏になられるのは目覚めが悪い。
遠くから消防車のサイレンが聞こえる。災禍の中心が沈静化しても、今度は周囲で発生した火災を抑え込まなければならない。
「学園長。いますぐ水属性の魔法が使える魔族の生徒と教師をかき集めて下さい。俺の許可で消火作業を手伝わせます」
「それならもうやっといたぜ」
黄泉の代わりに答えたのは、何処からともなく耀真の前に現れた楓太だった。
「魔導事務局と消防には通報済みだ。火災が起きてる場所にも手は回してある」
「相変わらず仕事が早いっすね。おみそれしました」
「もっと褒めろ。俺は褒めて伸びる子だ」
楓太がドヤ顔で胸を張る。
「それはさておき。当事者のお前らには、これから楽しい取り調べが待っている。学園長も含めた全員、悪いが魔導事務局まで出頭してもらうぜ」
「まあ、仕方ないですよね」
黄泉が苦笑すると、楓太も同じような顔をしてスマホを取り出し、魔導事務局の課長に連絡を取り始めた。
●
魔導事務局。それは、全国各地に設置された、魔族専門の市役所みたいな機関。この組織は魔族の衣食住からウィッチバトルチームの申請・登録に至るまで、魔族に関わるありとあらゆるサポート業務を遂行する。ある意味、魔導事務局が無ければ魔族はこの世界で生活出来ないとさえ言える。
勿論、その中には、魔族が起こす犯罪や各種トラブルに対応した部門も存在する。つまりは魔族専門の警察みたいな連中が、治安維持組織として機能しているのだ。
魔導事務局刑事部・戦闘課。そこが、学生魔装士の主なバイト先である。
「失礼しまーす」
耀真が気軽に扉を開けると、かなり意外な光景が目に飛び込んできた。
ここが戦闘課のオフィスの中にあたる訳だが、オフィスなのに仕事机が無い。円形の小さなテーブルと椅子がそこかしこに配置されているだけで、特に誰かが特定のデスクを持っている訳ではないようだ。
「耀真さん。ここって、オフィスなんだよね? 何か、あまり机仕事しているような感じがしないんですが」
「奥の事務スペースには正社員用のオフィスが別にある。ここはバイト学生なんかが簡単に報告書を作成したりするスペースだな。戦闘課は基本的に荒事専門だから、書類仕事があまり多い訳じゃないんだよ」
「じゃあ、ここの人は通常業務で何をしてるの?」
「大抵は出払って巡回してる。魔導事務局の制服を着て外を歩き回っているだけで犯罪の抑止に繋がるからな。あとは巡回中に見受けられた管轄内の異変なんかをレポートにして纏める業務だ。俺達の仕事は精々そんなもんさ」
近年、魔導犯罪は増加傾向にある。魔族の人口が昔と比べて増えたからというのもあるが、国全体でのモラルが人間も魔族も纏めて低下している、という事情もある。先程のように、突発的に魔族が暴走する事案も少なくはない。
だからこそ、いざとなれば逮捕権も含めた武力行使の権限を持つ戦闘課の業務は、市民の生活の安寧において中核を成すのだ。
「学園長が課長室で先に待ってる。俺達も行こう」
「うん」
オフィスで仕事をしていた少数名の職員達の注目を無視して、耀真と羽夜はさっさと奥の課長室の前に立つ。
扉をノックすると、耀真が手を後ろに組んで声を上げる。
「天霧です。渕上羽夜さんをお連れしました」
『耀真か。入ってくれ』
「失礼します」
耀真が扉を開けて中に入り、羽夜も後に続く。
応接スペースのソファーでは、一人の男性と黄泉が向かい合っていた。
「取り調べお疲れ様。そろそろ来る頃だと思ってたよ」
魔導事務局の黒い制服を着た男性の姿は、耀真をそのまま大人にして、渋みを出した感じだった。何というか、果断の人、みたいな印象がある。
「君からすれば初対面かな、渕上羽夜さん。俺は魔導事務局刑事部戦闘課の課長、天霧壮真だ。うちの耀真が世話になったみたいだね」
「あ……はい、こちらこそ……どうも」
「とりあえず、そちらに座りなさい」
黄泉の隣に勧められたので、素直に従いソファーに腰を下ろす。
「耀真。そっちの冷蔵庫に作り立てのジャスミンティーがある。悪いが用意してくれ」
「あいよ」
耀真が気軽に応じて飲み物の用意を始める。
「ていうか、いつの間に冷蔵庫なんて導入したんです?」
「今朝届いたんだ。せっかくだから美香が手作りしたお茶を冷やしてみた」
「母さんこっちに来てたんすか」
「おかげでさっき清掃員のおばちゃんに皮肉を言われたよ。のろけるのは家庭内だけにしとけってな」
「アンタら振る舞い自由過ぎんだろ……はい、用意しましたよ」
用意したグラスは三人分で、壮真と黄泉、羽夜の分だけだった。耀真は手際よくコースターを三人の前に置き、その上にジャスミンティー入りのグラスを給仕する。
「長い話になる。お前も自分の分くらいは淹れておけ」
「はーい」
耀真が自分のお茶を用意している間に、壮真は羽夜に改まって向き直る。
「それにしても、大きくなったね。赤ん坊だった頃が昨日の事みたいだ」
「私の事をご存じで?」
「ああ。何せ君のお母さんは俺と美香の親友だからな」
「懐かしいですねぇ」
羽夜が目を丸くしていると、黄泉が遠い目をして述懐する。
「天都学園には当時、最大の問題児と呼ばれる四人の生徒がいました。壮真さんと美香さん、それから麻夜さんとエミールさん。それがいまや四人とも立派になられて……教師として誇らしい限りです」
「あの……学園長。麻夜って……」
「あなたのお母さんですよ。恐らく、旦那の次に私と付き合いが長い人物です」
名前が同じ別人だったら良かったのに、とか思ったが、そんな淡い希望はたったの数秒で打ち砕かれてしまった。
まさか、うちの母親が――光属性秘伝魔法の名家・渕上家の当主が、事もあろうに魔女の王すら悩ませる問題児だったとは。一体何をしでかしてそう呼ばれるようになったのか、娘としては気になるところである。
「ついでに言えば、羽夜さんは耀真とも何回か会ってるぞ」
「マジで?」
今度は耀真が驚く番だった。
「全く覚えてないんだが?」
「だろうな。かなり小さい時の話だし。……っと、いけない。昔話に花を咲かせている場合ではなかったな」
若干捨て置けない話ではあるが、先に別の問題を知っておく必要がある。
羽夜が直接ここへ呼ばれた理由は、羽夜自身の魔力についての話だからだ。
「羽夜さん。早速だが、君は自分の魔法についてどこまで知ってる?」
「どこまで……と言われましても。魔力の発現量と循環速度がやたら低スペックな事と、渕上家の秘伝魔法が全く使えない事以外は何も」
「付け加えるなら、魔法の効果時間が短すぎるってところか。これについては君が生まれた直後から、既に調べはついている」
「生まれた直後って……」
「結論から言おう。君の魔力は、臨界性魔力と呼ばれるものだ」
「臨界性?」
聞きなれない用語だった。おそらく、学校の教科書にすら載ってないだろう。
「君の魔力はある一定の条件を達すると無限にエネルギー量が増加する、言わば一種の核エネルギーに近い性質を持っている」
「核って……ウランやプロトニウムみたいな魔力が、私の中にあるって事ですか?」
「そうだ。そして、さっき言った条件だが、それを満たせる人間はこの世でただ一人」
壮真がゆっくりと、耀真に視線を向ける。
「この、天霧耀真だけだ」
「俺が?」
やはりと言うべきか、耀真すら知らない話のようだ。
「羽夜さんの魔力は物理的に高速で移動する事で臨界反応を起こす。丁度、お前がさっきやったみたいにな」
たしかにあの時、耀真は羽夜の魔法を何かしらの弾丸で撃ち抜いた。もしかしたら、その時に使用した弾に何か秘密があるのかもしれない。
その説明を、壮真が早速してくれた。
「耀真があの時使ったのは【ブランクバレット】。全ての実弾型魔法弾の元となる、言わば空っぽの弾丸だ。ただしあの素材には触れた魔力を吸収する作用がある。だから羽夜さんの魔法を撃ちぬいた直後、その魔力を秘めた弾丸が急加速した事によって急激に威力を向上させた、という訳だ」
「条件は分かりましたが、耀真さん一人だけ、というのは?」
「【ブランクバレット】で魔法を撃ち返すには、魔法の中心点に寸分の狂いも無く弾を命中させる必要がある。その技術は【ヴァニティバレット】と呼ばれ、【エアスラッシュ】に並ぶ超高等技術に該当する。現状、この技を作った耀真と、その弟子にしか使えない。しかも羽夜さんの魔法は中心点の当たり判定がやたら小さいから、そこを狙うとなれば耀真以外にあり得ない」
先刻、瑞希の炎属性の魔法を反射したのも、その【ヴァニティバレット】だろう。
「しかも、臨界性魔力は効果時間がやたら短い。兵器運用しようにも、君の魔力は投入直後から数秒で兵器内部から消滅してしまう。つまり、最初から音より速い物体に即席で魔力を吸着させないと使い物にならないのさ」
「耀真君にしか使えないというのは、そういう意味です」
黄泉が苦笑しながら話に割って入る。
「臨界性魔力は兵器としては不適格過ぎて、誰の目にも留まりません。だから、あなた自身が兵器利用目的で誰かに狙われる心配は皆無です。そこは安心して下さい」
「は……はあ……えっと……」
混乱しっぱなしだが、少なくとも身の危険は無いと判明して安堵する。
だが、別の疑問が新たに噴出する。
「……何でいままで、お母様は私にこの事を黙っていたんでしょうか」
「多分、教えても意味が無いからだろうな」
耀真が部屋の壁にもたれかかって推測を語る。
「もし教える必要があるとするなら、お前の魔力を使いこなせる誰かが現れた時だ。俺が麻夜さんならそうする」
どうやら耀真は麻夜に何度か会った事があるらしい。立場上、無い話ではないか。
「正解だ」
壮真が頷くと、改まって背筋を伸ばす。
「俺がいまさらになってこの話を始めたのはそれが理由だ。こういう状況になった時、麻夜の奴からお願いされていたから説明したんだ」
「……お母様が、そんな事を」
正直、いまでも母の事は苦手だ。ろくに魔法も使えないのに体術の修行を強要したり、魔装士科に無理矢理入れられたり、あまり良い思い出が無い。恨みさえもある。
でも、ちゃんと考えてはいてくれたのだ。悔しいけど。
「そういえば、話は変わるけど」
壮真は首を回し、後ろの耀真に訊ねる。
「お前、これからチームを作るんだったな」
「ええ。彼女が最初のメンバーです」
「そうか。だったら喜べ。羽夜さんの魔法、ウィッチバトルで撃ち放題だぞ」
「いいんですか? そんな簡単に言っちゃって」
「ああ。さっきも言ったが、彼女の魔力の真価はお前にしか発揮できない。いくら競技の運営でも、お前しか使えない技を規制対象には出来ないだろ?」
「うーむ……」
耀真が少し不安げにこちらを見つめてくる。どうやら、兵器のエネルギー源として仲間を運用する事に抵抗感があるようだ。何故だか知らないが、そんな気がした。
「いいよ、それくらい」
羽夜はすくっと立ち上がった。
「気を遣わせてごめんなさい。でも、大丈夫だから」
「逆に壮真さんは気を遣わなさ過ぎです」
黄泉が急に茶々を入れると、壮真が思いっきり苦い顔をする。すると、いままで固い表情をしていた耀真が口元を緩めて笑い始めた。
「まだメンバー集めは始まったばかりだ。その手の戦術は、後で考えよう」
「うん」
彼の出した答えに、羽夜は満足して頷いた。
話が終わって、耀真と羽夜が談笑しながら課長室を出る。最初に二人が並んで現れた時の印象から仲が良いとは思っていたが、予想以上に性格上の相性が抜群だったらしい。
俺も高校生の時分には、美香とはあんな感じだったかなぁ。
「壮真さん」
対面の黄泉に呼ばれ、緩んでいた口元を引き締める。
「高井君達の件、取り調べはどうなっているんですか?」
「いま有田君の分が終わった頃でしょうね。辻本さんで最後です」
「その二人は関与してないので、今回逮捕されるのは高井君と福島さんですね。正直なところ、彼らには手を焼いていました」
「例の事件も含めて、ですか」
「今回も親御さんから局長への口利きがあるんですかねぇ」
「だったら、そろそろ来る頃でしょう。どうせ「彼らは釈放だ」とか言ってくる」
その折、扉を荒く叩く音がした。
「天霧、私だ。入るぞ」
「ほらね」
予想通り過ぎて、壮真と黄泉は気の萎えを隠そうともしなかった。
●
惨劇はいつも突然に訪れる。犯行予告は無い。近頃では当然で、よくある話だ。
でも、闇が訪れた時に人は思う。何故、いまなんだろう? と。
「や……やめて……」
さっきまで私はテストの問題を作っていた筈だ。定時を迎えたというのに、ただそれだけの理由で帰れない事を内心で嘆きながら、ただ鬱屈とした気分でキーボードを叩いていたというのに。
牢屋のように感じていたこの職員室が、いきなり処刑場に様変わりだ。何の冗談だろう。
「やあ、神戸の模倣犯。気分はどうだい?」
目の前の少女は、大体十代半ばくらいだろうか。顔の左半分に掘られた三日月のタトゥが、地獄の遣いの唇が生む笑みに見えるのは、決して気のせいではない。
「あんたも随分と酷い事したよね。こないだ同僚の教師の目にカレーをぶち込む教師が現れたと思ったら、今度は気にくわない女子生徒の目と鼻にデスソース塗り込んで、他の教師に輪姦されてる様子を動画にして投稿する奴がいるとはね」
朗々と喋るこの少女の足元には、既に何人かの男性教師が血溜まりに沈んでいる。中には首と胴が泣き別れている死体もあった。
職員室の机や椅子は勿論、ファイルがたっぷり仕舞ってあるスチールの棚までスクラップだ。所々で火の手も上がっている。
この部屋で生き残っているのは、自分だけだ。
「あ……あなた……一体……」
「んー? ボクが何者かって? そうだなー」
少女が手を軽く払っただけで、彼女を後ろから魔装具の銃で狙撃しようと試みた一級魔装士の教師が吹っ飛び、五体がバラバラになって血風をまき散らす。
「イジメ撲滅を掲げて、世の為人の為に働く活動家……って感じ?」
「ふざけないで……! こんなの、ただの魔導犯罪じゃない……!」
「あらー? 上の男達に色目使って色んな犯罪を揉み消してもらってたあんたと、何が違うというのかなー?」
少女が手を振り上げる。それだけで、ビクっと身が縮こまる。
「さーて。そろそろ帰る時間だし、もう終わりにしよっか」
「やめて……」
「仕事の続きはあの世でやってね。あっちにエクセルがあるのかは知らんけど」
こちらが言葉で制止しようとする前に、風属性の魔力を帯びた手刀が振り下ろされた。
●
【TIPS】
ウィッチバトル=MVRを用いた仮想空間内のサバイバルゲーム。競技の開発者は渕上麻夜。製作者の種族が魔女である事から、この呼称が用いられている。
この競技は元来、【九天協定】によって現実空間でのスポーツ競技の出場に制限が掛かった魔族の為に生まれたものであり、全ての魔族にとって唯一の動的なエンターテインメントとして世界的な人気を博している。
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