Pity is akin to love.

眞壁 暁大

第1話

 彼の住む町は、少し、いびつだった。

 あちこち変わっているけれども、それは中にいると意識しないものだ。

 けれども、意識しはじめると全部が引っかかるようになる。

 そういう年頃だったのだ、と言ってしまえれば楽なのだろうが、まだその頃の思いが、棘のように彼の胸には引っかかっている。


 この街の成り立ちを学んだ時に彼が感じたのは

「外の筒はどうなっているんだろうか」

 という事だった。

 世界を覆った伝染病の脅威から逃れるために人間たちは地下に潜ったが、その時に避難したコロニー、それがつまりこの街だった。

 この街の外、地上の様子がこことはかなり違うことを彼は学んだ。

 太陽と雨と月。海と空。いずれもこの街しか知らない彼には縁遠い話で、ただぼんやり「こことは違う世界があるのだ」と知るだけだった。

 しかし、自分が住んでいるこの場所の外に、同じような人間が住んでいるという事実を知った時には衝撃を受けた。

 このコロニーは二重構造で、内側の筒と外側の筒があり、外側の筒にも同じ人間が住んでいるのだ、という教師の言葉が強く記憶に残っている。


 幼い彼にとってそれは大きなショックだった。

 地上はもはや人が住んでいない(というわけでもない、というのを知るのは長じてからのことだ)から、それほど興味を惹かれなかった。

 けれど、このいま自分が暮らしている場所のすぐ外側に、同じような人間がいるという事を知ってからは、そのことが気になってしょうがなかった。

 外の筒の同じように暮らしている人間たちはどんな顔をしているのか、外の筒の世界はどうなっているのか。ここと同じように人工の光が全てを支配しているのか。

 気になることはいくらでもあとからあとから溢れてくる。

 帰宅後も両親を質問攻めにするほどに興奮していた。

 ほとんどのことには教師も両親も答えてくれたものの、一つだけ分からないことがあった。

「外の子供たちはロボットに育てられる」

 この意味がぜんぜん分からずに尋ねてみたが、教師も両親も、それ以外の大人もはぐらかすばかり。

「そういうことになっているんだ」

 最後はそう言って質問を断ち切ることが多かった。

 彼はロボットに育てられるというその子供はどんな風に感じているのか、それが知りたかっただけなのに、大人たちはバツが悪そうにその話題を避けた。


 彼もまた、父に𠮟責ぎみにその質問を遮られてからは問うことをやめた。

 疑問それ自体は残っていたものの、聞いても答えが返ってこないことを悟ったからだ。

 外の子もロボットに叱られることがあるのだろうか。

 父のきつい口調の声を聴きながら、彼はぼんやりとそんなことを考えている。



 しばらくして彼が期待を寄せたのは、進級すれば社会見学の一環で外の世界、外周シリンダーの見学旅行がある、ということだった。

 先に進学した上級生たちの話を総合すると、そこで外の世界の子供たちやほかにいろんな人たちがいるのを見ることができることもあるという。

 ぐうぜん遭遇しないかぎりは、工場や生産施設の白い壁をずっと眺めるような味気ないものだ、という忠告ももらったが、彼は外の世界の人間に会える、という期待だけを膨らませていた。

 どんな風に暮らしているのか。

 どんな風に世界を感じているのか。

 少しでも言葉が交わせればよい、という気持ちでいっぱいだった。


 それらの期待は、すぐに打ち砕かれることになる。


 

 見学旅行前日に、彼ら生徒に渡されたのは酸素吸入器付きの防護マスクだった。

 装着の実演をしてみせた教師は、おのおのフィッティングを調節しろ、と命じる。

「きつかったら言いなさい。明日はそれを終日着けることになるから、無理はしなくていい。交換用のマスクも用意してある」

 彼は失意のままマスクをつけてみた。丁度ぴったりだった。

 ダメもとで尋ねてみる。

「これを着けてバスから降りて遠足みたいに見学ができるんですか?」

「声がくぐもるから今は外していい。それから、質問の答えだが、それはない。

 長時間曝露するには抵抗力のない生徒だっている。バスと施設の移動の短時間しか歩くことはないからな。体力に自信のないものも安心していいぞ」 

 彼が失望で肩を落とすのとは裏腹に、周囲の生徒はやや嬉しげに見えた。

 彼以外の多くの生徒にとって、社会見学は退屈なイベントだったのだ。



 翌日のバスの中では、生徒同士はずっとしゃべり合っていた。

 彼も何度か声をかけられたが、一人だけ目を皿のようにして外の世界を眺めているのに呆れたのか、そのうち誰も声をかけてこなくなった。

 教師は「終日着けていろ」と言ったマスクを緩めてしゃべっている者もいたが、特に注意されることはない。「着けている」ように見えるだけでもいいのだろう。

 バスは厳重に気密が確保されているらしく、ウィルス濃度が高い外気は完全に遮断されているようだった。ドアの開閉のたびに強く空気が流れるから車内の気圧を上げているようだ。

「次が食糧化工場だ。これまで見た中でいちばん大きな施設になる」

 教師の指示でバスは歩くよりも遅い速度になる。

「工場の中で説明会があるから下りることになるぞ、全員マスクをちゃんと着けなおせ」


 皆がその言葉に一斉に俯いてマスクを着けなおすなか、彼だけが窓の外を凝視していた。


 皆が同じ服を着て、同じような表情をした一群の人々が、同じ方向へ向かって歩いているのが見えたからだ。

 初めて見る外の人間たち。


 彼は、そのうちの一人と目が合った。


 バスの脇を集団が通り抜けるまでずっと視線が合ったままだった。

 顔は正面を向いているのに、明らかにその目線が自分を追っている。彼はそのことに気づいてなぜか赤面した。

 マスクをしていてよかった、と思った。


 工場での説明会で現れたのは中年の男性だった。

 内側の筒の人間と背格好も顔も何もかも変わらないように見える、普通の人間だった。

 やはり同じ人間だったのだ、という感慨が少しだけ湧いたものの、彼の心は既に先ほどの視線に囚われてしまっている。

 あの人に逢って話をしたい、ということで頭がいっぱいになっていた。




 ……と、いうような顛末を志望動機として挙げるわけにはいかずに頭を抱えているのが現在の俺だった。

 彼、ということにして客観視すれば、何かしらそれっぽい理屈がひねり出せるかと思っていたが、やはり無理筋だった。


 我ながらバカバカしいとは思っている。

 思っているがたしかに、あの目が心に焼き付いて離れないのだ。


 以来、もう一度外へ行くためにどうすればよいかばかり考えて考えて考え続けて、結果、外のシリンダーの生産工場監督官の求人に応募した次第。


 ウィルスへの抵抗力の方は問題ないとされたものの、キャリアコースとしては異例の針路だったために、教師からも親からも反対された。

 そのたびに

「外のシリンダーの生活をもっとよく知らないと、コロニー全体の幸福の向上につながらない」

 とかなんとか、いかにも高尚な目的を持っています、というような理屈を言い続けてきたから、周りの人間は全部その建前を信じ込んでくれている。

 最後には「その意気やよし」と学長も異例の針路ながら全力で支援する、と背中を押してくれた。


 周りはその建前で押し通せたのでよかったが。

 最後の関門である、外のシリンダーの工場リーダーの面接では通用しない。

 相手が工場リーダーだから、ではない。


(あの時の視線だ)

 

 そのことに気づいているからだ、俺は。

 相手が気づいているかは分からない。

 けれど、あの日からずっと俺をとらえて離さない視線とふたたび、こうして相見えている。

 待ち望んだ未来ではあったが、もっとこう……心の準備がしたかった。

 少しきついつり目で、どこか心の底まで見透かしそうな視線。

 話したかったことは志望動機とかそういうのではなく、もっとどうでもいいくだらないことばかりだったのだが、言葉が出てこない。


 不意に、工場リーダーがマスクをはずす。


「あの時もだったけれど」


 口元に緩やかに笑みを浮かべて続けた。

 想像していたのとは少し違うけれど、いい形の唇だと俺は思った。

 そして。


「ずっと見つめて、なにか言いたいことがあるのかしら?」


 多分もうずっとこの人には敵わないのだ、と悟った。

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