花びらが散らなければ実はできない
hitori
第1話
「たたんであげるね」
「ありがとう。助かるわ」
四歳になる娘が私のそばにきて、洗濯物をたたみ始めました。
「大きいのはたいへんだから小さいのからね」
まずは洗濯物の山からタオルを取り出す。我が家は八人家族。
次は、布オムツを30枚ほど。
「なおちゃん、自分の服はたためる?」
「うん」
小さい子どもの服を倚り出す。けっこうな量ですが、楽しそうにたたんでいます。たたみ終えると満足気ななおちゃん。
「また手伝ってね。ありがとう」
そう言ってから、とりあえず、たたみ終わった洗濯物を一人ずつにわけてくれているので、重ねてカゴに入れておくと・・・
翌朝、「さあ、ご飯を食べててね。お母さん、洗濯物をタンスにしまいこんでくるから」。
これは娘への気遣いです。食事のあいだはこちらを見ません。私は、たたみ方のおかしなものを手直ししながら、タンスにしまいます。これも最初のころだけのことで、すぐに大人のものまで上手にたためるようになりました。
お料理も上手になって欲しいから、小学校一年になってから計画を実行!
まずは、包丁が使えるようになるためには、刃物が危ないことを体験させます。鉛筆を削ることを覚えさせます。もちろんカッターナイフ。ポイントは指をナイフの前に出さないこと。持ち方を教えて、少しずつ削ることを覚えてもらいます。子どもは喜んでチャレンジします。鉛筆の芯を尖らせることなんて、じっと芯の先を見て面白そうに笑顔がいっぱい。
鉛筆削りで覚えたことは、危ない道具に対する心構え。包丁を使い始めても、怪我をすることはあまりなかったです。
野菜を切ることから始まり、じゃがいもの皮むき。少しくらい皮が残っても褒めてあげます。
「いいのいいの。それくらいなら、母さんがとっておくから。助かるわ」
そんな調子で教えていたものだから、学校で調理実習がある学年になるとヒーローです。
今では、コンビニやスーパーで食べる物には困ることのない時代ですが、自分でいろんな経験をすることが大切だということは誰にでもわかっているはず。でも、売っている物を食べることができない状態だってあるのです。人生は長い。貧乏して、あり合わせの材料で食事を作るなんてとき、料理を知らなかったら、いろんな物を作ったことがなかったら、メニューは浮ばない。アレルギーで食べられなくなったら、何を代用するかさえわからない。
自分はわかっていても、子どもたちに伝えなければ意味がないのです。
花は美しく花びらを輝かせ、人の目を楽しませ、良い香りで気分を落ち着かせてくれます、虫たちに蜜を差し出しもします。
でも、その花びらを落とさなければ、実はなりません。子育てとはそれに似ています。いつまでも花びらをつけたままの親では、立派な実となる子が育たないのです。手を出すより、一歩下がって見守る親の強さが求められます。失敗したら、起き上がるのを待ち、歩く姿を見るだけです。
子は尊い宝です。過保護という曇りで包んではなりません。子は親の付属物ではなく、別の人格を持つ存在。必ず考えの違いがでます。それまでに親は、花びらを落としておかねばならないのです。
子離れ、親離れ、いずれ誰にでも訪れるものです。人生のレールは自分で見つける。親も子も、それぞれに進む、目指すものが違っていい。お互いが尊敬できる存在でありたいものです。
花びらが散らなければ実はできない hitori @hitori-corona
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます