ネガティヴハート・バスターズ

プロローグ

 真っ白な夜空。

 吐き気を催す紫紺の月。

 枯れ果てて、溶けて、ねじくれた木々。

 固まったクリームのような灰色の地面。

 胎動するシワだらけの岩々。

 どろりとした汚泥が流れ落ちる滝。

 そして、どことなくフクロウに似た巨大な怪物たち。


 まるで、色調が反転してしまったかのように不気味な空間だ。

 ここはどこか。

 あれらは何か。

 恐怖でへたり込んでしまっているこの状態では、頭は回らず何もわからない。もっとも、絶好調であったとしても理解できたとは思えないが。唯一疑う余地もなく明白な事実は、まもなくこの身にどうしようもない苦痛と絶望と死が降りかかってくるということだ。

 怪物たちが、3mはあろうかというその巨躯を振り子のように小刻みに左右に揺らし始める。笑っているのだと、直感的に理解した。

 怪物たちは声を発していない。裂けんばかりに広げられたその口も、しかして口角は吊り上がってはいない。それでも彼らは、無音のままで、血走った黄色いくりくりとした目玉をめちゃくちゃに動かして、その身を激しい歓喜に打ち震わせていた。

 一体全体、彼らは何がそんなに嬉しくて笑っているのか。当然そんなことわかるはずもなくて――いや、このまま……わからないままで終わりを迎えた方がきっといいだろう。自らに訪れる死の形なんて、理解したくない。だから、このままそっと目を閉じよう。それから————


「――――諦めるのはまだ早いよっ、少年!」


 突如として響いた一声に、ハッとして目を開く。

 そして次の瞬間。轟、という凄まじい熱を放って、目の前に高い炎の柱が幾本も立ち上がった。

 激しい熱波の襲来に、咄嗟に手で顔を覆う。今度は一体、何が起きたのか。混乱する思考の中で、指の隙間から視線を巡らせると――炎の前に立ちはだかる、一人の少女の姿に気が付いた。

「――待たせてゴメンね。境界壁破るのに手間取っちゃってさ」

 短い髪をなびかせて、身の丈よりはるかに巨大な剣を担ぐ彼女のその姿からは、幼い頃に見たアニメのヒーローのように確かな信頼と安心が感じられて。

 目から、自然と涙が零れ落ちてくるのを感じた。

「もう、大丈夫だからね」

 少女もこちらの視線に気が付いたようで、八重歯を覗かせてニッと笑う。そして彼女は、焼けた地面を蹴って炎の向こうの異形の群れへと飛び込んで行ってしまった。

 激しい剣撃と、身の毛もよだつような大量の断末魔が、炎の向こうから世界を揺らし始める。これらは一体どれくらいの間繰り広げられたのか。情けないことに、安心しきって力が抜けた我が身は、いつの間にか昏倒してしまっていたようだった。

 ……しばらくして気が付けば、世界は見慣れた元の姿に戻っていた。辺りを見渡しても、当然恐ろしい怪物たちの姿などどこにもなく、ここはツンと冷たい冬の空気が漂っているだけの街の隅だ。

 と、目の前に人の影が差した。

 見ると、そこに立っていたのは先ほどの少女だった。上気した頬には盛大に煤が付き、中世の鎧を模したような不思議な服も、あちこちが焦げている。息も荒く、明らかに疲労困憊といった様子だ。

 それでも彼女は笑っていた。

「怪我はない? 大丈夫だった?」

 達成感と心配が入り混じった声とともに、こちらへ手が差し伸べられる。その手を取り震える脚を押さえながら立ち上がると、少女は嬉しそうに、安心したように、より一層笑ったのだった。

◇◇

 それは、何物にも負けない鮮烈な笑顔。

 それは、炎のように鮮やかな出会いの記憶。

 命懸けの危険な使命だとわかっていても、あなたの力になりたかった。そう考えるようになったのには、たいした理由なんてない。

 だって先輩。

 俺はあの時、あなたに――――、

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