推しに捧げるレクイエム
鱗卯木 ヤイチ
第1話
『推しが死んだ……。サラバだ、勇太……。ワタシも、死ぬ!』
『そうか、じゃあな。あの世で推しと仲良くな』
『ちょ、ちょっと待て!』
俺が話を打ち切ろうとすると、早紀は慌てて止めにかかる。
『……なんだ? まだ何か用か?』
『何か用かって……。カワユイ女子の悲痛な叫びを蔑ろにしおって……。お前は血も涙もない鬼か!? 悪魔か!? はっ!? もしや両方合わせて悪鬼か!?』
『……ったく、アニメキャラのひとりやふたりが死んだところでよくそんな騒げるな……』
『あぁー! あぁー! お前と言うやつは、いま全国のオタクを敵に回したぞ! オタクにとって推しとはまさに命! 人生そのものなのだぞ! それをだなぁ……』
怒りに震えている早紀の様子が目に浮かぶ。まったくどうしようもないやつだな。
俺は聞こえる様に、大げさにため息をついて見せた。
『……俺、忙しいんだけど? 用がないなら終わるぞ?』
『ぐぬ! ……最近、忙しそうだからと思って、チョー優しいワタシが声でも聴かせてやろうとわざわざ声をかけてやっているというのにその言い草……』
『はいはい、わかったわかった。……で? そっちの様子はどうよ?』
俺は早紀のオタク話に付き合う気もせず、さりげなく話題を変えてみる。
『ん? そうだな、相変わらずだな。テレビやMyTubeを見ることくらいしかやることが無い』
『そうか……』
『まぁ、勉強もせず、好きな事だけやっていれば良いから気楽だがな、ははは』
早紀はそう言って笑うが、俺は一緒に笑う気にはとてもならなかった。
俺と早紀は高校の同級生だった。早紀は明け透けな性格でクラスメートからも人気があった。が、重度のアニメオタクだった。ただ持ち前の性格上、ひとり悶々とするタイプではなく、オタク趣味っぷりを堂々と外に向かって発信するタイプだった。教室でよく友人たちと、推しが尊い、尊死する、とか恥ずかしげもなく大声で口走っていた。
そして俺はそんな早紀に少し辟易していた。ひとりを好む俺は教室でも静かに過ごしていたかった。
しかし早紀は俺の都合などお構いなしに、推しキャラの誰それに少し似ていると理由でちょっかいをかけてきた。
正直初めはかなり鬱陶しかった。周りがハラハラする様な言い合いになる事もしばしばあった。ただ、そんなやり取りが増えるにつれ、いつも騒いでいるのが照れ隠しの裏返しであったり、実は細やかに気を配る性格であったりとか、そんな早紀の性格がわかってきた。
いつしか俺の中で早紀が大きなウェイトを占めるようになった。早紀にとって俺は数多くの友人のひとりでしかなかっただろうが、それでも一緒に過ごす毎日は楽しかった。
しかし、そんな日々は長くは続かなかった。
今から半年前。また明日、と教室で言葉を交わしたのが早紀に会った最後の時になった。
早紀は帰宅の途中で、アクセルとブレーキを踏み間違えた暴走車に轢かれて呆気なく死んでしまったのだ。
俺はその知らせを、くだらないバラエティ番組を見て馬鹿みたいに笑っている最中に聞いた。
病院に駆けつけた時には、早紀の身体は既に冷たくなっていた。
けれども、傷ひとつないその顔は本当にただ眠っているようで、今にも、やーい騙されたぁー、とか言って俺の事を嘲笑いそうに思えた。俺は早紀がまだ生きていると本気で思った。
それでも早紀の葬儀は大人たちの手で淡々と進められた。俺の気持ちを他所に、俺はベルトコンベアで運ばれる様に流され、気づけば早紀の墓の前で手を合わせていた。
葬儀はつつがなく終わったものの、俺は相変わらず早紀の死を受け入れられていなかった。思った以上に心に空いた穴は大きく、数日の間、俺は自分の部屋から出ることも無く、抜け殻の様にただ茫然としていた。
『おい、聞こえるか?』
突如頭の中に声が聞こえた。
俺は驚いて周りを見渡すが誰もいない。悲しみのあまり自分がついに狂ってしまったのかと思った。
そんな俺に向かって、声は容赦なく、聞こえているなら返事をしろ! 口がきけなくなったのか? ワタシを無視するとはいい度胸だ、などと、矢継ぎ早に言葉を繰り出してくる。
「……も、もしかして、早紀、なのか?」
『お! やっと聞こえたか? ……もち、ワタシだ!』
当たり前だろ? と胸を張る早紀が目に浮かんだ。
頭の後ろから出ているような高めの声。けれん味がかったアニメの登場人物の様な喋り方。間違いなく早紀の声だった。
俺の目から涙が零れだし、ひきつけを起こしたように嗚咽した。早紀の前だから止めなくちゃと思ったが止める事など出来なかった。早紀は何も言わずに、ただ黙って俺が泣き止むのを待っていてくれた。
俺が落ち着きを取り戻してから、早紀は色々と話してくれた。
早紀はやはり死んでしまった事。本当ならあの世に行って生まれ変わるはずなのに、何故かあの世でも現世でもない場所にいること。他に人は誰もいない事。声だけを届けられる事。声を届けられるのは俺だけであった事――。
早紀の話は俺の想像を超えていたが、俺は単純に早紀とまた話せる事に心から喜んだ。早紀は現世を見ることは出来なかったので、俺が見たものは何でも早紀に話した。
しばらくはそれで良かった。しかし、時が過ぎるにつれ、最初は俺の中で疑念が生まれた。
俺が今話している早紀は、俺の妄想の産物なのではないかと――。
早紀の声は俺にしか聞こえず、そして俺は早紀の声しか聞こえない。早紀の声が俺の狂った頭が作り出した幻聴とどうして言い切れない?
早紀にその事を話してみた。私の存在が信じられないのか、と早紀は不機嫌になった。
当然だ。お前は本当に実在するのか、と言われれば誰でも腹が立つだろう。
――私はここにいるし、私は勇太とだけ話しが出来る――。
早紀はそう言って、会話を断絶した。
それから早紀が俺に語り掛けてくることは無くなった。俺は早紀をひどく傷つけたと後悔し、何度も俺から早紀に語り掛けた。数日後にやっと早紀からの反応があり、俺は平謝りをした。そんな俺に早紀は罵詈雑言を延々とぶつけ、1時間ほど経つ頃には早紀は機嫌を直し、俺は激しく疲労した。
今回の事で、俺はひとつの決心をした。
早紀が俺といつまでも一緒にいてくれることはもちろん嬉しい。だがそれは俺のエゴでしかなく、早紀にとっての幸せではないのだ。少なくとも世の理として、決して正しい姿でない。早紀は安らかに眠り、次の生を受けるべきなのだ。
それは早紀の声が聞こえる俺の使命だった。
それから俺は早紀をあの地から解放する方法を探し始めた。
早紀の家に行ったり、加害者の事を調べたり、地縛霊を始めとする霊魂についての本を読んだりもした。教会に行ってミサに参加してみたりもした。
しかし、どれもこれも解決策にはなり得ず、俺は途方に暮れた。そもそも早紀があの場に留まっている理由すらわからなかった。
打開策も見いだせず、俺はベッドでぼんやりと寝ころんでいた。早紀が生きていた時の事を思い出す。
オタクなのに明るく社交的な早紀。早紀の周りにはいつも人が集まっていた。
俺はオタクではなかったが、人付き合いの良い方ではなく、ひとりでいる事の方が多かった。
初めは推しキャラに似ていると言って早紀は俺に話しかけてきた。鬱陶しいと思ったりもしたが、今は素直に早紀が愛おしい。
じゃあ早紀は? 早紀は俺の事をどう思っているのだろう? ……わからない。
でも、俺だけが今もこうして早紀と会話をしているんだ。
俺がまるで特別である様な、そんな錯覚を起こしそうになる。
「……あぁ、なんだ。そう言う事か」
俺の頭の中で、不意に全ての線が繋がった。わかってしまえば何てことない事だった。
そして、そこから導き出される結論はたったひとつだった。
『……勇太は今何をしているのだ?』
いつも以上に口数が少ない俺に、早紀が声をかけてくる。
『……いや、別に何も?』
嘘だった。俺は俺が出来ることをするために学校に残っていた。
『最近どうだ? 好きなやつでもできたか?』
『会話に困るおっさんか、お前は。……まぁ、好きな子なら前からいるけどな』
『なにぃ!? 初耳だぞ!?』
早紀の驚愕に俺は笑う。同時に職員室から拝借した鍵で屋上へと続くドアを開けた。
『……へんちくりんなやつだけど』
『なんだそりゃ』
俺は早紀にも誰にも気づかれないようにフェンスによじ登り、向こう側へと慎重に降りた。下校時刻は既に過ぎており、地上に見える人影はあまりない。
『……俺、考えたんだ。早紀はなんでそこに留まっているのかなって。何が早紀をそこに留めているのかなって』
『……』
『ちょっと考えたら、すぐわかるよな。……俺だけ、早紀の声が聞こえてるんだもん』
『……違う、勇太、違うんだ』
早紀の声に焦燥の色がにじむ。
『もっと、早く気付いていたら、半年も寂しい思いさせなかったんだけどな』
『勇太? 今、何している? 何をしようとしている!?』
ただならぬ気配を察したのか、早紀の声が緊迫感を帯びた。
『俺が早紀を引き留めているのか……。早紀が俺を待っていてくれるのかはわからないけど……。出来れば、後者がいいかな』
『やめろ! やめろ、勇太!!』
『今までごめんな。……でもこれで、早紀を縛るものは何もなくなる』
小さな段差を軽く飛び越える様に、俺は軽やかに、降り立つ場所が無い空へと、飛び出した。
『勇太ぁ!!』
早紀の絶叫が、頭の中いっぱいに響く。
早紀、好きだよ。そう告げたつもりだけど、その言葉が届いたかはわからない。
凄い速さで流れゆく景色の中で、俺は教会で聴いたレクイエムを口ずさむ。
早紀が安らかにいられるようにと。
推しに捧げるレクイエム 鱗卯木 ヤイチ @batabata2021
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