陰の7
『誘ったのは私じゃなくて保の方よ。これだけはウソじゃないわ。いえ、そう仕向けたと言った方が正解かもしれないわね』
彼女は足を組み、煙を何度も空中に向けて吐き、10分も経たないうちに、ラッキーストライクを四本灰にしていた。
彼女によれば、だからといって、別に保のことなんかまったく愛してはいなかったのだという。
『利用してやるつもりだったのよ』
五本目を灰にし、座席の横に置いてあった金属製の灰皿に乱暴に押しつけて、吐き捨てるように言った。
『利用?何に』
俺の言葉に、彼女は六本目に火を点けたが、もうその時はワゴン車の内部はアウシュヴィッツもかくやと思える状態になっていた。
ヘビースモーカーのジョージもこれにはたまらず、エンジンをかけ、エアクリーナーをフル回転させた。俺もスイッチを押して、窓を全部開ける。
本当は窓も開けたかったが、外に音が漏れることは避けなければならない。
『夫を殺すためよ』
彼女はもうかなり前から、夫とはそりが合わなくなっていた。
夫は仕事は出来たし、生真面目で別に浮気をするわけでもない。
家庭人としても良き父であり、また良き夫でもあった。
しかし”男”としての魅力は、結婚した当初から殆ど感じなかったという。
”どこかにもっと自分をはっとさせてくれるような男はいないか”
そう考えると、ますます夫との生活、そして恵まれてはいるが、味気ない家庭生活に嫌気がさして来た。
離婚をしようと何度も考えたが、しかし一応大手企業の部長である生活をそう簡単に捨てる気にもならない。
『そんな時に出会ったのが吉井保だったというわけだな?』
彼女は悪びれもせずに煙を吐き出し、頷いた。
保が自分に気があることは直ぐに分かった。
だが、彼はどちらかというと気の小さい性格だったので、なかなか自分の方からは言い出せずにいた。
そこで彼女は遠回しに誘惑をし、向こうから誘いをかけるようにした。
『あの純情男をたぶらかすのには苦労したけど、でも一旦その気にさせてしまえば、後はもう思うがままだったわ』
保は完全に亜矢子の虜になってしまった。
ある時たまたま夫が出張で海外に行かねばならなくなった時、二人で三泊の予定で旅行に出かけた。
子供達には”学生時代の女友達と旅行をするから”と言っておいたという。
その時に初めて彼に夫殺しを打ち明けた。
勿論彼は躊躇したが、しかし、
”私、貴方だけのものになりたいわ”
この言葉で完全に落ちた。
そして密かにどんな手で殺そうかと計画を練り始めた。
『そこまでは良かったのよ』
彼女は乱暴な手つきで煙草を灰皿にねじつけ、目を吊り上げて悔しそうに唇を噛んだ。
その時の表情は、”夜叉”そのものだった。
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