第27話 我慢比べのように

登場人物

―メタソルジャー/ケイン・ウォルコット…軍を辞めた超人兵士、ヒーローチーム「ネイバーフッズ」の臨時リーダー。

―ローグ・エージェント…暗躍するソ連の軍人。



一九七五年、八月:ニューヨーク州、マンハッタン、停泊中の貨物船上


 攻撃の当たる面積を極端に狭めたケインの低い態勢の構えは奇異で、へっぴり腰であったが、しかしそれ相応の洗練された武の遺産であった。両者はじりじりと距離を詰めた。互いに無手のはずであるが、しかし相手はケインの構えについてどうにも違和感が拭えなかった。

 本来であればまだ届かぬ間合いまで互いに踏み入った瞬間、ケインは超人兵士の身体能力と武術の洗練性を活用して一瞬で攻撃した。相手は反応が遅れた――まだ届かぬはずであったからだ。ケインの打撃は相手の突き出された右腕を数発殴り付けた。

 本体でなかろうと、ダメージが蓄積していくとそこから弱みとなる。痛みが続けばそれは攻防の癌となる。思考が邪魔される。巨漢は距離を離したケインを見ながら右手の痛みを払うように軽く数度振った。やはり組み合わなくて正解か。

 アメリカ産の超人兵士は体内に金属であるとか強化骨格であるとか、そのようなものを追加したわけではなく、純粋に薬物投与とその他の手術に留まっているように見えた。しかしそれでも、殴り合いであれば堅牢そのものと思われたローグ・エージェントの肉体に痛みを与えている。あれはしかも本物の痛みではない。

 身長七フィート近い巨漢は己からすれば子供のようにも見える眼前の敵が、素手のはずなのに何かしらの凶器を持っているように感じた。面白い、無手でありながら…。

 再び互いに距離を詰めた。ゆっくりと慎重に、胃がきりきりと痛むような緊張感のある時間が流れた。互いに警戒心を最大限まで高めており、相手が何を繰り出し得るか、どのような手を取るかをシミュレートし続けた。予想できていて、それが当たれば対処は遥かに容易くなるからだ。心構えの有無は大きな差となる。

 痛みを心の中で殺す事を両者が意識していた。これまでの立ち会いで既にダメージは蓄積していた。超人的な回復力で治癒が始まっていたが、しかし痛いものは痛かった。痛みといかに付き合うかを、中西部の平原か、あるいは雄大なステップ地帯のようなどっしりとした心で思案した。

 やがて痛みが、その効力について陰りが見えたと思えた瞬間に、とんでもないような筋肉を搭載している事で高体重を誇る両者をまるで羽のように軽く動かした。ケインはそこではっとした。相手がサーベルを手にしているような、そのような感覚に襲われた。

 見えない触覚同士が接触した感触を味わいながら、彼らは壮絶に殴り合った。ケインの伸びるようなパンチを相手は身を退いて躱しつつ、掠めるように少し当たった利き腕の感じる痛みを無視しながら反撃した。腕を引くメタソルジャーにローグ・エージェントは逆の手で手刀のような打撃を斜めから振り下ろした。

 ケインは相手の腕に己の腕を当てて受け止め、まるでナイフを持った相手の攻撃を防いだような形となった。相手はしかし予想以上の速度で頭突きを見舞い、ケインの頭部は弾き飛ばされるように後ろへと下がった。強烈な痛みをバネにして、ケインは下がった頭部を高速で突き出して相手に反撃した。

 ケインの頭突きは相手の肘によるガードにすら浸透した。互いに痛みを感じて後退し、ケインが頭を振るって痛みに耐える眼前で、相手もまた左腕の肘に走った痛みに歯軋りして右手で患部を抑えた。しかし不意に空気感が変わり、相手は回転蹴りを放って来た。頭部を狙ったそれは一度のみならず、ケインは後退しつつ頭を後ろに下げたりして躱した。

 三度目の回転の後に足払いが来たので当たりそうであった方の脚を上げて躱したが、しかし最後に飛んで来た後ろ蹴りに当たった。回転して突き出された槍のような蹴りを胸に受けてざあっと後ろに跳ぶように後退したが、痛みを殺しながら、しかし胸を抑えて両足で踏ん張ってそこでブレーキを掛けた。

 ケインは純粋に面白いと感じてしまった。眼前の相手は彼のヴェトナムにおける戦友を殺した男だ。冷酷であり、冷戦の裏で暗躍していた。しかし、相手について何か奇妙な感覚を覚える事は否定しなかった。

 相手は妻子達からその夫を奪った人殺しだ。しかし戦争ではそれは避けられない事とも言えた。己は一体どれだけ、それと同じ事をヴェトナムでやったのか。命令であったから、それでよかったのか?

 故にケインはもう二度と戦争に出たいと思わなかった。戦争では無い戦い、つまりヒーローとして相手を殺さずに無力化したりして、警察に突き出す事を欲した。犯罪者であろうと、誰かの縁者や知り合いなのだ。

 いやしかし、とそこで思った。先日、この男はあの忍者を暴走させたのだ。それで誰かが巻き添えになっていた可能性とてあった。ならば、悪として捉えよう。しかし憎悪はしない。憎悪するのは邪悪そのもの。この男自体を憎悪するわけではない。

 そうだ、それでいい。ケインは口の端から流れた血を腕で拭った。

「それで終わりか?」と相手を嘲笑った。彼からしても見上げる程に背が高いその大男は、ケインにつられて渋い笑みを浮かべていた。

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