第4話 ヒーローとしての戦い

登場人物

―メタソルジャー/ケイン・ウォルコット…軍を辞めた超人兵士。

―マシュー・コンラッド(マット)・ギャリソン…『ワークショップ計画』責任者。

―ジェームズ(ジミー)・ハバード…ギャリソンの運転手。

―神あるいは天使…ケインの前に現れた不思議な女。



一九七五年四月、『リターン・トゥ・センダー事件』追悼式数日前:ニューヨーク州、マンハッタン、セントラル・パーク


「また会ったな」

 黒いパンツスーツの女は再びケインの前に姿を表した。四月の斜陽は少し冷え込んだが、蒼からオレンジへと移り変わる空の色がなんとも心地よく見えた。

 少し離れた所ではボランティア達が団体の刺繍付きのオレンジ色をしたジャンパーを着て清掃活動中であった。芝生に腰掛けていたケインは少し笑って答えた。

 酒を嗜む割には彼の顔は赤く染まっておらず、日焼けも少ない肌は彼がまるで企業勤めであるように思わせた。

「ストーカーという事で警察を呼んでも無駄だろうな」

 ケインは指や掌で器用にサミュエル・アダムスのキャップを回転させて弄びながら言った。言いながら顔には柔和な笑顔が浮かんでいた。

「恐らくな」

 女は座っているケインの左隣で腕を組み、斜陽の空や公園を取り囲む樹木越しの市街を眺めた。

「まあいい。ちょうどあなたに聞きたい事もあったからな」

「答えられる範囲で答えよう」

 ケインはぴんとキャップを真上に高く弾き、落下するそれを右手でぶん取るような動きでキャッチした。

「まず、何故私があなたに用があるとわかったんだ? そして実際現れた。人じゃないからそれぐらいの力はあると?」

「まあ、そういうところだ。私は君を見守っていたから。何故見守っていたのか聞かれそうだから答えよう…と言っても私自身もよくわからぬ。君を放っておけなかった、というのが一番正しいやも知れぬ。時折、道に迷った者や己の過去を悔いる者を導いてやりたくなるのだ。それが越権行為であろうとも。私とて必ずしもこの国やその所業を快く思っているわけではない。しかし私は必要以上の干渉をして各々の知的生命体の主体性を破壊するわけにはいかぬ。それ故なかんづく悍ましき、鼻持ちならぬ事態でも起きぬ限りは、各々の種族の自浄作用に期待するのだ。あるいは私が過度に干渉する事で、更に多くの命を救えるやも知れぬなれど、しかしてその過保護さは私という神格への依存や過度の崇拝を引き起こすであろう。〈人間〉マンとはかくあるべきではない。

「話が逸れたな。私は以前もとある男に道を示した。かの者罪人にして、かつては忌むべき謬見によりて胸のむかつくような悪逆を働くも、その罰として多くを喪い、そして最終的にはその命さえ奪われそうになった。皮肉にも、かつて己がそうしたのと同じように。私は一つの道を示した。もしもこの先も生きたくば、君と同じく死に絶えておる賢獣と命を共有するがよい。一つに溶け合ったそれらの命をもってして、新たな生を与えてやる事も吝かではない、だが新たに得られる生や力を善行に役立てよ、と。その者は今や多くの命を救っている」

 言外に女が言っているのは去年の独立記念日と変わっていないように思えた。すなわち、君もそのように社会のために奉仕し、誰かを助けて欲しい、と。

 実際これは魅力的に思えた。自分を取り戻すために戦うと、それが他の人々のためになるとすれば、それはなんと素晴らしい事か。

 去年のあの明け方に犯罪を阻止した時は、誰かの役に立てるという事が己の損得を超えてかくも嬉しい事だとは、思ってもみなかった。いや、あるいは人助けこそが窮極的な得であるかも知れなかった。

 名声が欲しいだけの偽善者だとかルサンチマンに魂を売っているだとか、そうした批難は、ビールを飲みながらニュース番組に野次を飛ばして中指を立てる者達に任せればよい。己がすべき事をしようではないか。

「なるほど。去年の独立記念日、それに先日の事件。私は私にできる事をした。完璧ではなかったが、それでも意味はあったと思う。そうする事で自分がサイゴンで奪われた尊厳とやらが、徐々に戻っているようにも感じられた。どうせ私は朝鮮戦争で一度肉体を殺され、ヴェトナム戦争では精神を殺された。やれるだけやってみてもいいかも知れない」

 己はこうも他人の影響を受け易かったのであろうか? ケインは少々疑問に思ったが、誰かとの出会いで相互に影響を与え合う事は、今ではとてもいい事に思えた。悪い影響ばかりではなく、よい影響もあるはずであった。

「どうやったのかは知らないが、あなたは本当に政府を説得でもしてヒーロー活動を成立させた。あなたがどういう手段を使ったか知りたいとは思わないが、道を外れた手ではないだろう。そう信じられる。あとは私の問題だ、ここから一歩前に進むために」

 女は優雅な動作で彼の隣に腰を下ろした。

「他に必要な、何か私にしてもらいたい事はあるか? 君の自立性などを破壊してしまわない範囲で手伝おう」

 この人ならざる実体――見れば見る程に、人ではないと思えてならなかった――は随分親切であるらしかった。ならばもう少し世話になろう。依存し過ぎぬ範囲で。

「わかった。そういう事なら、私が今後ヒーローになって過去の出来事を公表した後に、面倒な政府や軍の追求が来ないようにして欲しい。腑抜けた虫けらだった私が心機一転してヒーローになれるように。自分自身の尊厳を取り戻せるように」



一九七五年四月、『リターン・トゥ・センダー事件』追悼式当日、日没後:ニューメキシコ州、ロスアラモス研究所


「ウォルコットめ、本当に公表したのか。圧力までかかるとは面倒な事になった。まあ、とは言え既に計画が次の段階まで進んでいる事まではさすがに知らなかったようだな」

 小声で呟きながらギャリソンはエントランスを歩き、そして警備に別れの挨拶をしながら研究所を出た。外は乾いた冷たい風が吹いており、丈の長いダッフルコートを着込んで車まで歩いて行った。

 静かな路肩に車を停めていた運転手のジム・ハバードは煙草を吸いながら待っていたが、ギャリソンが来た事に気が付いて火を消した――以前は地面に捨てて消していたが、ギャリソンが注意すると金属製の携帯灰皿を使い始めた。

「お待ちしていました。行きましょう」

 四〇代のこの運転手は広くなった額と少し赤みが刺した肌に寒さで強張った笑顔を浮かべ、ギャリソンは頷いてそれに答えながら車へと乗った。

 ギャリソンは車に乗ると、後部座席で外を眺めながら思案した。緑のリンカーンはどこかの機関から流されてきたらしいが、お下がりにしてはよく手入れされ、ギャリソンもこの車内では煙草を吸う気にはなれなかった。

 ヴェトナムでの一件では危うく命を落とすところであったが、護衛の超人兵士を一人犠牲にしたものの助かる事ができた。

 異国の超人兵士と対峙した時はさすがに冷や汗をかいたし、あのような戦場の熱気は彼の肌にはあまり合わなかった。

 若い頃はヨーロッパで枢軸国との戦いに従事したものの、今の生活の方が性に合っていた。

 いずれにしても、ああして超人兵士を差し向けてきたなれば、東側に『ワークショップ計画』の情報がいくらか漏れている可能性も考えられた。その責任者たる己を、明確な意志をもってして暗殺しようとしてきたのではないか?

「明日の日中は曇って寒いらしいですね」

 ハバードの運転は大体完璧であった。ブレーキを踏んで完全停車する際に、少し車ががくんと揺れる癖があるが、それを除けば大きな車を手足のように操った。力強いV型エンジンの音とタイヤの音をぼんやりと聞いていたため、ギャリソンは返事が遅れてハバードも返事は無いものと思いかけていた。

「そうだな。出張しない限り来る日も来る日も室内仕事だからそれ程関係は無いが」

 裏切り者がいる。というよりも内通者か。どちらでもよいが、手遅れにならぬ内に手を打たねばならない。目下一番怪しいのは、この髪が後退した運転手であろう。今動ける私兵を使って調査させてみようとギャリソンは考えていた。

「ジム、それにしてもいい車だな」

「そうですね、色々運転してきましたがこいつは最高ですよ」

 その時が来ればブレジネフ閣下によろしく伝えてくれたまえ、運転手。その時が来たらな。



一九七五年、四月末:ニューヨーク州、マンハッタン、レキシントン街


 気が付くとケインはチームを離れて少し遠出していた。対シールド弾は上手く機能しており、数発で敵のシールドはダウンしたものであった。

 この辺りはまだ民間人が多くおり、なんとかして敵を足止めしなければなるまい。飛来するプラズマ弾が雨霰のごとく地面やビルの壁を焼いた。

 ケインは乗り捨てられて横転したバスの屋根を壁走りの要領で走り、既にシールドの剥がれた敵集団向けてショットガンを発射した。

 発射された電撃弾が敵を麻痺させ、彼らは苦しそうな呻き声をあげて倒れた。着地すると前転して次の攻撃を回避し、ショットガンを排莢しながらライフルを構え直した。

 もっと市民を怖がらせない、馬鹿馬鹿しい玩具のようなカラーリングを銃に施すべきかも知れないと考えつつ、守れなかった市民達の事を考えた。

 全員を救うのは無理そうであったから、それを思うとやるせないものがあった。車の中で目を見開いて死んでいる市民などはどのような人生をこれまで送ってきたのか?

 それを思うとヴェトナムでの悪夢が蘇ってきた。だからこそ、尊厳のための戦いを続けなければならなかった。でなければ人々を救う前に己が潰れて死ぬであろう。

 次の敵は通りの斜め向こうにおり、距離は二〇ヤードも無かった。ケインは転がっていた車のドアを蹴り上げて吹き飛ばし、それはバウンドしながら猿人に激突した。

 衝撃で猿人の銃が手から離れ、その隙にケインは銃撃しながら接近した。銃撃で敵のシールドが剥がれ、ケインは銃のベルトを背中に掛けて戻すと、ジャンプしながら膝で敵の顔面に激突したが、勢いでバウンドしてケインは後ろに転がった。

 何を言っているのかよくわからない言語で敵が悪態をき――それは異言語であろうとよくわかった――痛そうに頭を振った敵はケインよりも遥かに背が高く、八フィートはあろうかと思われた。

 背をほとんど屈めぬファイティングポーズをとり、ケインも立ち上がって構えた。

 距離は四ヤード離れており、互いの周りを回ったが、唐突に隙を突かれた――敵のアーマーの左腕部分から触腕のごとき物体が伸び、ぎりぎりで回避したが顔の横を掠めて出血した。

 思ったより血が流れ、重傷のような気がした。回避しながら体を回転させて後ろ回し蹴りを相手の顔向けてジャンプして放ったが、丸太のような腕で防がれた。

 相手はやはり練度の高い精鋭部隊であるらしかった。空中で逆の脚を使って敵の胴を蹴って距離を離し、それからどちらともなく突撃して攻防を再開した。

 右、斜め下、上とフェイントを交えた触腕の攻撃が放たれ、ケインは主導権を握るために反撃した。しかし敵のアーマーは防御力が高いらしく、ケインの強力な打撃でもダメージは薄いらしかった。

 作戦変更。ローキックを左脚で防ぎながらポーチに入れていた銃弾を取り出した。

 ドクが作り出した非殺傷の銃弾は少し手を加えれば様々な使い道がある事にケインは気付いていた――そのため今後に備えて銃弾を幾つか簡易なスタングレネードに改造していた。

 純正品には叶わないが効果は充分で、敵は視界を奪われた。目を閉じていたケインは目を開けると太い腕で敵の顔面を殴打した。

 この猿人兵士は頭部にもアーマーを展開していたものの、それでも打撃の衝撃でふらついた。やはり頭部への強打は効くらしかった。

 その隙にケインは敵の背中を目指す形で頭上を飛び越え、向きを変えつつ逆さになったところで背中側から敵の胴を掴み、そのまま自分が直立に戻ろうとする勢いで敵を回転させて服面から地面に叩きつけた。

 重苦しい呻き声が聞こえ、敵は昏倒したらしかった。気が付くと顔から流れた血がわざとらしい程に白いコスチュームを汚していた。その他にも埃などで全身結構汚れており、白い生地は汚れが目立った。

 戦いはまだまだ始まったばかりで、空から空軍の戦闘機が立てるジェット音が地獄と化したマンハッタンに大きく鳴り響いた。

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