第2話 超人兵士のヴェトナムでの日々、そして終わりの始まりであるテト攻勢

登場人物

南側陣営

―ケイン・ウォルコット…負傷後に超人兵士へと改造された男。

―マシュー・コンラッド(マット)・ギャリソン…『ワークショップ計画』責任者。

―レックス/ドッグフード1−2…ケインの部下。

―ミッキー/ドッグフード1−3…同上。

―ブキャナン/ドッグフード1−4…同上、ケインとの確執を抱える。

―ダン・バー・カデオ…ケインと知り合った南ヴェトナム軍精鋭兵士。


北側陣営

―ローグ・エージェント…暗躍するソ連の軍人。

―謎の男達…ローグ・エージェントが雇った傭兵四人組み。



現在:西ドイツ、ビスマーク・アメリカ陸軍基地


「今日は静かな日だ。私はジョージ・ランキン、海兵隊の少佐だ。今日はたまたま休みでね」

 意味無き深酒をしていたケインの隣にその男は座った。明るい茶髪のその男は何故ここに座ったのであろうか。だが不思議と鬱陶しくは思わなかった。

「ケイン・ウォルコットです。私も以前海兵隊にいたのですが、今は陸軍先任曹長です。まあ、ただのお荷物ですが」

 ケインは己を批難するがごとく冷たく言い放った。隣の男は酒を頼んだ。

「かなり色々あったようだ」とジョージは言い、彼はグラスの中身を口に含んだ。

「ヴェトナムに行っていました」

 ケインはお代わりを頼んだ。軍は今のところ彼の処遇に迷っているらしかった。最近はあのギャリソンとも会ってはいない。帰国後に一度ロスアラモスで再会したが、それ以来であった。

「もしよければ」ジョージはどこか放っておけない様子で言った。「話せば楽になるかも知れない」



一九六八年一月三○日:南ヴェトナム、サイゴン、アメリカ大使館


 分隊はサイゴンに滞在していた。予断許さぬとは言えテト(ヴェトナムの旧正月)の休戦により、昨日から久方ぶりの休暇を過ごしていた。

 アメリカ大使館やその付近にある外国人向けの店や宿で他の分隊は寛いでいる。今日休めなかった分隊は他の日に休むらしかった。

 この季節は一年で最も過ごし易い気がした。雨も少ないため、だるようなサウナじみた季節がまだやって来るまでは暫く涼しく過ごせるだろう。


 ケインは市内のアメリカ大使館でギャリソンに会っていた。あの男は少しも変わったところはないように思われた。ケイン自身も日焼けは微かであり、アメリカにいた時と変わらぬようであった。

 大使館内は涼しく、まるでここだけアメリカであるような気がした――あながち間違いでもなかった。この室外機のような形をした白く大きな建物は、この地にアメリカの影響が及んでいる事を物語っていた。

 空気は乾いており、外もそれ程不快ではなかったが気温は高かった。これから暑くならんとして照り付ける午前の日差しが、清潔な部屋の中にまで降り注いでいた。

「あんたは何も変わっていないな。それも実験の産物か?」

「さあ? そうかも知れんな。最近はどうだね?」

「いいや、特に変わりはないな」

 面白くなさそうにギャリソンは唸った。

「本当に?」

「本当だ。前も言ったが、相変わらず戦闘が終わって死体を見ると何とも言えない気分にはなるが、別にそれでしくじった事はない」

 だがケインは、ブキャナンをどうするか決めかねている事を言うべきか迷った。いや、そもそもこの男は軍人ではないしお門違いか。まだ上にもブキャナンの件は報告していない。

「どうかしたのか?」

 どうやらケインは心境が顔に出ていたようで、ギャリソンにそれを見透かされた。

「いいや、久しぶりにゆっくりできるからな。それで気が抜けてるんだろう。あんたが気にする事じゃない」

 ギャリソンは鼻を鳴らして首を傾けた。血液サンプルなどは既に採取し終わっており、ケインは早く立ち去りたかった。

 個室にはギャリソンが吸っている煙草の煙が漂っていた。この男は美味そうに煙草を吸う。このどこか不気味な男に親しみを持てるとすれば、煙草を吸っている時の頬の弛みぐらいだろう。

「もういいか?」

「何か急ぎの用でも?」

「私達は来る日も来る日も大変なんだ。休みを潰したくない」

 ギャリソンは溜め息をいた。

「まあいいだろう。他に言うべき事はあるか?」

 ケインは己がエクステンデッドとして覚醒した事を思い出した。苦手だった射撃は百発百中となった。

 弾道が感覚として把握でき、強化された反射速度と身体能力で敵の銃撃から逃れる事さえできた。跳弾をコントロールする事も容易い――まだ上には報告していないし、この男にも黙っておいて構わないであろう。

 問題はブキャナンが黙っていてくれるかだ。いい加減子供ではないが、やはり仲違いした相手と話すのはなかなか酷い心痛に苛まれる行為であるから、面と向かって話し合うのは少し疲れそうであった。だが休みが終わる前に話し合わなければ。

 ケインは色々考えた末に首を振って否定した。ギャリソンは彼の隠し事を強かに見抜いた可能性もあるが、しかし何も言わず煙草を吸い、風味を堪能していた。

 副流煙が彼の指の動きに合わせて揺れ、それからギャリソンは下を向いて煙を吐き出すように息を吐いた。もう君との会話は終わりだ、そのように声無き声が聴こえた。

 ケインは肩を竦め、そして振り向いてその場から歩き去った。木製のドアから出て行くケインを、ギャリソンは目を細めて煙草を吸いながらじっと見ていた。



数十分後:南ヴェトナム、サイゴン、サイゴン川沿い


 ケイン自身は以前何タイプかの風俗を試した事があったが、今回の休みでは特に利用する意欲も湧かなかった。薄暗い店内で他の客もいる中、サービスを受けた事もあった。

 たまたま酒を飲んでいて――酔わなくとも美味い酒は美味かった、運よくいい酒があった時はだが――知り合った南の兵士から聞いた話では、格安のサービスは衛生面でもそれ相応なので気を付けろとの事であった。

 本番までやってもらった事はなく、手によるサービスに限っていた。下手に相手の女性を気に入って入れ込み任務に支障が出る事を恐れた。

 噂によれば現地女性との恋愛トラブルや密接な関係への移行など、男女間の問題を起こした兵士もいるらしかった。それに、古来より多くの戦争が略奪や暴行を招いてきた。

 そうならぬためにもきっちりと欲望を処理し、コントロールしなければならなかったが、ケインは己のどろどろとした欲望が何故か日に日に萎んでゆくのを感じた。

 ある時ふと気が付いたのだ――そもそも性風俗を利用する必要性は本当にあるのか? 利用しないと欲望をコントロールできないのか?

 ケインは軍内の雰囲気が、時折そうやって羽目を外す事に影響を与えているのかと考えた。少なくともアメリカにいた頃は娼婦等にサービスを受けた事は無い。

 こちらに来て、『女を買う』アメリカ兵達を見て、それに己も乗せられたのか? だとすればなんと主体性の無い事か。少なからず金で性を買う者がいるからと言って、真似する必要はあったのか?

 そうやって色々考えて、ケインは今回の休みを適当な市内散策などで潰すつもりであった。だがその間にブキャナンと話しておく必要があった。

 アメリカ兵がたむろしている、まあまあのホテルのロビーにいるかも知れないと思い、そこへ足を運んだ。正午向けて温度を高めてゆく日光はぎらぎらと照り付けていた。

 この国はどこも暑いが、それでも国土が南北に長いため、南はより高温であった。北ならばもっと過ごし易かろう。

 建物は日光を反射して嫌という程眩く、こういう時こそギャリソンが施した眼球への処置が光量を抑え、大いに役立ってくれた――市街戦ではいつも世話になった。

 あのどこか見ているだけで不安にさせる男と言えど、その恩恵自体はそれ程嫌なものではなかった。

 ヴェトナム人達は強い日差しの中で各々の生活行動を取り、束の間の平和の縮図が見て取れた。ケインを物珍しそうに見てくる者も少数いたが、商人などを除けば大半の市民はアメリカ人など気にも留めていなかった。

 外国人向けの怪しげな客引きをのらりくらりと何度か躱していると、そろそろ目的地が見えてきた。以前来た時と比べ、炎天下の中リアカーを引く人々が多く、何かのイベントか事業だろうかとぼんやり考えた。

 談笑している人々の様子を見ていると早く戦いが終わらないものかと無理な願望をいだいてしまう。

 熱帯らしい、茶色に空の青が微かに混ざった水が悠々と流れるサイゴン川沿いを歩き、でかでかと『リバーサイド』と書かれた目的地のホテルに着いた。マジェスティック・ホテルのような立派さは無いにしても、外国人向けのホテルとしては充分なグレードであった。

 ケインは汗をかいていなかったが、ぎらぎらと照り付ける屋外からホテルのエントランスを潜ると、随分涼しく思えた。

 広めのロビーには屈強そうな男達が数十人おり、その中から目当ての者を探そうとする前に、前方からブキャナンが歩いて来ているのが見えた。夏服、というか適当なシャツと長ズボンで、営内にいる時と同じ服装に思えた。

「ブキャナン、話がある」

 ケインが話し掛けると驚いたように幅広のフロリダ男は彼の方を見た。気が付いていなかったのだろう。少し口を噤んだが、子供が喧嘩した相手にそうするように、気不味そうに答えた。

「いや、今から立ちんぼを買いに行く」

 それを聞いてケインは妙に思った。彼も大人だし、格安のサービスで油断して不容易に病気をもらう事は無いにしても――彼が結婚している事は別に他人事なのでどうでもよかった――気になるものがあった。

 心をちくりと刺すようなその違和感の正体を探ろうとケインはブキャナンの顔を見た。別段女に飢えた表情にも見えなかった。こんなところにいればそれぐらいは嫌でも見分けがつくのである。

 ケインは追及しようかと考えたが、しかし後回しでいいかと思った。何か用事でもあるのかも知れない。

 ブキャナンがケインへ怒りをぶつける原因となった妻を彼が裏切って、ヴェトナムでの新しい恋人と密会でもしていようが、支障が出ねばそれでよかった。本当はもっと話し合うべきであろうが、久々の休み故にゆっくりとしていたかった。

「わかった、じゃあ帰ったら話そう」

 ブキャナンはそれには答えず、そのままエントランスを抜けて暑い路地へと出て行った。ガラス扉の向こうでブキャナンは眩しそうに天を仰いで、どこかへと消えて行った。



数分後:南ヴェトナム、サイゴン、リバーサイド


 ケインは数分程立ち竦み、それからロビーで屯している連中に混ざってトランプでもやろうかと思っていたところであった。ちょうどその時、ロビーに精悍なヴェトナム人の男が入って来た。

 こことてヴェトナム人が来ないわけではないが、鋭い眼光やよれよれの夏服の下に見える引き締まった肉体からして、南ヴェトナムのレンジャー部隊隊員ではないかという気がした。

 ケインはそういう予測を立ててあれこれ考える程度には、暇を持て余していた。セルジオ・メンデスがカバーした大ヒット曲がロビー内でかかっており、それに合わせて体を揺らしている兵士達が見えた。



数分後:南ヴェトナム、サイゴン市街


「それじゃあ正式な任務活動ではないのか?」

「そうだ。俺も今日は休みだけど、なんだか妙な胸騒ぎがしてなぁ」

 あれからケインは屈強なヴェトナム人の男に話し掛けてみた――ケインは先程己が今日はゆっくり休みたいなどと願っていた事など綺麗さっぱり忘れていたらしかった。聞けば本当にレンジャー隊員らしい。

 ダン・バー・カデオと名乗ったその男は背が五フィート九インチ程で、長年野山を駆け回った事で平均的なヴェトナムの市民達よりも陽に焼けており、しかしその強い陽差しにも負けぬ強靭な皮膚を纏った顔に先程とは打って変わって陽気そうな表情を浮かべていた。

 精悍で端整な顔のこの青年はケインよりも年下であるようであった――ケインは彼の事を地元の後輩のように可愛く思った。

 そんな彼らはホテルを出て市街を散策、というより監視していた。人や車が推し寄せるように行き交い、混沌とした有り様であった。

「カデオ、そういえば今日は何かイベントでもあるのか?」

 それ程きつくないヴェトナム訛りの英語で話すこの青年――今のところケインのヴェトナム語は酷い英語訛りだったが、カデオはその気になれば中部や北部の方言を模倣して話せるとかで、先程実践もしてもらった――は、へっと虚を突かれたような声をあげたため、ケインは市内にリアカーが多い事について触れた。

「あー、なるほどな。ケインも鋭いな」

「となると君も気になっていたのか。さすがだな」

「照れるよ。とにかく、今日はリアカーが多いな。荷物を背負って自転車で行き来している人も…いつもより多いな」

 振る舞いからどこか少年のようにも思えるが、しかし立派な大人である事は明白であるこのレンジャー隊員は、己らの近くを通り過ぎて行った若い男が運転する自転車を振り返って観察した。

「私はどうせ暇だし、今日のサイゴンは何か引っ掛かる。一緒に調べよう」

 身長六フィート三インチのケインと身長五フィート九インチのカデオが並んで歩いている光景は人目を引いた。

「ああ。しっかし暑いな…ケインは全然汗かいてないな」

 カデオのその指摘はケインをはっとさせた。だが彼はある程度己の超人性を隠すための言い逃れには慣れていた。

「あまり汗をかかない体質だと医者に言われたよ」

 パラソルとテーブルの並んだ露天で一休みしながら、彼らは南では珍しい雷魚料理を食べる事にした。

 なんとなく物珍しいものを食べたい気分であった。露天の店で見慣れない魚料理の名前がでかでかと書かれており、そこの店主と話してみた。

「やあ」

 ケインとカデオは同時に声を掛け、目を見合わせて笑った。とりあえずケインが尋ねてみた。

「これ、どういう料理なんだい?」

 露天の屋根に書かれている料理についてケインは英語訛りのヴェトナム語で尋ねた。

「ああ、こいつは…簡単に言えば雷魚の料理だよ」

 店主は北ヴェトナムの訛りが幾らか混ざったヴェトナム語で答えた。普段よく聞く南方言との声調の違いにケインは少々戸惑った。いずれにしても、ケインの訛ったヴェトナム語は店主に伝わったらしかった。どのような言語も状況次第では大体話の流れで察してくれるものだ。

「だとさ、どうする?」

 ケインは英語でカデオに尋ねた。カデオは「それにしよう」と英語で答え、それから北方言を真似て2人分注文し、店主はカデオの特技に少々驚いた風を見せながらも注文を承った。



同時期:南ヴェトナム、サイゴン郊外


「ここまで来るのも大変だったんだ、少し休んでもいいだろ?」

 薄暗い部屋の中はひんやりとしていた。それもそのはず、部屋には大きな氷の塊が受け皿の上に置かれており、自然の有り様であるとは思えなかった。

 その氷を作り出した背の高い男は、ナイジェリア風な英語で抗議したが、彼の雇い主は納得していないらしかった。

「駄目だ。さっさと準備に取り掛かれ。既に北側勢力はサイゴンに浸透してるからな。お前らにも早速やってもらうぞ」

 ソヴィエトからやって来た男は巻き舌のがっしりとした英語でナイジェリア風の男の抗議を切り捨てた。彼が苛立たしく歩く度に部屋の床が嫌な音を立てた。

「人遣いの荒いイヴァンだな」と部屋の中で木の椅子に座っていた男が皮肉っぽく言い放った。そう言う彼の顔立ちとて、どう見てもロシア風であった。

「黙りやがれ、ネザー・サージョン。ケイマン諸島にいるみたいに寛ぎやがって、さっさと立ち上がって潜入準備しろ」

 イヴァン呼ばわりされた軍事顧問の一員らしきその男は、己がネザー・サージョンと呼んだ男が怠そうに座っている椅子を蹴った。

 椅子の脚が音を立てて砕け、それを予期していたサージョンはすうっと空中で身を捻って着地すると、首をぼきぼきと鳴らして怠そうに廊下へと消えようとしたが、その前にもう一言付け加えた。

「いいか、ローグ・エージェント。向こうでロシア語は使うなよ」そう言うと今度こそ歩き去った。

「お前が優秀じゃなけりゃ殺してるところだぞ、フランス人」ローグ・エージェントなるこの軍事顧問らしき男は『フランス人』という箇所を強調して廊下向けて言い放った。「他の三人もさっさとしろ、この非効率的な作戦に高い金払ってやってるんだ」

「作戦の立案はお前だろうに」と小柄だが引き締まった躰のアジア系の男が指摘した。立ち上がって廊下へと歩いて行った彼は、右のホルスターに大振りのナイフを携行しているらしかった。そのナイフの鞘は真ん中で曲がっているように見えた。

 続いて黒い髪の白人が肩を竦めながら部屋を出ていった。彼がロシア人の隣を通って部屋から出る際、肥沃な土のような香りが漂ったが次の瞬間には霧散していた。

 それに続いてナイジェリア人じみた男が部屋を出ると、満足したように軍事顧問らしきローグ・エージェントはその後に続いた。


 一階に降りるとそこでは八人のヴェトナム人達が武器や物資を慌ただしく整理していた。

 ローグ・エージェントは階段の手摺りに手を掛けて、ヴェトナム語で進捗を聞き、それに満足すると邪魔にならぬよう壁際で銃をがちゃがちゃと点検していた先程の四人に階段から言い放った。

 四人の側にアメリカ人の男が立っていたが、誰も気にしていなかった。

「さて、フランス野郎ども。お前らの任務はわかってるな。我らが協力者殿の情報によれば今、サイゴンにはあの鬱陶しいアメリカの特殊部隊が滞在しているらしい。諸君には奇襲に乗じてそいつらを可能な限り始末して欲しい。しかも超人兵士までいやがると来た…そいつも殺れ。いい加減邪魔だからな。そうそう、ついでに大使館にいるとかいうアメリカ人科学者の…」

「マット・ギャリソン」

 アメリカ人の男が答えた。

「そう、そいつだ。もしそのギャリソンを見かけたら生け捕りにしろ」ロシア人は懐から取り出した写真をくるくると投げ、『フランス人』と呼ばれた方のロシア人が怠そうに受け取った。「無理そうならギャリソンも殺せ。状況に応じて判断しろ。目には目を、超人には超人を、だ。忌々しいアメリカの特殊部隊と超人を消すにはお前らの力が必要だった事は認めよう。だからこそ高い金を払ってやったんだ。期待してるぞ、ヘル・スクワッドの諸君」

 軍事顧問らしきロシア人はアメリカ人の方を見た。

「今更確認するのもアレだが、お前の情報は確かだな?」声には重厚な威圧の色が混ざっており、一瞬ヴェトナム人達の作業の手が止まり、ネザー・サージョンは舌打ちをしたが、気が付くと受け取っていた写真はその手から落ちていた。

 白熱灯がオレンジ色に照らす部屋の重苦しい空気の中、冷気を漂わせるナイジェリア人めいた黒人はフランス語で聖書の一節を小声で唱え、小柄なアジア系の男は気が付くと左手で大振りなナイフの鞘を触っていた。アメリカ人の男は喉が渇いたかのように口をぱくぱくと開けていた。

 本質的には、このロシア人の男はある種の怪物であった――エクステンデッドやヴァリアントの強大な犯罪者達のごとく。

 アメリカ人の男は本質的には臆病らしく、立派な体躯の割には酷く緊張して見えた。最初アメリカ人は喋ろうとしていたらしかったが、声が掠れてよく聞こえなかった。

「もう一度言え」とロシア人は顎を上げるように顔を後ろに少し傾け、横柄に言葉を吐いた。それから聞こえないと言いたそうに人差し指で耳をとんとんと叩いた。

「ま、間違いない…」

「そうか…ところでお前にも来てもらうぞ。便利に使えそうだからな、反論はするなよ」

 がしゃっという音が響いた――AKMSやRPKを構え、無言で『出動ならいつでもどうぞ』と言いたにヘル・スクワッドのメンバー達は立っていた。



日没後:南ヴェトナム、サイゴン市街


 彼らはその後も調査を続けた。聞き込みをするとどこかにいるかも知れない敵――既に疑惑はかなり強まっていた――にこちらの動きが悟られてしまうかも知れないと考え、市内散策のふりをして探りを入れていた。

 数時間に及ぶ観察でどうにも確信できそうなある点に気が付き、彼らはそれに焦点を当てた。

 というのも自転車はともかく、リアカーを引いている連中は、リアカーの持ち主がどこかに消えると別の人物がリアカーの傍にやって来る。最初は偶然かと思ったが、何度か別のケースでもそれを確認し、ケインとカデオの疑念は非常に強まった。

 リアカーから目を離さない事に何か理由でもあるのか? 考えられるパターンとしては武器の輸送であろうし、自転車やリアカーでの物資の輸送は現に行われている。

 ではバイクや車はどうか。暫く監視してみると、やけに多くの荷物を担いだバイカーや裏通りに固められた数台の車など、幾つか気になる点が浮上した。

 偶然か? 疑心暗鬼が生んだただのこじつけなのか? だが川を見ると、何やら汚い布で覆った大きな箱を船から下ろしている連中が目についた。偶然か?

 カデオによれば、やはりいつもとは市内の様子が異なるとの事だ。何か証拠を見付ければ即座にアメリカ軍と南ヴェトナム軍に知らせねばならない。


 そして遂に彼らは決定的な証拠を掴んだ。長期戦になる事を見越し、昼食ついでに彼らはそれぞれ安い緑のリュックその他、そしてハインツのトマトスープを買い込んでおいた。

 彼らは気温のせいで微妙にぬるいスープを飲み干して空腹を凌ぎ、買い込んでおいた水を少しだけ飲んだ。それからは付け入る隙をひたすら探した。

 日が落ち、相手が油断する瞬間を。植え込みに花を植える――そのように偽装していたが今日の市内で実際に何かの作業をしているリアカーは一切見られなかった――つもりらしいリアカーの一つを監視し、リアカーの傍にいた男が交代か何かで離れた瞬間ケインは隣に待機していたカデオの肩を叩いた。

 暗くなってきた市内をカデオは音も無く駆け、何十ヤードもの距離をすうっと忍者のように詰めた。リアカーから離れた男は街灯の下で別の男と何やら小声で話していた。大方その何らかの作戦行動の進捗を話しているのであろう。

 ケインは耳を澄ませた――なんという事か、車や人、自転車などが立てる喧騒に紛れて北ヴェトナムの方言でライフルだとか基地だとか、物騒な話が途切れ途切れ聞こえた。

 一方カデオは人々の間を縫ってリアカーに接近し、さり気なく大胆に大量の花を掻き分けて中を見た。カラシニコフの傷だらけの銃身がネオンを反射してピンクに輝いた。

 雑談していた男がふとリアカーの方を振り向いた時、植え込みの隣を人々が歩いている光景以外の何も見えなかった。

 ケインとカデオは合流し、ひとまずリバーサイドまで戻る事にした。五分歩いたところで、唐突にAKの銃声が鳴り響いた。吐き出された7.62×39ミリ弾が破壊をもたらした。



夜中:南ヴェトナム、サイゴン市街


 市内は地獄と化した。北側の攻撃は入念な潜入と手引きによって行なわれた。奇襲攻撃による最初のショックでアメリカ軍とARVN(ヴェトナム共和国陸軍)は出遅れ、北が優位に立った。

 テトの休戦を利用した不意打ちで大統領宮殿、海軍本部、大使館、空軍基地など要所が攻撃対象となった。後でケインは知ったが、サイゴンのみならず南ヴェトナムのあらゆる箇所が同時攻撃を受けていた。

 ケインは武器を持っておらず、まずはカデオが頼りになった。カデオは抜け目無く携行していたM1917を取り出し、そして敵を罠にかける事にした。

 攻撃の巻き添えで犠牲となった市民が呻き、死体も転がっていたから、彼らは血を塗ってうつ伏せると、迫るヴェトコンを待ち伏せした。

 死体には目もくれず、四人の兵士が小走りで彼らのすぐ近くを通った。陣形は分散しているようだ。薄暗いため彼ら二人が本当に死体であるかどうかは不鮮明であり、ヴェトコンは不自然に思う事もなく走り去った。

 血が付着した道路上の砂埃を兵士達が踏んだグロテスクな音が響いた時、ケインとカデオは心臓がばくばくと音を立てているのを感じた。ケインは喉の猛烈な渇きに耐えつつ静かに待った。

 目の前を虫が這い、強烈な血の匂いが漂っていた――やがて鮮血はケインの顔に届き、頬を不快なべたっとした感触が襲った。ぞくりと背筋が寒くなり、危うく声を出しそうになった。気が付くと兵士達は既にケインの眼前を通り過ぎていた。

 ケインもまた抜け目無く露天から包丁を拝借していた。彼は同じく身を起こしたカデオと目を合わせると、カデオが掠れるようにか細い小声で言った。ケインは右の奴を、あとの三人は俺が殺る。了解コピー・ザット。ケインはどこか少年の面影を残すカデオが、容赦無き特殊部隊員である事を理解した。そう、好都合だ。

 ケインは吐き気に耐えつつ目標を見据え、包丁を軽く振り被って投げた。カデオはケインの投げた包丁とタイミングを合わせ、ダブル・アクションのリボルバーを三連射した。M1917の轟音は市内の他の戦闘の音に掻き消され、兵士達は後ろで発生した銃声に反応する間もなく銃撃と包丁で倒れた。

 ケインとカデオは七ヤード向こうで倒れた兵士達にすうっと接近した。死体を仰向かせて確認すると、全員即死であった。

 銃撃やロケット砲で壊れた、ちかちかと点滅するネオンの薄明かりを光源に顔を見てみると、うち一人は昼間の雷魚料理を振る舞ってくれた店主であった。

「カデオ、この男昼間の北ヴェトナム訛りの店主だ…」

「なんだって? 畜生なんてこった――」

「すまない、ちょっと吐く」

 ケインはカデオに断りを入れて路地に吐いた。市民の死には不慣れで、しかも先程殺した相手は昼間会った男であった。なんとも恐ろしい体験だ。

「大丈夫かい? ケインは詳しく言えないようなところの所属だって言うからてっきり慣れてるかと」

「ああ、大丈夫だよ。だが民間人の犠牲者はあまり見たくないな」

「同感だぜ。さあ、こいつらの装備を頂くか」

 ケインはげろを吐き切り、腕で口を拭った。口の中にはまだ雷魚やトマトをグロテスクに歪めた味が残っていたので水を飲んで口を濯ぎ、頭の中をさっぱりさせた。

「まだ友軍の状況がわからないが、誤射されるかも知れないから服自体は奪わないでおこう」



数時間後:南ヴェトナム、サイゴン、アメリカ大使館


「あのアメリカ人め、一人しか超人がいねぇだと!? ふざけやがって!」

 ネザー・サージョンは苛立たしそうに人気の無い大使館内のドアを蹴り飛ばした。負傷した左手から血が飛び散った。

「落ち着け」と小柄なアジア人は宥め、壁に腕の側面をついて凭れながら無線で連絡を入れた。ロシア人の腕と腹部からはぽたぽたと血が滴り、血の道を作っていた。

 死体から剥ぎ取った服を使って止血しているのでその内血は止まり、そして治癒してゆくだろう――既に皮膚の下では異様な速度で細胞が脈動していた。

「こちらプロミシアス」

「どうした?」と軍事顧問らしきロシア人は応答した。

「タンゴに逃げられた。どういう事だ? 超人兵士が複数いるぞ」

「何? お前らこの無能が…! いや待て、超人兵士だと?」ローグ・エージェントは激昂をなんとか抑えた。

「お前が連れて来た提供者のアメリカ人にサージョンはお怒りだぞ。タンゴを大使館で捕捉し始末しようとしたが護衛の兵士が三人いた。警備は疎らで侵入は簡単だったが屋上でその三人が反撃して来た、しかもそいつらは強化兵士の動きだった。一人殺ったがサージョンがかなり深手を負わされた。まあ死にはしないがそうこうしてるうちにヘリから銃撃まで受けて危うく死にかけた」

「それで逃げた? お前の能力は飾りか?」

「俺とサージョンの能力で連携をかけて一人殺したが、奴ら顔色すら変えずに側宙で回避行動を取りながら射撃してショットガンでサージョンを負傷させたんだぞ。俺は振動を試したが全部読まれてやがった! とにかくあの兵士達は普通じゃない」

 エージェントは予想よりも状況が大きく動いている事を悟った。ギャリソンの近くに工作員を潜入させているが、それとて計画の外側の立場であるから、まさか既に量産態勢に入っていたとは知る由もなかった。

「ふん、言い訳はよくわかった。なら市内で例の特殊部隊を狩れ。恐らく息を潜めて孤軍奮闘でもしてるだろう」



翌日早朝:南ヴェトナム、サイゴン市街


 大使館は避難完了できたらしく、少なくともギャリソンはヘリに便乗して市外へ出たとの事であった。これであの胡散臭い男のお守りはしなくて済む。

 リバーサイドのロビーは即席で要塞化され、ケインはそこでレックスとミッキーにも再会した。オフを切り上げた彼らからいつも使っていた擦り傷の多いM63のアサルトライフル型ヴァリアントを受け取り、カデオを二人に紹介した。

 カデオはM16ライフルとチャイナ・レイクの連装グレネードランチャーを受け取り、決して軽くないそれらを難なく背負い、予備の弾帯をたすき掛けにした。話を合わせてみると既に分隊は合計で十人の敵を殺していた。

 だがブキャナンはどこにもいなかった。ケインはこの時になってブキャナンとの約束をすっぽかした事を思い出して渋い顔をしたが、そもそもあの約束は一方的なものでしかなかった風にも思えた。

 重要なのは大事な時にいないという事実。


 存在しない事になっている部隊の他の分隊はリバーサイドにはおらず、他の六○人の兵士達はここに逃げ込んだアメリカ兵と南ヴェトナム兵であった。連絡が取れたので援軍が三時間後に来るらしいが、市内では銃撃や爆発の轟音が絶え間無く響き渡っていた。

 偵察によれば北かヴェトコンか、あるいはその両方がリバーサイドへの攻撃を画策している兆候があるらしい。男達の汗の匂いや医療品の匂いが漂い、嫌な緊張感が張り詰めていた。

 ケインは屋上や各階に兵士を配置し、残りはロビーに待機させた。負傷者は一階の奥の方で匿っていた。決戦は秒読みとも言えた。

「配置は終わったぜ、ケイン」

 無精髭を生やしたディックという兵士が報告にやって来た。彼はこのホテルに逃げ込んだ者の一人であり、武器を輸送する車両が駆け付けた事で彼らは反撃に転じる事ができた。

 とにかくロビーを机や椅子で封鎖し、そして今では土嚢も積み上げられていた。恐らく敵はRPGなどを使ってロビーの封鎖を破る気であろうから、侵入して来た敵をロビー内部で討ち取る事を画策していた。

 また、ガラス張りになっていたロビーの一部に銃眼のような穴が空けられている――即席バリケードや土嚢に隙間を空けていた。

「よし、もう一度手順を確認だ。ディック、レックスとミッキーに君達の掩護をしてもらう。私とカデオで外に出て遊撃する。君が中の指揮を頼む」

「了解だ。レックス、ミッキー、今回はよろしくな」

 ディックが挨拶するように手を挙げた。レックスもそれに答えた。

「ああ。必ずこのクソの中から生きて帰るぞ。それとケイン」

「ああ、俺からもな」

 レックスとミッキーはケインに様々な感情の混じった視線を送った。

「お前には本当に世話になった。あのクソブキャナンはこんな時にどこで女抱いてるのか知らねぇが、今はほっとこう。とにかく、俺達は…」感極まったか、ミッキーは言葉が詰まった。

 レックスが言葉を引き継いだ。「俺達はお前に感謝してる。お前はいい分隊長だった。後でまた酒でも飲もうぜ、ドッグフード1−1」

 ケインは無言で、しかし同じく感極まった顔で彼らと最後に握手を交わした。

「カデオ、我らが分隊長のお世話を頼む」

 ミッキーがそう言うとカデオは頷き、ケインは何かを言おうとした――だが結局は何も言わず、無言で別れの挨拶をした。終の別れとならぬよう願いながら。



数十分後:南ヴェトナム、サイゴン市街


後ろについてるからなオン・ユア・シックス!」とケインの声が響いた。

「六時だな! 了解だ!」とカデオは銃声やら何やらのせいで聞き間違えて、後ろを振り向いたが、背後五○ヤードの範囲には何も見えなかった。

「違う、敵じゃなくて私が君の背後にいるんだ!」

「わかったよ!」

 ケインはM63で左の方へと銃を向けた――危うくいつもの曲芸撃ちをやるところであった。カデオに超人兵士である事を明かしていないため、ひとまず普通に銃撃した。

 寸分の狂い無く敵を仕留めた。ホテルに近付く敵は遊撃で可能な限り排除したかったが、必要以上に近付いた敵はホテルからの狙撃で排除されていた。

 ケイン程の正確性は無いが、カデオは銃弾飛び交う中で走りながら狙いを修正し、確実に敵を仕留めていた。近くに弾が命中し、砕けたコンクリート片がカデオに当たった。カデオは被弾したと勘違いして横へ倒れ、仰向けに転がった。

「畜生、撃たれた!」

「大丈夫だ、コンクリートの破片だろ!」

 それを聞いてカデオが大きく息を吐いた。仰向けになってしまったため、背負っていたチャイナ・レイクのせいで背中や肩が痛かった。

「チャイナ・レイクよりはチャイナ・ビーチがいいな!」とカデオは皮肉っぽく吐き捨てた。

「そうだな、そっちの方が強そうな響きだ」

 だが次の瞬間見たくないものを見てしまい、カデオは叫ぶ破目になった。

「おい、RPGだ!」

 カデオは倒れたままM16を発砲し、西洋的な崩れ果てた建物の窓に血が飛び散った。ケインの遥か後方で砕けた頭と顔の肉がびしゃりと零れ落ち、力を失った躰がばたりと倒れた。

「お互いお守りが必要みたいだな、ケイン」

「そうらしいな。行こう、まだ敵は幾らでもいる」


「ドッグフード1−1から1−2、こっちは怪我はない、オーバー」

 ケインは無線でリバーサイドに連絡を入れた。

「聞こえてるぞ。こっちも新たな負傷者は無し、順調だな」

 レックスのクールな声は未だ健在であり、それが嬉しかった――今日に限ってレックスとミッキーがどこか遠い異国で戦っているような気がして、心細く思えた。

 もちろんカデオはいい兵士だが、今まで一緒にやってきた彼らが無事でいてくれるのを願う他なかった。今までも別行動は何度もあったが、何故かような不安が胸を満たすのか? 恐らくは見たくないものを見た事で気が滅入っているのであろう。

「ああ、だが…第六分隊を見付けた。全員がKIAだった」

「な…」と無線の向こうで声が漏れた。簡単に殺られる者達ではなかった。それ故に、あのクールなレックスがかようにして言葉を途切れさせたのだ。

 ケインは生きた心地のしない死体見聞をカデオと共にやった事をレックスに伝え、その詳細を語り始めた。

 分隊長のフェスティバルを例に挙げた――フェスティバルは中西部の気のいい男であったが、ビルの中で仲間と共に倒れていたその死相は見ているだけで不安にさせられた。

 彼の死体は胃の上辺りに前から撃たれた弾痕があったが、背中側にも斜め右から侵入した弾痕があった。十字砲火のようなものかと思ったが、ドッグフードの連中がそのような悪手を敵に許すとは思えない。

 それに死体が倒れていた位置からすると、右側は回り込めるようなスペースが無く、しかも背後からの銃創は至近距離からのものに見えてならなかった。

 カデオもその意見には同意していた。味方の誤射か? その味方はそこから少し離れた地点で物言わぬ骸となっている。

「とにかく妙な死体だった。そっちも気を付けてくれ」

 ケインはその不安を声に滲ませまいと、冷静を装おうとしたが、声が不自然に強張った。

「そっちもな。1−2、アウト」

 レックスはケインの不安を感じ取っただろうか? ケインは頭を振って雑念を追い払った。今は敵を阻止しなければ。

「ケイン、敵が集結中だ」

 カデオのヴェトナム訛り英語が耳に入り、ケインははっと現実へと戻った。先程まで聴こえなかった銃声が聴こえた。ケインは立ち上がって下を見た。

 彼らは今リバーサイドの南にあるビルの窓から監視しており、燃え盛る車や死体の散乱する、あちこちで壁や窓が破壊された市街の様子がよく見えた。

 リバーサイドの北にはサイゴン川の支流河口に架かる橋があったが、戦闘の余波で橋中央が崩れ落ちて通行不能となった――恐らく迫撃砲弾であろう。

 来るとしたら東の川沿い、南からの直進――これはわかり易過ぎるため、車両を盾にしなければ自殺行為だ――と、西からの迂回だ。恐らく分散し、数を多く見せるかも知れなかった。

 照り付ける日差しの下で敵が南北の通りでホテル向けて進路を取って向かって来ていた。ケイン達のいるビルの南でピックアップトラック二台の荷台に兵士が乗り込み、ゆっくりと進むその車の周囲に随伴する敵兵がいた。

 恐らく四○人はいるであろう。あの数で散開・ホテルを包囲されると厳しい。RPG−7を背負った連中も見える。敵の精鋭部隊かも知れなかった。散開前にここで叩かなければ。

 そう考えていた矢先、敵の一人が何やら指示しているのがケインには見えた。目を凝らすと、何やら信じたくもない事を言っている風に見えた。

 だがそれは無慈悲にも実を結んだ――指示を受けてRPGの弾頭が発射され、それはブースターによる加速で妙な弾道と共に彼らのいる窓へと向かって来た。運悪く風はほぼ吹いていなかった。

 カデオも一度窓まで来て下を覗き込んで状況を飲み込み、部屋から逃げようとした。だがケインは恐らく殺傷半径からカデオが逃げられそうにないと悟った。スローに見える世界で既に発射されたロケット弾はもうかなりの距離まで接近していた。

 計算では時間的に微妙。カデオの前で超人兵士としての能力及びブキャナン――忌々しい阿呆め、今どこにいる――が嫌うエクステンデッドとしての能力を披露する他無いと考えた。

 他に手は無いのだ。ケインは銃を構えた。彼の主観ではライフル弾の速度や弾道がリアルタイムで更新され続けていた。

 敵が発射したロケット弾の未来の軌道と5.56ミリ弾の弾道を重ね、タイミングを寸分違わずトリガーを引いた。

 銃声と反動とを感じ取っていると、いつの間にか世界が通常のスピードで動き始めて発射された三発の銃弾がロケット弾を打ち抜き、彼らの二〇ヤード手前で爆発した。凄まじい音が響き、破片が飛び散っていた――確認するより早く身を隠した。

「な、ケイン…今のは――」

「私が敵に斬り込む、君は掩護を頼む!」

 ケインはカデオの言葉を遮って窓から飛び降りた。ここは地上一六階だが。


 カデオは思わず顔を出そうとしたが、敵が銃撃してきたため引っ込んだ。その間にもケインは落ちながら銃撃し、自分の落下速度さえ計算に入れて撃てる彼は軽々と弾道を『見ながら』M63から高初速弾を放った。

 敵の銃撃は落下する彼に当たるでもなかったが、彼は落下しながら全弾を敵に命中させて五人射殺した。

 そのうち凄まじい音が響き、ケインが計算した通り彼の巨躯はビルに面した東西の通りの歩道へ乗り上げて打ち捨てられた車の上へと落下したのであった。

 窓ガラスが粉砕され飛散して、轟音と共にルーフが陥没し、車は醜いスクラップと成り果てた。常人なら死ぬが彼は常人ではない。

 落下しつつ前転で車から降りると、そこへ敵の銃撃が放たれた。直線距離で六〇ヤードも無いところまで迫っていた。

 ケインはわざと通りを渡った――ジャンプや前転で狙いを絞らせぬよう動き、敵の攻撃がケインに集中しているところへビルからライフル弾が飛来し、敵を二人仕留めた。

 攻撃を受けた事でケインに対する攻撃が弱まり、ケインが通りを西へと渡り終わり建物の影に隠れたところで四〇ミリグレネード弾が弧を描いて敵車両のボンネット上で炸裂し、運転手及び助手席にいた兵士をガラスと破片塗れにして殺傷した。

 その数秒後、二発目のグレネードが飛来したがケインはその弾道が二両目を狙ったものの外れるであろう事を確認した。

 そのためケインはカバーしていたビルの影から飛び出すと、攻撃のショックからまだ立ち直っていない敵の頭上にグレネードが到達したタイミングで空中炸裂するよう、M63でグレネードを撃ち抜いた。

 グレネード弾の速度とライフル弾の速度は弾道も含めて完璧に計算されており、空中炸裂により殺傷半径内の敵はその円の外側向けて吹き飛んだ。

 大声で敵がヴェトナム語で喋っているのが聞こえ、ケインが先を見越してビルの影に隠れると銃弾が雨霰のごとく飛来した。

 壁の角が音を立てて削れ、凄まじい銃声が響いていたが、ケインは落ち着いて壁から離れると、先程飛び降りて踏み潰した車の方を向いて発砲した。

 身を乗り出してもいなければブラインド・ファイアですらなく、銃身を南北の通りに出していなかったからそのままでは当たるはずもないが、ケインはバースト撃ちで弾を撃ち尽くすまで撃ち続け、その全てが跳弾後に敵へと命中した。

 悲鳴や肉を裂く音を聞きながらケインはブロックの細かい路地から回り込む事を考えた。三発目のグレネードがもう一台の車両を破壊すると敵は二手に別れて散開した。

 残りは二〇人程度であった。

 南北の細い路地に三人、残りは屋根に登っていた。ケインはリロードを済ませると路地へと突入した。スライディングで前方及び上方からの射線から外れ、頭上と肩の後ろを銃弾が通り過ぎた瞬間に前方の三人を撃ち殺し、敵が倒れる前に前のめってスライディングの態勢から立ち上がりつつそのまま身を捻りながら前宙した。空中で逆さになった瞬間後方上方の敵を二人射殺し、着地すると北へと走り始めた。

 東側の壁へとジャンプして数歩壁を走り、逆側にジャンプしてもっと高い所を走った。両側の建物は一階建てなのであともう一度ジャンプすれば屋根に登れた。

 裏路地の低い屋根の上から顔を出した敵を壁走りしつつ撃ち抜き、それから東側の屋根の上へとジャンプで登った。

 突進して来た兵士を屈んで躱してから身を起こした反動で後方へと受け流し、その勢いのまま路地へと落下させた後、ナイフで斬り掛かって来た敵を難なく左手による回転裏拳で殴打し、二人目の敵が繰り出したパンチを屈んで回避しつつ、屈んだ態勢のままその二人を纏めて回転足払いで転倒させた。

 呻き声が響き、三人目の敵が雄叫びをあげながら背後から発砲したのを後方へと宙返りして回避し、頭上を通り過ぎる際にM63の至近距離射撃が敵の頭部から脳を吹っ飛ばして体内をも破壊した。

 着地と同時に起き上がろうとしている二人を射殺し、こちらの敵を全て排除する事に成功したのであった。嘔吐しかける程の血の匂いが充満し、ケインは足早に立ち去った。


 ビルから降りてきたカデオと共に残りの敵を掃討していたケインは、存外上手く行っている事に妙な違和感を覚えた。

「機密ってそういう事だったのか? まあ俺は何も見ちゃいないぜ!」

 カデオはケインの凄まじい、人を超えた戦闘能力を目の当たりにした。だが多分黙っていてくれそうであった。

 それでもケインは何かが気になると思いつつ最後の敵を倒した瞬間、北西でリバーサイド方面向けて車が爆走する音が耳に届いた。

 やられた、そう思った瞬間ケインはカデオと共に走り出した。ケインの方が先行していたが、リバーサイドからの銃撃をものともせずに、金属板を溶接した即席の改修で装甲車と化した白いミニバンがホテル周辺の庭へと侵入したところを目撃した。

 それからは死角故に見えず、一体北東で何が起きているのかは音を頼りにする他無かった。

 まだ到着までは数十秒のタイムラグがあり、その間に慄然たる衝突音が聴こえた。恐らくホテルの壁を破ったのだ。

 ホテル前の東西の通りに辿り着き、ホテルのある北東を視認した瞬間、彼の目の前でホテルのロビーが爆発した。

 ガラスや即席バリケードが吹き飛び、車が突っ込んだ周囲は完全に吹き飛ばされた。爆発する直前に何か名状しがたい音が聴こえた気がした。

「不味い!」

 ケインは無線を入れた。

「ドッグフード1−2、聞こえるか!?」

 再び走り始めたケインは、耳障りな雑音が無線から聞こえるだけであったため、それを苛立たしそうに投げ捨てた。前方からは銃声が聴こえた――M16とAKの銃声が。敵は車で突撃しつつそれを乗り捨てて爆破し、更なる追撃をかけているのか?

 すると次の瞬間、あの名状しがたい音が今度ははっきりと聴こえ、それに続いてホテルの五階の壁が破壊され、砕けたコンクリートが濁流のようにそこから排出され、四人のアメリカ兵が絶叫しながら落ちて来た。

 あまりに突然過ぎたため、思わず足を止めたケインの一〇ヤード前方で彼らはぐしゃりと落下してコンクリートの濁流に押し潰された。更には凄まじい咆哮と共に、またも名状しがたい音がビルの中から響いた。

 すると何やらホテル内部で破壊音が聴こえた。いよいよもって狂気の様が現実味を帯びてきたところで、更なる名状しがたい音が響いた。

 まるでこの世のものならぬ怪物の鳴き声じみたグロテスクな音と共に今度はホテルの上階が凍て付く氷河に覆われ、そんなもの知った事かと吹き飛んだバリケード跡から内部へと侵入したケインは最悪の自体を予測せざるを得なかった。

 内部ではアメリカ兵の死体が散乱していた。四肢などの各部位が行方不明の死体も多く、まるで暴かれた墓場のごとき惨状であった。ロビーには生存者もおらず、見れば射殺された死体もあった。

 明らかに敵は全員を消す気だ。あの異常な現象は一体なんだったのか? もしかすれば敵はエクステンデッドかヴァリアントを兵士として登用したのかも知れなかった。

 二分程捜索し、遂にレックスを発見した。ケインは頭が空白になったかのような気がした。


「カデオ、何か嫌な予感がする。君は外で待機してくれ」

 ケインは無線でカデオに連絡を入れた。

「敵の中に魔法使いでもいるみたいだな。ホテルに面した南の建物に入ってそこから監視するよ…その、レックスは残念だったな」

「ああ…ありがとう。まるで家族を殺された気分だが、任務を続ける」

 無線を切り、ケインは砂埃で汚れた己に気が付いた。普段は汗などかかないのに、全身が土砂降りを受けたかのようだ。

 べたべたと濡れた顔に土や砂がついており、ケインは手でそれを拭った。私服の上に軍の装備を着けていたが、それらも汚らしかった。

 レックスの無惨な死に方を思えば、もう思い出したくもなかった。現実逃避するがごとく、ケインはそれを考えないようにしたが、そうやっていると尚更それが頭にへばり付いた――ふざけやがって!

 彼は苛立たしく壁を殴った。崩れかけていたコンクリートがばらばらと破壊された。手の痛みとコンクリート片の落ちる音を聴いて、ケインは皮肉にも漸く冷静さを取り戻せそうになった。

 音を敵に聴かれたのか? 不思議と焦りはしなかった。あるいは半分やけになっているのか。

 壊れていようといまいとエレベーターは論外であり、ケインは階段を使った。階を登るにつれて妙な寒さを感じるようになり、己の体温を奪われるかのような厭わしさに身を震わせた。

 嫌な寒さだが今ここは何度なのか? 更に登ったところで何かが聴こえた。階段の踊り場でよく耳を澄ますと次の階の廊下から人間の荒い呼吸が聴こえてくるようであった。

 まさか。そのまさかか。ケインは形振りなりふ構わずに階段を駆け上がり、凍り付いた廊下へと続くドアを蹴破った。

 薄っすらと白い霜が張ったドアがばたんと倒れ、ドアを踏み越えたケインの眼前、十五ヤード向こうで四人の男が逆光を背に立っていた。

 薄っすらと見える顔は迷彩のペイントで隠されていた。服も迷彩で、彼らはAK系統の銃器で武装しており、彼らは屈強な腕を使い、膝立ちにさせている誰かを押さえ付けていた――よく見えないがそれがミッキーだとわかった。

「罠に掛かったぜ」とフランス訛りの英語がケインの耳に届いた。その瞬間ミッキーが叫んだ。「ケイン、今すぐ逃げろ! ここは――」

 その瞬間長身の男がミッキーの頭部をライフルで撃ち抜いた。ケインはもう何もかも破壊し尽くしたい気分を味わい、冷静さを喪った。

 M63の銃身を向けて射殺しようとしたが、次の瞬間あの名状しがたい音が前方から鳴り響き、それと同時にケインの巨体は前方へと突き飛ばされた。

 突然の事であるが故に完全に不意を打たれ、ホテルの廊下に顔を打ち付けつつも怒りで頭の中を満たし、即座に立ち上がった――その瞬間にケインは久しく感じていなかった強烈な痛みを背中に感じ、見れば己の体を大振りの歪曲したナイフが貫通していた。

 だがケインの怒りはそれでは止まらず、猛獣がごとき怒りを暴発させた彼は背後にいるであろう男を殴るために銃を振り回した。

「プロメシアスが殴られたぞ」と遠いところで何かが聞こえた気がした。ケインは狂戦士の形相で暴れ狂い、ナイフを胴に刺されたまま他の相手を殺すために銃を前方に向けた。見れば既に彼らは廊下の屋根や壁を走って射線から逃れようとしていたが、ケインは咆哮を上げながら発砲した。

 苦悶の声と共に血が眼前で飛び散り一人脱落したのが見えたが、ケインもまた飛び掛かって来ていた他の男が撃つRPKの銃弾を受けて態勢を崩した。何発かは外れたが胸と右の太腿に鋭い痛みを感じ、目の前にその男が着地した瞬間あの名状しがたい音が再び聴こえた。

 反撃しようと脳が命令を出したが、それを実行に移す前に彼の右腕はまるで熱した棒でも押し当てられたかのように強烈な高熱を感じ、怒りと苦痛に満ちた声を張り上げた。

 だがそれでも狂戦士じみたケインは止まらず、無事な左腕を振るうと丸太じみたそれは眼前の大男を積み木のように薙ぎ倒して壁に打ち付けた。

 左腕を振り抜いた際、床に己のライフルを持ったままの右腕が血を吐き出しながら落ちているのが見え、それを見た事で更なる痛みを脳が感じ取った。

 冷気に覆われていたはずのこの階はまるで煉獄の業火がごとき熱気に包まれているように思え、ケインは命を削りながら戦っているかのようであった。ケインはほとんど本能で動いており、怒りに身を浸して抹殺のみを考えていた。

 後方で名状しがたい音が唸り声をあげ、彼の背後に降り立った男が雄叫びを上げて走って来たが、ケインは振り向きながら無事な左腕で薙ぎ払い、それは背後の男が振り下ろしたコンクリートを変形させたと思わしき妙な刃を横から叩き割り、続けざまのアッパーでその男の迷彩模様の顔を叩き割るつもりで殴った。

 掬い上げるかのごとき衝撃で吹き飛ばされたその男は宙へと浮き上がり、背中か頭部を床に打ち付けて落下すると思われたが、それを確認する前に背後からまたもや撃たれた。

「おっと、そこまでだ」

 ロシア訛りの英語が耳に届くと同時にケインは銃撃の衝撃で背後から薙ぎ倒され、煮え立つ怒りを轟かせて廊下に怪物じみた咆哮を放った。憎しみで声が枯れ果てそうだった。

「お前らいつまで寝てやがる! さっさと立て!」

 左腕のみを使って歯を食い縛りながらも立ち上がろうとした矢先、背中に凄まじい重量の衝撃が走った。まるで重機に踏まれたかの勢いで、内臓が衝撃によって掻き乱されたような苦痛であった。

 ケインは痛みとも怒りともつかぬ凄まじい声で叫んだ。やがて彼の周りに先程殴ったり撃ったりした四人がやって来て、彼らの太い腕はケインを強引にも膝立ちの態勢にさせた。

「さっきはキツい一発ありがとうよ」と小柄な男が言うと、喪われた右腕のあったところに溶鉱炉のごとき熱と痛みが走り、しかしケインは押さえ付けられて何もできなかった。

 その男はケインの血を流す腕の切断面に新鮮な薬莢を落としたのであった。そしてあの巨大なナイフを強引に引き抜いた。

「さて、殺す前に更なるサプライズだ。出て来い!」

 ロシア人らしき男そう言うとケインの前方からドアの開く音がして、顔を上げると信じがたい相手がそこから出て来た。ケインは人のものとは思えぬ声でその男へとひたすら叫んだ。

「この裏切り者め! お前のせいで分隊も、他の部隊も全滅だぞ! このクズめが! クズの虫けら! 臆病なカスが!」

 呪い殺さんばかりの声で叫び、ケインは藻掻いたがさすがに拘束は強固であり、体を激しく揺らすに留まった。首輪を繋がれた猛犬か、檻の中の猛獣のように。

「さっさとそいつを殺してくれ」と、その裏切り者のアメリカ人ブキャナンは言った。するとロシア訛りの男が前に回った。

 この時初めてその男を見たが、顔は黒い金属の仮面で隠されており、何も見えなかった。

「終わりだな、アメリカの改造兵士」

 その瞬間天地がひっくり返ったかのような凄まじい轟音、そして凄まじい地震に襲われた。


 後の事はよく覚えていなかった。うつ伏せに倒れた後力無く仰向けになり、混濁する意識の中、ケインは何やら連中が大声で言い合っているのが聴こえた。やがてあの名状しがたい音が鳴り響き、言い合う声も聞こえなくなった。

 相変わらず地震のごとき衝撃が建物を揺らし続け、そうこうしていると壁が吹き飛んだ。ホテルの個室ごと抉り取られるのが見え、それが友軍機による爆撃だと悟ったところで彼の意識は途絶えた。

 ただ最後の瞬間、ケインはミッキーが覚悟を決めてこのホテルに駆け付けるはずであった援軍に容赦無き爆撃を頼んだのであろうと気が付き、最後の最後まで立派だった仲間達を誇りに思い、涙を一筋流した。



現在:西ドイツ、ビスマーク・アメリカ陸軍基地


 ケインは機密や話すべきではない部分をぼかしつつも、己の身に起きた出来事を話した。超人兵士である事は黙っていた。

 あの後爆撃によってずたずたに引き裂かれたリバーサイドの瓦礫の中からケインは救出され、切断された腕も回収された。超人兵士故にか、全身の大怪我は切断面の癒着・後遺症無しでの再使用も含めて十日以内ですっかり回復した。

 リハビリもあっさりと終わったが、ケインの負った精神的な苦痛は相当であった。

 特に問題視されたのはよりによって極秘任務部隊に裏切り者がいた事であった。改めて軍に確認を取ると、ブキャナンの妻は名を変えて別人になったらしい――裏切り者の妻など殺されても不思議ではないからだ。

 彼女は尋問じみた徹底的な調査により東側のスパイではないと結論付けられた。

 いずれにしても、ブキャナンは裏切った。そして分隊は壊滅、いやそれどころかサイゴンでオフを過ごし、そのまま戦闘に突入した存在しない事になっている部隊に所属する者は皆殺しにされていたらしかった。

 危うくギャリソンまで敵に消されそうになったが、彼は難を逃れていた。

 ギャリソンも軍もケインが言う話の一部を信じていなかった、というより都合が悪そうであった――ヴェトナムで東側の味方をするフランス訛りの連中については。だがとにかく敵の超人兵士達に関する話は信じてくれた。

 カデオはどうなったのであろうか。ケインは彼の安否を確認しようと奔走したが、結果は得られなかった。恐らくカデオはリバーサイドには入って来なかったはずではあるものの、その後の消息を掴めなかった。せめて彼には生きていて欲しかった。

 ケインはその後レックス及びミッキーそれぞれの未亡人に会いに行った。謝る他無かったが、彼は早々に追い出され、家からは嗚咽やヒステリックな泣き声が聴こえた。

 それもまた、彼の精神的苦痛を増大させ、今こうして陸軍に戻された彼はお飾りの先任曹長としてドイツに飛ばされ、変な言い方をすればそこで缶詰めの数を数えていた。

「大体こんなところです。つまり、裏切り者のせいで全てを奪われましたが結局はどれも私のせいで、私はそのショックに耐え切れずただの役立たずに成り下がった」

 気が付くと雨が降っていた。ここ何日か陽射しが弱くて雨が強かった。

「何と言えばいいのか…」

 だがケインは今までの人生がそうであったから、陰鬱とした空模様も承知していた。

「半端者が一人、戦場を離れただけです」

 今後もずっと、まるで円をえがくように緩急を付けてこうした日々が続く事であろう。

「だがそうやって自分を悪く言わない方がいい。もっと苦しくなる」

 そしてケインはそれが自分にはどうしようもないと知っていた。

「…そうでしょうか? そうかも知れませんね」

「そっちでみんなとトランプでもしないか? 君は今にも張り裂けそうに見える」

「確かにそうですね、一人愚痴っているよりは」

 ケインはヴェトナムで一度不思議な雨を見た――空の半分以上が晴れているというのにその雨は…。

「それにしても酷い雨だな、こんなの見た事が無いよ」

「私はあります、晴れ間が広がっているのに土砂降りの天気、思えばあれが終わりの始まりだったのかも知れません」

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