METASOLDIER――弾道が見えてもその動きはおかしいだろ系ヒーロー

シェパード

ヴェトナム戦争期

第1話 いかにして朝鮮戦争で瀕死になったアメリカ兵が超人兵士としてヴェトナム戦争へと投入されたか

登場人物

―ケイン・ウォルコット…戦争で重傷を負い、眠り続けていた兵士。

―マシュー・コンラッド(マット)・ギャリソン…『ワークショップ計画』責任者。

―ジーン=ポール・シャスト…ケインの新たな教官。

―レックス/ドッグフード1−2…ケインの部下。

―ミッキー/ドッグフード1−3…同上。

―ブキャナン/ドッグフード1−4…同上。



 主な戦争抑止手段は人の心である。

――アーレイ・バーク



一九五〇年代、朝鮮戦争当時:朝鮮半島、某所


 大日本帝国は当時この分野において各国の先を行っていたという。

 その分野の産物であるケンゾウ・イイダは今ではスーパーヴィランと呼ばれる尋常ならざる者達の一人であり、過激派ヴァリアントを率いる彼を思えば、研究結果としてはなかなかの皮肉であった。

 彼が戦後どうしたのかは、V−デイ後に起きた諸々を見れば明らかであろう。

 あの肥満体の男が言うには当時山梨の山中にある研究所を中心に『虎鮫計画』なる超人に関する人体実験があったらしいが、特に戦後の日本とアメリカではヴァリアント蔑視が戦前以上に強まった事もあり、その計画の実在を否定する声も多かった――彼はヴァリアントであった。

 いずれにしても、もしも枢軸国で超人兵士の兵器化や生産化が上手く行っていたら、『高い城の男』のような情勢が訪れていたのかも知れなかった。

 実際には各国とも当時アドヴァンスドと呼ばれていたエクステンデッドやヴァリアントの兵士を投入したにせよ、それらは制御された兵器として運用されたわけではないし、その戦果も限定的であった。

 そしてそう簡単に、従軍してくれる強力な超人など見つかるはずもなかったから、例えば常人より少し視力と聴力が鋭いだとか、手から鋭い骨を出せるだとか、その程度の能力が関の山であった。

 特に大半のヴァリアントは己らを迫害する国家のために戦うなど言語道断であろう。

 中国との開戦やアメリカとの関係悪化を危険視し、三〇年代の日本ではそれらに少しでも役立てまいかと超人兵士の研究が始まり、噂では第三帝国でもそうした研究が進められていたらしかった。

 だがドイツに関してはその確固たる証拠は発見されていないというのが通説であった――だがアメリカは密かに、ナチス・ドイツが残したそれら幻の脅威を未だ血眼になって探していると言われている。

 戦後はフランスでもそうした超人の研究があったと考えられているが、その結果がどうなったのかは未だによくわかっていない。

 だがアメリカはそれら各国の超人兵士計画をある程度までは把握できていたらしく、ドイツの事例がどうにも不鮮明ではあるものの日本とフランスには同様の失敗がある事に注目した。

 というのも両国とも実験対象の兵士あるいは兵士達を精神的に統制しようとしていた。様々な薬物や外科手術を用いて肉体に余す事なく手が加えられ、精神的にも肉体的にも強化された。

 そして従わせるために徹底的な服従を叩き込まれたとされている――命令に従わなければ屋外で長時間拘束したまま放置したり、何時間も意識を混濁させたと言われている。

 だが結局のところそれらで実験対象を屈服させる事は叶わなかった。たまたま両国の実験対象が過酷な人体実験にも屈さぬ強靭な意志を備えていたにしても、アメリカはその点を重要視した。

 別に倫理観の面で両国を批難するつもりはアメリカ側にも無かったが、それら先人の失敗はいい教材であったから、ありがたく活かしたのであった。

 むしろ戦前から続くアメリカにおけるヴァリアント差別を思えば、ヴァリアントを処置室で切り刻んであれこれと戦争用に研究していなかったのが不思議な話であったのだ。

 そしてもう一点、両国に共通する失敗が存在した。両国とも実験対象の能力が強大過ぎて、最終的には脱走を許してしまったのである。

 そしてアメリカはそれら先例からの教訓により、エクステンデッドやヴァリアントを実験対象としない、もしくは微弱な能力を持つそれらを実験対象に選ぶ事を考えた。

 一騎当千の兵士ではなく、より安定しておりほとんど通常の兵士と同様に運用できる、かつ通常の兵士よりも強力な兵士。

 強力なサイ能力や空間操作能力などで大規模な爆撃じみた攻撃を行なうよりも、強化人間兵士の部隊を運用した方が安上がりであり、仮に反乱された時のリスクも小さいと考えられた。

 肉体的な強化そのものは度を過ぎぬ限り安全かつ有効な戦力となるから、アメリカはそこに焦点を当てた。

 アメリカが戦後のいつ頃からそうした構想を持ったのかは不鮮明ではあるものの、恐らく冷戦への備えであった事は間違いない。

 そしてヴェトナム戦争において、その研究は密かに推し進められたという。


 その兵士は一部の記憶が欠落したまま、数十年間後の世界で叩き起こされた。朝鮮戦争当時、どこの戦いであったかはその兵士自身も覚えていないものの、彼は手酷い重傷を負った。

 北朝鮮軍の戦車連隊による熾烈な攻撃で戦況は混迷とし、消息の途絶えた部隊の一つに彼は所属していたらしかった。

 倒れ伏した己の隣では苦痛の呻き声が響き、血と土と焼け付く匂いとが混ざった強烈な異臭が立ち込め、耳をつんざく射撃や砲撃の音が聴こえる度に彼は苦しそうに見を捩って叫び声を上げた。

 被弾した右脚には銃弾が埋まったままで焼けるような痛みを発し、擦り剥けた土と血塗ちまみれの掌はひりひりと痛んだ。体も服も汚れと汗に塗れ、とにかく不快であった。

 そして近くで轟音が鳴り響くと、大量の土と破片とが降り注ぎ、彼は強い衝撃と共に意識を失った。



一九六五年、一月十一日、ヴェトナム戦争開戦後:ロスアラモス国立研究所、『ワークショップ』


 記憶は不鮮明で、その後撤退中のどこかの部隊に助けられたらしいが、彼が次に起きた時は六五年一月のロスアラモスであった。

 目を覚ますと腕や鼻に気色悪いチューブが装着されており、長年動いていなかったせいか体が碌に動かなかった。

 薄暗い照明でさえ目を刺すような感覚をもたらし、久方ぶりの現実世界は彼にとってかなり厳しいものであった。喉の奥の方が気持ち悪く、体も全体的に冷たかったため次第にがちがちと歯が鳴った。

 意識が覚醒するにつれて、嫌な事実に気が付き始め、目を逸らそうとしたが何も変わらなかった――何故黒いバンドでベッドに拘束されているのか? 二重の意味で碌に動けない。

 するうち視界の端に人影らしきものがじんわりと広がり始めた事に気が付いた。彼がそちらへと苦労しながら目を向けると、一人の男が歩み寄り、彼を見下ろした。

 元々は金色であったと思われる、白く染まり後退が始まったサイド・スウェプトの髪はいかにも学者か、あるいは政治家のようでもあった。

 幅広いピンクがかった顔の皺から察するに六〇代手前で、肌は綺麗であった。

 輝きの鈍った指輪と白衣の下の若々しいセンスのネクタイを見るに、孫がいるとすれば既に成人している辺りかも知れない。

 よき家庭人という風にも見えるが、その淡い青色の目を覗き込むとどうにも心騒がせる何かが見える気がした――長い眠りの果てに頭がいかれたのであろうかと、兵士はぼんやりと考えた。

「おはよう。よく眠れたかね?」

 その問いに答えようとしたが、上手く喋れなかった。

「おっと。まだ無理はしなくていいとも。君は長い事眠っていたのだからね」

 この男の言葉には微妙にイギリス上流階級風のアクセントが混ざっており、もしかすると学位だか何だかをオックスフォード辺りで取った際の影響なのかも知れなかった。

 英語そのものはアメリカ英語なので、そこがちぐはぐさを感じさせた。作ったような微笑みを浮かべて、その男はそれから押し黙った――兵士が喋れるようになるまで待つつもりなのだ。

 数分が過ぎて、お互い目を逸らす事なく対面していたが、やがて兵士は言葉にならない呻きを真っ当な言葉に矯正できた。

「ここはどこだ」

 彼自身でさえ驚くぐらいか細い声だったが、運良く伝わった。

「ロスアラモス研究所だ。その中でもここは『ワークショップ』と呼ばれている。部署の名前であり、計画の名前でもある」

 ニューメキシコにあるロスアラモス国立研究所か、と兵士は記憶を手繰り寄せた。

「オッペンハイマーの失脚など色々あったが、我々にはそれ程影響は無い」

 色々あった、とは言うが『今』はいつか? もしかすると自分は何年も眠っていたのか? 急に怖くなった。

「今は何年だ?」

 先程よりもはっきりとした声で兵士は尋ねた。

「一九六五年一月十一日」

「何?」

「私はマット・ギャリソン、『ワークショップ計画』の責任者だ。現代へようこそ」

 近くのテーブルの上には、『ウォルコット、ケイン』と書かれたこの兵士のファイルが置かれていた。

 何十年もの時間を眠ったまま過ごした事は彼には大変な損害に感じられ、こうして緊迫した様子もなくこのよくわからない施設が存続している以上はアメリカは未だ健在なのであろうが、それにしても一体あの戦争はどうなったのか。

 新たな疑問が生じる度に胃がきりきりと痛んだ。


 ケイン・ウォルコットの知らぬ間にも時代は激流のごとく流れていた。

 朝鮮戦争は彼が退場してからも続き、莫大な量の爆弾が投下され、戦争とその余波による両勢力の軍人と民間人の犠牲はかなりのものであった。

 そして朝鮮半島が三八度線で分断されたまま休戦し、板門店では同じ民族同士が睨み合っている。彼の知らぬ間に戦争は終わった。

 同時に他方では、公民権運動を始めとする人種・民族的なマイノリティの活動がピークに達し、様々な出来事が起きた。

 バスボイコット事件を気に一旦火が付くと、そこから一気に広まった。赤狩りの吹き荒れる中でロスアラモスのオッペンハイマー失脚もあったが、マッカーシズムへの公然たる批判を主張した人々もいた。

 やがてマッカーシーが失脚した事を知ったが、現実問題としての東側諸国の脅威とやり過ぎな赤狩りとが織り成す『灰色』具合は、この世に果たして正義など存在するのかと、ケインの心を大きく揺さぶった。

 『インディアナ事件』の事も聞かされたが、これもまた悲痛な話に思えた。

「かくして様々な事件が起きた」

 ギャリソンは言って聞かせるようにケインへこれまでの歴史を語った。それはよかったが、ケインは何故己が拘束されているのかを尋ねた。

「何故私はこんなものを巻かれている? 足の指が痒くなったらどうすればいい?」

 体は慣れてきたが、拘束具は鬱陶しかった。段々と苛々してきたが、それを我慢した。

「出張サービスも無いわけではないが、少し我慢してくれたまえ。もうわかっていると思うが君は『ワークショップ計画』の被験者なのだよ。いきなりで残酷な話に聞こえるかも知れないが。意識が覚醒した瞬間君の拡張された身体能力を発揮されたら機材や部屋が壊れる事を予測していた」

 ケインのユーモアにも乗りつつ、ギャリソンは真実を告げた。隠しても仕方ないとでも言いたそうだが、既に何十年も無駄にした今となっては、ケインもその程度の事に動揺するわけでもなかった。

「でなければあの戦争で倒れた無名戦士の一人に加わる予定だった私ごときにこんな金のかかりそうな事はしないだろうな。それで?」

「君しか人間の実験対象がいないので随分慎重になったものだよ。君の眠っている間に色々やっておいた。既に多くの動物実験を行ない安全性を確認した、ステロイド系薬物から発展させた薬物『W−23』を君に投与した。他にも視野はどうだね? 君は今この部屋を薄暗いと感じているだろうが、本当はもっと暗いんだ。君の視覚は暗視にも対応できるように手を加えてあるし、裸眼の状態でも常人より遠くを鮮明に見通せる。聴覚もそうだな、長年屋根裏部屋で隠れて暮らしていた人間並みの鋭さはあるのではないかな?」

 確かに耳を澄ますと廊下の足音や何かの機械音が聴こえた。それからふと思い浮かんだ疑問をぶつけた。

「何故あんたにも見える? この部屋は暗いんだろう?」

「自分の目で予め実験した時の副産物だよ」

 学者先生って奴は、とケインは内心笑った。本当に自分自身を実験に使う人物がいるらしい。だが恐らくこの男の目に関する違和感はその実験とやらのせいなのかも知れない。

「さて、君の肉体は常人のそれを超えている。代謝や運動能力、反応速度などどれをとっても超人的だ。まあ、神話時代の英雄や特別に身体能力が秀でたタイプのアドヴァンスドには劣るにしても、戦場では目覚ましい活躍を見せてくれる事だろう」

 この男からはどこか不気味なものを感じたものであるから、ケインはそれに飲まれまいと自分で話を振った。

「待ってくれ、何故私だけしか被験者がいないんだ? 私が何かの弾みで死んだらどうする?」

 ギャリソンは淡い青色の目で彼を見下ろしながら答えた。

「恥ずかしい話だが。東側との競争や今進行中のヴェトナムでの戦争など、他の方面にも予算がかかっているものでな、だから我々には君以外の被験者を保存する程の予算が降りなかった。ああ、君はどうやって自分が何十年も生き永らえたか聞きたがるだろうから答えておこう。我々は当時世に羽ばたこうとしていた人工呼吸器の技術と、極秘裏に成功した冷凍保存技術を君に適用した。我々の計画は四七年から始まっていたが、残念ながら上は大して乗り気ではなくてね。金だけかかる計画だと思われていたのだろう。そこで我々は他の部署が行き詰まっていた冷凍保存技術を代わりに成功させる事を条件に予算が降りるよう計らった。期待などされていなかったが、結果はこの通り。これからはもっと予算も増えるだろうな。まあ、あの技術は君のように肉体を強化された人間だとか、特殊な肉体を持っていないと細胞が壊れてしまうがね」

「よくわからないな。話を聞く限りでは冷凍保存が確立する前からその薬品を開発していたみたいだが、元々そいつの予算のためにその冷凍保存技術とやらの代理開発を行なったんだろう?」

「薬品の雛形は私がここに来る前から個人的に行なっていた研究の段階で既に開発していた。だが以前の君のような眠ったままの人間にしか投与できない危険な代物でね。昏睡状態の君が死ぬ前にまず雛形の薬を投与し、そして肉体が変化するのを待ってから冷凍処置を行なった。冷凍と言っても要は肉体を冬眠状態に置いて最低限の機能のみで生かす状態だがな。そして五〇年代も後半に入るとステロイド系の薬品も新たな段階へと入った。我々はその中から使えそうなサンプルを掻き集め、改良したもの――つまり『W−23』だな――を開発した。時には外部の技術も使わなければ、硬直は打破できない。我々も、その他の部署もだ」

 ケインはよくわからない話の、よくわからないご都合主義に苦笑した。

「つまり私は何もかも都合がよかったわけだ。そして『我々』とやらは私のような使えそうな重傷者を探していたと。随分優秀だな、私をさっさと拘束から解いてくれないところを除けば」



一九六五年、三月二五日:カリフォルニア州、ペンドルトン海兵隊基地


 意識が覚醒したケイン・ウォルコットは、ペンドルトンへと移ってそこで訓練を受けた。

 偽りの経歴が作られ、書類上は理由を付けて陸軍――彼が朝鮮戦争の頃に所属していた――から転属して来た形となった。

 ヴェトナムにおける壮絶極まる戦いは彼の機能を試す機会として不足ではないし、そのために様々なスキルを叩き込まれた。

 彼は自分がかつて他の雑多な兵士達と普通の訓練を受けていた事を思い出した。

 あれはあれで辛かったが、今こうして受けているいかにも金のかかりそうな訓練を思えば、随分粗雑に思えた。

 格闘技に関する訓練は徹底的であった――ボクシング、レスリング、サバット、空手、合気道、ムエタイ、西洋や東洋の剣術やカラリパヤットの武器術など武器を用いた戦い方、最新の銃剣術や軍隊格闘技、そしてソ連や中国が練っている最新の東側殺人テクニックに関しても、判明している部分に関して幾らかレクチャーを受けた。

 スパーリング相手は大抵防具で身を固めていたが、病院送りにはならないにしても手加減したのに吹っ飛ばされる事も多々あった。

 やがて己の肉体に精神が慣れてくると、自然な動きで恐るべきまでの殺傷能力を発揮できる事が実感できるようになった。

 受け身の訓練の後は彼の強靭な肉体とて痣だらけになったものであったが、一晩眠るとそれらは既に何事もなかったかのように治癒していた。

 負荷をかける訓練は思わぬ難航を見せた。彼の強化された肉体に負荷をかけるのは並大抵の事ではなかった。

 スパーリングの後に一二時間の行軍を課し、そこから三〇分泳がせたが、彼は泥だらけで水に濡れたまま少し息の上がった様子を見せつつも、ゴール地点の水辺で銃を分解点検していた。

 そのため更に多くの負荷を掛けねばならなかったが、軍とは違いギャリソンはその結果に満足していた。すなわちケインは身体能力の派手さだけでなく、持久力の面でも素晴らしいものを持っていた。

 しかもその後の訓練で彼は極限の負荷を掛けた、本当に疲れ切った状態でも最善の結果を出していた。精神面でも文句はなかった。

 射撃に関しては――なまじ超人的な肉体を持っているため――可能な限りは戦場でも競技射撃同様の正確性を求められた。

 だが射撃の才能自体はあまり高くなかったため、こちらはどうにも難航していた。

 訓練コースを後で教官と共に回ると、出鱈目に撃った事をはっきりと表す位置に着弾しており、気不味いものだった。

「どうした? 射撃の才能は手術し忘れたのか」

 南部生まれのジーン=ポール・シャストは真っ赤に焼けた肌を帽子で隠していた。目の横が日焼けの火傷でピンクに爛れ、痛々しい風貌ではあったがそれを感じさせぬ威厳があった。

 普段は気のいい田舎者だが、訓練でケインを指導する時は人が変わったように彼をしごく。

「返す言葉もありません、サー!」

 ケインはびしっと姿勢を改め、その巨体を伸ばした。

「まあいい。おい、ウォルコット。やる気はあるのか?」

「やる気であれば決して負けません、サー!」

「虫けらのお前にも取り柄があるとすればそのクソ根性だろうな! 続けろ!」


 かくしてこの日もみっちりと絞られ、彼はこの程度では疲れる事のない己の肉体を呪いつつ、宿舎でテレビを見ていた。

 午前の訓練が終わり寛いでいたところで、彼はあの尋常ならざる激動の時代の到来を目の当たりにしたのであった。

『二〇世紀の諸君、私は未来から来た人間だ。今日は重大な発表をせねばならない。私の使命はそれだけだから、発表後は速やかにこの時代を立ち去る。戦争をしに来たわけではないからだ』

 コンクリートの部屋には他にも何人かいたが、皆この発表に釘付けであった。

 そしてこの発表以降、二種類のアドヴァンスドはそれぞれエクステンデッドとヴァリアントという名前で呼ばれ始め、後者は未来における脅威論から更に迫害が増し、アメイジング・パワー運動も行き詰まりそうになってきたのであった。



一九六六年末:カリフォルニア州、ペンドルトン海兵隊基地


「クソったれよ、お前はヴェトナムで腸を腹から垂れ流し、心臓は鳥の餌になっているかも知れん」

 シャストはこの頃体調が優れぬようだが、それを隠していた。ケインは愚鈍なふりをして気付いていない風を装っていたが、シャストもケインの気遣いを悟っていた。

 乾いた空は蒼く、二人の間には風が吹いていた。遠くからランニングの掛け後が聞こえ、基地内を車両が行き来していた。

「サー」

 ケインはもしかしたら本当にもう再会の機会が無いかも知れない気がした。シャストは顔色が悪く、火傷痕のある顔はどこか耐えているような表情を浮かべていた。

 最近はシャストからスコッチの匂いがしなくなり、それもまた寂しく思えた。

「最後まで下手な射撃だったな」

 シャストは顰めた顔で強引に笑い、ケイン程ではないもののがっしりとしていた彼の肉体はどこまでも小さく見えて仕方がなかった。

 ケインは「お元気で」と言う他無かった――もっと気の利いた事を言いたかったのに何も言葉が出ず、続ける言葉も思い付かず、喉が乾いて押し黙っていた。

「お前もな、ウォルコット」

 シャストは空を眺めながらぽつりと呟き、それ以来会話は途絶えた。

 それから数十分、何も言わずに彼らは立ち尽くして別れたのであった。だが心の底では、両者ともにわかり合っているつもりであった。


「見ていたのか?」

 ケインは自分で思った以上に棘のある言い方になった事になったものの、それを特に気に留めなかった。

 シャストと別れて歩き始めるとギャリソンが話し掛けて来たが、先程の別れに水を刺された気分であった。

「少しだけな。ウォルコット、お別れはできたか?」

「多分な」

 ギャリソンは首を傾けてふむと唸ったが、それだけであった。相変わらずこの男は得体の知れないものを感じさせた。

「これから君はヴェトナムに行く。私も度々そちらを訪れて君の経過を診る事になる」

「向こうはこっち程快適じゃない。あんたのお守りまで任務に加わるとなると、気が重いな」

「そう私を避けるな。私は君の味方だとも。今までも、これからも」

 ケインはふん、と鼻で笑うと走り始めた――話は打ち切りだ。

「そうでないと困る」



一九六七年:ヴェトナム、某所


 ケインは公式には存在しない部隊に配属され、分隊長として野山を駆けた。

「ブキャナン、いつも私に突っかかるな。理由を言ってみろ」

 蒸し暑い基地のテント内で扇風機がじめじめとした熱風を送っていた。分隊の全員が汗をかいていた――ケインはほとんどかいていなかった。

 フロリダで育ったというブキャナンは、何かとケインに不服そうな態度をとっていた。その理由がわからなかったため、ケインは思い切って切り出したのだ。

「別に何も」とブキャナンは嫌そうな表情で答えた。剃られた茶髪の頭に張り付いた汗がてかてかと光り、彫りの深い目元はケインを蔑むような眼光を湛えていた。

 そのためケインは何も言わず促すような目でじっと見つめながら、腕を組んで立っていた。

 分隊員のレックスとミッキーは何も言わず、グレーのシャツにじんわりと汗をかきながら、首から提げたタグを手で弄ったりしつつ成り行きを傍観していた。

 レックスはドッグフード1−2、ミッキーはドッグフード1−3、そしてブキャナンはドッグフード1−4のコールサインを割り振られていた。

 あまりにもケインがじっと見てくるものだから、さすがにブキャナンも観念し、嫌々ながらも答えた。

「俺の嫁がエクステンデッド野郎に大怪我を負わされたんだよ。俺はヴァリアント差別だとかそんなクソくだらねぇものには興味ねぇ。だがあの生活苦だったとかいうクソエクステンデッドのクソガキはヴァリアントと口論になってそこで能力を使いやがった。巻き込まれた俺の嫁は危うく死ぬところだったぜ」

 よくわからないな、という態度をケインは取った。

「正確に言うと私はエクステンデッドじゃないよ。前にも言った通り、詳しくは言えないが私は薬物で肉体を強化されているだけだ」

 鋼のごときその肉体は強壮そのもので、ほとんど汗をかいていない事もまた彼が超人的な肉体を持つ事の査証であった。

 腕は木の枝のようにがっしりとしており、胸板はシャツの上からでも胸や腹部の筋肉が盛り上がっているのがよく見えた。

「似たようなもんだろが! クソったれは信用できねぇ!」

 ケインが頑なな態度を取っていると、横からミッキーが口を挟んだ。

「おい腰抜け、言いたい事はそれだけかよ」

「ああ? ミッキー、テメェもう一回言ってみろ!」

「言ってやろうじゃねぇか。俺はお前みたいに図体の割にグチグチグチグチと文句言う腰抜けが一番嫌いなんだよ。さっきから聞いてりゃ、ケインがお前に何かしたってのか?」

 ケインは思わぬ助け舟を意外に思いながら状況を静観した。テントの中ではむわっという熱気が、何の空気の流れも無く纏わり付いていた。

「俺のどこが腰抜けだってんだ!」

「俺達は何しに来てる? ピクニックか? ああそうかもな、世界一ヤバいピクニックだろうぜ。で、そのクソに飛び込むってのにお前いつまで関係ねぇ事で火種作ろうとしてんだ? お前結局ビビっちまって帰る口実探してるだけだろ?」

「俺にそんな口聞きやがってどうなるかわかってんのか!?」

 どこまでも侮蔑に満ちた表情と口調のミッキーとは対照的に、ブキャナンの声は段々大きくなり、張り裂けんばかりにテントの中で響いた。恐らく外の誰かにも聞こえ、あと一分以内に踏み込んで来るであろう。

「お前はどこまでもムカつくクソガキだな。地獄みてぇな訓練受けたのが自分だけだってか? 俺様最強ってか? じゃあ今すぐ敵の高官でも仕留めて来いよ。それどころか、お前はケインや俺にも手を上げられないだろうけどよ」

「なんだと!?」と叫んでブキャナンは詰め寄った。ブキャナンはケイン程ではないが背も高く、ケイン以上に幅広にがっしりとしていたがミッキーは何も怯えていなかった。

「そりゃケインは怖いよなぁ。政府謹製の戦闘マシーンだ。5人の屈強な男が包囲して一斉に掛かっても一蹴しちまう男に勝てるはずがねぇ。ま、お前は俺にも何もできねぇがな」

 ケインは『戦闘マシーン』のくだりで首を竦めた。相変わらずほとんど汗をかいていない。

 ブキャナンが怒鳴ろうとした瞬間、ミッキーは腰からナイフを抜いてそれをブキャナンの首に押し当てた。己の赤い首に冷たいナイフの感触が現れ、ブキャナンは血の気が引いたらしかった。

「次同じ事言うとお前を解体してアメリカに送り返すぞ。お前みてぇなクズがいると俺達全員が危険に晒される。もしもって時にお前責任取れるのか? いいか、これはガキの部活動じゃねぇんだ。失敗するとほぼ確実に全員死ぬ。わかったか?」

 ブキャナンは納得いかないように呻いた。

「わかったか!?」

 首にナイフを押し当てられた状態でこくこくとブキャナンは頷いた。血は出ていなかった。ナイフが離れると彼は荒く呼吸しながら、狩られる寸前の子ムースのように情けない目でケインとミッキーを睨んだ。

「止めなかったな…!」

「悪かったな」ケインは首を傾け、肩を竦めた。「だが一つ言っておく。私はエクステンデッドじゃないし、君の奥さんを傷付けた男でもない。そうそう、もう一つ。もし君のせいでチームが危険に晒されたら全身を縛って、泥だらけの切り刻んだ蛭を口に押し込んでやる。それで国に帰ったら君の奥さんの前で君を立ち上がれないぐらいボコボコに殴り、睾丸を蹴り上げて潰す」

 ブキャナンは暫く黙っていたが、目は怯えていた。その間ケインは頭の中で色々と考えていた。

 ミッキーは過激なところもあるが、前回の初任務では指示通りに動いてくれた。冷静で、ストレスにも強い。

 レックスも同様であった。彼は無口で、今回の諍いも静観していたが、今後の任務に支障が出かねない異物の存在に対して明確な嫌悪感を示していた。


 泥と蛭、突発的な大雨の中で彼はすうっと泳ぎ、息継ぎせず目標の水上家屋に辿り着いた。家の柱に捕まってそこで息継ぎし、違和感のある右脚に多分蛭が張り付いているのであろうと推測した。

 蛭を取ろうかとした瞬間、彼は頭上で動きがある事を察知して身動きを完全に止めた。緊張で早鐘を打つ心臓を強引に押し留め、精神を落ち着かせて己を周りの風景へと同化させた。

 屋根から滴り落ちる水滴の音、あちこちに落ちる雨音など騒音は多いが、念のため上で家屋のベランダ通路に出ている敵らしき足音が室内に入るまで待った。

 頭上を見上げても長年の風化でぞっとする程汚れた床下しか見えない。

 やがて足音が室内へと入り、扉を閉めた音が聴こえたのでケインは泳いで床下から家の側面へと出て、昇降用の梯子に半ばまで登ったところでナイフを取り出し、それで蛭を剥がした。

 それからベランダまでよじ登り、家の壁に耳を当てて室内の人数を把握しようと務めた。遠くからいびきが一つ聴こえ、壁の向こうの部屋に起きている人間が一人いる事がわかった。

 五秒考え、それからケインは百ヤード離れた対岸の木に向けてハンドサインを送った。

 木の上でごそごそと動いているのが雨粒越しにはっきりと見え、相手の返答を確認すると彼はわざとベランダ通路の床板を足で軋ませた。

 上手い事不自然な音が鳴ったので、中から足音が近付いて来るのが聴こえた。

 足音は外を確認するため扉の方へと向かい、そして扉が開いた――出てきた男は銃を構えていたが、外に何もいなかったので面食らっていたところで胴の心臓付近がぐしゃっと血や肉を撒き散らした。

 死体がどさっと音を立てると同時に、ベランダのへりにぶら下がっていたケインは超人的な腕力ですうっと登って降り立ち、再び室内へと耳を傾けた。やはり今ので寝ていた敵も起きたようだ。

 ケインは咄嗟に『私がやる』と伝えた。消音されたM63のアサルトライフル型ヴァリアントを構え、ベランダの開き窓を左手で開いて中を見渡した。

 丁度壁の厚さはいい感じであったので、彼は足音で相手の位置を確認すると躊躇いなく五発発砲した。壁越しに相手を捉え、音で命中及び転倒を確認し、室内へと押し行った。

 どうせここには民間人がいないが一応ターゲットかどうかを確認した。銃弾で胸が裂けた最初の男もそこそこ重要であったが、部屋で寝ていた男こそ今回の任務で暗殺対象になっていた。

 浅黒い肌のヴェトナム人はぐでんとした表情で倒れ伏し、ケインは防水加工された写真を懐から取り出して、服の中に入れていたためぐしゃぐしゃになったそれとこの寝ていた男とを見比べた。

 本人であろうと結論付けてるとユーティリティ・バッグからカメラを取り出して写真を撮影し、それから窓の近くで仲間に連絡した。

 死相を見ているといつも心騒がされるものがあったため、それから目を逸らしたかった。激しい戦闘中ならば気にならないというのに、何故かくも心臓が凍り付きそうになるのか。

『ドッグフード1−1からドッグフード1−2へ、ターゲットの死亡を確認。写真も撮った』

『ナイスだ。しかし今のは凄かったな、死角でよく見えなかったが壁越しに撃たなかったか?』

『前に言っただろう? エクステンデッドになったらしい、ってな。君もよくやった、帰投しよう。1−1、アウト』

 ヴェトナムへ来てからある日の事、ケインは任務中に頭の中で奇妙な感覚を覚えた。

 それはまさに六五年以降エクステンデッドと呼ばれている者達の特徴であり、彼の場合は銃弾や手榴弾の弾道が手に取るように把握でき、どこにどのように叩き込めばどのように跳弾するのかもわかった。

 だが分隊内の秘密に留めていた。特にギャリソンには、報告したいと思えなかった。

 あれ以降ブキャナンは表面上従順そうであったが、その奥にある不満や不信はケインを悩ませていた。レックスとミッキーはこれからも必要な人材だ。

 だがブキャナンはどうであろうか。さすがに優秀だが、どこかで不確定要素を持ち込む可能性もある。それだけは避けたかった。

 彼らの任務は非公式であり、アメリカはその関与も存在も認める事はない。ブラック・オペレーションにそのような危うさを持ち込まれては困る。だが彼もまた想いを胸に入隊し、ここまで来たのであろう。

 あの様子でふるい落とされなかったのは不思議だが、もしかするとこちらに来てからあの癇癪が発症したのかも知れなかった。想定以上のストレスに晒されたのか?

 いずれにしても、ここまで頑張ってきたのならそれを無碍にするのも気が引けた。だが下手すると、どこかで分隊を危険に晒すかも知れない。それはわからなかった。

 だがどうにも、彼がエクステンデッドになった事をブキャナンが嫌悪しているように思えた。回収地点で迎えのボートに乗ると横を見た。ブキャナンはケインの方を見たが、すぐに目を逸らした。



数週間後:ヴェトナム、某所


 市街地で友軍の掩護をする事になり、彼と分隊はその激戦に混ざっていた。だが一般にはケインの存在が口止めされており、彼らは友軍の見えないところで市街を縫うように進軍していた。

「RPGだ、二時の方向屋上!」

「了解!」

 ミッキーが警告した方向にケインは目を向け、屋根に登っている敵がRPG−2を構えているのが見え、それだけでなくその射線すらも把握できた。

 ケインはそちらに素早くM63の銃口を向けた。アイアンサイト越しに捉えた敵兵に二発発砲し、それらは敵の胸と頭部を撃ち抜いた――跳ね上がりを利用して二射目で頭部を撃ち抜いた。

 血や脳漿の雨が降るよりも早くケインはそのままその建物の内部へと窓を割りながらジャンプで突入し、ガラスと木枠が砕ける音と共に内部ではケインの太い腕が振るわれた。

 まるで鈍器で殴ったような音と共に敵兵は倒れ伏し、全滅を確認すると彼は銃のベルトを体に掛けて担ぎ、侵入した窓から腕を外へと伸ばした。

 ちょうどその瞬間彼の手には屋根の上で暫くバランスをとってから落下して来たRPG−2が握られた。ずしりとするそれを片手で受け取った途端、彼はそれを両手で構えながら走って前方へと向かった。

 既に隣の建物から迂回・制圧した分隊が裏庭のような広場で花壇や壊れた車に隠れて戦闘中であった。裏庭に面した窓から機銃手の位置を確認し、ケインはドアを蹴破った。

 ブキャナンは機銃手に狙われて車の裏で釘付けにされ、車の窓ガラスが砕けて屋根にぼこぼこと嫌な音が響いた。

 正面二階のテラスから狙われており、敵は予めここに防衛戦を敷いていたらしかった。分隊は既にこの広場で四人仕留めたが、あの機銃手が厄介だ。

 だが突然ブキャナンの右後方でドアが蹴り破られた。機銃手がそれに気が付いて銃口をそちらへ向けるよりも早く乱入者はRPGをお見舞いし、爆発音と共にテラスの陣地が崩れた。

「助かったぜ」

 地に伏せてやり過ごしていたレックスが汗に濡れた顔から付着した砂や土を払いながら礼を言った。

「どう致しまして。先を急ごう、この先に対空砲だ」

「あ、ちょっと待て」ミッキーが口を挟んだ。「現地を見ないとわからんが、対空砲を奪って敵を掃討できないか?」

「付近を制圧後に連絡すれば誤射はされないだろう。それで行こう」

 ケインはRPGを捨てると再びライフルを構えて走り始めた。彼は一瞬ブキャナンの方を見て、レックスやミッキーもそちらを見た。ブキャナンはどこか戸惑っている風にも見えた。


 先行するケインは擦れ違うのにも苦労するような幅の狭い路地へと入った。前方に敵、距離は十ヤード以上であり避けるのは難しい。

 彼はM63が嵩張らぬよう注意して取り回しつつそれを発砲し、次の敵が右に曲がった直角の角から来ている事を音で察知し、相手が仲間の戦死から立ち戻るまでの隙を突いた。

 ダッシュして角へと接近し、角の手前で右の壁を蹴って左の壁の高所へ飛び移り、その高度のまま数歩左の壁を走ると角を曲がろうとしていた次の敵兵が斜め下に見えた。

 相手が驚いている間にそのまま突き当たりの壁へと左手を衝いてブレーキをかけながら右脚を左へと振り抜いて蹴り倒した。

 更に多くの敵が迫っており、遠くで爆音や銃声が響く中で敵兵がヴェトナム語で叫んでいるのが前方から聞こえてきた。

 不利を悟り、咄嗟に左の建物の裏入り口のドアへと発砲、鍵の可能性を考慮してドアノブごと銃撃で吹き飛ばすとタックルするように中へと入った。案の定ぎりぎりで回避し、彼の背後の狭い路地では銃弾が行き場を失って壁に当たっていた。

 AKの銃声が重機の轟音のように連続して響く中、何やら北の兵士達が慌てて叫んでいた――ヴェトナム語は細かな方言を除けばケインには理解できるが、何やら恐慌状態らしくよく聴き取れなかった。

 そして聴き慣れたフラグの爆発音が響き、まだ割れていなかった窓ガラスが割れる音と共に地響きが起こった。

 慣れ親しんだ臓腑に響き渡るグレネードの轟音を胸に立ち上がり、路地を覗くと前方では破片まみれで血を流すずたずたの死体が三人、向かいの建物の割れたガラスの向こうでは暗い室内を進む分隊がちらっとケインの方を見た。

 ケインはそのまま路地を直進して突き当たりの階段を登った。上から北ヴェトナムの兵士が一人現れたが、ケインは腰溜め撃ちでその兵士の頭部を撃ち抜き、どたどたと転がり落ちる死体を飛び越えて回避しつつSKSを上方に蹴り飛ばして一気に駆け上がった。

 登り切ったところへ鉈で斬り掛かる敵兵にローキック――ムエタイや空手の技を取り入れた――を食らわせて激痛を与えた隙に銃床でがつんと顔面を正面から殴り、左方のドアからこの部屋へと侵入して来た敵兵二人に二発ずつ撃ち込んだ。

 M63が空になったと知っていたので迷わずそれを敵の死体をクッション代わりに投げ捨て、細かい擦り傷だらけの艶を消した黒いコルト1911を取り出して開いたドア向けて弾切れまで発砲、敵の姿は直接ケインに見えていなかったにも関わらず拳銃弾は全弾が一発から二発ずつ敵に命中して即死させていた。

 蹴り飛ばしておいたSKSを足で踏んで跳ね上げてキャッチし、超人的なダッシュでドアを潜るとそれで残敵を掃討した。制圧した後の血と硝煙が吐き気を催させる室内を小走りで戻ってM63を拾った。

 分隊は優秀で、彼らはケインのように超人的な肉体を持たぬにも関わらず、ケインの制圧スピードに足並みを揃えて進軍できていた。

 彼らも付近を制圧中であろうし、ブキャナンだってよく戦ってくれていたから、徐々にあの時の不安が薄らぎつつあった。最後の仕上げだ。息は上がってなどいなかった。

 ケインはリロードを終えると覚悟を決め、M63を落としていた部屋から助走をつけて飛び降りた。対空機関砲座に座っていた兵士が音に反応して振り向いたがそれを射撃で難なく排除、ここも裏庭のようなそこそこ広いスペースであり、南ヴェトナムの特殊部隊を相手に表通りの崩壊した市街地で激戦を繰り広げている敵兵力の一部が雪崩込んできた。

 ケインは敵の射線を避け、己の射線は敵に重ねた。時には至近距離で殴り合い、敵のライフルを上空へと蹴り飛ばして、その兵士を張り倒したりもした。

 敵の鉈を足で掬って拾うと振り向きもせず2階の窓へと投げて、悍ましい断末魔を確認しつつ弾切れまでM63を撃って敵を薙ぎ倒し、先程同様にM63を敵の死体の上に投げ捨てて、ちょうど先程真上に蹴り上げたままのAKをキャッチした。

 走りながら重量で残弾を確認、そして彼はスライディングで銃撃を躱して敵を次々と射殺した。

 まるで映画のように続々と増援が現れたが、ちょうどその時配置に着いたドッグフード達が裏庭に面した建物から、裏庭へと侵入して来た北やVCの兵士達を十字砲火で薙ぎ倒した。

 裏庭を制圧した後は簡単であった。ケインは61−Kの座席に座ると表通りの壁向けてそれを発射した。

 ミッキーが味方に通信を入れ、恐ろしい音を立てて崩壊しかけていた建物の壁が崩れ、建物の表通り側に面した既に壊れている壁があった所の向こうには突如の事態に驚く敵兵が見えた。

 ケインは対空砲で敵兵を駆り立て、彼の正確無比な射撃が敵数を次々と減らして撤退に追い込んでいる間に、南の特殊部隊は一気に押し返して撤退しようとしていた敵部隊を掃射で殲滅した。


 ケインが超人兵士である事さえ露見しなければ問題無かったから、分隊は南ヴェトナム軍の特殊部隊と称え合った。

 北やヴェトコンは超人的な戦闘能力を持つ兵士の件を噂するかも知れないが、戦場の風説としてあっさり流されるであろうと思われた。

 ケインは精強なヴェトナム人達を見た。全体的に白人程の巨躯ではないが、引き締まり無駄が無く、まるで抜き味のナイフであった。半数以上が英語を自在に話せて、残りの兵士も英語への理解度は高かった。

 だがどうにも、彼らを見ていると悲しみを抱かざるを得なかった。何故だろうか?

 かつてのアメリカのごとく、同じ国で南北に別れて死闘を繰り広げているヴェトナムの人々への見当違いで白々しい同情心からか?


「みんなよくやってくれた。レックスも、ミッキーも…」間を置いた。「それにブキャナンも」

 分隊に何とも言えない空気が流れた。破壊された市街には死体と火災の匂いが猛烈に漂っており、その場の誰もが吐けるなら吐きたいところであった。

 見ればブキャナンはまごついていた。ブキャナンは分隊の一員としてケインの難を救ったし、ブキャナンもケインの蛮勇じみた凄まじい活躍には助けられた。お互いに、今の勝利の時へと貢献し合ったのだ。

 じめじめとした熱風が流れ、空では太陽が鬱陶しいぐらいに輝いていた。



一九六八年、二月、テト攻勢、サイゴンの戦い:南ヴェトナム、サイゴン


 ケインの分隊を含む存在しない事になっている規模不明の部隊の、サイゴンの戦いにおける活動は全文に渡って記録のあちこちが塗り潰されるか、箇所によってはページごとどこかへと仕舞われていた――ないしは焼却。

 何が起きたのか、当事者以外の誰も知らなかった。ケインが七五年の会見でその幾ばくかを語ったその時までは。



一九七一年:西ドイツ、ビスマーク・アメリカ陸軍基地


 数年前にリリースされたストーンズの『ペイント・イット・ブラック』や『シンパシー・フォー・ザ・デビル』が流れ、この陸軍基地にもどこか厭戦的な空気が流れていた。

 NPT(核拡散防止条約)のような、事実上の対立関係にある陣営同士でもある程度の同意が得られるという事実もまた、あるいはヴェトナムで続く戦いへの反対姿勢を強めているのかも知れなかった。

 皆基地内でははっきりそうとは言っていないが、しかし『幸運ではない息子』がアメリカ中で生まれているため、本国からも戦場からも遠く離れたこの地のアメリカ人達の間にも何とも言いがたい空気が醸成されていたのだ。

 この日基地では地元に向けた開放イベントが開かれており、ケイン・ウォルコットもここにいた。彼は陸軍へと戻り、そして今はここドイツで戦いから遠ざかっている。

 ヴェトナムとは違いここはある程度落ち着きがあり、目と鼻の先とも言える東ドイツにさえ気を配っていればよかった。

 バーでは男達が酒を飲み、雑談やトランプ遊びなどに興じていた。外では民間人の姿も見られた。ケインは壊れかけた心を慎重に修復しながら、あのサイゴンでの出来事に押し潰されまいと耐えながら過ごしてきた。

 カウンターで飲んでいると後ろの席からブラックジャックで誰かが負けた事を嘆く声が聞こえ、笑い声も響いた。

 超人兵士となった事で酒を飲んでも何も変わりはしない――酔えない――事を鑑みれば酒はただの味を楽しむ意外の何物でもなかった。何もかも黒く塗り潰したかった。

 カウンターの木目をぼんやりと眺めていると背後で誰かが入室した音が聞こえ、暫く立ち止まっていたが足音は彼の方へと近付いてきた。

 アメリカから持ち込まれたと思われる安いウイスキーをケインは飲み干すと、足音などからして男だと断定できる相手の方へと振り向いた。

「隣、いいかな?」

「どうぞ」

 私服の男がケインの隣に座った。

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