第153話 なんでもない一夜


 のし梅を食べ終えて後は明日の本番ということになり、元気いっぱい跳ねているかのように軽い足取りでコン君が帰っていって、それと入れ替わりになる形でテチさんが帰ってきて……着替えやら手洗いうがいやら夕食やらを済ませて……そうして始まった夕食後のまったりとした時間。


 テレビを点けてそこから流れてくる音を流し聞きにしながら……俺とテチさんは、居間でのひとときを過ごしていた。


 俺はちゃぶ台に向かって座り、スマホの家計簿アプリで今日の出費を入力し、テチさんはそんな俺の足を……あぐらに組んでいた足をペシペシと叩き、無言で足を組み替えろとのご命令を発し……正座に組んだ所にその頭を乗せて膝枕状態になり。


 わざわざそんな状態になってきたものだから構って欲しいのかと視線を向けたり、手を伸ばしたりしようとすると途端にテチさんは厳しい視線を向けてきて、威嚇なのか歯をむき出しにしてきて……仕方なしに俺はテチさんのことは無視することにして、家計簿アプリの入力に集中する。


 自治区政府から出ているというテチさんの給料はそこまで多いものではなく、収入の本番は秋の収穫となっていて、俺の収入は全くの0で、こちらも収入の本番は秋の収穫となっていて……そういう訳で基本的に、家計簿に入力する数字は出費ばかりとなる。


 電気ガス水道、電話回線ネット回線スマホ回線……それと食費に食費に食費に、更に食費。


 テチさんとコン君というカロリー消費の激しい二人と、俺の保存食作りの趣味とで、それはもう食費関連の出費がとんでもない額となっているが……まぁ、うん、今更食事のレベルを落とせるような状況でもないので、仕方ない出費と思うことにしよう。


 秋の収穫が終わって、クリやクルミの出荷が終わって……それでも赤字になるのだったら、その時は改めて考える必要があるだろうけど……うん、俺の貯金とテチさんの貯金の合計額は結構な金額となっていて、そこまで心配をする必要はなさそうだ。


 タケさん達によるとリフォーム費用もそこまでじゃないようだし……うん、高級食材を毎回使っている訳でもないし……うん、うん……多分大丈夫な……はずだ。


 なんて感じで入力を進めていると……視界の下の部分で何かがピクピクッと動く。


 ピクピクと何度も何度も動くそれはどうやらテチさんの耳のようで……用事でもあるのかと視線をそちらに向けると、テチさんはまたも不機嫌そうな表情になり……俺は仕方なしにまた家計簿の入力をしていく。

 

 そうして今日の入力全てを終えて……ちゃぶ台の上に並べていたレシートをしっかりと重ねて、クリップで止めて、レシート入れと化したお菓子の缶にしまって……今日の作業を終えても、テチさんは俺の脚に頭を乗せたまま、全く動こうとしない。


「……あのー……テチさん。

 もう家計簿入力、終わったんですが……」


 そんなテチさんに対しそう声をかけると……テチさんは何故かため息を吐き出し、仕方ないかといった様子で……やれやれといった様子で起き上がって、いつもの自分の席に腰を下ろす。


「えぇっと……一体全体何がしたかったの?」


 そう俺が声をかけるとテチさんは、再度やれやれといった様子で言葉を返してくる。


「実椋が仕事をしている時の顔というのは、現状どうしたって見ることが出来ないものだからな……そんな顔が見られるかと期待したんだが……あまり仕事という感じではなかったな。

 それとまぁ、恋人や夫婦というものは膝枕というものをするものなんだろう?」


 その言葉に一瞬詰まった俺は……「うぅん」と唸ってから言葉を返す。


「仕事をしている時の顔、かぁ。

 前の職場では基本営業スマイルばっかりだったからなぁ……見せようと思えばいつでも見せられるけど、そこまで良いものじゃぁないかなぁ。

 それと膝枕は……まぁ、うん、もうちょっとこう、柔らかい雰囲気でやるものかな?

 少なくとも手を伸ばしたら威嚇されるのは一般的な膝枕じゃないかな……」


「営業スマイルといっても、常にそれをしていた訳じゃないんだろう?

 たとえば書類仕事中とか、パソコンをいじっている時とか、そういう時の顔のことだ。

 ……膝枕についてはまぁ、今後改善するとしよう」


「書類仕事の時、かぁ……書類仕事も発注作業もだいたいパソコンでやっていたけど……俺はその時に一体どんな顔をしていたんだろうねぇ。

 同僚はだいたい目を細めているか、渋い顔をしているかだったけど……まぁ、獣ヶ森のこのゆるい空気の中では、中々あんな表情をする機会はないかもね」


「渋い顔……か。

 一度花が咲いている状態の栗畑につれていくべきか? あの香りの中なら渋い顔をすることになるか……?」


「いや、うん、勘弁してください。

 テチさん達程じゃないとはいえ、俺の鼻にもダメージがきそうだし、仮に鼻が使えなくなったら、夕食の味とかが乱れに乱れるよ? 風味とかはやっぱり鼻が通ってないとだし……」


 俺がそう言うとテチさんは目を見開いてわなわなと震えて……食事の味が乱れてしまうかもというのがよほどに効いたのか、それ以上は何も言わず、少し不満そうな顔をしながら、座布団を畳んでその上に肘をついて頭を乗せるという形で横になり……そうしてからしばらくは大人しくというか、静かにテレビを見続ける。


 こんな会話とこんな時間は、結婚してから大体毎日のように繰り返されていて……まぁ、嫌ではない、テチさんとの大切なひとときとなっている。


 だけれどもまだまだ分からないことがあるというか、距離が縮まりきってないような部分があり……そこら辺はまぁ、今後の課題というか、これからの俺とテチさん次第なんだろうなぁと思う。


 そうして時間が過ぎていって……俺が風呂を沸かしたりし始めると、テチさんはタオルやら着替えやら風呂に入るための準備を始めて……そうして給湯器のパネルが風呂が湧いたとの合図を流し始める。


 それを受けてテチさんは俺の腕をがっしりと掴んで、そのまま風呂場まで有無を言わせない勢いで引きずっていく。


 すっかりと習慣になったというか、ある種の合図になったそれもまたいつもの日常であり……そうして俺達は一日を終えるのだった。


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