第131話 母親無双

 

 本格的に結婚式が始まった中、母さんが俺の方へと大股で……何か気に食わないことでもあったのか、怒り顔でやってくる。


「母さん、折角のめでたい日にそんな顔―――」


 料理を続けながら俺がそう声をかけると母さんは、肩を怒らせ俺の言葉を上書きする形で大きな声を返してくる。


「アンタこそなんて格好してるのよ! 用意したんでしょ! 礼服!

 とかてちさんも普段着のままだし……ドレスはどうしたのよ!」


 そう言われて俺は着替えのことをすっかりと忘れていたことを思い出して呆然とし……俺が呆然とする中、呆れ顔となった母さんは親戚の女性陣、叔母さん達に声をかけて音頭を取り始める。


「とりあえず料理は私達が引き継ぐからアンタはさっさと着替えてきなさい!

 とかてちさんの着替えは私の方で手伝って……料理は姉さん達でどうにかお願いします。

 とかてちさん! 配膳の方はもう良いからドレスはそこに……寝室? なら私と一緒にそっちに行きましょう!」


 そんな母さんの音頭を受けて女性陣は慌ただしく動き始め……動き始めた女性陣に対し割烹着姿のコン君が声を張り上げる。


「あ、オレ! オレが料理の手順知ってるよ!

 にーちゃんの料理ずっと手伝ってたから! オレに言う通りにしてくれたらおっけー!

 えっと、まずはそっちの燻製器で―――」


 両手を振り上げながら叔母さん達に元気な声を上げるコン君。


 そんなコン君の姿は外の人から見れば可愛く動いてしゃべるぬいぐるみで……叔母さん達は黄色い声を上げながらコン君の側へと駆け寄り、コン君と言葉をかわしたり握手をしたり、頭……というか頭巾をそっと撫でたりしてから、コン君の指示通りに動き始めてくれる。


 コン君と叔母さん達がそうこうする間に、テチさんと母さんはテチさんの寝室へと向かっていって……俺もまた着替えを済ませるために、一人で自分の寝室へと向かう。


 男の礼服はドレスと違って脱ぐのも着るのも簡単なもので……ものの数分で着替えが終わり、寝室から出ると、居間の障子戸が全て締め切られていて……寝室のすぐ前で待っていてくれた父さんに、


「居間でとかてちさんの着替えが終わるのを大人しく待っているように、とのことだ。

 着替えが終わって二人がそろったら、縁側の方の障子戸を一斉に開けて皆様に二人並んでいるところを見せて、記念撮影をするそうだ。

 ……こういう時の母さんには絶対に逆らわない方が良いからな、全てに従って、ことが終わるまでは大人しくしているように。

 父さんは庭に出て皆さんに挨拶をしてくるから……とにかく大人しくしているんだぞ、怒らせてしまうと後が怖いからな」


 なんてことを言われて、素直に頷いた俺は、居間へと向かい……障子戸を開けて中に入り、しっかりと閉めて……礼服にシワをつけてしまうのも良くないだろうと立ったまま、言われた通り、大人しくテチさんの着替えが終わるのを待ち続ける。


 台所からは女性陣とコン君の楽しそうな声が、庭からは宴会同然の騒ぎが聞こえてきて、そこかしこから良い匂いが漂ってきて……周囲の会話に気を取られ、良い匂いに気を取られ、誰かが廊下を歩く足音がしたならテチさんかといちいち反応をし、違ったなら落胆をして……と、そんな風に時間を過ごしていく。


 そうして思っていたよりも長い……10分20分ではない、1時間近い時間が流れて、いい加減立ち続けているのも疲れたな、なんてことを考え始めた所で寝室側の障子戸が開かれ……ドレスをただ着ただけでなく、しっかりと化粧をし、短い髪を髪飾りなどで整えたテチさんが、伏せがちの、初めて目にするような静かでそれでいて目をみはる程に綺麗な表情をしながら……母さんや叔母さん達と一緒にやってくる。


「普通はね、ドレスを頼んだらヘアメイクなんかも一緒に頼んでおくものなのよ?

 お化粧だってプロに頼んだ方が良いんだし……まぁ、男のアンタにそんなこと言っても仕方ないんでしょうけど、姉さん達と最低限の準備をしてきて本当に良かったわよ、全く。

 とかてちさんは若いし肌もきれいだし、お化粧なんてしなくても美人さんだから良かったようなもので、普通はこんなことしたらその時点で離婚を言い渡されても文句を言えないんだからね? 分かってるの?

 良いドレスを用意したことだけは褒めてあげるけども、まったく……料理なんかよりも大事なことがあるでしょうに、アンタは本当にお父さんとお祖父さんそっくりで、気が利かないんだから。

 これからはこういうことがないように気をつけなさいよ?

 結婚をして一生を共にするってことは、これから何十年も一緒に行きていくことになるんだから、気を使って使いすぎってことはないってことを覚えておきなさいね。

 ……っていうかアンタの髪! 整髪料くらい用意しておきなさいな!」


 やってきて居間に入るなり母さんはそんな声を上げて……テチさんが静かな表情で笑いをこらえる中、母さんと叔母さん達による猛攻が俺の髪と顔に対して炸裂する。


 顔の汗や油を徹底的に拭い取られ、よく分からない液体を塗りたくられ、ファンデーションやらなにやらを塗りたくられ、眉毛が容赦なく切り刻まれて整えられ。


 挙句の果てにまつ毛なんかにも手入れが入り、唇にも何かを塗り込まれ……髪の毛も整髪料でもって、きっちり過ぎる程にきっちりと整えられる。


 1時間近い棒立ちですっかりと疲れていた俺は、そんな猛攻を受けたことによろけかけるが、母さんはそんな俺の背中のことをバシバシと叩き、


「背筋を伸ばす! 猫背なんてみっともない姿皆さんに見せたら容赦しないから!」


 なんて周囲に響き渡る程の大声を上げる。


 その声は確実に庭まで響いてしまっていて、庭で宴会中の皆さんに俺がどんな状況にあるのかを知らしめてしまって……少し遅れてゲラゲラと笑い声が響いてくる。


 ……なんかもう、うん、門の向こうの結婚式と大差ない状況にあるんじゃないか? なんて風に思えてしまって、思っていたよりも大変で堅苦しいことになりそうな気配が漂ってきて……俺はげんなりとした表情を浮かべかけるが、母さんがそれを許すはずもなく、すぐに喝がとんできてしまう。


 そうやって居間の中が騒がしくなっていく中、台所の面している障子戸が開かれ……割烹着を脱いで、綺麗なシャツと黒いズボンといういつもよりも少しだけピシっとした格好のコン君が姿を見せる。


「コンちゃんにはとかてちさんのドレスの裾を持って歩くベールボーイをしてもらうから。

 ……と、言ってもまぁ、居間から縁側に出るだけのことで、数歩も歩かないんでしょうけど、それでも形は整える必要があるんだから、そのつもりで。

 障子戸を開けたら二人で寄り添いながら一歩前に出て、皆様に挨拶をして……誓いの言葉もこの有様じゃぁ無いんでしょうから、せめて誓いのキスくらいはして頂戴ね

 お父さんが動画撮影してるんだから、そのつもりできっちりやるように。

 テチさんもそういう感じでよろしくお願いしますね?」


 コン君の側に立ち、コン君のシャツと毛並みを整えながら母さんがそんなことを言ってきて……すっかりと疲れ切ってしまった俺は、それでも背筋を伸ばしながら「はい……」と一言だけをどうにかこうにか返すのだった。

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