第四章 コンフィなどの結婚式のごちそう

第113話 懐かしい香り


 仏壇の前に正座をし、線香を上げて、手を合わせて……そうして曾祖父ちゃんとの会話を済ませた花応院さんは、いつもとは少し違う穏やかな笑顔で帰っていった。


 それから俺は筋肉痛で痛む身体をどうにか動かして片付けをし、家事の続きをし……ゆっくりと一日を過ごしていく。


 ウェディングドレスのパンフレットが届き、ドレスが来週に届くとなったら……来週には結婚式を行うことになるのだろう。

 こちらの結婚式は新郎新婦が何かをする必要はなく、食事も余興も集まる親戚側が用意してくれるんだそうで……基本的に受け身となる形で行われる。


 と、言っても新郎側……俺側の親戚一同が何か用意をするというのは難しいので、その分を俺が負担する必要はあるのだけど、それでももう半分はテチさんの親戚……というかご両親が負担し、準備をしてくれる。


 本来であれば会場まで用意してくれるらしいのだけど、テチさんの要望もあってこの家で式をやることになっているので……必要な準備は人数分の食事と、場を盛り上げる余興だけだ。


 余興に関しては式に参加してくれるという、コン君を始めとした子供達も何かをしてくれるらしいので、十分に賑やかになってくれそうで……概ね問題なく式を行う事ができそうだ。


 こちらの親戚一同も既に届けを出して、必要な検査を受け終えたとのことだし……うん、テチさんがどのドレスを着るか決めたなら、それで必要な準備は終わりと言っても過言じゃないだろうな。


 一体どんなドレスを選ぶのか、どんな色にするのか……。


 そうすぐには決断出来ることではないだろうし、時間をかけて悩みたいものだろうから……場合によってはドレスの到着と式は再来週、なんてこともあるかもしれないな。


 なんてことを考えながらコードレス掃除機を操作していた俺は……ある嫌な予感を覚えてというか、嫌な音を聞いてしまったような気がして掃除機のスイッチをオフにする。


 掃除機のモーター音がしていたことを思うと聞き間違えの可能性の方が高そうなのだけど……もうそろそろそういう時期だ、ただの聞き間違えとも言い切れないだろう。


 ならばと俺は、一旦掃除機から手を離して、掃除用具なんかをしまってある押入れへと向かって……中から見慣れた柄の缶を取り出し、蓋を開けてから中身を取り出し、蓋をひっくり返してから缶の上に置いて……その蓋の上に専用の金具をセットする。


 しっかりと金具をセットしたなら、金具の先端に取り出した中身……グルグル巻きの蚊取り線香をセットし、缶の中に入れてあったライターでもって着火をする。


「ああ、夏の匂いだなぁ」


 着火し煙が上がって……その香りを嗅ぎながらそんな独り言を口にする。


 まだまだ梅雨の時期で夏ではないのだけど、畳と草木の匂いが混ざり合う曾祖父ちゃんの家の中で嗅ぐ蚊取り線香の匂いは、俺にとっての夏の匂いで……子供の頃の夏休みを思い出させる匂いで。


 その匂いを嗅いでいるだけで子供の頃特有のワクワク感というか、冒険心というか、イタズラ心なんていう余計なものまでがふつふつと湧き上がってくる。


「後は風鈴があればもう夏気分だなぁ」


 風鈴、夏の風物詩。

 夏休みに遊びに来ると必ずといって良い程に軒先に下げられていて、静かな音をチリンチリンと鳴らしていた。


 正直な所を言ってしまうと俺は風鈴の音で涼しさを感じられないというか、あの音のどこら辺が涼しさに繋がるのか分からない無粋な人間なのだけども……夏と言えば風鈴、夏休みと言えば風鈴の音という刷り込みが、毎年恒例のこの家での30日以上の暮らしの中で完璧なまでに行われてしまっていた。

 

 映画やドラマなどを見ている際などに、ふいに風鈴の音を耳にしてしまうと、この家の景色や曾祖父ちゃんの笑顔や、曾祖父ちゃんが作ってくれたご飯の数々が脳裏に浮かんできてしまうという状態になっていて……そこに蚊取り線香の匂いが加わったなら、もうそのまま駆け出して新幹線に乗り込んで、この家に遊びに行きたいなんていう衝動に駆られてしまう程で……。


 煙を上げる蚊取り線香の前にしゃがみ込みながら、そんなことを思い出していると……すぐそこの廊下をギシギシと踏み鳴らしながら曾祖父ちゃんが姿を見せてくれるんじゃないかと、そんな幻想を抱いてしまう。


 そう思うとまぁ……うん、この家で結婚式が出来るのは幸せなことなのかもしれない。

 死後の世界とか幽霊とかを心の底から信じている訳ではないけど、それでも曾祖父ちゃんの仏壇の前で新たな門出を祝えるのは、曾祖父ちゃんにその光景を見せてあげているような、そんな気分になることが出来る。


 全員ではないけれど親戚がこの家に集まってくれる訳だし、仏壇に挨拶もしてくれるんだろうし……もし仮にあの世で曾祖父ちゃんがこの家のことを見てくれているなら、きっとそのことを喜んでくれるに違いない。


「あー……もうちょっと早くこっちに来ていればなぁ……生きているうちに見せられたのになぁ」


 そんなことは無理なのだけども、ありえないことなのだけども、ついついそんな言葉が口から出てしまって―――その時、ズボンのポケットの中のスマホが振動しながら音を立てて俺は驚き、飛び上がるように立ち上がり……慌ててポケットからスマホを取り出す。


 するとテチさんからメッセージが届いていて……スマホの画面に『決めたぞ』というメッセージのタイトルが表示されていた。


「えぇ……早っ。

 ついさっき畑にパンフレットを持っていったばっかりじゃないか」


 なんて独り言を言いながらメッセージを表示すると、本文には『これ』という端的過ぎる言葉と、パンフレットに書いてあった番号が書いてあり……それとその番号のドレスの写真が添付されていた。


 基本は白いドレスで、その上に透き通った感じの青いドレスを重ね着して、青と白が良い感じに混ざりあって、見栄えのするドレスで……胸元には薔薇を模した上品な飾りが付けられている。


 背中側は地味な作りで特にこれと言った飾りもないが……まぁ、そうか、そこら辺は大きなシマリス尻尾で隠れてしまうから何かを付ける意味もないのか。


 飾りよりも何よりも尻尾を上手く覆うと言うか、自然な形で包み込む仕組みの方が重要視されているようで、パンフレットにはそこら辺のアップ写真もしっかりと掲載されているようだ。


 そのメッセージをじっと見つめた俺は……一応念の為に『本当にこれで良いの? 決めるのは明日でも良いんだよ?』とのメッセージを送る。


 するとすぐに『これで良い』とのメッセージが帰ってきて……そういうことならと、花応院さんにその旨を伝えるメッセージを送る。


 するとすぐに返事が来て、そのメッセージには『本当にこちらで良いのですか? 明日まで悩んで頂いても良いのですよ?』なんてことが書いてあって……全く同じことを送ったばかりだった俺は、笑いながら『これでお願いします』との返信をするのだった。

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