第112話 発芽の条件
翌日、月曜日。
昨日頑張りすぎたというか、はしゃぐテチさん達に付き合ったせいで全身筋肉痛となっての朝食後。
痛む身体にむち打ちながら家事をこなしていると、
「こんにちは、お荷物です」
と、花応院さんの声が玄関から聞こえてくる。
いつもならばさっさと玄関に行くのだけど、筋肉痛のせいで玄関まで行くのがどうにも億劫で……横着して縁側から顔を出し、言葉を返す。
「すいません、こちらにお願いします」
すると花応院さんは嫌な顔一つせずに縁側へとやってきてくれて……そうして荷物を縁側に置いて、そしてその最後に随分と立派な厚紙の表紙の、卒業アルバムか何かと思うような冊子を三冊、縁側にそっと置いてくれる。
「こちらはお待たせしていたドレスのパンフレットになります。
今日ご覧になって、明日か明後日までにご連絡いただければ来週の配送に間に合わせる形で用意させていただきます」
柔らかい笑みを浮かべながら花応院さんはそう言って……三冊あるのは、テチさんのご友人用との説明もしてくれる。
既婚者であってもドレスを着てみたいという想いはあるはずで、ドレスを撮って写真撮影をするくらいのことは出来るはずで。
このパンフレットと同じ数、つまり三着までは割引サービスをしてくれるんだそうで……ぜひとも自分に合ったドレスを選び、注文をして欲しいとのことだ。
そんな説明を聞いて俺が、ほとんど特注品みたいなものなのにまさか割引までしてくれるとはと驚いていると、花応院さんは笑いながら説明をしてくれる。
「栗柄さん達にこちらの獣人用のドレスを着ていただいて、結婚式に出たり写真を撮ったりして頂ければ、それを多くの獣人の皆様がご覧になられることでしょう。
そうしたならば多くの方が興味を持ってくださり、興味を持って頂いた中から多くの注文をいただけるはずで……実質的に独占商売となっているドレスのメーカーとしては笑いが止まらないという仕組みになっています。
割引はそのための広告費と思っていただければ、まぁ妥当なところでしょう」
いずれは別のメーカーが参戦するかもしれない。
獣ヶ森の中でもドレスを作ろうとする人々が現れるかもしれない。
だけれども今は完全な独占状態で、十分過ぎる程の需要が見込めるビジネスという訳か……。
そういうことであればとパンフレットを受け取り、お礼を言って……今日もまたお茶でも飲んでもらうかと用意をしていると……縁側に腰掛けた花応院さんが、花応院さんには珍しくぎょっとした表情となって、どこか一点を物凄い目で見つめ始める。
熱いお湯を扱っている最中によそ見をする訳にもいかないので、まずはお茶を淹れることに集中し……お茶を淹れ終わりお茶菓子を用意し「どうぞ」と声を上げてから、花応院さんの視線を追う。
その先にはホームセンターで買った花壇とか植木鉢を並べる簡単な作りの棚があり、その棚を小さな盆栽の植木鉢が専有していて……その植木鉢には青々とした葉を茂られた小さな扶桑の木の姿があって。
どうやら扶桑の木のことを知っているらしい花応院さんは、まさかそれが盆栽になっているとはと驚いてしまって、それでそんな態度を取ってしまっているらしい。
「ああ、あちらの木は……以前町内会長さんからもらった木の実が発芽しまして、あっという間に育ってあんな感じになったんですよ。
それでまぁ、晴れた日にはああやって外に出して、日光に当てているんです」
俺がそう言うと花応院さんは、平静を取り繕いながら視線をこちらに戻し……お礼を言ってから用意したお茶をすすり……また盆栽の方へと視線をやって、声をかけてくる。
「……言ってしまいますと、あちらの木をどうにか育てられないかという研究は、もう随分と昔から、それなりの人員と予算をかける形で続けられているのです。
ですが成果は上がらず、種は種のまま腐ってしまうばかりで……盆栽程の大きさとはいえ、門のこちら側とはいえ、まさか人の手であの種が発芽するとは……」
そんな花応院さんに対し、俺はテチさんから聞いたある情報を……あの種の発芽方法を口にしかけるが……ぐっと口をつぐむ。
持ち主が善行を積んでいれば発芽するという、噂話程度の不確かな条件。
その程度の情報であれば言ってしまっても問題無いような気もするのだけど、それでもテチさんに許可無く言ってしまうのは憚られてしまって……どうしたものかと悩んでいると、なんとも都合良くテチさんが畑の方からやってきてくれる。
こんな時間にやってくるのは珍しいことだけども、全く無いことでもなくて……良いタイミングで来てくれたと、パンフレットを手にとって立ち上がった俺は、テチさんの下へと駆け寄り、パンフレットが届いたことを伝えて……その後に発芽の条件のついて話してしまって良いか? との質問を小声でもって投げかける。
するとテチさんは笑顔を弾けさせながらパンフレットを受け取り、受け取りながら「好きにしろ、所詮噂話だ」と小声で返してくれて……用事を済ませたらすぐに畑に戻るというテチさんと別れた俺は、花応院さんの下に駆け戻り……ゆっくりと口を開く。
「ウソか本当かは分かりませんし、それを教えてくれたテチさんも噂程度の話だと言っていることなんですが……あの種は持ち主が善行を積んでいると発芽するそうですよ。
あの種を発芽させた人は福男のような扱いを受けるんだとか。
正直俺はそこまで善行を積んできたとは言えないですし……あの種は発芽するその時まで曽祖父の仏壇に上げていたものなので、誰が持ち主なのかも曖昧だったりするんですが……もしかしたら何かのヒントになるかもしれませんし、参考になさってください」
俺のそんな言葉に花応院さんは目を丸くする。
目を丸くし、小さなため息を吐き出し、空を見て……お茶をすする。
「……善行、ですか。
言われてみるとなるほど、すとんと腑に落ちてくれますね。
私のような生業の者も、研究者も善行とは程遠い生活をしていますからね……いくら手を尽くしても発芽しないのは当然のこと、なのでしょうね。
翻ってあいつ……いや、失敬、富保君は普段から子供の世話をし、災害の時には人助けをし、あの災害以降には復興事業への支援なんかも行い、山を降りた先にある街のそこかしこで、石碑などに刻まれた彼の名を見ることが出来ますからね……。
ふふ、善行、ですか……もしそれが本当ならば、神話の時代の摩訶不思議な植物に、科学や農学で挑もうとした私達は、なんという無駄な努力をしていたのだと多方からの叱責を受けるかもしれませんね」
そう言って自重し、少しだけ悲しそうな顔をし……そんな花応院さんに俺は、深く考えず、心の中に浮かんだ言葉を返す。
「良いじゃないですか、たくさん実験したおかげでその方法では駄目だということを知ることが出来た訳なんですから。
善行云々もまだ本当かは分かりませんし、地域的な何かが影響してのことかもしれませんし……無駄な努力なんてことはないでしょう。
科学に無駄な失敗はない、失敗してその方法では駄目だと分かったことで、あとに続く学者さん達を正しい方法へと導くことが出来る……というのはどなたの言葉でしたっけ?
花応院さん達が今まで色々と頑張ってきたおかげで、曾祖父ちゃんの生活が守られたんでしょうし、今の俺の生活が守られているんでしょうし……その結果、善行についての情報が手に入ったんですから、無駄な努力どころかこれこそが正解への最短ルート……だったのかもしれませんよ」
すると花応院さんはいつもの柔らかい笑みに戻り、天を仰ぎ……ことんと湯呑みを置いてから、こちらに視線を向けて、
「ありがとうございます……そう言っていただけて心が軽くなりました。
……ところで、友人と少し語らいたいことが出来ましたので、仏壇を拝ませて頂いてよろしいでしょうか?」
と、そう言葉をかけてくる。
「えぇ、どうぞどうぞ、お線香も上げてやってください」
そう言って俺が頷くと、花応院さんは靴を抜いでからゆっくりと立ち上がり、仏壇のある仏間の方へと……一歩一歩踏みしめるようにして足を進めていくのだった。
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