第68話 両親の来訪 準備編


 それから数日は何事もなく過ぎていった。


 欠かさず毎日畑に行ったし、これといった保存食作りもしなかったし、山程作ったビーフジャーキーを少しずつ食べながら過ごすという、特筆することのない日々だった。


 そんな風にただ日数が過ぎていくだけなら良かったのだけど、残念ながらそういう訳にも行かず……様々な申請が終わり、検査やら予防接種やらが終わり……そうやって両親の来訪準備が、その数日の間に終わってしまっていたのだった。


 ついに明日、両親がやってくる。


 正直な所、それはもう面倒くさくて面倒くさくてたまらないものがあるのだけども……とは言え避けて通れるようなことでもなかった。


 仕方のないことで、やらなければならないことで……テチさんが感じている緊張やプレッシャーは確実に俺以上のものなのだからと腹をくくって……そうして今日は朝から両親を迎えるための準備をしていたのだった。


 と、言ってもそんなに大したことはしていない。

 掃除をして良い服を準備して、普段よりもちょっとだけ豪華な食事の下拵えをして……と、その程度のことだ。


「ミクラにーちゃんのとーちゃんとかーちゃんかー、どんな人なんだろうなー」


 なんてことを台所の流し台のいつもの椅子に座りながら言ってくるコン君もそうした準備のうちの一つだった。


 獣人の子供、将来俺とテチさんの間に生まれるかもしれない子供。


 その姿を結婚の承諾を貰う前に見せておきたいと考えたテチさんが、コン君に同席してくれとお願いし……コン君もご両親も構わないと笑顔で了承してくれて、そうしてコン君は今日我が家に泊まって、明日朝早くにやってくるらしい両親との顔合わせに参加することになったのだった。


 コン君にしてもコン君のご両親にしても余計な面倒に巻き込まれることになる訳だし、良い顔はしないだろうと思っていたのだけど……コン君は美味しいご飯を食べられると喜んでくれて、ご両親は二人きりの時間を楽しめるからと喜んでくれて……うぅん、おおらかというかなんというか、これもまた獣人らしいという所なんだろうか。


「まー、うちの両親は普通の人だからね、面白くもなんとも無いだろうし、コン君としては退屈な時間になると思うけど、2・3時間で終わるはずだから……よろしくね」


 そう俺が言葉を返すとコン君は、いつもよりは少し軽めの笑顔を見せてくれて……足をプラプラとさせながら俺が進めている作業をじっと見やる。


「それに明日は約束のサラダも用意してくれるんだろー!

 楽しみだなー、鰹節サラダー!」


 見やりながらそんなことを言ってきて……俺は作業を進めながら言葉を返す。


「いや、まぁ、鰹節がメインな訳じゃないけどね? メインは別でその上に鰹節をかけるってだけだからね?

 両親の到着がもう少し後なら出前とかで済ませたんだけど、朝早くとなると出前も難しいからねぇ……。

 とりあえず明日は手作り料理でごまかすとするさ」


「オレはミクラにーちゃんの料理好きだからうれしーけどなー!

 出前はいつでも食べられる訳だしー」


「出前をいつでもっていうのはだいぶ贅沢な話の気もするけども……まぁ、うん、コン君に喜んでもらえるよう、頑張るよ」


「ちなみにメニューはどんな感じー?」


「パリパリサラダと豚しゃぶ、ベーコンエッグとサンドイッチ、それとフルーツヨーグルトかな。

 正直サラダとサンドイッチで十分だと思っていたんだけど、テチさんが張り切っちゃってさ、それだけじゃご不満みたいだったのでそんな感じの、ちょっと多すぎるかな? ってくらいの豪華メニューになりました」


「豚しゃぶ! フルーツヨーグルト!!」


 耳にしたメニューの中で特に気になったらしいものを、そうやって口に出すコン君。


 その目はキラキラと輝いていて、今から楽しみで楽しみで仕方ないといった様子で……プラプラとゆっくり揺れていた足がソワソワと激しく揺られ始めて、それを見て小さく吹き出した俺は、買い物に行ったテチさんはまだかなと視線を後ろへと……縁側から覗く外へとやるが、気配は感じられない。


 あのスーパーまで行くだけならもうそろそろ帰ってきても良いはずなんだけども……と、そんなことを考えながら豚しゃぶ用のワサビ醤油ソースや、たまごサンド用のハーブ入りマヨネーズ和え卵や、これまたサンドイッチ用のイチゴジャムを仕上げた俺は、それらを容器に入れて冷蔵庫にしまい……使った道具の後片付けを進めていく。


「んー……テチさん、本当に遅いな、何かあったのかな……電話をしたほうが良いかな?」


 片付けが完全に終わってしまって、それでもテチさんが帰って来る様子はなくて、それで俺がそんなことを呟くと……テーブルの上にちょこんと座って、出来たてのイチゴジャムをトーストに塗って食べていたコン君が言葉を返してくる。


「んー、そろそろ帰ってくるんじゃないかなー?

 っていうかにーちゃん、いくらテチねーちゃんでもそんなすぐには帰ってこれないよ」


「え? なんでだい? スーパーに買い物に行くだけだよ?」


「……テチねーちゃんお使い用のお財布も持ってたけど、棒も持ってたよ?

 多分、お肉を狩ってくるつもりなんじゃないかな?」


「え? いや、え??

 お、お肉を狩ってくる? 買ってくるじゃなくて? お金を出して売り買いするの買うじゃなくて、まさかの狩ってくる!?」


 コン君の発言に驚き、困惑しながら俺がそんな大声を上げると、コン君はやれやれと言わんばかりの態度で顔を左右に振って、


「ま、タケおじちゃん達も一緒みたいだし、すぐに帰ってくるよ」


 と、そんな言葉を口にし、目の前のトーストに意識を向ける。


 それからはもう夢中でジャムトーストを食べ始めてしまって……俺は呆れるというか唖然とするというか、なんとも言えない気分に包まれながら……豚しゃぶのつもりで用意していた鍋に一手間加えようと台所隅の棚の前へと移動する。


 俺が作る豚しゃぶは、料理の際に出た野菜くずなんかを鍋に入れてお湯を沸騰させて……野菜くず湯に豚肉をくぐらせることで、臭み取りをするという作り方なのだけど……コン君の言う通りテチさんがお肉を狩ってくるつもりなら、豚ではなくイノシシ肉を用意するつもりなら、普通の野菜くずだけでは臭みを取り切れるのか不安が残る。


 もう少し強めの臭み取り……ショウガなんかを入れた方が良いだろうと考えて、棚からショウガを手にとった俺は……それを適当に刻んで鍋の中に入れていく。


 その鍋で湯がいたなら、程々の大きさに切ったセロリとこれまた適当に切ったワカメ、輪切りトマトと、小さめに水菜を入れたお皿の上にお肉を乗せて、さっき作ったワサビ醤油ソースをかけたなら完成、という感じになる。


 ワサビ醤油ソースは、まんまワサビと醤油にほんの砂糖とポン酢をいれたものになる。

 すりごまとマヨネーズとポン酢で作ったソースも悪くないのだけど、他のメニューとの組み合わせで今回はワサビ醤油ソースにしようと決めていた。


 そんなソースをかけたなら、お肉でセロリとワカメを包んで食べたならセロリのしっかりとした食感とワカメのぬるっとした食感がたまらなく、トマトとセロリでも味の組み合わせがなんともクセになり、たまに水菜を混ぜ込むことで飽きることなく食べきることが出来るという訳だ。


 ただそれはあくまで豚肉で作ったならの話で……イノシシ肉で同じような料理に出来るのか不安に思いながらも俺は、誰よりも今回のことに前向きで張り切ってもいるテチさんがそう決めたなら、ただ手を貸すだけだと黙々と準備を進めるのだった。

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