第26話 気をつけるべきこと


 ジャムトーストを食べて牛乳をいっぱい飲んで……甘いものを食べたからと洗面所に向かって歯磨きをする。


 コン君達は仕事道具としてお出かけセットを持ってきているので歯ブラシもしっかりあり……その小さな体を持ち上げてあげれば問題なく歯磨きが可能だ。


 それが終わったならジャム作りに使った道具を洗って片付けて……片付けが一段落した所で振り返ると……台所の隅に座り込んで買い置きのカップ麺を両手で持ってじぃーっと見つめているコン君の姿が視界に入る。


「なんだい? あれだけ食べたのにまだお腹が空いているのかい?」


 そう声をかけるとコン君は、首を左右に振ってから言葉を返してくる。


「んーん、ちがうー、賞味期限ってやつを見てた。

 保存食の話ばっかりしてたから、なんか気になっちゃって」


「なるほど。

 確かにカップ麺は長持ちするし、それもまた保存食と言えば保存食だね」


「だなー、4年も保つんだなー……カップ麺は塩いっぱいだから長持ちするの?」


「ああ、いや、カップ麺は水分を飛ばしたり、熱したりしているから長持ちするんだよ。

 水もばい菌にとっては大事で無いと生きていけないし、念入りに熱することでばい菌を殺しているんだね。

 ばい菌を殺してから密封するというのがとっても大事で……たとえば缶詰なんかはそれをすることで長持ちする保存食になっているね」


「はー……なるほどなー。

 塩とか砂糖とか熱とか、ばい菌を倒すために色々使うんだなー」


「そうだね、他にもお酢とかお酒とか色々な方法でばい菌を倒したり、動けなくしたりしているね。

 そうやって作られた物でもいつかは駄目になっちゃうから、賞味期限をしっかりと守ることで、お腹を壊したりすることなく毎日元気に働けたり遊べたりするって訳だね」


 俺がそう言うとコン君は、カップ麺を元々あった所……食器棚の下にある戸棚へとしまってから、そこに押し込んであった様々な食べ物……缶詰やレトルトカレーなどをじっと眺める。


 ジャムトーストのおかげか、コン君の目はキラキラと輝いていて、今までになく興味津々といった様子で……そのことを嬉しく思った俺は、コン君の側にしゃがみ込み、言葉を続ける。


「カップ麺とかの大きな会社で作っている保存食とか食べ物は定期的にばい菌がちゃんと殺せているか、食べ物の中に残っていないかの検査をしていて……そのおかげで俺達は毎日元気に暮らせているんだ。

 ……で、家庭で保存食を作る時にそこまでしている人はそうそういない訳で……保存食作りをする場合はここに気をつける必要がある。

 菌が本当にいるのかいないのかは目で見ても分からなくて、安全のためには製法を……レシピをしっかり守っている必要があって、最後には自己責任……もしお腹を壊しても病気になっても、自分が悪いということになっちゃうんだ。

 だからこそ、しっかりとレシピを守る必要があって、製法を勉強する必要があって……コン君がもし保存食を作ろうと思ったら、お父さんやお母さん、それか俺に相談してからのほうが良いかもね。

 美味しいものを作ったら人に食べさせたくなっちゃうものだからね……友達とか家族の健康のためにも、これはとっても大事なことなんだ。

 ……まぁ、今日みたいに作ってすぐ食べちゃう場合は、そこまで気にしなくて良いんだけどね」


 それは実家を出て独り立ちをした俺が、ジャムのような簡単な保存食を作っていると聞いた曾祖父ちゃんが、わざわざ電話をしてきてまでかけてくれた言葉を、出来るだけ分かりやすく要約したもので……それを受けてコン君はその目をキラキラとさせたまま、こちらを向いてこくりと力強く頷いてくれる。


 俺の言葉を怖がって冷めてしまうのではなく、逆に興味を深くしてくれたようで……俺はそのことを嬉しく思いながら、更にうんちく語りを続ける。


「菌が悪さをして食べ物を腐らせたら、それを腐敗と言うんだけど……逆に菌が良いことをして、食べ物をより美味しくしてくれることを発酵と言うんだ。

 発酵のおかげで長持ちするようになる保存食とかもあって……さっき言ったお酢とかお酒も、菌の力、発酵のおかげで出来るものなんだ。

 だからまー……菌と上手く付き合っていくのも保存食作りには大事なことなんだね」


「へー……?

 よくわかんないけど、菌って凄いんだなー……。

 なーなー、発酵ってお酒以外に何があるんだー? どんな食べ物を菌が作ってるんだー?」


「んー……身近なのなら、醤油とか味噌とか、納豆とか、かなぁ。

 漬物や食べたことがあるならピクルスとかもそうだし……ヨーグルトやチーズも発酵食品だね」


「おー! 納豆好きー! ヨーグルト好きー!

 そっかー、オレってけっこー発酵を食べてるんだなー!」


 と、しばらくの間、コン君とそんな会話をしていると、台所の向こうにある居間のさらに向こう……庭の方から人の視線というか、気配のようなものが漂ってくる。


 一体誰だろうとそちらに視線を向けるとそこにはテチさんが仁王立ちになっていて……その背景、先程まで青空だったはずの空が茜色に染まっている。


 どうやらもう仕事は終わりの時間のようで、仕事が終わったテチさんが様子を見に来てくれたようで……テチさんは半目で、呆れ交じりの顔で……子供に何を話しているんだお前はと、そんなことを言外に語りかけてくる。


 テチさんは保存食に興味が無いようだからなぁ……。

 わざわざ作らずとも完成品をスーパーなどで買う事ができて、その方が安全で経済的で……手作りとなるともの凄い勢いでお金が飛んでいくことになるのが保存食作りで……。


 テチさんはそんなものを子供に広めてどうするのだと、コン君を悪い道に引き込むなとでも言いたげで……そんなテチさんを見て俺は、冷蔵庫をあけて中から小さな瓶を……今日届いたばかりの1個1000円、本体は分厚いガラス製、鉄製の器具と留め金とパッキンつきの蓋でしっかり密閉できる、保存食用の密閉瓶を取り出し……テチさんの下へと向かう。


 その密閉瓶の中には今日作ったばかりの、二人では食べ切れなかったほんの少しのジャムが入っていて……それを俺は賄賂というかなんというか、少しでもこの趣味を理解してもらえるよう、好意的になってもらえるようにと、そんな願いを込めながら、


「これはコン君と一緒に作ったジャムで……よかったら食べて」


 と、そう言ってテチさんに手渡す。


 するとテチさんは、俺の足元でコン君が目をキラキラと輝かせていることもあってか、渋々というかなんというか、半目のまま瓶を受け取ってくれる。


 嘘は言っていない、嘘はいっていない、コン君はただ見ていただけだけど、確かに側に居たから、一緒に居たから、一緒に居る状態でそれを作ったから……!


 と、そんなことを思いつつ俺は「作りたてだから美味しいよ!」とそう言って、テチさんに向けて元職場で散々に使い倒した営業スマイルを放つのだった。

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