第2話
何から話そう?最も酷くて凄い事を先に話してみよう。 実はこのクズ従兄弟は、母の持ち物を何度も何度も、本当に何度も‼、勝手に質屋に持ち込んで売っていたのだ!!お金欲しさに。 説明しよう。 それは、ブラジル産の蝶額だ。モルフォ蝶と呼ばれる美しい蝶々、その青い色は光の当たり方に寄って、色や輝きが変わる。夜、部屋の中で見ると、昼間とは色彩が変わり、又こちらも非常に美しい。 モルフォ蝶の他にも黄色、淡い黄色、茶、濃い茶、オレンジ、黒い羽で縁が茶、灰色やベージュの様な色や、そうした羽の中に太いだとか細い線の様な模様や、柄があるだとかの、色々な蝶々の羽が並べられて、その上には透き通ったビニールだかプラスチック制の膜が付いている。羽が飛び散らない様に。 買うと、それを白くて柔らかい紙にそっと包んでくれる。後から、額縁に入れて飾る置物だ。 最初から、革製の、丸いだとかの額縁に納まっていたり、硝子で周りが木製の縁になっている大きなトレーだとか、そうした物もある。 だから、そうした置物だ。蝶々はそのままの形をした物が真ん中や周りに置かれて、周りには沢山の羽がある。羽だけのもあるし、形や形式は様々だ。 何と形容したら良いのだろう? 上手く言えないが、それはとても美しい物で、蝶を殺してそんな物を作り、お土産用だとかに売っていて、その当時ももう法律で取ってはいけなくなるだとかなったのだとかを、私の叔母が話していた。 その時、私は15歳だった。母は41歳、私よりも26歳上だ。この叔母は母よりも2歳下で、だから39歳だ。叔母の夫は母よりも一つ上の42歳だったと思う。 その時、私達はブラジル(バイア州)にいた。私は母と共に、中学生の時にブラジルへ行き、一ヶ月半程滞在していた。冬休みに入ると二人で行き、そうしてしばらくいたのだ。 理由は、叔母夫婦がブラジルに住んでいたからだ。叔父がブラジルへ叔母を連れて行き、柔道を教えていたからだ。叔父は柔道六段だった。彼等は永住していた。 この二人には子供がいないから、叔父はブラジルへ行く時に、私を養子に欲しいと母に言ったが、子供がいなくて非常に子供じみている、幼稚で馬鹿な妹には任せられないと思い、母は断ったそうだ。 勿論ブラジルに育てば、そんな馬鹿な下らない叔母など、十代にもなれば、何とかなったかもしれない。そしてブラジルで育てば、私の人生はもっと楽だったと思うが…。 とにかく、そんなに長く学校を休んでは行けないと言う学校側に、母は、今に必ず私の将来に役に立つかもしれない、普通の日本人の子とはやはり半分白人で違うのだからと、無理矢理に中学校の校長に頼み、説き伏せて、そして私は長く学校を休む事になった。 (学校を長く休むのには、依存は無かった!!) それに私はまだ中学2年生だし、卒業間近でも無い。何せ、やはり母のたっての願いで、小規模な、一応はインターナショナルスクールだと謳っていたその学校から12歳の時に、公立の小学校へ転向させられて1学年下のクラスに入れられたからだ。母はどうしてもそうしてほしいと、反対した学校側を無理に説き伏せたのだ。 不思議と、母は諦めが早くて私にも直ぐに何でも諦めろと無理強いする反面、逆に物凄くしつこく、食い下がる所もあった。だから大概の他人で、特に男だと、もう面倒臭いからと、言う事を聞いた。その中身はともかく、もうどうでもいいや!、と言う感じになったのだろう。 だから母は、妹夫婦からブラジルに来る様にと誘われ、その飛行機の往復代金を払うからと言われると、私も連れて行く事にしたのだ。私の分は、自腹を切ってだ。私も驚いたが、勿論嫌では無かった。 妹の晴子からは、何年も何年も、母に色々な物を送る様にと年中手紙が来ていた。食べ物や、細々とした日用品だとか、ありとあらゆると思い付く、日本にある物をしつこく催促してきては、細かく手紙に書いてくる。たまに下手な絵までも一緒に描いたりして! そして母はそれらを毎回必死に買い求める。探し回ってまで買い求め、一生懸命に送った。一切お金を払われずに!! 愚かだが、母は自分の母親と姉妹達に尽くすのが当たり前だし、嫌でもしないといけないと思っていた様だ。もう、丸で義務だ。 又そうする事に意味を感じ、その努力をするのも嬉しかったかもしれない。 それは苦しくても身体を酷使して、激しい運動をするのが趣味な人間の様だったのだろうか?! 何もそんな馬鹿らしくて下らないリクエストなど、無視すればそれで済んだ。そんな手紙など無視したら良かったのに、いちいち本気になり、文句を言いながらも忠実に従って、送った。 だから叔母はつけ上がり、幾らでも又長い何ページもの手紙が年中来た。全てが物の注文では無く、下らない中身も沢山書いてきたが、中には送った物が違うだとかの悪口を書いてきた物もあった!! そしてその時には激怒して、もう二度と送らないと母は言うのだが、喉元過ぎれば熱さを忘れるで‼、又少しすると、母は必ず送った。遠い異国に住む妹がとても可哀想だと言って。 この叔母も最低な女だったが、今はまずクズ男の事に戻ろう。 だからこのクズの裕(本名)は、母がこの叔母からもらったり、自分でも魅せられて買った沢山の綺麗でエキゾチックな、日本では見た事が無かったこの蝶額を日本ヘと持ち帰ると、私達が知らない間に勝手に持ち出して、家の近くにあった質屋へ持って行き、売っていたのだ。そしてその度に何万円かを貰っていたのだ。次回又詳しく話すが!! ブラジルではこれはそんなに高くは無かった。だから母はそれを何十枚か買った。家で飾ったり、会社での周りの人間へのお土産だとか、誰かへの何かの時のプレゼントだとかの為にだ。 恐らく50枚位はあったはずだ。それらは、買う時に柔らかい紙に丁寧にそっと包んで売られたから、母は日本で額縁を買い、それ等を殆ど全て、順に入れていった。 そうして絶対に羽が崩れたりバラバラになったりはしない。きちんと額縁の中で固定されて、飾れる。 これらが空の大きな茶箱の中に丁寧にしまってあった、室内に何枚か飾ってある物以外には。 何かの時に利用できるし、又、もう二度と簡単には買えないのだから。だから母は大切にしていた。 だが、気付いた時にはこれ等は殆ど無くなっていて、やっと10枚あるか無いかだったのだ!! このクズ、裕に盗まれて売られる前に、母がお土産であげた人間達がいた。母の会社の仲間や上司で、中にはアメリカ人もいた。米軍基地内で秘書職として働いていたからだ。 綺麗だし、とても(当時は)珍しい物だったから、彼等は大変に喜んだ。 なのに裕は他人の物を、何とも思わずに当たり前に売っていた。自分の叔母の持ち物をだ?! そうして売って得たお金でいつも酒を買い、飲んでいたのだ。この時、コイツは20歳だった。まだそんなに若かったのに…。 最もこの他にももっと若い時から、いや子供の時から、酷い事ばかりを我が家では繰り返したのだが…。 両親も非常識だし悪かったから、仕方がなかったのかもしれない。 後にこの両親と、このクズの妹にも触れよう。この家族は、本来なら全員が犯罪一家だったからだ。四人全員がだ。 (最も、まだその先もちゃんとにあるが…。)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます