第5話 公爵家の人間

 私と愛犬のロコは、神様の計らいで異世界に転生していた。

 そこで、私達はその世界の住人であるアムルドさんとブルーガさんと出会ったのだ。


「ふむ……」

「クゥン?」


 私達に近づいてきたアムルドさんは、ゆっくりとその体勢を低くした。

 恐らく、ロコに何かを言おうとしているのだ。その視線がロコに向いていることから、それが予想できる。


「安心して欲しい。君の主人に危害を加えるつもりはない」

「クゥン……」


 アムルドさんは、そう言いながらロコに手を向けた。

 それは、ロコを安心させるための行動だ。

 アムルドさんは、挨拶しようとしている。だから、ロコに自身の手を差し出し、匂いを嗅がせようとしているのだ。


「クン……」


 ロコは、ゆっくりとアムルドさんの手の匂いを嗅いだ。

 相手の匂いを嗅ぐのは、犬の挨拶の基本である。それを理解しているから、アムルドさんは手を差し出したのだ。


「ワン」

「む……」


 匂いを嗅ぎ終わったロコは、アムルド様の目の前でお座りをした。

 次は、アムルド様がロコに触れる番なのだ。


「失礼する」


 アムルドさんは、ゆっくりとロコの体に触れた。

 その動きは、心なしか緊張している気がする。もしかして、アムルドさんは犬に触れるのが初めてなのだろうか。

 先程の動きは、犬をよく理解している動きだった。だが、理解しているからといって、犬とよく触れ合っているとは限らない。

 恐らく、アムルドさんは知識はあったが、そこまで犬と接したことがないのだろう。その動きから、なんとなくそう思うのだ。


「さて……」


 一しきりロコを撫でた後、アムルドさんはゆっくりと立ち上がった。

 これで、ロコとの挨拶は終わったということだろう。ロコも、心なしか安心しているような気がする。ロコは、先程の挨拶でアムルドさんが悪い人ではないと確信したのだろう。

 それなら、私も安心して良さそうだ。ロコが大丈夫だと思っているなら、きっと大丈夫だろう。


「僕は、アムルド・シェルドラーンといいます。あなたの名前を教えてもらってもいいでしょうか?」

「あ、えっと……木野皆子です」

「キノ・ミナコ? 変わった名前ですね?」


 私に対して、アムルドさんは名乗ってきた。

 それに私も名乗って返したが、アムルドさんは少し不思議そうな顔になった。

 どうやら、私の名前に疑問を覚えているらしい。

 そういえば、この世界の住人は外国のような名前をしている。それなら、私もそのように名乗った方がいいのかもしれない。


「えっと、ミナコ・キノです。名前がミナコという感じです」

「なるほど、ミナコさんですね」


 私が名乗り直すと、アムルドさんは納得したような表情をした。

 恐らく、これで正しかったということだろう。


「それで、こっちは愛犬のロコです」

「ロコですか……」

「ワン!」


 次に私は、ロコのことを説明した。

 こちらに関しては、アムルドさんも特に違和感は覚えていないようだ。


「それで、あなたはどうしてこんな所に? 見た所、困っているようですが、何かあったのでしょうか?」

「あ、はい……」


 そこで、アムルドさんはそのようなことを聞いてきた。

 その質問は、私にとってとても困るものだった。

 私は、異世界から突如この世界にやって来た者だ。だが、そのことを素直に説明しても理解してもらえないだろう。

 しかし、私はこの世界のことを何も知らない。そのことだけは、知らせておかなければならない。

 以上のことを、うまく説明するにはどうすればいいだろうか。その答えを、私はすぐに思いつくことができた。とある理由なら、これでもおかしくないはずだ。


「実は、私、記憶がなくて……」

「記憶がない? 記憶喪失ということですか?」

「多分、そういうことだと思います」


 私は、自分のことを記憶喪失だと説明することにした。

 これなら、こちらの世界のことを知らないことの説明がつく。


「しかし、先程自身と愛犬の名前を知っていましたよ?」


 しかし、私は先程自身の名前とロコの名前を言っていた。

 そのことを、アムルドさんは少し不思議に思ったようだ。

 考えてみれば、それは当然である。記憶喪失なのに、名前やロコのことを覚えているというのはおかしな話だ。


「えっと、その辺りの記憶だけはあるんです。この子との思い出とかは、残っています」

「そうなのですね……」


 とりあえず、私はそのように誤魔化しておいた。

 なんとも都合がいい記憶喪失である。


「記憶喪失についてはよく知りませんが、そういうこともあるのですね……」

「そ、そうなんです……」


 私の言い訳を、アムルドさんは信じてくれたようだ。

 なんだか罪悪感があるが、これも仕方ないことなのである。


「……記憶喪失ですか。それなら、あなたは行くあてもないのですね?」

「は、はい……」

「それなら、僕の家で保護した方がよさそうですね」

「え?」


 そこで、アムルドさんはそのようなことを言ってきた。

 自身の家で保護する。その提案は、中々驚くべきことだ。

 私にとっては、嬉しいことではある。行く当てもないので、保護してもらえるのはありがたい。

 しかし、私のような記憶喪失は、そんなに簡単に保護できるのだろうか。


「いいんですか?」

「ええ、問題ありません。領地で起こったことを解決するのは、公爵家の人間として当然のことです」

「公爵家……?」


 アムルドさんの言葉に、私は驚いた。

 公爵というのは、貴族を表す言葉だ。しかも、貴族の中でもかなり偉い地位を意味するはずである。


「シェルドラーン家は、公爵家なのですよ。そして、ここは僕の家が管理している領地という訳です」

「えっと……」


 どうやら、ここはアムルドさんの家の領地であるらしい。

 色々とすごい人に、私は出会ったようだ。

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