監禁された私

千石綾子

監禁された私

 あの視線が好きではない。何か尊いものを見るような目で私を見つめるのは正直気持ちが悪い。何かされるのではないかと恐怖さえ覚える。

 そもそも今のこの状況がただならない。私は監禁されているのだ。拘束をされていないことだけが救いだ。


 ここは住宅街の中にある割りと大きなアパート。部屋は3つあって、そのうちの1部屋に私は監禁されている。

 何でこんなことになってしまったのだろう。私は締め切られた部屋のドアを見詰めて大きくため息をついた。

 

 この部屋の主とは、外で何度か偶然出会って挨拶を交わしたことはある。感じのいい、優し気な青年だったので、私も気を許していたのは事実だ。

 公園に誘われて一緒にベンチで話をしたこともあった。とはいえ専ら彼が一方的に話しているのを私が聞いていただけなのだが。

 彼はその日にあった事や綺麗な虹を見た話などを一生懸命に私に話して聞かせてくれた。


 私はどちらかといえば聞き上手な方だと思う。実際は退屈であくびが出そうな事もあったが、いつも黙って聞いていた。彼はそれが気に入ったのだろうか。他に何か特別彼に好かれるようなことはしていない。


 その日も公園でボール遊びをする少年たちを見つめながら、私と彼はベンチにいた。


「うちに来ない?」


 彼はただそれだけ言った。彼の柔らかな物腰のせいだろうか。私はまるで警戒することもなく、誘われるままに彼の車に乗り込んだ。

 今から考えれば馬鹿な話だ。名前も何も知らない他人について行くなんて。けれど、その時はこんな事になるなんて思いもしなかったのだ。




「こんなものしかないけど」


 彼は飲み物とおやつを出してくれた。恥ずかしながら、ちょっとお腹が空いていた私は警戒することなくそれを食べた。勿論危ない薬なんか入っていなかったけど、何だか借りを作ってしまった気分になった。


 そしてまたいつものように彼が話し、私が聞く。その日に限って彼の話は長かった。だんだんと辺りが暗くなり、私は少しずつ不安になってきた。

 そろそろ帰りたい。そう思ったけれど、借りを作ってしまった気がしているせいか、切り出すことが出来なかった。


 そうこうしているうちに、本当に夜になってしまった。


「今日はもう遅いから、泊まっていけば?」


 とんでもない! と叫びそうになるのを我慢して、私は立ち上がりドアの方へ向かった。


 すると彼は私の行く手を阻み、懇願した。


「お願いだから帰らないで。君と一緒に居たいだけなんだ」


 そうして私は不本意ながらこの部屋に居続ける事になってしまったのだ。

 一体どこが気に入られてしまったのだろう。今まで街を歩いていても、誰も振り向くこともなかった平凡な私のどこが。


 その後彼が手料理を出してくれた。でも、監禁されたと知ってその手料理を食べる気にはならなかった。彼は私が食べなかった食事を寂しそうに下げた。もちろんそれで私の心が痛むことはなかった。


 最悪なのは、この部屋にはトイレがないことだ。彼は簡易トイレを部屋の端に置いたけれど、まさかそんなものを使うわけにはいかない。しばらくの間、私はトイレも我慢していた。

 けれど、食事もトイレもいつまでも我慢していられるものではない。ある時彼がお店で買って来た食事を出してくれたのを見て、つい辛抱できずに食べてしまった。喉も乾いていたので、水も飲んだ。

 そうなると自然とトイレにも行きたくなる。どうしても我慢できなくて、私は簡易トイレを使ってしまった。処理は自分でしたのだが、片づけるのは彼だ。彼はいそいそとトイレの始末をした。ものすごく嫌だったけれど、どうしようもない。私はもう諦めに似た気持ちで部屋を出ていく彼の背を見た。


 しかし不思議なことに、そんな事も慣れてくるとあまり気にならなくなってくる。はじめは隙あらば逃げ出そうと企んだりもしたが、それももう諦めたし、今の上げ膳据え膳の生活も悪くないと思うまでに私は洗脳されてしまっていた。


 「ああ、尊いねえ」


 彼はいつも通り、ご飯を食べる私を見て愛し気に目を細める。最近は食事しているところをガン見されてもあまり気にならなくなった。恐る恐る頭を撫でてくるのを避けるのもやめた。いや、撫でてもらうとむしろ気持ちが落ち着くようになってしまった。

 思わず喉が鳴る。はっとした時にはもう遅かった。


「おや、気持ちいいかい?」


 彼が私のお腹をさすり始めたのだ。しかしこれだけは許せなかった。


「シャーッ!!!」


 私は全身の毛を逆立てて、思い切り彼の手を引っ掻いてやった。


「痛てててて……。ごめん、怒ったのかい?」


 彼は立ち上がって少し後ずさりした。血のにじんだ手を押さえて、それでもにこにこと笑って私を見つめている。


「まだお腹はダメかい? ごめんね、もうしないからね」


 そうしてまたいつもの、尊いものを見るような目で私を見つめるのだ。

 まだ、お腹は許していないんだからねっ。それと、鈴なんか付けようとしたらその顔を引っ掻いてやるんだから。

 私は彼からツンと顔をそむけると、彼が用意したふかふかのベッドで丸くなるのだった。


             了


(お題:尊い)

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監禁された私 千石綾子 @sengoku1111

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