第146話
「ゾウに乗った王子様だなんて。アラブの豪商ですか? マハラジャですか? ハンニバル? ……そのうち、イルカにでも乗ってきそうですわね」
「いるか? ルイーゼ、いるかってカッコイイの? まはらじゃ? はんにばる?」
ブツブツと呟くと、エミールはそんなことを言って笑った。
ゾウの鼻に頬ずりして、楽しそうだ。
「まさか、王宮でゾウを飼っていたのですか? 初耳ですよ?」
「違うよ。たまたま王都にサーカスが来ていたから、父上が王宮に呼んでくれたんだ。朝の時間なら空いてるからって。ねえ、ルイーゼ。ゾウ、好きなんでしょ?」
「わたくしが、いつゾウを好きと言ったか覚えがありませんが……そのような話、しましたっけ?」
「父上から、母上はゾウを飼いたいって言ってたって聞いたんだよ」
「あー……そういえば、そんなことを言った気もします。でも、わたくしはライオンの方が好みですわ。前世は前世ですし。特に、わたくしカフェオレ的なブレンド品ですから、その辺りは割り切っておりますので」
「かふぇおれ?」
ゾウを見上げて、ルイーゼは息をついた。
まあ、確かに大きいし強いし、カッコイイ。ライオンほどではないが、ルイーゼの心をキュンと刺激するものがある。
「……乗りたいだなんて、思っていなくてよ?」
「とっても大人しくて、良い子だよ」
チラリと見ると、エミールはニコニコしながら答えてくれた。
「でも、どのようにして乗るのですか?」
日本にいた頃の記憶では、梯子のようなものを掛けて乗っていた。東南アジアなどの観光地で人気である。
しかし、ここはシャリエ公爵邸の庭だ。低木くらいは植えているが、梯子なんて使用人に探させなければ出てこない。
「こうやって、牙を撫でるとね」
問いに対して、エミールは平然と答える。彼はゾウの牙に手を伸ばして撫でた。
「え? え!? えええっ!? ま、まさか!?」
ルイーゼの腰回りにゾウの鼻が伸びる。
うろたえている間に、ゾウはルイーゼの身体をヒョイと持ち上げてしまう。そして、そのまま首の辺りに乗せてくれた。
エミールも同じようにゾウの上に乗る。エミールはゾウの頭をヨシヨシと撫でて、ニコニコと笑った。
「エミール様は、すぐに動物とお友達になれるのですわね。流石に驚きました」
「ポチもタマも、みんな優しいから……ゾウだって、とっても大人しいし!」
エミールは満面の笑みを咲かせていた。
ゾウの上では、案外、身動きが取れない。エミールと身体を密着させる形になってしまい、ルイーゼは気まずさを感じた。
「馬には乗れないのに、どうして、ゾウやライオンは平気なのですかっ」
つい、そんなことを言ってしまう。
エミールは困ったような、怯えるような表情を見せた。
「う、馬は……ちょっと……ご、ごめん……実は……く、首狩り騎士を思い出しちゃうんだ」
「あ、はい」
そう言えば、エミールとセシリア王妃の馬車を襲撃した山賊を追い払った(虐殺した)とき、馬に乗っていた気がする。蹴り殺したり、速度を使って引き摺ったり……そんなこともした気がする……いや、した!
あちゃーと言いたくなって、溜息をつく。これは言い逃れが出来ない。
「すみません」
「い、いいんだよ……! 僕が勝手に怖がってるだけだもん……その、ごめんね。首狩り騎士は、悪いこと、し、してないんだから」
「いや、反省しております。完全に非がありました。子供に見えないように殺るべきでした!」
「だ、大丈夫だよ……ご、ごめん」
ゾウが、ぱおぉぉおおおん! と、鼻を持ち上げた。
その拍子に、二人のバランスが崩れてしまう。ゾウに慣れてきた頃合いのエミールが、ルイーゼの肩を支えてくれた。
「ね、ねえ、ルイーゼ」
完璧に密着する形になって、まるで後ろから抱き締められているみたいになってしまった。ちょっとした気恥ずかしさを覚えていると、エミールが耳元で囁いた。
「ルイーゼの……その、前世って、首狩り騎士と、母上、なんだよね? 悪党じゃ、なかったんだよね?」
「ええ、まあ。結局、エドワード以前の前世は捏造のようでしたし」
ルイーゼは二つの魂を抱え、三つの人格の記憶を持っていることになる。我ながら、よくもまあ、ここまで盛ったものだと感心した。
「じゃ、じゃあさ、ルイーゼ……その、ね……」
背中越しに速い鼓動が伝わった。
エミールの緊張と呼応して、何故かルイーゼまで息を呑んでしまう。
「ルイーゼは、はっぴーえんどっていうのに、なれる?」
「え……?」
はっぴーえんど。
ハッピーエンド。
ルイーゼは思考停止してしまう。
そうだ。ルイーゼは生れてから、ずっとハッピーエンドを目指してきた。
今まで、刺されて死ぬバッドエンドを迎え続けていたから。悪党落ちしないように、野心を抱かないように。細心の注意を払いながら。
しかし、結局、ルイーゼの前世は悪党などではなかった。刺されて死に続けた記憶も、後から植え付けられたものだ。ルイーゼのものではない。
バッドエンドフラグを折るために、エミールの告白を断り続けてきた。王族などと結婚すれば、バッドエンド不可避だ。野心がわくに決まっている。悪党魂に火がつくこと間違いなし。
だが、もうその心配はない。
ルイーゼ自身に刺されて死ぬフラグなど、なかったのと同じなのだ。いや、悪いことをすれば罰はあるので、油断は出来ないけれど。
「あ、あ、ああああの、その、でも……」
何故だか顔が火照ってきた。
きっと、密着していて熱いのだ。ゾウの上で目線も高いし、吊り橋効果のようなものもあるだろう。ルイーゼは表情を隠そうと、両手で顔を覆った。
「エミール様、そ、その……わ、わたくしにも、好みというものがあります。せ、せめて、ユーグ様レベルまで筋肉を鍛えて頂かないと……」
なんか違う。なんか違う。なんか違う!
口から出た自分の言葉に違和感を覚えながらも、必死で拒絶の言葉を探した。
「ルイーゼ」
ただ密着しているだけではない。後ろから、キュッと抱き締められた。
急激に恥ずかしさが倍増して、ルイーゼは身体を硬直させてしまう。
「僕、応援してるよ!」
「へあ?」
やや力強く放たれた言葉に、ルイーゼは眉を寄せる。
想定と、ちょっとズレている気がします。
「ルイーゼが死んじゃうの、嫌だから。ちゃんと、はっぴーえんどになれるって聞いて……僕、すごく嬉しいんだよ。ルイーゼが幸せだと、僕も幸せだから」
「…………」
「ルイーゼが幸せになれるように、僕も応援するね」
「…………あ、はい」
この拍子抜けした気分は、なんだろう。
別になにも期待していない。だって、ルイーゼは拒絶するつもりなのだから。エミールの好意には応えられないのだから。エミールは少しもルイーゼの好みにかすっていない。無理である。
それなのに、この……タイ焼きを食べたのに、アンコが少なかった並みのガッカリ感は、なんだろう。みかんを剥いたのに、中がコメコメで水分が抜けていたときのような微妙な気分は、なんだろう。
「ねえ、ルイーゼ。このゾウにも名前をつけてよ。なにがいいかな?」
ルイーゼの気など知らずに、エミールはそんなことを言って笑っている。
そんな顔を見ていると、自然と毒気が抜かれるので不思議だ。
「名前と言いましても……エミール様。このゾウは、サーカスのゾウなのでは?」
「そうなんだけどね。僕とすぐに仲良くなったから、父上が買ってくれるって!」
「どいつもこいつも、すぐに珍獣を買い与える癖がお有りのようですわね!」
確か、タマもエミールと仲良くなったので、ユーグが買い取ったのではなかったか。ポチに関しては、ルイーゼがヴァネッサから
これでいいのか、フランセール。国庫が危ないという話は聞かないし、むしろ、王宮の様子を見ていると、ライオンに乗るエミールに対してみんな温かい視線を向けている。むしろ、歓迎と言った空気だ。
ヴァネッサの意味不明な小説のせいもあるが……王位継承者が今まで引き籠っていたのだ。急に逞しい姿を見せるようになって、安心しているのが正直なところかもしれない。
「んー」
ルイーゼは少しばかり考えて、ポンッと手を叩いた。
「そうですわね……鼻が長いですから、ハナコで良いのではないでしょうか?」
我ながら良いセンスである。ポチ、タマ、ハナコ。一貫性もあった。
「ハナコ? ハナコだね。うん、すごくカッコイイ!」
「可愛い名前のはずですが。まあ、いいですわ」
ルイーゼは鼻歌交じりで、ゾウから見える景色を満喫した。
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