第88話
アルヴィオスの首都ロンディウムまで、あとわずか。
だが、首都へ入る前に、ギルバートは行っておきたいところがあると切り出した。
彼の目的はルイーゼの体内にある
そう。人魚の宝珠を扱う状態にしなければならないのだ。
現状、ルイーゼには宝珠を持っているという明確な自覚もなければ、力を扱うことも出来ない。取り出すことなど、とても叶わない状況だ。このままでは、ルイーゼがアルヴィオスへ渡ってきた意味がない。
それに、今、ルイーゼは知りたいと思っている。
どうして、自分が人魚の宝珠を持って生まれたのか。自分の前世になにがあったのか。
「この先だ」
ギルバートの案内で、ルイーゼたちは細い森の道を進む。馬車がギリギリ一台通れるほどしかない道は薄暗く、不気味な空気を漂わせていた。
この道の先に、宝珠の研究を行っている人物がいるらしい。
上手く宝珠を取り出すことが出来れば、ルイーゼのお役は御免だ。フランセールへ帰っていい。
だが、取り出せなかった場合は――。
「ルイーゼ」
エミールが、ルイーゼのドレスの裾を掴む。
「か、帰りたくなったら、僕、手伝うよ……!」
ルイーゼの心情を察したのか、エミールが視線をあげた。蛇のポチも頭の上でニョロニョロしている。荷馬車の奥では、タマも喉を鳴らしていた。
エミール自身は頼りないのだが、タマ補正のお陰か、幾分逞しく思える。ライオンは、やはり素晴らしい。
「別に、エミール様に手伝って頂く必要など……」
「僕、ルイーゼのために、なにかしたい。ポチやタマだって、同じだよ!」
エミールは口籠りながらも、しっかりと言葉を発する。
「その、あの、僕……ルイーゼに、いろんなこと、してもらってばかりだから……今度は、僕がルイーゼのために頑張る。ルイーゼを、守りたい」
顔を真っ赤にしながら、エミールはルイーゼの手を握った。
その様が、ルイーゼには見覚えのある場面に思えてしまい、こちらまで顔が赤くなりそうだった。
これでは、まるで漫画のプロポーズシーンではありませんかっ!
酷似したシチュエーションを前世の読み物で見た気がして、ルイーゼは思わずエミールの手を振り解く。
エミールはショボンと俯いて、まるで捨てられた子犬のような眼でルイーゼを見た。
「そ、そんな表情をしないでくださいませっ」
ルイーゼは顔を両手で覆って、エミールの視線から逃れようとした。しかし、狭い荷馬車の至近距離では、気になって仕方がない。
やがて、折れてしまい、ルイーゼはおっかなびっくりエミールと手を繋ぎ直した。
「エミール様の心配には及びませんわ……わ、わたくしが、エミール様をお守りするのですわっ! わたくしを守るなど、おこがましいです!」
やっと言葉を絞り出すと、エミールは嬉しそうに笑ってくれた。エミールに守られるのは嫌だと主張したつもりなのに、何故、喜んでいるのだろう。
「ありがとう、ルイーゼ」
「は、はあ……」
全く理解出来ない。しかし、エミールが笑っているので、悪い気はしなかった。
そんな風に過ごしているうちに、木々の間から建物が見えた。
森にひっそりと佇む洋館。もりのヨウカンである。状態異常が回復する。
いかにも、世捨て人が隠れ住んでいますよと言わんばかりのロケーションだ。わかりやすくて、なによりだった。
「ここに、例の研究者様がいらっしゃるのですか?」
問うと、ギルバートが頷く。
「まあ、クセのある奴だがな」
「あなたには、言われたくないと思いますわよ」
当たり前のように肩を竦めたギルバートに対して、ルイーゼは冷ややかに言った。
因みに、タマの檻の奥側には、ロープでグルグルに簀巻きにされたアーガイル侯爵が横たわっている。
何故かルイーゼのことを大層気に入っており、ロンディウムに潜入する際、手引きするよう脅迫したら、素直に応じた。
どうやら、村の娘たちにもSMプレイを強要していたらしい。助けた娘たちが涙を流しながら、必死の形相で感謝の意を述べていたのが印象的だった。本人が喜んでいるから健全な行為ではあるが、領主を鞭打つなど、抵抗があったのだろう。
因みに、簀巻きプレイも本人の希望だ。ついでに、ジャンもうるさかったので、並べて簀巻きにしておいた。
「最高だよ、マイハニー!」
「よろしゅうございます、お嬢さま!」
簀巻きにしても非常にうるさい。
洋館の前で馬車が止まったので、ルイーゼはすかさず飛び降りる。
最近、旅生活が長くなってきたせいか、令嬢作法を気にしなくなったと思う。必要になれば実践出来るので、問題はないだろう。
洋館の庭はあまり手入れされておらず、雑草が目立った。また、外観も古びており、不気味な印象もある。日陰だからか、じめじめして肌寒い。
「うぅ……ルイーゼ、こ、怖くない?」
予想通りというべきか。エミールが洋館を見て怖がっている。
荷馬車の中でブルブル震える王子を見上げて、ルイーゼは息をついた。
「大丈夫ですわ、エミール様。オバケがいても、わたくしがなんとかします! そんな非科学的なものがいるはずありません!」
「ひかがくてき?」
ルイーゼは、どーんと胸を張った。
オバケや妖怪などという非科学的なものがいるはずがない。家電に憑依するモンスターなんて、電気ネズミが幅を利かせるゲームの世界だけだ。
「で、でも……」
「まったく」
荷馬車から降りようとしないエミールに呆れて、ルイーゼは肩を竦めた。
ギルバートは既に馬を下りて、洋館の玄関を叩いて住人を呼び出している。
「オバケなど、いませんわよ。非科学的ですわ」
ルイーゼは落ち葉の浮かぶ噴水に腰かけた。一応、水は流れているが、あまり手入れされていない。アメンボが水面を静かに進んでいる。
「…………?」
ふと、水底からプカリと小さな泡が浮かびあがった。
気泡のようだ。ルイーゼは不審に思って、水底に目を凝らした。
「へあっ!?」
変な声が出てしまった。
ルイーゼは思わず飛び上がり、噴水から離れる。
「こ、これは……! う、嘘にございましょう!?」
ルイーゼは背筋に悪寒が走り、顔がサァッと蒼ざめていくのを感じた。信じられずに、首を横に振るが、身体の震えが止まらない。
「ルイーゼ?」
エミールが驚いて、荷馬車から飛び降りる。よろめいてしまっているのは、ひ弱なのでお決まりか。
しかし、そんな場合ではない。ルイーゼは水底に見たものに対して身を震わせ、口元を両手で覆う。
水底に沈んでいたのは、間違いなく人だった。しかも、死んでいるようだ。
「お、落ち着くのですわ」
前世で死体は見慣れたはずだ。ウェーーイ状態で首を狩りまくって、ブンブン振り回したこともある。刎ね飛ばした首を片手でキャッチ出来た瞬間など、すっきり爽快だったではないか。
なにも怖くない。なにも問題ない。
ルイーゼは一呼吸置いて、再び噴水のそばへと歩み寄った。
恐る恐る、そっと、覗き込む。
藻が浮かんで淀んだ水。水面には落ち葉が浮かび、石ころも落ちていた。
「…………」
あった。
やはり、水の底に死体が沈んでいる。ルイーゼはゴクリと唾を飲み込んだ。
ただの死体である。そうだ。これは死体だ。
「ひっ!?」
けれども、次の瞬間。
水の底に沈んでいた死体がカッと目を見開いた。そして、ルイーゼを見て、ニタリとした笑みを浮かべる。
ブクブクと気泡が浮き上がり、水面が盛り上がった。
「い、いやぁぁぁあああ! オバケですわぁぁぁああ!」
思わず叫びながら、噴水から離れて走る。
バシャバシャと音を立てて水から這い上がる「オバケ」から、ルイーゼは身を隠した。
「ル、ルイーゼ!?」
とっさにエミールの後ろに隠れてしまう。エミールもわけがわからない様子で、おろおろとルイーゼを見ていた。
「だ、大丈夫? ルイーゼ……?」
「やはり、オバケは存在するのですわ……考えてみれば、転生者なんて科学では証明出来ませんもの。科学で証明出来ないものも、存在するのですわ!」
オバケなどという非科学的なものは存在しないと思っていた時期が、わたくしにもありました。キャピッ☆
「ルイーゼ、お、落ち着いて……た、たぶん、ち、違うよ」
エミールは動揺しながらも、ルイーゼに必死で言い聞かせている。だが、ルイーゼは目を瞑って身体を丸くしていた。
「なんだい、アンガスじゃないか。また泳いでいたのかい?」
馬車から降りたヴィクトリアが声をあげていた。どうやら、誰かに声をかけているようだ。
ルイーゼはゆっくりと目を開けて、再び噴水を見た。
「え……?」
先ほど水底に沈んでいた男が立ち上がっているのが見える。透けていないし、足もちゃんとあった。
短い銀髪が白い肌に貼りついている。纏っているのは、いわゆる白衣だろうか。先ほどまで水の底にいたせいか、息があがっているようだ。色素が薄くて赤っぽく見える瞳が、虚ろにヴィクトリアを見据えている。
「ああ、ヴィーか。やあ、おはよう」
幽霊のように消えてしまいそうな声で、アンガスと呼ばれた青年は笑った。ポケットから丸い片眼鏡を取り出して、自分の左目にかける。
「そんなところにいたのか」
玄関を叩いていたギルバートも気づいて、青年に駆け寄った。
ギルバートは水浸しになった青年の肩に手を置くと、何事もなかったかのように笑う。
「こいつがアンガス・サラッコ。宝珠の研究をしている変わり者だ」
ポンポンと背中を叩かれて、青年は「ははは」と穏やかな笑声をあげた。
ルイーゼは呆気に取られてしまう。どうやら、正真正銘、生きた人間のようだ。
「え、えっと……つかぬことをうかがいますが、何故、アンガス様はそのような場所で死体ごっこ……いえ、潜水をなさっていたのでしょう?」
問うと、アンガスは寝ぼけたような目で首を傾げた。赤っぽい瞳は常に焦点が定まっておらず、虚ろに見える。
「考えごと、してたから。水の中、落ち着くんだ」
ふわふわとした口調で言って、アンガスが笑っている。
「もしかして、ただの不思議ちゃんですか?」
アンガスの様子を見て、ルイーゼは結論を導き出す。その途端に、先ほどまで怯えていた自分が恥ずかしくて仕方なくなってきた。
「ねえ、ルイーゼ……もしかして、オバケ怖いの?」
「なっ……!」
エミールに問われて、ルイーゼは顔を朱に染める。
「こ、怖くなど……少し驚いただけですわっ! オバケなんて、怖くありません!」
「でも……」
ハッと我に返ると、ルイーゼはエミールの陰に隠れたままであった。おまけに、上着の裾まで掴んでいる。
ルイーゼは急いでエミールから離れて後すさった。だが、エミールはそんなルイーゼを嬉しそうに見つめている。
「よかった。ルイーゼも、オバケ怖いんだね」
「べ、別に怖くなど……!」
ルイーゼは一生懸命否定するが、言えば言うほどド壺に嵌まっていく気がする。
そんなルイーゼを見て、エミールはニッコリ笑って「本物のオバケが出たら、一緒に逃げようね」と言った。とても嬉しそうだ。
別に怖くありませんもの。ちょっと驚いただけですし。
ルイーゼは不貞腐れて唇を尖らせながら、ギルバートたちについて森の洋館へと入った。
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