第80話
アルヴィオスの港町リバールは独特の雰囲気があった。
フランセールのノルマンド港は漁業と貿易の町であり、漁船も多く見られる。だが、このリバール港は主に貿易に特化しているようで、商人の船ばかりが目立った。
様々な商品が行き交う港に降り立って、ルイーゼは息を吸い込んだ。長時間船に乗っていたせいか、陸なのに足元がフワッとしている気がする。三半規管が慣れるまで待つしかないだろう。
「やっと、陸か……」
船酔いが酷すぎて満身創痍のセザールが息をついた。顔色は悪かったが、安堵の色が見える。因みに、右手にはお決まりのように伸びて目を回したギルバートを引きずっていた。
なにも知らない人間が見たら、濃紺のドレスを纏った貴婦人が、裸エプロンの青年を引きずって歩くという異様な光景だ。いや、知っている人間から見ても、異様である。ドレスはともかく、裸エプロンのままギルバートを船の外に出さないでほしい。
「ルイーゼ。あれ、なにをしているの?」
港町の様子を眺めて、エミールが不思議そうな声をあげる。こちらも、犬の散歩のように鎖の首輪をつけたタマを連れているという異様な光景だが、ライオンはカッコイイので、割と健全だと思う。
エミールが指差した先には荷馬車に積まれた檻があった。そして、鉄格子の檻の中には、襤褸を纏った男女が並んで座っている。
「あれは――」
あまり見せたくないものだ。
ルイーゼは答えに詰まったが、エミールはいつものように探究心溢れる視線を向けている。まっすぐで、抗い難い。
「奴隷ですわ」
フランセールには奴隷制がない。他国で奴隷たちの大規模反乱が起こったのが原因で、大陸では奴隷制を積極廃止する傾向にあった。裏で取引されているものは探せばあるだろうが、堂々と売買しても良い法律はなくなっている。
土地を持たない農民が農奴に堕ちることはあるが、それもアンリの奮闘によって数を減らしている。
表向きには、フランセールに奴隷はいないということになっている。厳密に言えば違うのかもしれないが、少なくとも、エミールが目にすることはない。
ルイーゼも商人だった頃は奴隷の売買にも手を広げていた。お手軽なレンタル奴隷などという商売をしたら、なかなか儲かった記憶もある。今考えると、刺されるべくして刺された悪徳商人だ。
そんなことを考えていると、音もなくエミールが歩き出す。あまりに自然だったので、一瞬、ルイーゼは声をかけるのが遅れてしまった。
彼の視線の先には、衰弱して動けなくなった奴隷の少女がいた。その少女を、主人と思われる商人が痛めつけようと鞭を振りあげている。
止めるつもりだ。
ルイーゼはすぐにエミールを制止させようと、手を伸ばした。
「やめておくんだな」
まっすぐに進もうとするエミールの肩をギルバートが掴む。
確か、セザールに引きずられていたはずだが、意識が戻ったのか。裸エプロンのままだが。
「どうして? だって、あの子……嫌そうだよ」
エミールは日常的に鞭打たれる人間を知っている。後ろで空気のように息を潜めながらも、羨ましそうに奴隷たちを眺める執事――ジャンのことだ。
しかし、エミールはわかっているのだ。ジャンと奴隷たちの立場は違うのだと。
喜んで鞭打たれるジャンと、彼らは違う。どうしようもない引き籠りの王子だが、少しずつ他人を想うということを知っている。エミールの目から見て、この光景は「止めなければならない」と思ったのだろう。
「そりゃあそうだ。喜んで鞭打たれるのは、そこの変態執事くらいだろう」
「裸エプロンのままで、うちの執事を変態呼ばわりしないでくださいませ」
さり気なく突っ込みを入れるが、ギルバートはサラリと流してしまう。ジャンが変態なのは否定しないが、ギルバートにだけは言われたくない。
「逆に聞くが、アンタはあの奴隷を助けて、どうするつもりなんだ? 買ってやるのか?」
「え……えっと……」
エミールに手持ちの金銭はない。ノルマンド港で船に飛び乗らなかったユーグが財布を持っている。
「買ったとして、どうする? アンタが優しく使ってやるのか? だが、奴隷制のないフランセールへは連れて帰れないな。じゃあ、逃がすのか? また捕まって主人が変わるだけのように思えるがな」
奴隷たちを見ると、皆肩に刺青が入っていた。恐らく、商品である証だ。あのまま逃がしたところで、また別の奴隷商に見つかってしまうだろう。
第一、あの奴隷を救っても、鞭打たれるのが別の標的に移るだけだ。
根本の解決にはならない。
「で、でも……」
エミールの表情が揺れる。
「無理を通すと言うのであれば、我は別に構わんよ」
陸に足をつけて落ち着いたのか、セザールが刃のない剣を抜いていた。
エミールの指示があれば、この場を実力行使でおさめよう。そう言いたいのだと理解出来る。
だが、剣を抜いたセザールを見て、エミールがグッと唇を噛む。サファイアの瞳に涙が滲んだ。
「……ごめん、わかった」
自分たちはアルヴィオス国王に露見しないよう、身分を隠して入港した。こんなところでセザールが暴れれば、騒ぎになってしまう。セザールもそれを見越した申し出だったようで、素直に剣を鞘に収めた。本当に暴れる気ではなくて、よかった。
「エミール様」
ルイーゼは涙を堪えるエミールの顔を覗き込み、この場に似つかわしくない優しい笑みを浮かべた。
「ご成長なされましたわね」
「え、そんなこと……」
「ご成長されています」
否定する言葉を遮って、ルイーゼはもう一度断言する。
引き籠っていた頃のエミールは外を知らず、何人もの貴婦人の心を折る問題王子。他者と関わりたがらないワガママ王子だった。
しかし、そんな彼が他人を思いやって心を痛めている。そして、状況を的確に把握して、自分を抑えた。これは明らかな進歩だ。
気がつかないうちに、こんなに成長してしまったのか。
エミールの成長を目の当たりにして、ルイーゼは嬉しく思う。だが、同時に靄のようにハッキリしない感情も湧く。
面白くありませんわ。
放っておいても成長してしまうエミールのことを、面白くないと感じる自分もいる。ダンスの指導をミーディアに頼んだときと近い感情だ。あのときよりも、色濃い気がする。
エミールに対して親心を抱いているから。子供が自立していくことに耐えられないのかもしれない。
認めたくないが、子供に依存して自立できない親の心境に近いのではないか。
面白くない。あまり、面白くなかった。
「ああああああッ! よろしゅうございます、よろしゅう、ございまぁっぁああああッす! もっと、もっとでございます、お嬢さま……! お嬢さま! このジャン、幸せにございます!」
無意識のうちにジャンを地に倒して踏みつけながら、ルイーゼは口を曲げる。鞭を振る手が止まらない。気がついたら、何故かセザールも便乗してジャンの頭を踏みつけていた。
「どこぞの小僧と違って、なかなか骨があるな」
「よろしゅうございますッ! セザール様も、大変よろしゅうございますっっ!」
どうして、こんなに面白くないのでしょう。
靄のかかった答えを探すように、ルイーゼは鞭を振り続けた。
† † † † † † †
ルイーゼたちが港を出てから数日後、ノルマンド港にアルヴィオス王国の王子を乗せた馬車が到着した。
そのことを聞いて、ユーグは真っ先に行動を起こす。
偽装だということはわかっている。ユーグは、その目でしっかりと、ギルバートがルイーゼたちと同じ船に乗っている現場を見たのだ。
恐らく、なんらかの理由でギルバートは秘密裏にアルヴィオスへ帰国するつもりだ。アンリもそれを黙認して協力している。
自分の知らないところで物事が動いているのは気持ちが悪い。もしかすると、父も知らないのかもしれない。父カゾーラン伯爵は強いが、隠し事には向かない愚直な男だ。なにか知っていれば、ユーグだって気づく。
このまま関わらず、手を引くのが得策だろう。深入りすれば抜けられなくなる可能性がある。
だが、ユーグにも矜持がある。
どのような秘密があるのか知らないが、自分は騎士としてエミールに誓いを立てた。君主たる国王に忠義を尽くすころが本来であるが、エミールを守るのは自分の使命だ。
易々と引き下がるわけにはいかない。
「だから、私たちをアルヴィオスへ乗せていきなさいと言っているのよ」
ユーグはわざとらしく高圧的な態度を取る。
対峙するのはギルバートの従者を務めていた男だ。クラウディオ・アルビンと言ったか。陰気な長い黒髪を顔に垂らし、眼帯をつけているせいで顔はよく見えない。口ひげを生やしているが、ユーグと同じくらいの年齢に思える。
港に残っていた乗組員(海軍らしい)たちでは、話にならなかった。
ユーグはしたたかな笑みを浮かべてやる。
「そうだ、そうだ! 僕をルイーゼのところへ連れて行け!」
隣で騒ぐのは、ルイーゼの兄と名乗るアロイスだ。顔は多少似ているが、非常にうるさい。中身はルイーゼの方が大人だろう。
「弱りましたね」
暗いとも明るいとも言えない、印象の薄い声でアルビンが笑う。あまり困っているようには見えない。
「僕は誰がなんと言おうと、妹を取り返すぞッ!」
アロイスが叫ぶ。彼の行動力には感服するが、正直に言うと足手纏いだ。だが、ユーグはその発言を受けて、爽やかに笑う。
「そうね。じゃあ、二人でアルヴィオス行きの商船に乗せてもらいましょ。それで、あちらの国王様に事情を話せばいいわ」
ごく当たり前のように言い、ユーグはその場を立ち去ろうとする。アロイスも「そうだ、そうしよう!」と意気込んで立ち上がった。
「お待ちを」
アルビンの声が低くなる。
背後から刺すような冷たい空気が流れている気がした。嫌な気配だ。
「困るのかしら?」
とてつもなく冷たい殺気のようなものを発せられて、ユーグは背筋に汗を流す。だが、笑みを崩さず振り返った。
アロイスの方は刺すような空気に気圧されたのか。先ほどまでの威勢を失くし、怯えた猫のようにユーグの影に隠れてしまう。
「困りますね」
餌に食いついたようだ。
アルビンとギルバートたちが別行動をしているのも、アンリが加担しているのも理由があるはずだと思っていた。それがアルヴィオス国王を欺くためだとしたら、ユーグたちが単独で船に乗るのは都合が悪いだろう。
「わかりました。では、カゾーラン伯爵のご令息のみ許可しましょう」
アルビンは、何故だかユーグの容姿を頭の先から足元までじっくり観察したあとに、そう言った。
ユーグが怪訝そうに表情を歪めると、彼は隠す様子もなく慇懃に言い放つ。
「ご推察の通り、ギルバート殿下の行動は国王陛下の知るところではありません。見たところ、あなたは殿下と歳や背格好が近い。身代わりとしてなら、同行を許可しますよ」
あまりにもあっさりと言われてしまい、ユーグは反応が遅れた。しかも、ギルバートの身代りになれと。意味がわからない。
確かに、ギルバートとは一つしか歳が変わらないし、体格も似ている。髪色と立ち振る舞いを合わせれば、近くで見ない限りは大丈夫だろうが……目的がわからない。
「なにを考えているのかしら」
「自分はアルヴィオスの未来のために行動するだけですよ」
丁寧に礼をして、アルビンが笑う。いや、笑ったのかどうかも、よくわからない。表情や感情がはっきりと読めない奇妙な男だ。
「ぼ、僕も……」
アロイスがガタガタ震えながら、小さく自分も連れて行けと主張する。だが、アルビンに視線を向けられると、途端に黙ってしまった。ライオンのときもそうだが、威勢が良いくせに臆病である。
それにしても……この従者、侮れない。
「わかった。それで構わないわ」
ユーグは取引に応じて、素早くアロイスの手を引いて歩いた。
あまりアルビンの近くにいすぎてはいけない気がする。王都では空気を装っていたが、あれはギルバートの護衛も兼ねていたのだろう。自分などでは太刀打ち出来ない強者の香りがした。
アルビンから離れると、ユーグは即座にアロイスに向き直る。そして、誰にも聞かれないよう、声を潜めた。
「いい? 坊や。今から手紙を書くわ……それを、首都にいる父上に届けてちょうだい」
アロイスはまだ妙な殺気に当てられているのか、怯えたような表情で頷いた。
ユーグは険しい表情を浮かべたまま、急いで父カゾーラン宛てに手紙を書く。
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