第81話
「とりあえず、秘密裏に
食事の席でギルバートが切り出した。
港に着き、まずは腹ごしらえという流れになった席での発言だ。勿論、ちゃんと服を着ている。彼なりに、脱ぎたくなる基準があるらしい。
アルヴィオスの王子とわからないよう、目立たない外套と帽子も被っていた。ルイーゼたちも、それなりに地味な装いをしている。
アルヴィオスの首都ロンディウムは、ここリバールから馬車で五日の距離にある。ロンディウムも港町なので海路で直接行けたが、陸路の方がわかり難いということだ。一方で、アルビンたちの乗ったダミー船は、海路から直接ロンディウムに入るらしい。
ギルバートの行動が国王に対して隠密なので、仕方がない。また馬旅でも良いが、エミールやジャンもいるし、タマのこともある。タマは人が乗れるほど大きなライオンだが、流石に馬と一緒に長距離を移動するのは難しそうだ。
そうなると、馬車と荷馬車が必要になる。
「移動手段の当てはある。もう遣いを送ったから、そろそろ連絡がある頃だが……」
ギルバートは魚の揚げ物を控えめに口の中で咀嚼しながら言った。フランセールにいた頃に比べると、だいぶ食が細く感じる。
それもそのはずだ。正直な話、店の料理が不味い。それなりの上流階級が利用するレストランだというのに、不味いのだ。ギルバートが祖国の料理は不味いと言っていた理由がわかった。
生臭い上に味がついていない魚の揚げ物を食べて、ルイーゼも顔を歪めた。エミールも、少し泣きそうになっている。セザールに至っては、一口食べただけで残りは手もつけようとしない。
「当てとは、協力者ということでしょうか?」
「そんなところだな」
ギルバートは軽く言って料理を水で流し込む。祖国の料理なら、舌が慣れていてもおかしくないと思うが、そうでもないらしい。
そんな風に、あまり美味しいとは言えない料理を食べていると、レストランの入り口が開く音がする。
何気なく振り返ると、視界の雰囲気がガラッと変わったことを感じた。
上流階級が利用する店とは言え、港町の活気と慌ただしさを若干残した店内。そこに、一輪の花が投げ込まれたと錯覚する。
シンプルだが、上質な生地を使用した浅黄色のドレスが衣擦れの音を立てた。薄い色合いのドレスを飾るのは、夜空のように深く、艶めかしい黒髪。前髪のひと房だけが赤く染められているのが印象的だ。
凛とした鋭い切れ長の目が店内を睥睨し、やがて、ルイーゼたちのテーブルで視線が止まる。
「ヴィー、久しぶりだな」
ヴィーと呼ばれた女性を見て、ギルバートが軽く手を振って立ち上がる。すると、女性はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
「うるさい、殺すぞ」
冷たい声で辛辣に言い放ち、女性は射るようにギルバートを睨む。だが、ギルバートは気にする様子もなく平然と席を離れ、女性の前に立った。
そして、最早、お決まりの流れで床に膝をつき、頭を低くする。アルヴィオス特有のあいさつを見て、ルイーゼは苦笑いした。流石に慣れてきたが、本場で見ると感慨深いものがある。
「誰が、お前なんか踏んでやるもんか」
しかし、女性は土下座ポーズをとるギルバートを華麗に無視。同じテーブルに着いていたルイーゼたちの方にまっすぐ歩み寄った。
「アンタたち、このクソ王子の連れかい?」
ギルバートへの態度とは打って変わって、女性は気さくに笑ってルイーゼに話しかけた。少し品はないが、頼れる姐御という雰囲気を醸し出しており、とてもフレンドリーだ。
「ヴィー、おい。せめて、踏んでくれないか。俺の立場が!」
「気安く呼ぶな、殺すぞ。クソ王子!」
そういえば、あいさつで頭を踏まれないことは男として認めてもらえないということだと、言っていたか。
若干必死で頭を踏んでくれと主張するギルバートを全否定するかのように、女性は彼の頭を側頭部から思いっきり蹴り飛ばした。「ぐぇっ」と変な声をあげながら吹っ飛ばされるギルバートを見ても、不憫にならないのは、何故だろう。
「お嬢さま、ジャンにも!」
ギルバートを見て便乗したのか、ジャンがルイーゼの足元に跪く。うん、意味がわからない。とりあえず、無視しておいた。
「あの、あなたは……?」
ルイーゼが問うと、女性がコロッと表情を笑顔に変えて振り返った。本当にギルバートへの対応と違いすぎて、同一人物かどうかも疑ってしまう。仮にも、彼はこの国の王子だというのに。
「ああ、申し遅れたね。あたしは、ヴィクトリア・ストラス。ストラス家の長女だ。よろしく頼むよ」
そう言って、ヴィクトリアはルイーゼに握手を求めた。
年齢はギルバートと同じくらいか。その歳で結婚していないとは……フランセールの価値観では「行き遅れ」に当たる。他国の令嬢なので言及は避けたいが、なにかあるのではないかと勘繰ってしまった。
「とにかく、迎えに来てくれたんだな。流石は、俺のヴィーだ」
「死ね、クソ王子。言っておくけど、別にアンタのためじゃないんだからね」
俗に言う「べ、別に……アンタのためじゃないんだからねっ!」である。ツンデレですか。と、思ったが、だいぶ表情が険しいし、可愛げがない。心底、ギルバートを嫌悪した態度で言っているせいか、ツンデレ感ゼロであった。やはり、リアルツンデレは萌えないようだ。残念。
遣り取りを聞く限り、彼女はギルバートの協力者らしい。王子に対する雑な扱いは気になるが、味方と早々に出会えて安心する。
「船旅お疲れ様。あまり持て成せないが、あたしの屋敷へ案内するよ」
ヴィクトリアは姐御っぽい気さくな態度で言いながら、ベタベタと触ろうとするギルバートの腹に肘打ちを喰らわした。
それを見て、再びジャンが「羨ましゅうございます、お嬢さま! 是非、ジャンにもアレを!」と騒ぎはじめるので、面倒くさい。まったく、うちの執事の前に餌を垂らさないでほしい。
「よろしゅうございます、お嬢さまッ! 嬉しゅうございます!」
うるさいので肘打ちすると、ジャンがいつものように身悶えして叫びはじめた。これはこれで、うるさいことには違いない。
「え、えっと……よ、よろしくお願いします……!」
勝手に悶えるジャンを横目に、エミールが席から立ち上がった。
エミールは初対面のヴィクトリアに戸惑って口籠りながらも、深く頭を下げる。「初対面の人間にはあいさつしなさい」と教育した甲斐があった。
ヴィクトリアは緊張するエミールを観察するように見つめる。アルヴィオス式のあいさつをしなかったことで、外国人だと判断したのだろう。物珍しい小動物を眺める視線だ。
エミールもそれを感じ取って、白い頬を桃に染めて硬直した。頭の上でとぐろを巻いたポチがチロチロと舌を出している。
「へぇ、可愛いね!」
ヴィクトリアはそう言うと、エミールのブルネットの髪をわしゃわしゃ撫でた。そして、飛び付くような勢いで腕に抱きついてしまう。豊満な胸が押しつけられる形となり、エミールは顔を真っ赤にして口をパクパクと開閉させた。
あまりに馴れ馴れしいスキンシップに、ルイーゼは思わず立ち上がってしまう。
「ちょ、ちょっと、あなた! エミール様は、フランセールの王子なのですわ。そんなに馴れ馴れしくベタベタするのは、よろしくなくてよ!」
思わず言い放って、ルイーゼはエミールの手を引いた。だが、ヴィクトリアは意に介さない態度でエミールを見つめる。
「へぇー! 王子様なのかい? うちのクソ王子と全然違って、可愛くて気に入ったよ! エミールって言うの?」
「え、う、うん……エミール、です……」
「可愛い! 可愛いじゃないか!」
ヴィクトリアは子犬を撫でるようにエミールの頭を撫で、グイッと自分の方へと引き寄せた。男にしては細いエミールの身体を、大きな胸が包むように受け止める。
なんですか、これは!?
ルイーゼは何故か腹立たしくなって、歯ぎしりした。非常にムカムカする。面白くないどころの話ではない。
「お嬢さまぁぁぁあああっ! はあぁああああんッ! よろしゅうございますぅぅうう!」
ベシィンッ、バシィンッと、鞭の音が響く。ルイーゼはジャンを鞭打ちして、ギリギリと奥歯を鳴らした。
意味がわからないけれど、腹が立つ。
ルイーゼはエミールに対して親心のような感情を抱いている。きっと、そのせいだ。
父のシャリエ公爵や兄のアロイスが、ルイーゼに対して異常な執着を見せる気持ちが、今ならわかる気がする。手塩にかけて育てた大切な子供が奪われるなど、気持ち良いわけがない!
きっと、これは親心ですわ。だから、こんなに腹が立つのですわ。娘の部屋を覗いたら、得体の知れないクラスメイトへの甘酸っぱいラブレターが机に広げて置いてあるのを発見してしまった、あの場面の気持ちですわ! エミール様は王子ですが!
「お嬢さま、大変よろしゅうございます! 残飯処理もジャンの仕事! この不味さ、癖になります!」
ルイーゼは不味くて食べられなかった料理をジャンの口に押し込んでやる。新しいお仕置きに身悶えしながら、ジャンは窒息死しないように料理を呑みこんでいく。
その様子を横で見ながら、ポツンと呟かれる言葉があった。
「面白くないじゃあないか」
不貞腐れたように吐き出したギルバートの言葉を聞きとる余裕など、誰にもなかった。
† † † † † † †
シャリエ公爵の長男アロイスがもたらした手紙を読んで、カゾーランは静かに息をついた。
妹によく似た兄は頻りに「妹を取り返すんだ! なんとかしろー!」と叫んでいる。流石にうるさいので、ミーディアが執務室から追い出してくれた。
「あの、カゾーラン伯爵……?」
手紙はユーグからカゾーランに宛てたものだった。
やはり、ギルバートたちの行動はアルヴィオス側に隠密である可能性が高いこと、アンリも協力しているかもしれないことが書かれている。
また、自分はギルバートの従者と共にアルヴィオスへ渡るとも。
カゾーランは息子からの手紙を掴む手が震えるのを感じた。
無断でエミールを連れて王都を発った上に、異国へ渡る息子の身勝手な行動に怒っている。いや、違う。
ルイーゼたちと共に船に乗ってしまったエミールの身を案じている。だが、それも違う。
「ユーグよ……」
息子の名前を呼び、カゾーランは表情が失せた顔で手紙を握り潰した。
「何故……ライオンの請求書が添えられておるのだ……?」
素直な疑問を口にして項垂れる。
後ろでは、ミーディアが「馬目線でも、わかりませんね……」と、同意を示していた。
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