第36話
王宮へ着くと、ルイーゼはいつものように、エントランスで案内を待った。
もう通い慣れたものだが、慣例だ。外からの訪問者は、ここで案内を待たなければならない。
相変わらず、エントランスの隅では貴婦人たちが談笑し、噂話や世間話に興じている。
様子が違うとしたら、数が少ないことか。
先日、王弟フランクの遺体がセーナ河からあがった。そのせいか、貴族たちの間で外出を自粛する者が出はじめたらしい。
実際は、国王に対して謀叛を働いており、何らかの事情で闇に葬られたわけだが。そんなことは公表していないので、伝わらない。
しかし、少々不穏な空気が立ち込めていることは間違いないだろう。謀叛など、ここ何年も縁がなかったのだから。
「本日は、まず謁見の間にお通しします」
程なくして現れた案内役に言われ、ルイーゼは眉を寄せた。
今週の教育報告は済んでいる。まさか、アンリがまた妙なことを言い出したのでは……?
先日の求婚騒ぎのせいで、妙に疑ってしまう。
少し嫌な予感がしながら、ルイーゼは案内に従って謁見の間へと向かった。
無駄に大きくて背の高い扉が開くと、大理石の広間が現れる。その一段高いところに、玉座があった。
ルイーゼはジャンを外に待たせ、謁見の間へと足を踏み入れる。
「ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエにございます。突然のお招きでしたので、お見苦しい姿を晒して申し訳ありません」
今日のドレスは淡いピンクだ。謁見の間に出向くには、少々派手な装いである。しかし、アンリは長い足を組んだまま肘掛けにもたれ、「良い」と一言発した。
こうしていれば、マトモな国王の威厳を纏っている。だが、ルイーゼは晩餐のときに見た惨状が頭を離れない。あれは酷い。来世でも絶対に忘れない自信がある。
「今日、呼びつけたのは他でもない。早急に頼みたいことがあるのだ」
アンリは少し疲れた息をつきながら、侍従長に合図する。そう言えば、いつもより顔色が優れない気がした。王弟の後処理もあるだろうが、他にもなにかありそうだと、ルイーゼは邪推してしまう。
侍従長はアンリに一通の書簡を手渡した。
「アルヴィオス王国からの書簡だ。フランセールの建国祭に合わせて、使者を寄越すそうだ」
隣国の祭事に使者を送ることは、なにも問題ない。アルヴィオスからは、毎年使者が来ていたと思う。
ルイーゼは眉を寄せた。そんなことを、ルイーゼに話す意図がわからない。
「送られてくるのは、アルヴィオスの王子ギルバート。あろうことか……アルヴィオスはこの王子を送り込むことで、両国の親睦を深めたいと主張しておるのだ」
「はあ……よろしいのでは、ないでしょうか?」
遠まわしな言い方に聞こえて、ルイーゼは言葉の真意を探ろうとする。すると、アンリは疲れたと言わんばかりに溜息をついて項垂れてしまう。本気で頭を悩ませていることがわかった。
「先方のギルバート王子は……王子間での交流。つまり、エミールとの交友を望んでいる」
「はあ……は? へ? え、それは…………無理でしょう」
ルイーゼは予想していなかった言葉に唖然としながらも、はっきりと断言してしまう。
王子同士の交流? 無理でしょう! エミール様が、人と交流? コミュ障を通り越して、軟弱者の引き籠り姫が、異国の王子と交流!?
「いや、無理ですわね」
ルイーゼはじっくり考え直した末に、もう一度断言する。
交流と言えど、王族同士の「駆け引き」だ。友情を築く振りをして、相手の腹を探り合う。それが政治。にっこり笑って握手しながら、足元では常に蹴り合いをしていると思ってもいい。
そんな駆け引きがエミールに出来るはずがない。人と話すだけで億劫になり、失神してしまう軟弱王子には、絶対に無理だ。
「無理です!」
もう一度、念押しする。だが、アンリを見上げると、妙に涼しい笑みを浮かべはじめていた。嫌な予感しかしない。
「む、無理です。無理にございます。大事なことですから、何度も言いますわ。無理です」
「今、アルヴィオスを刺激するのは良くないのだ」
「ま、政の事情がお有りなのは、重々承知しております……が、陛下もエミール様の現状を知っておいででしょう?」
「フランクの件に、アルヴィオスが絡んでいる可能性がある。もしかすると、手を下したのはアルヴィオスの者かもしれんな」
「いえ、サラッと大事な情報を暴露されても困ります。まだ受けておりませんから!」
「このタイミングに、使者を王子に変えるなど、なにか目的があるとしか思えぬだろう?」
「だから、勝手に大事な話を喋って、後に引けなくなる状況を作るのは、やめてくださいましっ!」
無理無理無理無理無理! ルイーゼは視線で必死に訴えた。しかし、アンリは憑き物がとれたような清々しい笑みを変えない。後ろで控えている侍従長も、憐みの目をルイーゼに向けていた。
こいつ、丸投げする気ですわ!
ルイーゼは本能で察した。
この件を、全てルイーゼに丸投げしてしまおうとしているに違いない。結婚したいとか言いはじめたときとは、別の種類で
無理です。無理にございます!
ルイーゼは首を横に振った。一方、アンリは勝手に笑顔のまま、「では、頼んだぞ」とか言っている。
まだ、なにも承諾しておりませんっ!
「ああ、あと」
アンリはそのまま謁見を終わらせるつもりで、ついでの用件を口にする。ルイーゼは納得いかないまま、「なんでございましょう」と形式的に返す。
「エミールに亀甲縛りも教えておいてくれ」
「は?」
機嫌良さそうに笑っているアンリの顔を、ルイーゼは殺意をぶつけるつもりで睨むのだった。むしろ、殺意しか湧かなかった。
ということで。
考えた作戦は、こうだ。
「まず、エミール様は遅れて夜会に現れることにします。そして、さも平気な顔で 悠 々 と 会場を闊歩し、わたくしを 堂 々 と ダンスに誘います。一曲、可能なら二曲踊ったあとで、 涼 し げ な 顔 で ギルバート王子にご挨拶をするのですわ。機を見計らって、カゾーラン伯爵にでも呼ばれて 忙 し そ う に 会場を後にする。こうすることにしましょう」
短時間に必要な要素を盛り込んだ結果、こうなった。
決して、相手の王子にエミールが引き籠りの軟弱王子だと知られてはいけない。
セリフは全てあらかじめ用意し、丸暗記してもらう。スラスラ言えるようになるまで、特訓だ。ダンスも同様である。
どう考えても、エミールがアドリブで話すなど無理だ。接触を最小限にしつつ、ある程度の社交性があるということを見せつける作戦でいこう。そして、短時間で去ればいい。
「よろしいですわね?」
ルイーゼは殺気にも似た冷気を視線に乗せながら、にっこりと笑った。先ほど、アンリに無理やり承諾させられてしまった腹いせも込めている。
その怒気を感じ取ったのか、それとも、計画自体が無謀だと言いたいのか、エミールは石像のように固まったまま、動かなくなってしまった。
震えたり、泣いたり、失神するものだと思っていたが、珍しい。いや、硬直しているが。
「お嬢さま」
「どうしましたか、ジャン?」
石像のように固まったエミールに触れて、ジャンが蒼い顔をしている。
「殿下、息をしておりませんよ?」
「なんですって!?」
見ると、確かにエミールの胸郭は動いていない。元々白い顔から更に色が消し飛んで、蒼くなっていた。
ああ、なんて情けない! あまりのショックに、息も出来なくなっているのですわ。
「はあ、まったく!」
ルイーゼは溜息をつき、ジャンにエミールを横にするよう指示した。そして、手際良く気道を確保し、胸骨の位置を確認する。
「お嬢さま、なにをしているのですか?」
「心肺蘇生です。前に、テレビで見ましたの。一度、やってみたかったのですわ」
ジャンが「てれび? しんぱい?」と不思議がっていたが、ルイーゼがエミールの上に馬乗りになったのを見て、「よろしゅうございますね!」と興奮しはじめた。なにをすると思っているのだろう。邪魔なので、ジャンの顔にヒールを捻じ込んでおいた。
「よろしゅうございます!」
軟弱者とは言え、男の胸骨を圧迫するには、ルイーゼの体重は少々軽すぎる。こうやって、上に乗ってしまった方が、力が入りやすいのだ。
ドッドッドッドッと、ルイーゼは三十回ほどエミールの胸を押した。それでも、呼吸をしていないようだ。次いで、素早くエミールの横に周り、口を覗く。
気道内に息を吹き込もうと、ルイーゼはエミールの顔に近づいた。
血の気が失せたエミールへと、自分の唇を寄せていく。
こんなときだが、黙って眠っていれば、やはり顔立ちは良いと感じる。近くで見ると、閉じられた瞼から生える睫毛は長くしなやかだし、肌もシミ一つなくて滑らかだ。血の気を失った唇が人形のようで、逆に美しく思える。
引き籠り姫改め、眠り姫と言ったところか。最低限、ユーグぐらいの筋肉は欲しいので、少しもキュンとしないが。
「……は、あッ……げほッ!」
ルイーゼが口に息を吹き込もうとした瞬間、エミールが激しく咳き込みながら身体を丸める。どうやら、呼吸が戻ったようだ。ルイーゼは、一安心する。
「あ、あ……る、ルイーゼッ!?」
マウス・トゥ・マウスしようとしていたせいか、ルイーゼの顔は近かった。
「い、いま、なにしてたのっ!?」
ルイーゼとの距離に驚いたのか、エミールは蒼白だった顔を真っ赤に染めて、手で覆い隠してしまう。蒼くなったり、赤くなったり、忙しい姫、いや、王子である。
「今の、なに……き、き、キキキ――」
「キスなどではございませんよ。ただの人工呼吸ですわ」
どうやら、勘違いされているらしい。ただの人工呼吸だというのに、大袈裟だ。しかも、まだ唇には触れていなかった。
「じんこーこきゅー!? なにそれ、楽しいの!?」
「楽しくはありません。エミール様の呼吸が止まっていましたので、応急処置ですわ」
「そ、そっか……!?」
エミールは逃げるようにルイーゼから離れてしまう。
フランセールには心肺蘇生の技術などないので、流石に怪しまれてしまったのかもしれない。しかし、緊急事態だ。許してもらいたいものだ。
「ルイーゼ、た、助けてくれたの?」
「まあ、心臓マッサージしかしておりませんが」
「キ、キスは……してないんだよねっ!?」
「ええ、まあ」
「ほ、ほんと!?」
「心配性ですわね」
何故、そこにこだわるのだろう。女々しい王子だ。
ルイーゼは特に気にせず、エミールに椅子へ座るよう勧めた。エミールはまだ顔を赤くしたまま、唇を頻りに触っている。なにもしていないと言っているのに。
「まあ、いいですわ。エミール様、とりあえずは挨拶とダンスの練習です。踊ったことはございますか?」
「う、ぅ……な、ない」
「そうでしょうね。わたくしとしたことが……こんなことなら、一般教養よりも先に教えておくべきでしたわね」
社交界デビューなど、まだまだ先だと思っていたので、ルイーゼはダンスの教育を後回しにしていた。
とはいえ、エミールは確実に体力が上がっている。
ダンスを一曲踊りきる程度なら、問題ないはずだ。母親はダンスが得意だし、父親は歌が上手かったと記憶しているので、リズム感はありそうだ。スパルタで仕込めば、恐らく大丈夫。
それに、エミールの頭は悪くない。最近は歴史や経済の勉強を教えていたが、なかなか呑み込みがいい。知識欲もあり、わからなければ質問もする。元々、本はたくさん読んでいたようで、文字の読み書きも問題はなかった。
挨拶文を丸暗記する程度なら、造作もないだろう。
最大の問題は、それらを人前で難なくこなせる度胸がないことだ。
「ね、ねぇ……」
「どうしましたか、エミール様?」
エミールはまだ恥ずかしそうにモジモジしながら、顔を伏せてしまう。
「その、僕、ルイーゼと踊るの?」
「ええ。その方が良いのではありませんか?」
慣れている相手の方が緊張せずに済むだろう。エミールと接触が一番長いのは、ルイーゼだ。順当な流れだと思っている。
「そ、そっか。うん、そう、だよね」
エミールは無理やり納得するように頷くと、今度は糸が切れるように失神してしまった。
先が思いやられる。
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