或る馬娘の純情




 ミーディア・アメリア・ド・カスリール侯爵令嬢の前世は――馬であった。


 当時の主人は少しも自分をかえりみず、名前すら呼ばれなかった。

 そんな前世の自分。可哀想な馬のわたし。

 しかし、ミーディアは……前世の自分は、主人が好きだったのだと思う。

 その名残か、ミーディアは女だてらに、騎士を目指す兄と同じように、鍛錬するのが好きだった。


 過去三回、馬だった前世の自分。

 なぜ、人間に生まれ変わったのだろう。


 きっと、神様の悪戯だ。


 それでも、ミーディアにとって、前世の記憶は思い出のように心地いいものだった。

 幸せではなかったかもしれないけれど、精いっぱいがんばった。

 その記憶こそが、今世におけるミーディアを支えている。

 

 ミーディアとシエルが入れ替わっていても、周囲は誰も気がつかなかった。

 もともと、非常に顔が似た双子だ。

 小さいころから、戯れで服を交換していたが、使用人どころか両親すら気がつかなかった。妙な行動さえしなければ、露見しないだろう。

 ささやかな双子の悪戯。


「シエル、少しつきあえ」


 カゾーランが、シエルに変装したミーディアを呼びつける。

 筋肉隆々の姿は、当初、誰なのかわからなかった。

 前世の記憶があるミーディアは、息子のほうを伯爵だと思い込んでしまい、初対面ではうっかりとミスをしてしまいそうになったものだ。

 こんなに立派な筋肉中年に育って。きっと、元ご主人様に一度も勝てなかったのが、くやしかったのね。ふふ、女癖まで矯正されて……さすがは、元ご主人様です。カゾーラン伯爵の調教に成功しましたね! たぶん、意図していないでしょうけど。

 そんなことを考えながら、ミーディアはカゾーランのあとをついて歩いた。

 シエルとしての立ち位置は見習い騎士。

 カゾーランの小姓としてついていく仕事が多かった。シエルは家の権力のおかげだと心配していたが、優秀さを認められた証拠であるとミーディアは思っている。


「どうした、シエル。考えごとがあるならば、このカゾーランに相談せよ」

「い、いえ……なんでもありません」


 この日は、謁見の護衛だった。

 各地の有力貴族が領地経営について、国王に定例報告をするのだ。

 威厳を示す目的でカゾーランも同席する。ミーディアも、カゾーランのうしろで待機することになっていた。


「頼んだよ、カゾーラン」


 謁見前に現れた国王アンリが、カゾーランに声をかける。

 カゾーランは玉座の右側に。侍従長が左側の一歩下がった位置に立つ。

 彼らの立ち位置に、ミーディアは唇を噛んだ。

 玉座の左側には、本来、【黒竜の剣】が立つ。

 つまり、ミーディアの元主人クロード・オーバンの席なのだ。

 傷を負って戦場に出られなくなり、ロレリアの城でのんびりと余生を過ごしていた前世。元主人の末路を知ったのは、転生したあとだった。

 教育係の夫人から、フランセール史を習ったときは本当に驚き、どうしてそうなってしまったのか信じられなかった。おまけに、あんなに優しかったセシリア王妃まで……。

 いまも空位になっている玉座の左手を、ミーディアはぼんやりと眺めてしまう。

 次いで、玉座に就くアンリを確認した。

 あのころと、あまり変わっていない。

 落ち着いた雰囲気と威厳があるのは、歳を重ねたためか。多少年齢を感じるものの、未だに青年のような覇気をまとっていた。

 変わり果てたカゾーランと並ぶと、対象的だ。


「もう終わりかな?」


 謁見が終わると、アンリは疲れた様子で伸びをする。侍従長が「お疲れ様です、陛下」と言っていた。ミーディアも緊張が解れて肩をおろす。

 少しも動かず、じっとしているのは骨が折れる。まだ動き回るほうが楽だった。


「そういえば、カゾーラン。その子は新しい見習いかな?」


 玉座から立ちあがり、アンリはミーディアを視線で示した。

 ミーディアは緊張しながら、背筋を伸ばす。


「おっしゃる通り。シエルと申します。カスリール侯爵の長男ですぞ」

「ああ、カスリール候の。なるほど、たしかに両親と似ておるな」

「腕は確か。立派な漢になりましょうぞ」

「はは。それは、頼もしい」


 アンリはミーディアの前に立つと、優しげな表情を作った。

 前世で会ったときは、もう少しぎこちない笑い方をしていたように思うが、いまはとても自然で表情も豊かだ。

 変わっていないと思っていたが……この人も、随分と変わったのだと思い知らされた。


「将来が楽しみだ。フランセールのために、存分に才を発揮しなさい」


 そう言うと、アンリはミーディアの頭を軽く撫でた。

 見習いとはいえ、もう十五歳。立派な大人として扱われはじめる頃合いだ。けれども、アンリはミーディアの頭をしっかりと撫で、肩を叩いた。


「は……はいっ!」


 ミーディアは一瞬、惚けたように放心した。だが、すぐに姿勢を正す。

 掌のあたたかみが頭に残る。

 前世で撫でられたときと同じように、嬉しいのだと自覚して、ミーディアは顔が赤くなる。

 今世では、たくさんの人に撫でられた。両親からも愛情を注がれている。怪我をして泣く幼いミーディアを、兄のシエルがよく慰めてくれた。

 自分はもう、愛情に餓えた軍馬ではない。

 それなのに、撫でられるのがこんなにも嬉しいと感じるのは、前世ぶりだろう。

 あのときは、興奮して頭に噛みついてしまった。いまも、抑えきれないくらいの感情が胸からわいてくる。

 しかし、認めたくない。

 この人は、元ご主人様をいじめた相手だ。

 主人とセシリアの仲を裂いて、自分の撫で撫でライフを妨害した人物でもある。

 ああ、でもでもっ!

 ミーディアはよくわからない葛藤に打ちのめされ、身悶えするしかなかった。






 ミーディアは職務の合間を見つけて、回廊の様子をうかがう。

 アンリに撫でられて以来、激しい葛藤を感じている。あの嬉しさがなんなのかわからず、日々悶々としてしまうのだ。

 こうして、アンリを遠くから見ることで、自分の気持ちを落ち着けようとしている。

 なにか。

 そう、このあいまいな気持ちに区切りをつける『なにか』を見つけたい。

 たとえば……ひとつでも幻滅する部分を決定打。そうすれば、前世からの気持ちも薄れるはずだ。そうだ、その作戦でいこう。


「陛下、陛下! どこにいらっしゃるのですか! また抜け出して!」


 遠くで、侍従長がアンリを探す声。

 それを聞きつけ、回廊を歩いていたアンリは彫刻の陰に隠れてしまった。

 ミーディアも、つられるように身を隠す。


「ああ、もう。陛下、このようなところにいらっしゃったのですね! さあ、参りますよ!」

「くッ……爺、よいではないか。少しくらい、私にも暇をくれ。あと、ここから抜けられなくなってしまった。助けてくれないか」

「今日は公務が詰まっておりますゆえ、辛抱なさいませ」


 彫刻と壁の隙間に挟まったアンリの襟首をつかんで、侍従長は無理やり引き抜いた。アンリは引きずられるように、自らの執務室へと連れ戻されるのであった。

 これは、いままでに見てきた国王としてのアンリからはかけ離れた姿。


「なんてことですか。陛下には、逃亡癖があったんですね。これは、ゆゆしき事態です。しかも、隙間に挟まって抜けられないとは……情けない! 幻滅点追加です!」


 ミーディアは嬉々としてメモ帳を開くと、ものすごい勢いで文字を綴った。

 こうやって、幻滅点を増やしていけば、いずれは落ち着くだろう。

 以後、ミーディアはアンリを観察しては、事細かくメモを記した。

 ここまで来ると、もはやただのメモではなく、観察日記である。そこに、ミーディアはできるだけアンリの悪いところを記し続ける日々を過ごした。


 別の日。

 いつものサボりくせを発症させたのか、アンリはまたフラフラと王宮内を歩いていた。

 この日は、侍従長を上手く撒いたらしい。彼がいつもどこへ行こうとしているのか気になっていたので、ミーディアもあとを追った。

 アンリがまっすぐに向かったのは、王宮の南側の端。政務にはなんの関係もない区域だった。おそらく、遊ぶつもりだ。家臣には秘密の遊びがあるのだ。


「遊び癖のある国王陛下。これは……きっと、幻滅しますね!」


 回廊を進んでいくと、立派な樫材の扉が見える。


「あれ?」


 記憶が正しければ、そこはアンリの息子――エミール王子の部屋だ。

 引き籠り姫と呼ばれる王子。軟弱の極みで、十年以上も部屋から出ないという噂だ。

 その王子に会いに来たのか。

 ミーディアは物陰から気配を殺して、アンリを観察した。

 しかし、アンリは扉の前で息をつくばかりで、一向に扉を開かない。挙げ句に、なにもせず、部屋をあとにしてしまった。

 別の日も、似たような行動が続いた。

 多いときは、日に三回は訪れているのに、いずれも息子の部屋の扉を開けなかった。ただ、扉を眺めて帰るだけ。

 だが、新しい教育係が来てからは、少し変化する。

 一度は部屋の中を覗いたらしく、気持ち悪いくらい満面の笑みを浮かべていた。

 王宮のエントランスまで散歩する王子と教育係を物陰からながめ、部屋の中の会話を聞こうと、扉に耳を当てている姿も見られた。

 要するに、息子の様子を観察しているのだ。

 なんて国王でしょう。

 自分の子に声もかけられないなんて。近づきもしないなんて。

 臆病で、軟弱で、情けなくて……。


「…………いい。なんか、可愛いです」


 いい。いいです! すごく、いいです!

 こんな可愛げがあったなんて、知りませんでした。わたしがもっともっと見守って、お守りしないと、心配です!

 どういうわけか、ミーディアはそんな思考に至っていた。思えば、元主人のことも、なかなかセシリアに手を出さない不甲斐ない部分を猛烈に応援していた気がする。

 こう……母性本能がくすぐられる。馬目線でも。

 気がつくと、唇がムニャムニャとなにかを噛むように動く。

 前世では、撫でられると相手の髪の毛をムシャムシャするくせがあった。前世の記憶に引きずられるのはよくないのではないかと思いつつも、やめられなかった。

 鼻息も荒くなる。なにか、髪の毛をムシャムシャする以外の対処法はないだろうか。

 困ったミーディアは、ソワソワと周囲を見回して歩きまわる。気持ちを落ち着かせなければならない。

 歩きまわったすえに目に留まったのは、アンリの執務室であった。

 いま、アンリはいつものように、エミール王子の部屋へ向かっている。侍従長も、それを追いかけていった。

 ミーディアは唾を呑みこみ、息を潜めた。

 周囲には、誰もいない。

 忍び足で近づき、サッと扉の内側に身を滑り込ませる。

 初めて入る部屋だ。

 構造はカゾーランの執務室と、あまり変わらない。部屋の奥に書き物机があり、壁には書架が並んでいる。絵画や調度品は高価なものだが、品があってシンプルだ。


「……はぁぁああ」


 ミーディアは部屋の空気を吸って深呼吸した。

 口がムニャムニャ動くのは変わらないが、心なしか落ち着く。自然に笑みまでこぼれた。


「ふふ、ふふふ」


 歌のように鼻息を鳴らして、ミーディアは書き物机に近づいてみた。


「ハッ……!」


 ミーディアは椅子にかけてあった上着を見つけてしまう。

 上品な刺繍が施された、深緑の上着が無造作に背もたれから垂れ下がっている。

 きっと、アンリが着ていたものだ。

 そう思うと、ミーディアは無意識のうちに手を伸ばしていた。

 くんくん。

 スーっと息を吸い込み、上着の匂いを嗅ぐ。すると、不思議と口のムニャムニャがおさまっていった。


「いい……この、なんとも言えない加齢臭。若造りの容姿とギャップがあります!」


 一頻り上着の匂いを嗅ぐと、ミーディアは満たされた気分になる。そして、観察日記に匂いについての事細かいメモを記す。

 もはや、書かれていることすべては幻滅点ではない気がしてきた。どれを思い出しても愛おしい。

 陛下は元ご主人様をいじめた悪者だと思っていましたが、とっても情けなくて憎めない人です。むしろ、元ご主人様のわたしへの不当な扱いに腹が立ってきました! その点、陛下は撫で撫でしてくださるし、馬目線で見ても、とっても素敵!

 そろそろ、誰かに見つかっては困る。

 ミーディアは元通りに上着をかけ直し、部屋をあとにした。




   † † † † † † †




「さあ、陛下。早く書類を片づけてください」


 捕獲したアンリを執務室に押し込みながら、侍従長がこめかみに血管を浮きあがらせる。


「判を捺すだけなら、爺が代わりにやってくれてもよいではないか。私はエミールが心配でたまらならんのだ」

「どうせ、教育係の令嬢がお目当てでしょう」

「それもある! いや、そっちはついでだ」

「まことにございますか?」

「……エミールが羨ましすぎてつらい……」

「はあ。お若いころは、なにをしても無気力で、どうしようかと思っておりましたが……しかし、いまの陛下はご自分に正直すぎますぞ」

「欲望に忠実だと言ってくれ」

「より悪いです。くれぐれも、余所でそのようなこと言ってはなりませぬぞ!」

「わかっているよ。このような口が利けるのも、爺だからだ」


 アンリは疲れた息をつきながら、席に着こうとする。

 だが、ふと、椅子の上に上着がかけてあるのを見つけてしまう。

 深緑の上着をじっと凝視し、アンリは不機嫌に口を曲げた。


「爺、いつも私物を置きっぱなしにするなと言っているだろう。加齢臭が移る」

「ああ、陛下。申し訳ありません。陛下を追いかけると汗をかきますので、そこに脱いで置いていたのですよ」

「気をつけてくれ。私がこんな爺臭い趣味だと思われたら、どうするのだ。国の存亡にかかわるぞ」

「かかわりませぬ。真面目に仕事してください」


 本当に、これが二十余年前にフランセールの危機を切り抜けた賢王なのか。

 侍従長は頭を悩ませながらも、いざというときは頼りになったから、きっといまも大丈夫。と、思い出にひたることにするのだった。





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