第11話
おめでとうございます、エミール殿下!
見事、お部屋の外に出てお散歩することが出来ましたわね!
ということで、今度はお茶をご一緒しませんこと? 良い茶葉が手に入ったので、是非、殿下に振る舞いたいのですわ。
場所は適当に選んでおきます。勿論、お花が綺麗で、気持ちよく日光浴出来る最高の場所を探すつもりですわ。お茶会には、それに相応しい環境がございますのよ。
時間になりましたら迎えに行くので、ご支度なさってくださいね。
――ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエ
これで、よし。
ルイーゼはエミールに宛てた手紙を、部屋の中へ投げ入れておく。
数秒後に、「え? え? えええええええ!?」とかいう絶叫が聞こえてきたが無視だ、無視。
部屋の外から空打ちする鞭の音だけ響かせておいた。顔を出して脅さなかっただけ、マシだと思ってもらいたい。
「さて、ジャン。参りましょうか」
「御意にございます、お嬢さま」
まずは、場所を決めなくては。
王宮に出入りする貴婦人から、事前にめぼしい情報は収集しているが、実際に見てみなくては決められない。
フランセールの王宮では、大庭園のほかに小さな区切りの庭がいくつも存在している。訪れる場所によって、印象が変わる宮として評判でもあった。
王宮では様々な貴婦人たちが集まり、サロンを開いている。許可さえあれば、王宮内のどこで食事や宴を開いても、いいことになっていた。
ルイーゼたちは、エミールの部屋にほどよい距離のポイントを探すことにする。
お茶会として貴婦人たちから人気のスポットは、やはり温室だろう。フランセールでは見ない珍しい植物や花に溢れ、気持ちの良い日光が降り注ぐ場所だ。
しかし、温室は人気がありすぎて、ティータイムには人が結構集まってしまう。きっと、エミールはお茶を口にする前に失神するだろう。
前世では王宮に出入りしていたが、男だったので、お茶会スポットには残念ながら疎かった。むしろ、そういう類の娯楽に興じる輩はあまり好んでいなかったと思う。
「あら、いい眺めですこと」
回廊を進んでいると、薔薇の庭園が見えた。
小さな噴水や石造りの東屋もあり、情緒がある眺めだ。咲き乱れる薔薇は、どれも大輪で、ベルベットのように上質な見応えがある。よく手入れの行き届いた庭だ。
こういう場所ならば、お茶会にピッタリだろう。
ジャン、すぐに準備致しましょう。そう言おうとしたルイーゼの耳に、奇妙な物音が入る。
「ぬうっ!」
あら、とても漢らしい声ですわ。何気なく視線を移した先で、動く影があった。
「ふんっ!」
薔薇園の片隅で、長槍を振り回して声をあげていたのは、――まさしく漢!
上半身についた筋肉を、惜しげもなく晒して鍛錬に励む男の姿があった。
盛り上がる胸鎖乳突筋に、割れる腹直筋。うねるような僧帽筋や、厚い大胸筋が汗によって美しい光沢を放っている。しなやかな外腹斜筋は芸術の極みだろう。
歳の頃は四十前後か。見事な筋肉を披露する壮年男性が、豪快に槍を振り上げて訓練に励んでいた。
あそこまでの肉体は、なかなかお目にかかれない。まさしく歴戦の戦士といった風貌だ。
「お嬢さま、目が輝いておりますよ」
「あら、やだぁ。ジャンったら。別に筋肉に見惚れてなどおりませんよ。ええ、そうです。見惚れているのではありません。決して、キュンときたりなどしておりませんわ。ときめいたりなど、していませんわよ!」
「筋肉がお好きなのですね。よろしゅうございます。このジャン、もっと鍛えてお嬢さまのご期待にそえてみせましょう」
「あなたが期待に応える必要は、ないのではないですか?」
「……よろしゅうございます。冷たいお言葉も、ジャンは有り難く受け止める所存です。むしろ、ご褒美にございます」
話が噛み合っていない気がする。
ルイーゼは、一人で勝手に腕立て伏せするジャンを無視して、筋肉の美しい中年に視線を戻した。
上半身を脱いでいるのでわからないが、近衛騎士の制服とは違うようだ。
だが、どうも見覚えがあるような、ないような。
ルイーゼは思い出せそうで思い出せない記憶をたどって思案した。しかし、前世まで遡っても、あのような美しい筋肉の持ち主に心当たりはない。
「まあ、他を探すことにしましょう。きっと、殿下は筋肉フェチではないと思いますので」
「よろしゅうございます。筋肉ならば、ジャンがなんとかいたします」
「あ、はい」
ルイーゼはジャンを伴って、再び絶好のお茶会スポットを探し求めることにした。
† † † † † † †
はて。誰かに見られていたような?
視線を感じつつも、男は鍛錬を辞めなかった。
隆々と盛り上がる筋肉が無駄のない動きを作りだし、振りかざした長槍が唸りをあげる。
ここ十年ほどで築き上げた己の肉体は、もはや芸術であると自負していた。筋肉こそが最上の美であり、全てである。
空気を突いた矛先の向こうに、歩き去る影が見える。どうやら、ご婦人が自分を見ていたようだ。
汗が盛り上がった筋肉の間を伝って光る。
「ここにいたんですねっ!」
己のことを呼ぶ声に、男は振り返る。
最近、近衛騎士に配属された部下が走ってきているのが確認出来た。まだ十五なので見習いだが、素質ある若者の一人だ。いつか国を背負って立つだろう。
「何事か。シエルよ」
名を呼ぶと、シエルと呼ばれた見習い騎士は、姿勢を正した。シエルは幼さの残る青空色の瞳で、まっすぐに上司を見上げる。
「はいっ! 侵入者の痕跡を発見致しましたので、ご報告を。すぐに西側の庭園へお越しください。カゾーラン伯爵!」
「なんと……承知した」
最上の肉体美を誇る男――カゾーランは短く返事をし、傍らに置いていた制服の上着を持ち上げる。
純白の上衣に輝く金糸の肩章。胸を彩るのは、翼を広げて飛び立つ天馬の刺繍。
エリック・ド・カゾーラン伯爵――王族の守護騎士≪天馬の剣≫の称号を持つ男。そして、十五年前に首狩り騎士クロード・オーバンを倒した英雄。
栄誉ある純白の衣装に袖を通し、カゾーランはゆっくりと、歩を進めた。
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