イフリートの試練
第26話 イフリートの試練(1)
襲撃から一週間が経った。
被害の酷かった南側のメインストリート付近の復興には、相当な期間がかかると思われる。フローと行ったブティックも、喫茶店も、雑貨屋も、周辺の全てが被害を被った。
ふたりで街を回ったのが、随分と前の出来事のように感じる。
人的被害は少なかったと聞いているが、近親者を失った者も少なからずいることだろう。
比較的被害の少なかった学園は、5日前からから再開していた。
しかし、僕の隣の席に彼女の姿はない。
あの日以来、バルコニーでフローが倒れて以来、彼女の意識は戻っていない。
ふと左側に目をやると、いつも笑顔があった。
当たり前のことのように感じていたその笑顔が、今はとても遠くに感じる。
講義の終了を知らせるベルが鳴った。
こんな状態でで講義を受けたって何も頭に入ってはこない。いっその事、午後の講義はサボってしまおうか。
そう考えていた矢先の事だった。
「ロゼライトはいるか?」
講義室の前の扉を開け僕の名前を読んだのは、ボサボサのダークブラウンの髪を無造作に結んだ、痩身長身の男。
スレート先生だ。
今まで僕らの授業を行っていた講師が、慌てて壇上から降りて、スレート先生に深々と礼をした。
「ロゼライト、いないのか?」
講師の礼を手で制し、再び講義室を見回すスレート先生。
「はい。何でしょうか?」
僕は立ち上がり、スレート先生の方に向き直る。
「ロゼライト、呼ばれたら直ぐに返事をするように。」
よく通る低い声で僕を注意するスレート先生。
講師が明らかに狼狽するのが分かる。
「まあ、良い。フローレンス王女の意識が戻った。頼みたいことがあるから、直ぐに実験棟に来るように。分かったな。」
それだけ言うと、スレート先生は扉を閉めて行ってしまった。遠ざかる靴の音が扉の向こうから聞こえる。
ちょっとぐらい待っててくれれば良いのにといつも思う。
周りに合わせようとしない性格のスレート先生には難しい提案だとは思うが。
「入れ。」
実験棟にあるスレート先生の部屋をノックすると、中の住人は低い声でそう言った。
僕は扉を開け、一礼してから中に入る。
スレート先生の部屋はとにかく汚い。
いや、正確にはとにかくものが多く、散らかっている。足の踏み場もないというのはこういう事かと、逆に感心するほどだ。
魔導書、歴史書の類から魔石や魔道具、よく分からない生き物の標本やホルマリン漬け。
いったい何に使うのかさっぱり分からないが、スレート先生曰く「万物は魔導を紐解く鍵となる」という事らしい。
何だこれは?
目についたのは、実験用の器具が無造作に置かれたテーブルの片隅に置かれていた卵型の透明な物体。
ベタベタと赤い肉片のような物が付着したその物体の中身は、緑色のゲル状の何かのようで、絶えず中で動き続けている。
僕は手に取って、それの中身を覗き込んだ。絶え間なく動き続けるその卵型の何かは、まるで生きているかのようだ。
「ロゼライト、気をつけろ。」
何だ?危険な物なのか?
「さっき、そこで昼飯をひっくり返したから、色々付いてるぞ。」
マジか?!
僕は直ぐに卵を置き、手を確認した。
赤い肉片かと思っていたのは、スレート先生の昼飯のミートソースか?!
しかもミートソースにはニンニクをたっぷり入れたのか、かなり臭いがキツイ。
「その卵だが・・・。」
僕に対して謝罪は無しか?
「ホムンクルス製造器という。」
ホムンクルス製造器?聞いたことがない魔道具だ。
「しばらくの期間、自分の魔力の届く範囲・・・つまり身につけておくと、吸収した魔力に応じて様々なホムンクルスが生まれるといった代物だ。」
それって・・・すごい魔道具なんじゃ無いか?
「片手間に私が作った。」
スレート先生のドヤ顔がすごい。
「欲しけりゃやるぞ。」
「こんな凄いものもらっちゃって、良いんですか?」
スレート先生の思いもよらぬプレゼントに僕は興奮した。
「それな、理論上は完成してるんだがな。」
スレート先生が遠い目で窓の外を見る。
「ホムンクルスが出来たことは無いんだよ。」
それって、完成してないじゃん!
「まあ、あれだ。身につけてて、気付いた点があったら教えてくれ。」
結局、僕で実験するって事ですね。
それでもホムンクルス製造器に興味が湧いた僕は、その卵型の魔道具を鞄の中にしまった。素直に受け取るのも癪に触ったので、わざと面倒くさそうな顔を作ながら・・・。
もちろんミートソースはきれいに拭き取った後で。
「さて、ロゼライト。本題に入って良いかな?」
近くにあった丸椅子に僕が腰掛けるのを確認したスレート先生は、僕の方に向き直ると話を切り出した。
「魔法にはそれぞれ相性がある。それは知っているな。」
僕は無言で頷いた。
火と水、風と土、光と闇。これらはそれぞれ相性が悪く、相殺し合い、同時に存在することは出来ないと言われている。
「相性の悪い精霊ふたつの加護を受けた導師は存在しない。」
スレート先生の言っていることは、世間一般に言われている事。つまり常識だ。
「果たして本当だろうか?」
スレート先生がこちらを伺う。
「本当・・・だと思います。」
「否。相性の悪いふたつの精霊の加護を受けた胎児は、より強い力を持っている方の加護精霊の力に、力の弱い加護精霊が耐えきれず、消滅させられてしまうのだ。」
全く新しい理論だ。
そして、加護精霊の消滅とは、本体である人間の魂の消滅を意味する。
「しかし、相反する精霊を体に宿している存在が一人だけ存在する。つまりフローレンス王女だ。」
何故、魔人だけが相反する精霊の加護を受けられるんだ?
「それは、フローレンス王女の中で、4精霊の力が全く同じ力で均衡を保っているからだと、考えられる。」
これまで興奮気味に話していたスレート先生が、突然静かな調子で言葉を紡ぎだした。
「文献に記されている魔人は、例外無く短命の宿命にある。」
そ、それって・・・。
「何らかのきっかけで、均衡を保っていた精霊の力に歪が生じることがある。」
きっかけって、まさか魔族の襲撃?
「火の精霊の力を使いすぎたのか、火の精霊の力が強くなってきてしまっている。このままではフローレンス王女の中に存在している水の精霊は消滅する。」
「どうすれば助けられますか?」
僕はスレート先生に詰め寄った。
「とても難しい事だ。」
「でも方法があるから僕を呼んだんでしょう?」
真っ直ぐにスレート先生の目を見て、僕は言った。
「すまないな。頼むつもりで呼んだのに、少し弱気になった。」
スレート先生が力なく笑う。
「方法は一つ、それは・・・。」
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