第18話 懐かしい家

 ジョゼフィーヌは貴族街を出て、懐かしい王都を歩いた。侯爵令嬢になってからは、街に出たことなどなかったが、街の様子は当時とあまり変わらない。


 家族でよく行ったヤマイモ亭が見えてきて、ジョゼフィーヌの足取りは軽くなった。ここまでくれば、懐かしい我が家まで、もうすぐだ。


 仕事をする人々が行き交う通りを一本入るとスージーを連れて、近所の子たちと集まっていた空き地が見えてきた。当時と同じように子どもたちが遊んでいるが、残念ながら知っている顔はない。あの頃、一緒に遊んでいた者たちは、もう仕事をしている年齢なのだろう。


 よく考えてみれば、あれから何年も経っているのだ。スージーも働きに出ていてもおかしくない。


 留守だったら、今日は家だけ見て帰ろう。近所の人に伝言を頼んでもいいかもしれない。そんなことを考えながら、ジョゼフィーヌは足早に自宅を目指した。


「懐かしい」


 ジョゼフィーヌが10歳までを過ごした一軒家は今もそこにあった。


 ただ……


「カーテンが掛かってない?」


 一見すると記憶と変わらない我が家だが、人の生活を感じない。スージーと2人で水をあげていた玄関先の花壇にも、枯れた草がはえているだけだ。


「もしかして、セリーヌちゃん?」


 ジョゼフィーヌは昔の名前を呼ばれて振り返る。そこには、記憶より少し老いてはいるが、見覚えのある女性が立っていた。


「大家のおば様……」


「やっぱり、セリーヌちゃんね。美人さんになったわね」 


 家族で暮らした家の大家さんが、ジョゼフィーヌの顔を懐かしそうに見つめる。自身も近所に住んでいる大家さんは、掃除道具を手に持っていた。


「あの……、父やスージーは?」 


「聞いていないのね……。3年ぐらい前だったかしら? 引っ越してしまったのよ」


 大家さんは言葉を濁したが、ジョゼフィーヌがしつこく聞くと、家賃が払えなくなって出ていったのだと教えてくれた。


「次の借り手が決まるまでは住んでいて良いって言ったんだけど……」


 父は大家さんの申し出を断ったようだ。ジョゼフィーヌの知る父はそうするだろうと納得がいく。今も新しい借り手が決まっていないため、大家さんが時々掃除に来ているらしい。


「もしかして、滞納している分がありますか?」


「大丈夫よ。心配させちゃったわね。あなたのお父さんがきちんと持ってきてくれたわ。いらないって言ったのに真面目な人よね」


 父に最後に会ったのは、2年近く前のようだが、少なくともその頃は元気そうだったようだ。


「なんとか生活出来ているって言っていたわよ」


 ジョゼフィーヌはホッと息を吐く。食べられないほど困窮して引っ越したわけではないのだろう。


 それにしても、ジョゼフィーヌがトネリコバ侯爵家に引き取られたことで、実家の生活も良くなると聞いていた。侯爵家から支援金が出ているはずなのだ。それなのに、父たちはジョゼフィーヌがいた頃以上にお金に困っている。ジョゼフィーヌは叔父や侯爵に騙されたのだろうか。


「今、どこに暮らしているか分かりますか?」


「ごめんなさい。聞いてないのよ」


 とにかく父の話を聞きたかったが、会える方法が思いつかない。父の仕事場は叔父の家の家業を調べれば特定できるだろうが、伝手もないし侯爵に知られれば問題になる。


「雰囲気が変わっていたから、見間違いかもしれないけど……。スージーちゃんなら、一度だけ、ヤマイモ亭の前で見かけた事があるわ」


 大家さんがジョゼフィーヌを不憫に思ったのか遠慮がちに教えてくれた。


「いつ頃ですか?」


「いつだったかしら……。たぶん、今年に入ってからだったと思うけど……」


 大家さんは、それ以上のことは知らないようだ。ジョゼフィーヌは、お礼を言って大家さんと分かれると、来た道を戻ってヤマイモ亭の前まできた。


 大家さんがスージーらしき人を見かけたのはこの辺りだ。ぼんやりと人が行き交うのを眺めてみたが、それなりに多くの人が通る道で、偶然通りかかるのを見つけるのは難しい。


『調理手伝いと配膳係募集! ヤマイモ亭』


 フッとヤマイモ亭に視線を移すと、そんな張り紙が目についた。ヤマイモ亭は家族で訪れていた場所だ。大家さんの目撃情報もあるし、ここで働いていれば、もしかしたら父やスージーが来るかもしれない。


 ジョゼフィーヌに配膳係の経験はないが、男爵令嬢時代には忙しい父に代わり料理もしていたので、それなりに働ける自信もある。


 ジョゼフィーヌの療養期間は、まだ半分以上残っているし、フェルディナンに宛てた手紙で体調が戻ったことを報告したが、復帰の時期は変わらなかった。


 復帰までの期間だけでも働いて何か情報を掴めれば……


「あの……、ここで働きたいんですけど……。お昼の営業だけでも大丈夫ですか?」


 ジョゼフィーヌは勢いに任せて、その日のうちにヤマイモ亭で働くことを決めてしまった。

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