第15話 彼女のために【フェルディナン】

 フェルディナンはジョゼフィーヌを仮眠室で休ませたあと、秘密裏にに移動させた。


 王宮にいると噂が立つ可能性があるし、一癖もニ癖もある侯爵のもとへは返したくなかったからだ。


 ジョゼフィーヌは身体が弱っていたようで、熱に魘されながら何日も苦しそうにしていた。眠っていないときでも、フェルディナンや医師の声掛けにほとんど反応しない。


 フェルディナンは、このままジョゼフィーヌが回復しないのではないかと不安に思いながら過ごした。



 ロザリーから、ジョゼフィーヌと話ができたと報告を受けたのは、ジョゼフィーヌが倒れてから7日後のことだった。フェルディナンはすぐに急ぎの仕事を終わらせて別邸に向かう。


「薬が効いたのか、お休みになっています」


「そうか」


 フェルディナンは眠っていると聞いて、逆に安心してジョゼフィーヌの寝室の扉を開けた。ジョゼフィーヌが起きていたら、ロザリーに話だけ聞いて帰るつもりでいたのだ。体調の悪いジョゼフィーヌを煩わせたくはない。


 フェルディナンが静かにベッドへ近づくと、ジョゼフィーヌは不安そうな顔をして眠っていた。フェルディナンはジョゼフィーヌの瞳に浮かんだ涙をそっと拭う。


「何かあったのか?」


「ジョゼフィーヌ様は殿下との婚約解消を心配されているようでした」


「なぜ?」


「それが……」


 ロザリーの話によると、どうやら、ゆっくり休ませようと思って、休暇を与えたことが裏目に出てしまったようだ。かなり痩せていたし、皇太子妃教育が負担なのだろうと考えていたが、そうではなかったのだろうか。


「ロザリー。なるべく、ジョゼフィーヌの望むような生活をさせてやってくれ」


「畏まりました」


 ロザリーはフェルディナンの乳母であったクレマンの母親とともにフェルディナンを生まれた時から見守ってくれていた侍女だ。皇太子の世話係に抜擢されるほどの人物ではあるが、貴族ではないため、ジョゼフィーヌが緊張することも少ないだろう。


「殿下もジョゼフィーヌ様が起きていらっしゃるときに、お見舞いに来て差し上げてくださいね」


「ジョゼフィーヌは嫌がらないだろうか」


 ジョゼフィーヌはフェルディナンの前ではいつもガチガチに緊張している。会いに来ることで、回復の妨げにだけはなりたくない。


「無断でベッドに入ったりしなければ、大丈夫ですよ」


 ロザリーの視線がフェルディナンに突き刺さる。フェルディナンは無言で視線をそらしてジョゼフィーヌの髪をなでた。それでも、ロザリーはじっとりとフェルディナンを見てくる。


「べ、別に不埒な真似はしていない」


 フェルディナンは堪えきれなくなって言い訳を口にした。


「当たり前です。婚約者とはいえ、相手は未婚のお嬢様なのですよ」


「ああ、分かっている」


 ロザリーはフェルディナンが相手でも遠慮がない。念を押すような視線を寄越してから、部屋を出ていった。


(うっかり、ジョゼフィーヌのそばで眠ってしまったのが良くなかったな)


 最初はフェルディナンにもそんなことをする気はなかったのだ。


 薄っすらと目を開けたジョゼフィーヌに水を与えるため、力の入っていない身体を抱き起こしただけだった。水を飲ませているとジョゼフィーヌがフェルディナンに身体を寄せて眠ってしまった。ずっと魘されていて眠れていないようだと聞いていたジョゼフィーヌがすやすやと眠っている。その姿を見て、弱々しくフェルディナンの服を握っている手を引き剥がすことが出来なかったのだ。


(まぁ、ロザリーに見られたのは、その日じゃないから言い訳にもならないが……)


 フェルディナンに気を許しているかのように眠るジョゼフィーヌが可愛らしくて、魘されている姿が痛々しくて、見舞いに来るたびに抱きしめて声をかけた。


(ジョゼフィーヌは何も覚えていないのだろうな)


 覚えていたなら、婚約を解消されると不安になったりはしないだろう。あんなに無防備にフェルディナンに縋っていたのだから。


 フェルディナンは眠っているジョゼフィーヌを静かに見つめる。ジョゼフィーヌが苦しそうに身じろぎするので、フェルディナンは小さな手を握った。


「俺はお前の味方だから心配するな」


 フェルディナンは、ジョゼフィーヌの表情が和らいだ気がして、ホッと肩の力を抜いた。


(ジョゼフィーヌのために俺は何ができるだろう)


 フェルディナンはクレマンから渡された資料の内容を思い出す。そこにはジョゼフィーヌを取り巻く環境についての調査結果が書かれていた。


 とりあえず、ジョゼフィーヌを蔑ろにしていた侯爵家の使用人からは離す事ができたが、他にも問題はありそうだ。


(すぐに動けるのは、ハナノキ男爵家についてだな)


 初めて会った日のジョゼフィーヌには、皇太子妃になりたいという野心はなかった。そう考えると、何か理由があって侯爵家の養子になった可能性が高い。


 調べさせたら、ジョゼフィーヌの本当の父親が侯爵家の分家のもとで働いている事が分かった。裕福ではないようだし、親を人質に取られているような状態なのだろう。


「侯爵から自由になっても、俺のそばにいてくれるか?」


 眠っているジョゼフィーヌは、フェルディナンの疑問に答えない。


「本当は誰に『そばにいて』欲しかったんだ? 俺……ではないんだろうな」


 フェルディナンは自嘲気味に笑うと、ジョゼフィーヌの手にそっと口づけを落とす。ジョゼフィーヌに上掛けをきちんとかけ直して、静かに部屋を出ていった。

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