夢見草が咲くころに

相内充希

夢見草が咲くころに

「鈴~、見て見て。これ尊くない? 控えめに言っても尊いよね!」

 黙々と帰り支度をしている私に、実乃里ちゃんがスマホの写真を見せてくる。

 そこには彼女の飼い猫が二匹寄り添うように寝ていて、その可愛さに思わず笑みがこぼれた。

「あ、笑った。やっぱ、うちの子最強!」

 ケラケラと呑気に笑っているけれど、やっぱり実乃里ちゃんは私を励まそうとしてくれたみたいだ。


 それを見て、今度は由衣ちゃんがとっときの画像なるもの出してくる。

「尊さならこれも負けない!」

 そこにはイケメン達がじゃれ合うイラスト。一人は大人っぽいお兄さんキャラで、やんちゃそうなもう一人は弟っぽいキャラ。

 由衣ちゃんの好きなゲームの絵だけど、多分これは彼女のお姉さんが描いたものだ。違う高校だからあまり会ったことはないけれど、めちゃくちゃ美人のお姉さん。

「相変わらず上手だね」

 感心して頷くと由衣ちゃんは照れ臭そうに笑った。

「鈴、この二人のビジュアル気に入ってたみたいだから、お姉にリクエストしたの。今届きたてホヤホヤ」

「え、そうなの。嬉しい」


 私はその絵を見て、あふれ出す懐かしい気持ちに胸がきゅっと痛くなる。

 懐かしい? ううん、有り得ない。こんな光景はなかったんだから。

 でも切なさに胸が痛い。


「やっぱり鈴もやろうよ。はまるよ?」

 私の表情に気づいた由衣ちゃんがゲームに誘ってくれるけど、

「むしろズブズブにはまりすぎそうだから止めとく」

 と笑って手を振る。いつもの会話にホッとした。


「さあ、帰ろう。何か食べていこうよ」

「あ、私駅東のカフェに行きたい。クーポンあるんだ」

「いいね。鈴もそこでいい?」

「いいよ」




 修了式が終わり、明日から春休み。

 先週までの寒さが嘘みたいに、空の色も春めいてる。

 カフェには同じ高校の人が結構来ていて、こっちを見てひそひそしている子もいる。でも気にしない。私は悪いことなんてしていない。

 実乃里ちゃんは相変わらず「尊い」猫写真や動画を見せてきながら、

「やーねー。うちの子が可愛いからって」

 うふっと、普段は見せない迫力ある笑顔で一瞬そちらを見た。

 猫と見せかけて、うちの子とは私のことだ。

「うちの子には王子様がいるんですよ~」

「二階堂も、もう少し考えろっての」

 由衣ちゃんが苦々しく言って、アイスティーのストローをくわえた。



 私はついさっき、二階堂君に告白された。

 二階堂君は結構かっこいい男子で、クラスは違うけど一年でも目立つ存在だ。接点と言えば、前期の委員が一緒で、一度だけプリントまとめを一緒にしたことがあるくらい。後期で委員が変わったあと、廊下で一度「試合が近くて、委員までは出来なくなったんだ」と、なぜか言われて不思議だった。

 会話したことなんてそれくらい。会えば挨拶くらいはするけど。


 だから修了式が終わって教室に向かっている時に突然腕を掴まれて、

「九谷鈴さん、俺と付き合って」

 と言われた時は、正直告白だとは思わなかった。

 でも周りでは彼の友達がニヤニヤしてるし、女子は悲鳴を上げるしで、ようやく状況がつかめた。


 余裕の笑みを浮かべるの二階堂君に、「ごめんなさい」と頭を下げたのがよくなかったのかな。プライドを傷つけたのかも。

 一瞬にしてどす黒く染まった彼の顔は仁王のようで恐ろしく、私は思わず後ずさる。

 でもなぜか文句を言ってきたのは、彼の友人たちや周りの女子の方。

 二階堂君は必死に感情を押さえてくれた。掴まれた腕は痣が出来るくらい強かったけど、ハッと放してくれた時には「ごめん」って言ってくれたし。

 でも、周りのひそひそ声の中に混ざる悪口の中に、「神隠し」の言葉が聞こえ、私は由衣ちゃんたちに手を引かれて足早にそこから去ったのだ。




 私、九谷鈴は、少しだけ有名らしい。

 理由は今から十年前。私が山で、二か月以上行方不明になったことがあるからだ。

 山といっても、当時住んでいた祖父母の家のある場所で、消えたのは自宅の庭だったらしい。お母さんが洗濯物を干している横で遊んでいたはずの私が、ほんの少し目を離したすきに消えたという。


 気が付いたときには十年桜の下に立っていた。

 祖父母の家から少し離れた山頂近くにあるこの桜は、樹齢千年とも言われる大きな桜だ。でも滅多に花を咲かせることがなくなり、十年に一度くらいは満開の花を見せるというところから十年桜と呼ばれている。

 その十年桜があの日、月夜を照らすように一気に満開の花を咲かせた。

 その根元にぽつんと立つ私を、たまたま夜桜を見に来ていた旅行者に発見されたのだ。警察に通報されたんだったかな? そのままその旅行者のお姉さんたちと待っていたら、おまわりさんやお母さん達、それから救急車なんかもやってきて大騒ぎだった。


 でも私は、消えたその日のままの装いで何も覚えておらず、キョトンとしてるだけ。

 身ぎれいなままだったから、時間を超えたのでは? なんて話もあったらしい。

 元々この十年桜には神隠しの伝説があるから、地元の人たちは何となくその話題には触れなくなった。

 神隠しにあった子は、天狗だか精霊だか、あるいは神様だかの伴侶だって迷信があるからだ。いずれ神様の妻になる子かもしれないから、そっとしよう。そんな感じなんだと思う。


 でも新興住宅地なんかに住む後から来た人達には、それこそただの迷信。その人たちにとって私はちょっと腫れものとか、場合によっては忌避される存在に見えるらしい。

 当時ニュースも流れちゃったから、検索すると結構面白おかしく書かれていることも知っている。


 でも気にしない。気にする必要なんてない。


夢見草ゆめみぐさの咲くころに会いに行く』

 当時からぼんやりと残る約束の声はとても優しかったから。

 私はいつも守られている。そう思えた。




 大きくなるにつれて夢を見るようになった。

 そこは常春の世界。

 私の前でぺこぺこと謝る男の子。その後ろに、白い髪の綺麗なお兄さん。

 徐々に夢がはっきりしてくると声も聞こえてきた。


『本当にごめん。絶対帰してやるから』

 叱られたのか半べそをかいている男の子・コタロウは私にそう約束をした。

 その子やお兄さんたちの話によると、コタロウが外の世界から帰ってくるときにコケて、たまたま近くにいた私を掴んでしまったそうだ。それで一緒にコテンと、あちら側の世界に転がり込んだという。


 意味は分からないし、おうちには帰れないしで大泣きする私に、コタロウは声をかけたり花を持ってきたりと、一生懸命慰めてくれた。

 自分のせいとはいえ、同じ年頃の男の子が癇癪も起こさず慰め、元気づけ続けてくれた。今思えば大したものだと思う。


 だんだん元気になった私はすっかり彼と仲良くなって、昼間は元気にコタロウと走り回るようになった。

 花を摘んだり、川に葉っぱの船を流したり。木に登った時には、見える景色の美しさに夢中になった。

 うん。あれは精霊とか神様の領域だったんだと思う。

 羽の生えた人に抱っこされて空を飛んだことさえあるんだもの。


 あんなに幸せな日は二度とないんじゃないかと思うくらい、キラキラした日々。

 でもお母さん達に会えなくて悲しかった。

「お母さんに会いたい」

 そう呟く私に、コタロウは困ったような、泣くのを我慢してるみたいな顔になる。それを見ると私も泣きたくなるから口にしなくなり、元の生活を少しずつ忘れていった。


「ずっとここにいたいな」

 本気でそう思い始めていた私にコタロウは嬉しそうに笑うけど、他の人たちは難しい顔になる。白い髪のお兄さん(名前はユメミさん)はいつも、

「本当にそう思う?」

 と、不思議な目をした。遊び疲れてウトウトしていると、

「人の命は短いけれど、僕にとってはそれがとても尊くて、何よりも愛しいんだよ」

 と、不思議なことを言っていたっけ。




 どれくらいたったのか。

 ある日ユメミさんが私を高い高いしながら、『鈴。待たせたね。帰る準備が整ったよ』と言った。

 嬉しくて、でも寂しくて。また来れるかって聞いたら首を振られた。


 帰りたくないと思ったけどお母さんに会いたいから、コタロウと最後の散歩をした。野原でいっぱい遊んで、最後に彼はシロツメクサの指輪を作って指にはめてくれる。

「俺、鈴のことが大好きだ」

「うん。私もコタロウが大好き」

 会えなくなるのは嫌。

 その言葉を飲み込んでぽろっと涙をこぼすと、コタロウは「大人になったら」と呟いたまま黙ってしまう。長いこと続きを待っていると、真っ赤になった彼は、

「夢見草の咲くころに会いに行く。そしたら俺の嫁さんになってくれないかな」

 と、怒ってるみたいな声で言った。

「いいよ」

「本当に?」

「うん。そしたらまた会えるんでしょう?」

「うん。じゃあ約束だ」

「約束」


 ほっとしたように笑って指切りをした。


 私が帰るとき、どんどん周りの景色が消えていくのが怖かった。そんな中、見送りに来たユメミさんとコタロウだけが最後まで見えて――、気が付くとすべてを忘れた私は十年桜の根元に立っていたのだ。




 由衣ちゃんの見せてくれたイラストは、ユメミさんとコタロウに似ている。

 夢の中のコタロウは、どんどん大きくなっていた。

 最初にゲーム画面を見たとき、思わず「コタロウ?」と呟いた私の話を、笑いもせずに聞いてくれた由衣ちゃんと実乃里ちゃん。

 どこまで信じてくれたかは分からないけれど、二人はいつも私の味方で、きっとコタロウは「鈴の王子様」なんだと笑ってくれる。



「ねえ、これ見て。桜の別名だって。知ってた?」

 実乃里ちゃんがカフェのミニ新聞を指すと、そこには綺麗な桜の写真。

挿頭草かざしぐさ、たむけ花、夢見草。へえ、なんだか綺麗だね」

「夢見草?」

 その名前に胸が高鳴る。

 夢見草は、空想の花だとばかり思いこんでいた。


 桜の季節にコタロウは来るの? また会えるの?

 今年は十年桜が咲きそうだと祖父が言っていた。


 突然由衣ちゃんたちが驚いたようにポカンとする。


「鈴……」

 不意に後ろから聞こえた低い声は、初めて聞くのに懐かしくて……。

 私はその人の名を呼ぶ準備をしながら笑顔で振り向いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢見草が咲くころに 相内充希 @mituki_aiuchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ