跳べ

霜月かつろう

第1話

 マイクを通してリズムを刻んでいる重低音がスピーカーから発せられる。間近で聞いていてもそれが人が出している音とは思えないほどにその音は辺りに響き渡っている。それが五臓六腑に染み込むのが分かって体が芯の底の方から震えるのが分かる。これは恐怖じゃない。武者震いだ。覚悟を決めて顔を上げた。


 ショッピングモールの吹き抜けの広場に集まっている人たちの多さに少しだけその場所から逃げたくなるくらいにビビってしまっている。広場にあるビニールテープで線を引いただけの簡易ステージの袖でその光景を茫然と見ていた。

 さっきまでの事を思い出しながら今更だけど場違いなところにいるのを実感する。休日のショッピングモールはそれなりに賑わいを見せていて親子連れからカップルまで多くの人が行き交って入る。その中でそれ以上の単位で集団行動しているとどうしても目立つ。用意された待機室から広場に向かうまでの短い間でもいちいち気になってしまった。

 パフォーマンスをすると決まった時から尋常じゃないくらい緊張していた。ダブルダッチ教室に通うようになってから数カ月が経った。二本の縄を使ってパフォーマンスするその姿を観客として見た時の感動を思い出してさらに緊張する。あの舞台に自分が立つなんて想像もしていない。いや、少し考えればわかるはずなのだ。自分と年も変わらない子たちがパフォーマンスしていたのだから、教室に通えば自分もそうなることくらい想像できた。それでも想像しなかったのは自分が上手くできている自信がなかったからだ。ステージに立つことが出来るなんて思いもしなかった。

 それでも今はこの場所に立っている。そうして自分の出番が近づいてくるのをドキドキしながら待っているのだ。自分の出番は難しいことなんかしないしできない。高速で回る縄を走りながら跳んで入って跳んで出るだけだ。それを何回か往復するだけ。それをみんなで連続でやると迫力が出る。しかし誰かが引っ掛かってしまえばそこで縄は止まってしまうから責任は重大だ。それを思い出して胃の辺りがキリキリしてくるのが分かる。

 ちらりと先生の方を見る。先生と言ってもまだ若くて大学を卒業したばかりだと言っていた。なんなら今日のパフォーマンスも中心にいるのは先生だ。ひとりでしゃべってひとりで演技して。すごい人なのだと思う。少しでも先生みたいになりたいなんて思ったこともあったけど、今はそうでもない。なれないと思ってしまったから。

 先生はこちらの視線に気が付いてにこりとしながらウインクを飛ばしてくる。それが嫌味にならないのは少しおちゃらけていてそれくらい日常だと思わせる何かがあるからなのだろう。

 大丈夫。口がそう動いた気がした。こちらが不安なのをちゃんと見ててくれたのだと思うと少しだけ頑張れそうな気がしてくる。

 音楽が軽快に流れる中で仲間たちがそれこそ軽快に二本の縄を自在に操り、自在に跳びまわる。技が決まるたびに拍手が巻き起こり先生のトークも絶好調。広場は足を止める人達であふれ始めていく。

 その光景にだんだんと頭が真っ白になっていくのが分かった。自分が今からその場所に立つなんてとんでもないことだと思い始めてそれがとまらない。

「さっ。行くよ」

 そんなときに先輩に声をかけられたものだからほんとにその場に跳びはねてしまいそうなほど驚いた。

「大丈夫?顔色悪いみたいだけど」

 そう心配してくれるがここまで来て引き下がるわけにもいかない。前のパフォーマンスが終わったのか音楽が止まって何人もの人がステージ袖に帰ってくる。それと入れ替わるように自分たちのチームがステージへと上がった。観客が近づくにつれ皆が期待しているのが分かる。

「さあ、新人たちの出番です!みな緊張してるけど一所懸命跳びますので声援のほうよろしくお願いいたします!」

 先生の一言で音楽が鳴り始める。それと同時に縄が回り始める。大丈夫いつもどおりだ。いつもどおり跳ぶだけでいい。

 合図と共に最初の一人が走り始める。それについていくように次々に走り始める。縄を見てリズムに合わせて跳べばいいだけだ。前の人の背中を見ながら自分も走り始めた。前の人が跳ぶ。着地。自分の番だ。足に力を込めて跳ぶ。縄が自分の足の下を通過したのを確信してから着地。そして跳んでから走り抜ける。うまく行った。連続で跳びまわる姿に拍手がまばらだけど聞こえてくる。いけるぞと少しだけ自信が沸いてくる。くるりと走りながら方向転換して次に備える。止まることなく二巡目が始まっている。乗り遅れない様に前の人に付いていく。

 そこまでは良かった。突然前の人が少しだけつまづいた。それに合わせて自分のリズムが少しずれた。前の人は立て直すのは早くて、なんなく跳んでいく。自分は頭が真っ白になってしまってリズムが頭に入ってこない。音楽も観客の声と共に反響してよく聞こえない。それでも跳ばなくてはならず、縄を見ながら跳んだ。でも縄は足の下を通ってくれなくて、靴にペシッと軽い音を出して縄は止まった。それでもここから走り抜ければ縄はまた回り出してくれるはずだ。これくらいのミスは練習でもなんどもあった、それでも走り抜けるのが重要で流れを止めるほうがいけないと教わったからだ。慌てて縄の外に出る。その時少しだけ、笑いが観客から聞こえた。

 恐怖が途端、襲い掛かってきた。みんなが自分を見て笑っている気になってくる。しかしまだ跳ばなくてはならない。すでに先頭は三巡目が始まっている。先ほどと同じように前の人に付いていく。でもどんどんと高鳴る心臓を自分で抑えることが出来なくなっている。呼吸も荒くなる。今度は何事もなく前の人が跳んだ。

 だけど、自分の足が固まってしまった。縄を前にして足が止まる。どうしていいか分からなくなっていた。

 当然の様に観客からざわめきが生まれる。周りも心配そうにこちらを見ている。後ろの人も大丈夫?と声をかけてくれるけれど体は固まったままだ。やばい。なんとかしなくてはと思えば思うほど体は動いてはくれない。

 突然音楽が止まった。先生も諦めてしまったのかもしれないと泣きそうなる。その時だ。スピーカーから重低音が聞こえてくる。観客も何事だとその音の発生源を探す。それは先生のボイスパーカッションであることを自分は知っていた。

 スピーカーから響き渡るそれはとても人が発しているとは思えないほど完成されている。縄を持っている人も何かを察したのかその先生の刻むリズムに合わせて縄を回し始める。

 先生は跳べと言っているのだ。このリズムに合わせて。ゆっくりでもいいからと。

「さぁ。一緒に手拍子をお願いします!」

 先生の掛け声と共にて刻むリズムに手拍子が乗る。まるでこのために自分が止まったみたいに演出されたら跳ぶしかない。リズムが五臓六腑に染みわたっていく、そうしてから体が芯の底から震えるのだ。これは恐怖の震えじゃない。そう武者震いだ。

 やっぱり先生みたいになんてなれそうにない。凄すぎる。でも、これからもいろいろなことを教えてもらいたいから。

 覚悟を決めて顔を上げた。そこから見える景色は決して忘れることはないほどに輝いて見えた。

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跳べ 霜月かつろう @shimotuki_katuro

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