第4話『みそ汁と手紙(後)』
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瞳さんは推理を披露し始める。
「まずね、0と1の組み合わせだからと言って二進法が関係するとは限らない。それにこれは暗号なのよ。二進法だったらそのままじゃない」
「いや、でも、んー。そっか」
反論しようと思ったけど、確かにそうだった。
そのままで暗号とは言わないだろう。
「それに普通の人は二進法なんて覚えているかしら?」
「でも、お母さんはパソコン使う人だよ。プログラムとかつくる人って二進法とか使うんじゃないの?」
「お母さんが勉強したのはあなたを産んだ後の話よね。その当時はまだ違ったんじゃないかしら?」
そう言われるとそうだった。
お母さんはぼくを産んだ後に独学で勉強したのだから。
「ん? ということは、二進法でも暗号になるんじゃない? それにさ、だから二進法にお母さんが興味を持って、パソコンの勉強を始めたって素敵な想像じゃないかな」
瞳さんは「素敵ね! それは本当に素敵ね!」と拍手した。
「確かにそれは美しい。けど、正解の現実も今回は捨てたものじゃないわよ? それにね、暗号って方向性が分からないから面白いの。大士郎くんのお父さんは知識を絞って暗号にしたのよ」
「お父さんが知識を絞って」
「でも、この暗号は絶対に解かれなければならない。何故ならこれはとても大切な言葉だから。でも、簡単に解かれても嫌だった。ふふふ、素敵な矛盾ね」
「もう! じゃあ、これって結局何なの?」
瞳さんは手紙を指し示しながら言った。
「まず、これは十五文字で構成された言葉よ。そして、十文字目と十二文字目、十一文字目と十四字目は同じ言葉になる」
確かに同じ数が使用されている。
でも、そんな言葉なんて幾らでもあると思う。
「暗号ってのはね、伝える側に対して共通の鍵が必要になるの。それはあらかじめ用意しておくか、もしくはその手紙の中に含めなければならない」
「それってどういう理屈なの?」
「理屈じゃないわ。美学よ」と、どこかとぼけたように瞳さんは言った。
「じゃあ、この手紙の中身から察するにあなたのお父さんの職業は船乗りね」
「うん」
NMはノーティカルマイルの略で、船乗りが使用する単位らしい。
ちなみに1NMは1852m。
お父さんは海上自衛官なのだ。
「それはあなたのお母さんも当然知っている事実だった。だから、これが共通の鍵と考える。さて、で、とても有名な信号を船乗りは使用する。知っている?」
えっと、確かお父さんが教えてくれたことがある。
「モールス信号のこと?」
「そう。情報が隔絶された状況下では選択肢は少なくなりがちよ。もし、あなたのお父さんが信号と関係のない仕事をしていても、調べる手段はいくららでもあるでしょうしね」
お父さんは航海科の信号員なので専門職だから詳しいに違いない。
「じゃあ、1はツーで0がトン?」
「正解」
瞳さんに言われて、ぼくは身を乗り出す。
「えっと、じゃあさ! 何て書いてあるの?」
瞳さんは笑顔で言った。
「さぁ? すぐには分からないわ」
「え? 分かったんじゃないの?」
「私もモールス信号の和文なんてすぐには分からないわ。想像しただけよ。でも、多分、間違っていない自信はあるわ。一応携帯でモールス信号を調べて、答え合わせしてみましょうね」
そう言いながら瞳さんが調べ始めて、ぼくはちょっと混乱した。
「解けていないのに、何で分かるの?」
「みそ汁」
瞳さんはちょっとだけ顔を上げて、面白そうに言った。
「え?」
「これは元々みそ汁から始まったお話よね」
「う、うん」
ぼくも少し忘れかけていたけど。
「つまりは終わりもみそ汁に繋がるの」
多分だけど、こんなメッセージになるんじゃないのかなと言いながら、瞳さんはすらすらとメモ帳に記入した。
マイニチミソシルヲツクツテクレ
――毎日みそ汁を作ってくれ
「これなら、十文字目と十二文字目、十一文字目と十四字目は同じ言葉になるしね」
瞳さんは調べているが、聞いているぼくの方が完璧だ――と思うくらいに卒の無い答えだった。
5
あとはほんのちょっとした蛇足である。
これはずいぶん、後になって聞いたことだけど、当時のお父さんについてのお話だ。
お父さんは大学を中退し、練習員課程を経て、艦艇勤務を始めた頃からお母さんと付き合っていたらしい。
でも、次の年には練習艦隊の遠洋航海に付き合って五ヶ月間の長期出港。
連絡もろくに出来ない長距離恋愛になってしまった。
それに対して、お母さんは花の大学生活――お母さんは当時からモテモテだったので、嫌な虫がつくことを恐れてのプロポーズだったらしい。
酔っ払ったお父さん曰く、
「いやさ、実習幹部と年が近いしよく喋っていたんだけど、彼女にフラれたって話をよく聞いていたしな。『陸の男の人が良いの……』とか『会えないのが辛いし、携帯も繋がらないのもダメ……』ってな。先輩達もすげー脅すし。で、パペーテって南国で何か開放的になって……結婚してぇ! ってな」
それで手紙を送ることにしたらしい。
ちょっとロマンに欠ける逸話である。
そして、即決して結婚しようと考えるお母さんは大したモノである。
こっちはロマンかなって思う。
いや、本当にね。
携帯で調べた結果、想像通りの回答に満足した瞳さんは言う。
「それにしても素敵な話よね」
「みそ汁だよ?」
しかし、何と言うか照れくさかった。
あのお父さんがお母さんにプロポーズしている姿が今一つ想像できなくて、でも実際にそうだったと思うと照れくさいのだ。
つーか、はっきり言って、暗号にする方が絶対に恥ずかしいと思う。
「あなたのお母さんがこの暗号を見ただけで解けたとは思えない。私だってヒントを与えられてから閃いただけで、普通の人だったら調べないと無理だと思うわ。でも、その返事は全く悩まなかった」
《《要はプロポーズだと見破った》。
そして、行動した。
毎日みそ汁を作っている。
ほとんど欠かさずに。
普段家を空にするお父さんがいつ帰ってきても良いように。
「これを素敵な話と言わずして、何を素敵な話と呼ぶのかしら」
なるほど、とぼくも納得した。
ちなみに、たまーにみそ汁が出ない日というのはお父さんとお母さんが喧嘩した次の日だけだったりする。
瞳さんの言う通りかもしれない。
さて、とぼくは思う。
名探偵に別れを告げ、家路につきながら考える。
この話は胸にしまっておくのも確かめてみるのもぼくの自由だ。
そして、瞳さんのように「素敵な話だ」と思っておくのもアリだ。
でも、だ。
やっぱり少しだけ考える。
――確かにみそ汁とシチューを一緒ってやり過ぎだろう、って抗議しても文句は言われないだろう。
了
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