怪異奇譚
大田牛二
第1話 持衰
太陽が強く照らし、潮風が香ってくる暁月市の東部に位置する港にあるカフェテラスにマフラーを首に巻いている少年がコーヒーに砂糖を万遍なく入れてからゆっくりと飲んでいた。
一息ついたところで彼はゴシップ誌を開く。
『指定暴力団・一堂組と嵯峨組の抗争激化。警察は警戒を強める』などといった内容を読みながら少年は甘ったるいコーヒーにまた口をつけた。
少年の名前は首藤ヒイラギという。暁月市の中央部に位置する蓮田高校の一年生である。今日は安藤旅行店の一泊二日の海上クルーズツアーに友人である羽吹ハギと参加するために港町に来ていたが、そこでスマホが振動し始めた。
「もしもし、どうしたんだ。もうすぐ船行くんだけど……えっ……そうか。それなら仕方ないね。うん、わかった……」
電話を切り、ヒイラギはため息をついた。友人であるハギが家族の都合で来れなくなったというのである。
「せっかくの休日に一人で船旅かあ。でも勿体無いしなあ」
そう思いながらも実のところ、あまり海は好きではない。友人に誘われなければ、行かないところである。しかしながらせっかくの一泊二日の海上クルーズツアーである。金を払った以上、参加しないのはもったいない。
港に行くと同じように参加するのであろう人々がいた。
「結構、たくさんいるなあ」
そう言えば二百人ぐらい参加するツアーだと友人は言っていたことを思い出す。
船員が乗客の人数をカウンターで数えているのを横目にヒイラギは船に乗り込んでいった。そこで数人の乗客がひそひそと話しているのを聞いた。
「ねぇ聞いたぁ?」
「なあにぃ?」
「一か月前からこのツアーに参加した人は必ず一人いなくなっているんだってぇ」
「ええ、怖いぃ」
きゃっきゃと話している内容の割には楽しそうに話していた。
「一人いなくなるか……」
船に乗ってから行方不明になるというのはどういうことなのだろうか。船の中に間違って残っていたというのであればいなくなるという表現は可笑しい。海に落ちたというのであれば、もっと大事件として報道されているはずである。
(おおよそ数え間違えってところだろうなあ)
そう思いながら進んでいくと真っ黒なコートを着て、帽子を目深に被った男がカウンターを持って乗客が数えているのを見た。
(スタッフにしては……格好がなあ)
なんとなく嫌な感じを受けながらもヒイラギは自分の部屋に向かった。
本来は二人部屋だったため、一人だと広く感じるなあと思いながらヒイラギは部屋に荷物を置いていく。荷物を置き終わったところで、船は出航の汽笛が聞こえてきた。
「さてと取り敢えず、船内を見てまわろうかな……店とかはこのあたりか。カレー店やラーメン店、あっ野菜料理店専門店なんてあるんだなあ」
船内に野菜専門店があるというのは面白い。せっかくならば行ってみることにした。
野菜料理店専門店に入ると多くの女性客が料理を食べていた。
(いやあ男が少ない中、入るって少し恥かしいや)
そう思いながら席に座り、メニューを開く。
「ほうほう大豆のハンバーグ、野菜たっぷり餃子……案外、油物も多いんだなあ」
「ご注文決まりましたかあ?」
店員がやってきたためヒイラギはいくつかの料理を注文していく。その後、料理が運ばれ食べていった。
「大豆のハンバーグって結構、美味しかったなあ」
満足できる美味しさだったと思いながら彼は金を払ってから店を出ると黒いコートの男が歩いているのに、気づいた。
(あっさっきの人だ。ご飯食べていたのかな?)
そう思って見ていると目があった。どこかどんよりとした深い深海のような目であった。それは一瞬のことで男はそのまま何処かへと歩き去っていった。
(あの目は……
過去の経験と知識からそう思った。そして、船に乗り込む前に聞いた不穏な噂……
ヒイラギはスマホを取り出し、電話をかけた。電話先はバイト先の事務所である。
「もしもしゲッケイジュの旦那。少し良いかな?」
『なんだ。ヒイラギじゃないか。確か学校の友人と旅行に行くとか行ってなかったか?』
「友人は家族の都合で来れなくなりまして、今、独り寂しく船に乗っていますよ」
『そうかい。それで何の用だ』
「少し知りたいことがありまして……安藤旅行会社の海上クルーズツアーの行方不明について聞きたいんですけど……」
『まあ良いだろう。その代わり今度、俺の仕事に付き合った時、バイト代半額な』
「なんてケチな上司だ……」
『取り敢えず、一旦切るぞ』
そう言ってゲッケイジュが電話を切ったため、ヒイラギはスマホを耳から離し、ため息をつく。
「やれやれなんでこうも変なことに巻き込まれるのか……」
まあ今更なことである。そう自嘲しながら彼はマフラーを巻いている首元に手を当て目を細めた。
料理店のスペースを離れ船のデッキへとヒイラギは向かった。人はいないデッキに出ると潮風を感じ、ヒイラギは気持ちよさそうに目を細める。
「いいなあ」
手すりのあるところまで行き、海と空を見る。
「天気もいいし。気持ち良いや……この霊気さえなければ……」
海には水死した浮遊霊が多いため普段、
そこでスマホが振動した。
「はい、ヒイラギです」
『ゲッケイジュだ。さっき件について情報があった』
「教えてください」
『あまり公にはなっていないようだが、お前の参加している海上クルーズツアーは一か月前から一回のツアーにつき、一人行方不明になっているそうだ』
「数え間違いとかではなく?」
『ああ、最初はそう思っていたらしいが、船に乗った人数と降りた人数が一人違うそうだ。船内を探してもおらず、海に落ちた様子もない。しかしながら行方不明にはなっている』
「そうですか……ならあの船が停泊していた港町に関してなんか情報はありませんか。
『おっ勘が良いな。あるぞどうやらあの港町一帯には最近まで、『持衰』の風習が残っていたようだ』
「『魏志倭人伝』に出てくる倭人が中国の魏に朝貢に行く際、その船に乗せられた特殊な役目をする人のことですね」
『そうだ。当時、倭人が中国に来る時、つねに一人に髪を梳かさせず、ノミやシラミをとらず、衣服は汚いままにし、肉を食わせず、婦人を近づけないようにさせ、航海が順調ならば、その者に奴隷や財産を与え、順調でなければつまり嵐などに遭えば、殺すという哀れな役割を担わされるというあれさ』
「似た風習は東南アジアにもありますけどね。それとオトタチバナヒメの伝説にも似た話がありますよね。ヤマトタケルが東征のため船に乗った際、海の神に祟られたそうです。その時、妃であるオトタチバナヒメが海に身を捧げると海の神の怒りは静まったというような」
『ああ、正直、嵐に会って船が転覆するような時にそんなことをしている余裕があるかと思わなくないがなあ』
「嵐を起こす海の神に対して生贄として捧げる人身具義ですからね。そういうものだと思うものでしょう」
『でっお前はなんでそんなことを聞きたがったんだ?』
「ちょっと気になる男が船にいましてね……」
そこまで言った瞬間、ヒイラギは後ろに気配を感じた。振り向こうとすると一瞬、黒いコートが見えたが、そこで足を掴まれ力づくで船から海に向かって落とされた。
「ふふ、あっハハハハ」
男は不気味に笑った。
「現代の航海は安全であると、愚かな現代人たちは語っている。ああなんと海に対して敬意を持たぬ言葉であろうか。かつての我々は海に対して恐れていたはずだ。だからこそ、安全な航海をするために『持衰』を行っていたのだ。ああ海の神よ。どうか愚かな人間である我々を許したまえ」
己の行為を正当化するような言葉を笑いながら発した後、船内に戻ろうと海に背を向けたところで、
「ふうん。それで安全な航海をしたいためにこんなことをしていたと?」
先ほど、落としたはずの少年の声が聞こえた。黒いコートの男が振り返ると驚くべき光景がそこにはあった。
先ほど海へと落とした少年の頭が空に浮いていたのである。正確に言えば、耳が翼となって動いていることから飛んでいる。しかし、普通はありえない光景である。
「ああなんか驚いていると思っていたら俺の姿を見て、驚いているのか」
ヒイラギは自嘲するようにそう言った。
「俺は『首なし』、中国では『飛頭蛮』、西洋の方では『デュラハン』と呼ばれたことのあるやつもいたらしい妖怪の子孫でね。この頭だけが本体なのさ」
そう言って彼は自由自在に空中を動き回る。
「妖怪だと……そんなまさかそんなものがこの現代に……」
「おい、現代に合わないような『持衰』なんてものをやっておきながらよく言うな。しかし、それ以上にあんたは恐れるべきものがあるんじゃないか?」
黒いコートの男はそれを聞いて周りを見る。すると彼に向かって海から無数の触手が伸びて彼の身体を捕らえた。
「なっなぜ、なぜですかあ神よ」
「どうやらあんた海の神と契約を交わして、『持衰』をやっていたようだな」
ヒイラギは男の様子を見ながらそう言った。
「推測になるが、あんたと海の神の契約は『肉を食べていない人間』を『生きたまま海に落とす』といったところか。もっと細かいのがあるとしたら『船に乗り込んだ何人目か』。『奇数か偶数か』というのがあるのかな?」
「なぜ、それを……」
「おっ合ってたか。嬉しいねぇ」
ヒイラギは面白そうに笑う。一方、男は怒ったように言った。
「それなら、なぜ……」
「なぜ、海の神が怒っているかってか。それはもちろん契約違反をあんたはしたからさ」
「違反などしていない」
「いいやしているのさ。契約内容の『生きたまま海に落とす』で違反してしまったのさ。さっき言ったが俺の本体は頭だけでね。実は身体の方は死体で、飾りなんだよ」
「そんな……」
男は青ざめ始める。
「悪いね。妖怪も神も理不尽で、契約違反に対しては厳しい。存分に恨みながら死ぬといいさ」
「い、嫌だあああああああああああああああ」
男は絶叫しながら触手に絡み取られ海へと引きずり込まれた。それをヒイラギは見届けた後、
「さて、頭だけになってしまったしどうするかねぇ」
身体は海の底である。回収は無理であろう。ここからどう帰るべきか。
「取り敢えず、見つからないように船の中で過ごすしかないか。はあ、とんだ海上クルーズツアーだったなあ」
そう呟きながら頭を浮かしながら船内に入り、なんとか見つからず、帰ることに成功した。
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