尊い存在
どこかのサトウ
尊い存在
昼休みの教室で、パンをかじりながらスマホを触っていた八木は、ふと目にした「尊い」と言う文字の意味が気になって、どこか遠くを見ていた大林に質問してみることにした。
「なぁ、尊いってどういう意味?」
大林は視線を戻して、八木の質問に答えようとした時、廊下の窓から立川先生が顔を出すと不思議そうに言った。
「八木、中学の卒業式で『仰げば尊し』を歌わなかったのか?」
「『旅立ちの日に』でした。でも仰げば尊しってどう言う意味ですか?」
「仰げば尊し、我が師の恩。先生から頂いた数々の恩は、思い起こせば大切で貴重なものでしたって意味だぞ」
懐かしい記憶だ。いま俺が教職についているのは、中学んときの担任の影響が大きい。
「立川、中学生って言うのはなガキの出口のようなもんだ。高校でようやく大人の入り口に立つ。だから心構えだけは忘れるな。そして興味を持ったらとことんやれ! お前の成績は本当に悪い。これは先生、フォローできん。だがな、平均に埋もれる奴よりずっと良い。何故だかわかるか?」
「知るかよ。普通の奴より頭の悪い俺の方が良い理由って何なんだよ?」
「——それがお前の個性だからだ。普通な奴らは腐るほどいる。そこら中で埋れてやがる。だからお前しかできないことを探せ。卒業、おめでとう!」
俺の肩に手を置いて非凡であれと、求められる人になれと言ってくれた先生。
俺は先生のように、あの歌詞を歌ってもらえるような教師になりたい。
「タッチンは良い先生だから安心しろよ」
立川は少し残念な顔をした。
「そうか。まぁ、色々な意味があるはずだ。この際だ。色々な奴に聞くと良い。あぁ、ちょうど川口がいるぞ、川口、教えてやってくれ」
そう言って、立川先生は歩いていった。入れ違いに名前を呼ばれた川口が八木と大林の前にやってきた。
「何? 尊いの意味を知りたいの?」
「あぁ」
「貴方たちのことを言うのよ」
「へっ、俺たちのこと?」
私は漫研に所属している。
少し前、悩んでいたことがあった。
男の友情の先にあるもの、それは一体何なのか。
八木と大林はいつも二人一緒で仲が良い。
野球部でバッテリーも組んでるし、だから私の一助になると思って八木に質問したことがある。
「男と男の友情について?」
「えぇ。参考にしたいの」
「……大きな間違いを起こしたとき、それは間違いだって、身体を張ってそれを正してくれるかどうか、かな」
こそばゆいのか人差し指でリンゴ色に染まった頬を掻いていた。
——あぁ、あれがそうなのか
あの試合は投手戦だった。
八木が投げたストレートが甘く入って撃ち返された。ボールはライト前に転がったが後ろに逸らしたことで打者はセカンドを攻めた。さらに処理にもたついたことで、三塁打になってしまった。
そのあとはスクイズで一点を奪われ、試合が終わった。
呆気ない負け方だった。
ライトを守っていた先輩は、エラーしたことを全員に謝っていた。
だが八木はグローブを地面に叩きつけた。
そのとき、大林は八木のグローブを拾って彼の胸にぶつけるように押し付けて叫んだ。
「誰のせいで負けたのか、よく考えろ!」
「俺の所為だって言いたいのかよ!」
「違う! 俺たちの所為だ!」
大林が頭を下げ、そして八木も頭を下げた。
その光景を見たとき、私は二人を尊いと感じた。
ふと、川口が大林の視線の先を追い、ニヤリと笑った。
「そうだねぇ、文芸部なら知ってるんじゃない?」
そう言って、川口は大林の背中を小突いた。
「お、おい……」
「ごめん、花下さん、ちょっと教えて欲しいんだけどいいかな?」
川口が手招きすると、花下が三人のところへやってきた。
「どうしたの?」
「八木が尊いの意味を知りたいんだって」
「ん〜、難しいねぇ〜」
どうやら川口にはバレているらしい。
俺は一度も花下に話しかけたことはない。だがあの日から、ずっと彼女を目で追っている。
三月の終わりに桜が咲いた。
図書室の窓際で彼女は静かに本を読んでいた。その姿はまるで一枚の絵のようでとても儚く思えた。
桜の蕾が一つ、また一つと花開いくように、俺は彼女が気になっていった。
そして満開となり、無数の花びらが舞った瞬間、俺は恋に落ちた。
「——ねぇ、恋をしたことはある? 好きな人とか……いますか?」
八木、そして大林に視線を投げかけ、じっと見詰めていた二人の顔が面白いほどに真っ赤になっていく。
そんな二人の姿を見ながら、川口は言った。
「これが一般的な『尊い』だと思うわ」
「えっ……?」
全然理解しない上に、鈍感な八木に川口はため息をつくと、困ったように笑った。
「野球が恋人の貴方には、少し難しいかもね」
〜 終わり 〜
尊い存在 どこかのサトウ @sahiri
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