第1話 最初の記憶

 あたしはその日、暗くなった政経の教室の電気を消して、真っ暗な廊下に出たところであった。何だか喉が痛くて体育のマツ先生にもらったはちみつ喉飴をほおばっていた。


* * *


 放課後、軽く咳き込みながら政経の教室に向かっていたのだが……。


「風邪?」


 普段より、どこかおっとりした。大人の男性の声に振り向くと、マツ先生が立っていた。あたしは、彼でないと思ったものだから正直何だか緊張した。


「わ、かんないですぅ」

「てかお前ボタンか! まぁーだ残ってたのか? 難儀だね」

「(ナツメ居残りさせてる癖に……)」

「はい、じゃあこれをあげるよ」


 近づいた時に石鹸の香りがした。自分は一足先に、一日の汗をシャワーで流してきたのかもしれない。あたしの右手を取って、その中に琥珀色の飴が入った幾つかの包みを落としてくれる。


「ぅわ」


 きらきら光って、まるで本当の天然樹脂のようだ。


「はちみつ飴。俺それ一時期ハマっててさぁ、通販で大量に取り寄せたんだよね」

「ぁの」


 あたしは、校内で先生に飴をもらっていいか迷っていた。


「あ、いいのいいの、取り寄せ過ぎて余ってるから」

「……じゃあありがたくいただきます。あの、すみません球拾い参加できなくてぇ」

「あー、大丈夫。そろそろナツメも終えて非常口から出てるころだろう。俺ももう暫くしたら様子見て来るよ」


 マツ先生は、楽しそうに笑いながら職員室へ向かう。階段の方へスキップするように駆けて行った。


「何だか大人なのに子供っぽい人だなぁ」


 飴はなかなか美味しくて、余っているならもっと(みんなの分も)もらっとけば良かったなどと思った。


「ナツメもう終わったかなぁ?」


 あたしは窓からグラウンドを見下ろして、ナツメの気配を探った。ナツメはわからないみたいだが、私は彼女のピンとしたどこか鋭い気配を感じることができる。しかし校庭にはその気配がしなかった。


 どうやらもう帰ったようだ。あたしは軽くため息をついて、口の中で小さくなった飴をガリッと噛み潰した。その瞬間。


「……えっ?」


 急に校庭に人の気配がする。ピンとした小さい気配、しかしそのナツメ一人ではない。


「五人もいる……? 間違いない」


 何でなんで? あたしは急いで階段を駆け下りた。校庭へ続く非常口はまだ開いている。


「ナツメー!」


 しかし、グラウンドには誰もいなかった。空気が緊張していた。ただ空間が切り裂かれる音がわずかにしている。


「誰かと戦っているんだ……」


 ここであって、ここではない空間で。


「ナツメー!!」


 あたしは再び暗闇に向かって叫んだ。声は静かな闇に沈んでいって、とうのナツメには届かなかったかもしれない。



* * *



 誰かと一緒にいた気がする。大人ではない、自分より小さい誰かと。


 酷い環境だったとあたしに教えてくれたのは誰だったろう。気づいたら警察にいて、体はぬくぬくとした毛布に包まれていた。あたしの意識がしゃん! としたことに気づいて、女性の警察官がしゃがみ込んで目線を合わせてくれる。


「気がついた?」

「……」


 何か答えようとは思うが、喉がはりついたようで声が出せない。いつでも着ているポンチョの一部が血で染まっていた。はっとして思わず隣を見る。


 誰かいたはずだ、常にいたはずだ。横に顔を向ける。少し下に、でもそこには誰も。だぁれもいなかったのだ。暫くすると、姉と母親だという女性があたしを迎えに来たが。二人のことをあたしは全く覚えていなかった。


 家族は良くしてくれたけれど、あたしにとって家はとても気まずい空間だった。思い出せない罪悪感だけ? 他にも何か罪を犯している気がする。そんな最中、あたしの前に現れたのが『タケ』さんだった。家族を救ってくれる、この環境の悪いコロニーから脱出できる。


「大変申し訳ないけど、寮に入ってもらうから」


 という申し出は、申し訳ないどころかそれに飛びつきたい気持ちだった。



* * *

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