第2話 全部思い出す

 みんなから離れた。そうするしかなかった。


 あたしと、彼女たちを隔てる壁が完全に塞がったのを確認して、すぐにテレポートしてその場を離れる。みんなが壁をぶち破って来た場合、捕獲されるのを防ぐためだ。特にどこもイメージしなかった。行き着いたは、一体どこだろうか。


 中庭からの光が青白い。気がつくと、まるで夜の月明かりに照らされたような教室にしゃがみ込んでいた。たどり着いたのは一年生の教室だ。やはり、自分が普段過ごしている場所はイメージしやすく、到達しやすいのだと思う。


「……行かなきゃ」


 誰もいない一年生の教室を出たところで、不意に背後から声を掛けられた。


「逃げているの?」


 振り返ってあたしを待ち受けていたのは、壁にもたれかかったキンモクセイさんだった。組んだ腕の上で、銀色の指輪が光る。あたしは、なぜ彼女がこの『学園であって学園でない』無人の場所にいるのか、不思議に思わなかった。


 ただ、返事をしないでそのまま背を向けた。今は誰とも話したくない。相手は壁から背を離して、私に早足に追いつくと、耳に唇を寄せた。その時、囁かれた言葉に驚愕する。


?」

 

 勢い良く振り返って、そのままあたしの脇をすり抜け、去っていこうとするキンモクセイさんの肩を壁に押さえつけた。バンッ! ていう音が、誰もいない静かな学園の廊下に響き渡る。


 彼女の眼鏡が床に落ちて、廊下の遠くに滑って行ったけれど。キンモクセイさん自身は身じろがなかった。


 目が合った時に分かった。恐らくあの眼鏡はで、彼女の視線はしっかりとあたしを捕らえている。あたしは、だから声を振り絞った。


「……っ、何であなたが!」


 『その言葉を?』


 押さえつけて、意外に身長差があることに初めて気づく(身長は私の方が高い)。それに、彼女の方が心許ないくらい華奢だった。


「君も誰かに言われたことがあるんでしょ? 私もある」


 傷ついた瞳でそう告げられて……。あたしは震える唇を空いている方の指先で抑え、もう一度声を絞り出した。


「何で……み、んな……」


 涙が頬を伝う。泣きたくなんかないのに、なきたくなんかないのに! キンモクセイさんの手首を強く壁に押しつけ、俯いたまま尋ねた。


「……っ、教えてくださぃ」


 泣いてる顔が見えてしまうけど、それでもあたしは顔を上げた。


「もう二度と、みんなのこと忘れないようにするには、どうすればいいの?」


 最後の方の声は、彼女には聞き取れないほど小さかったかもしれない……。でも、見た先にあった琥珀色の瞳は意外なほど悲しそうで……。


「君が、全部思い出せばいいんだよ」


 あたしの質問に答え、腕を振り払うと、キンモクセイさんは教員の寮の方角へ、ゆっくりと歩いて行った。あたしはもう彼女を追うことはせず、彼女のくれた答えを噛みしめ、立ち尽くす。


「全部……思い出す?」


 渇ききらない涙が、廊下に一粒だけ落ちた。

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