第17話 彼女は僕のもの

 タケさんが懐から出したのは拳銃だった。


「彼女は、『コロニーJ』のものでも、地球のものでもない」


 マツ先生が急いでひるがえり、キンモクセイさんを抱きしめ、背を向ける。



「『僕』のものだ」



 銃弾の乾いた音が鳴り響いて、少女に覆い被さった灰色のスーツがバシャンっと水辺に落ちる。マツ先生は能力者じゃないのだ……! キンモクセイさんはプールサイドに一人取り残されたが、水に広がる赤を見てようやく悲鳴を上げた。そのままクタリと倒れ伏す。


 タケさんは早足に彼女に近づくと、気を失って倒れたキンモクセイさんを軽々と抱き上げた。そのままスイスイとプールサイドを走って行って、私たちはおろか仮面の少女たちにも目もくれず、屋内プールから出て行ってしまう。彼を守るように、黒い液体の塊がずりずりと重たそうについて行った。


 静まり返る屋内。マツ先生が落ちた水面が、赤黒く濁る。仮面の少女たちが、「あ」と言う風に、ようやく事態を呑み込んで身じろいだ。彼女たちも思いも寄らない展開だったのだろうか。気配でマツ先生がこと切れたことに気づいたのだろう、怒りを持って私たちに向かい直す。


「あんたたちのせいで……っ!」


 語尾が浮ついていない、また、来る……と思って身構えた瞬間。



『光を……もっと光をMehr Licht!』



 さっきの比じゃないくらい、まるで 光の雨が降り注ぐようにおびただしいエネルギーの矢がこちらに打ち込まれる。モクレンさんのシールドが、まるでシャボン玉が割れるように弾け飛んだ。


 キキョウさんとナツメが、見計らったように私とモクレンさんの前に出る。でもキキョウさんの方がガツンと後ろにひっくり返った。右腕に細い傷が真っ直ぐについている。私は治そうととっさに手をかざしたが、そうだ、わたしは今……。


「あら、アサガオ、調子悪いの?♪」

「あーちゃん!」


 私は思わず彼女たちに背を向けていた。すると、私の名前を呼んで。私の前に立ちはだかった姿があった。小さいちいさい、頼もしい姿。二つの髪の束が、なぶられるみたいに揺れてる。



賢者が信用しないものは三つSome three things wise man does not trust……』


女の固き誓いFemale firm vow!』



 ナツメの周りに、相手が放出したおびただしい数の光の矢が一気に集まってゆく。彼女の小さい身体は、そのエネルギーを一身に受けて、受け止めきれずにあっという間に内部から膨張した。



「なっ……」



 『ナツメ』って。名前は呼べなかった。ぱぁんと風船が破裂するような音がして、目の前に立ちはだかっていたはずの、ナツメのツインテールや耳、首、細い手足なんかがバラバラと私たちの上に紅く降り注ぐ。


 気づくと私は『あか』に濡れていた。自分の周りを、まるで水滴が重力に逆らうように幾粒も紅色が浮いている。


「……っ!」


 私は、叫んだのだと思う。けれどもその声は私の耳にすら届かなかった。仮面の少女たちは、手を握りあってまた攻撃体制に入る。でもそれすらもう理解できてなかった。気づくと眼前に、キキョウさんの黒髪が揺れて大きな瞳が私を見つめていた。腕を回して腰を抱かれる。


「っ!」


 モクレンさんとキキョウさんの背に守られて、私はわたしを抱きしめて……ただ震えるしかなかった。



* * *



 弟が死んで暫く経った。ろくに水も口にしていないのに、私はそれでも生きていた。かさかさに乾いた唇をわずかに舐めて、ゆっくりと立ち上がる。


 不思議と、ずっと動かさなかった身体は痛まない。むしろ前より軽い気がする。そのまま、弟と長らく二人で過ごしていた大きなテントから出て行った。


 厚い布の外はラクダ色の砂が溢れている。私は、フラつく足取りで、それでも外の様子が気になって歩みを続けた。通りに人はとんといない。剥き出しの素足に細かい砂が、纏わりつくように後方へ流れてゆく。あ、人がいると気づき、やっと足を動かすのをやめる。


「……どうしたの?」


 久しぶりに見た人間も子どもだった。子どもたちだった。少し年上であろう私を見上げて、困ったように少女が答える。


「おとうとの、具合が悪いの」


 そう言った声が震えている。私は思いもかけず右手をその弟さんの頬にあてがった。すると私たちの周りを風が巻き上がって(細かい砂が肌にパラパラとぶつかったのでそれを知れた)、一緒にいた女の子が声を漏らす。


「あ……」


 その中に、何だか安堵というか、希望みたいな雰囲気が滲み出てる。私が手を当てている部分から、男の子の肌が桃色に明るく染まっていく。明らかに体調が良くなったのが視覚的にもすぐわかった。


 そうしたら涙が出て、止まらなくなった。私自身が『生きている』って実感できた。自分が得た能力がその時、わかったのである。


「……ふっ」


 急に泣き出す私を、姉弟はびっくりしたように見上げて、そのあと優しく私を小さい手のひらで撫で始めた。そのせいで余計、涙は止まらなくなってしまった。


 私は、誰かを助けることで、『生きている』と感じるようになった。コロニー中を回って病人や怪我人の治癒にあたっていた時に、タケさんが来て『より人の役に立てる』という提案をしてきた。私はわたしを『生かす』ために、その申し出に従うことにしたのだ。

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