第11話 私の娘は

* * *


 どこか、真新しい賃貸マンションの一室のようだ。ご馳走が並んだダイニングテーブルを囲む三人の女性。会話のない食事風景。


「コレ、ボタンが好きだったヤツでしょ? 『コロニーJ』だと材料が手に入りやすいから。お母さん張り切って作ってたよ?」


 姉と思わしき女性(ボタンに似ている)が気をつかって妹に声を掛ける。それにボタンの方も少しだけ元気を出して微笑んでいた。


「ありがとう、うわぁ」


 その料理は『シーザーサラダ』というやつだ。私も料理の本でしか見たことがないけれど、ボタンの母親が作ったそれは、ご丁寧にも半熟卵が乗っていた。ボタンは遠慮がちにサラダの大皿に手をかける。半熟卵は割らずに、脇からわずかにレタスばかりを取った。それを見て向かいに座る母親が呻くように声を発した。


「……私の娘は?」

「「え?」」


 姉妹が同時に向かい側の母親に聞き返すと、母親は怒鳴るようにして急に叫びはじめる。テーブルの上の料理を全て、机の下になぎ落とした。姉は庇うようにボタンを抱き寄せて目をつぶる。


「私の娘をどこへやったのよ!?」


 姉妹は吃驚して動きを止めた。しかし母親の罵声は止まらない。


「あの娘はそんな風にはしなかったわ、だって、あの子はそんなふうには食べなかった。……だって卵を楽しみにしていたのだもの。あのころ、『コロニーM』では手に入り難いものだったから……」


 そう言う語気はどんどん弱まって行く。そして涙に濡れた顔を上げると、ボタンをじっと見て口を開いた。


「ねぇ、あなた」


「あなたは、誰なの?」


「『あの日』一体『何』があったの?」



* * *


 

「ボタン……」

「どうしたのあーちゃん? 顔色が悪いよ?」


 声を掛けて来たのは、ボタンではなくキキョウさんだった。私が触れていたはずのボタンが目の前にいない。キィっという音がして、彼女がダイニングを出て行ったのが分かった。さっきのシーンは偶然視えたものではない、ボタンによって意図的に見せられたのだと気づいた。


「な、んでもない!」


 顔を振って無理矢理口角を上げた。見えて来た情景は衝撃的だったけれど、どうにかこうにか。すると、今度は私の意識に直接話しかけて来る声があった。



『あのね、あーちゃん』



 先程のビジョンを見せてきたと同じ唐突さで、テレパシーでボタンに話しかけられた。私は他の子に悟られないように彼女からひっそりその場を離れて台所に向かった。背後からのリビングの照明で、私の前方は真っ暗だ。


『何?!』

『……私かもしれない』

『だから、何が?!』


 思わず振り返ったけれど、他の三人は楽しそうに談笑している。


「……」

「あーちゃん」


 それきり黙ってしまったボタンに首を傾げていると、凄く間近からナツメに名前を呼ばれていた。


「あーちゃんてば!」

「はぃいいい! ごめんなさい!」

「「「何謝ってんの」」」


 ナツメ、キキョウさん、モクレンさんの三人に同時に笑われた。


「電気も点けないでどうしたの? 明日の朝食の準備なら手伝うけど」

「あ! それなんだけど、明日はご飯とみそ汁と卵焼きとかでもいい?!」

「……充分過ぎるでしょうが、それで何してたの?」

「な、なんでもないない!」


 私は、いつの間にかこちらをじっと見つめていた、ソファーに座るキキョウさんとモクレンさんに向かってぶんぶんと手を振った。ナツメは半目になって人差し指で私の頬をぷにぷにと突く。私だけに聞こえる小さい声を出す。


「嘘つきー、ボタンと何か話してたでしょ」


 ぎくり。ナツメはテレパシー系列には疎いはずなのに……。


「何でかあーちゃんの発するのには気づける……、本当のところはどうなの?」

「そそそ、そんなことないよ!」


 顔の前でぶんぶんと両腕を振るが、かまわずにナツメは鼻先を真っ直ぐに詰めて来る。


「アーヤしいんだから! 何を話してたの?」

「えっと……」


「部屋出るときボタン先に寝るって言ってた、やっぱり何か家族とあったみたいね」


 キキョウさんがソファーから振り返って肩を竦めた。彼女の方は家族に会って来たからなのかボタンとは真逆で朗らかな表情をしている。


「『おやすみ』だって、わ、私も寝るね!」


 弾けるように私はナツメから身体を離すと、みんなから逃げるみたいにしてリビングを一度出た。


「あ! 先にお風呂使うね!!」


 扉を再び開けて顔だけ出し、みんなにそれを告げると、どっと三人から笑い声が吹き出た。


『ちょっと、何よさっさと出て行って!』


 廊下をずんずん進みながらテレパシーでボタンに話しかける。


『心配しなくても大丈夫、私、もう寝るねぇ。あーちゃん明日気をつけてね』


 その言葉は心の中だけで響いて。私の歩みは急に勢いをなくした。だってもう彼女の寝室の前だ。


『……ユリとの約束、やっぱり聞こえてた?!』


『あーちゃん』


 家族と、あんなことがあったと言うのに。心に響いて来たボタンの声は意外にも笑っているように朗らかだ。


『おやすみ』

「おやすみ」


 良い夢を。



* * *

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