第5話 脱兎の先で

 * * *


 

「で、逃げて来たわけだけどね」


 寮の自室の中央、そこそこ広いフロアに寝そべって、疲れ切ったナツメがやっと声を発した。私はボタンが一緒に連れて来たパンジーさんの様子を診ながら返事をする。


「逃げれて良かったよ、明らかに私反応遅れてて防げなかったもん……ごめんね!」

「あーちゃんは悪くない~……」


 むくりと起き上がって答えたのはモクレンさんだった。両手もつかず、結構この人腹筋力がある。


「ひどく、急だったもの~」

「モクレンさん」

「モクレンさん! 気づいたんだぁ、良かったぁ」


 そばまで走って来てボタンがへたり込んだ。よっぽど心配していたのだろう、目に涙が浮かんでいる。


「私がやられていなければ~……」

「しょうがないよ、パンジーさんを人質に取られてたんでしょう?」


 キキョウさんがソファーの後側から、モクレンさんの背に手を置いた。


「それに何か見たこともない仮面の子がいたもの、三人掛かりでしょ? 卑怯だよね!」


 パンジーさんの頭を膝から降ろして顔を上げると、他の四人が一斉に私を見ていた。


「え? あ、何?!」

「ちょっと……三人目がいたの?」


 ナツメが駆け寄って来て、私の手首を掴んだ。


「え、そうだけど。キキョウさんも見たでしょう?! でも途中で消えちゃって!」

「私はパンジーの様子を見てたからみてない。どんな子だった?」

「見たこともないセンター分けの灰色の髪の子だった、やっぱり仮面をしていて……あ、そうだ!」


 ごそごそとスカートのポケットを探る。ほどなくして固い感触に行き当たった。


「あった、はい! モクレンさん襲われた時、これ落としたでしょう?!」


 私はその時に拾った白い万年筆を、彼女にひょいっと差し出した。


「……」


 モクレンさんはひどく青ざめた顔をして、震える指先でブレザーの内ポケットから全く同じものを出して寄越した。


「何で? 全く同じに見えるよぉ」


 そばにいたボタンが、両手を頬に当てて驚いたように覗き込む。モクレンさんはなぜか狼狽したように私の手のひらから万年筆を奪い取った。


「『コスモス』……」


 表面を確かめるように撫でる。彼女が持っていた方はモクレンさんの『M』が、筆記体で刻まれているのが分かる。そして私が拾った方は……『C』だ。


「あーちゃん、どこで? これを~?」


「あの、無限の教室で……っていうかモクレンさんのすぐそばに落ちてたの!」


 私は、先ほどの状況を思い出しながらそう伝えた。白い万年筆を持ったモクレンさんの指先が、わずかに戦慄いているように見える。いつの間にかそばにいたキキョウさんが、優しくモクレンさんの背中を擦った。そしてモクレンさんの代わりに私たちに向かってこう言った。


「『コスモス』さんっていうのはね、モクレンさんの幼なじみで先にこの学園に試験を受けに来て、行方不明になってる人なんだって」

「え、もしかしてその人が……!」

「そう、『コスモス』さんがあの空間にいたのかも知れない」


 頷いたキキョウさんのそばで、モクレンさんが急に震え出した。


「それは、『仮面の少女』三人の内一人が、コスモスだって……。二人は言いたいの~?」


 みんな一瞬黙った。彼女はそれを肯定と取ったのだろう、モクレンさんが勢い良く立ち上がった。瞳には涙が浮かんでいる。キキョウさんが慌てて弁明した。


「違う、ただ彼女もあの場所に連れ込まれたんじゃないかって……」

「あの子はそんなことしない! 能力者をさらおうとしたり、私たちを攻撃したりなんてそんなっ……」


「じゃぁ、あれは誰だったの?」


 唐突に言葉を発したのはボタンだった。


 いつも騒がしい分、どこも見ていないような大きな瞳に不安を覚える。まるで誰にも投げかけていないかのような冷たさで、その言葉は室内にいやに大きく響いた。心なしかいつもは淡いボタンの瞳が重く暗く見えた。


 モクレンさんは頭を抱えたまま、信じられないモノを見るように目を見開いた。


「なによそれ……アンタは、じゃあコスモスが私たちの敵だってそう言いたいの~?」


 いつも穏やかなモクレンさんとは、到底思えないような声色だった。


「そうは言っていない、ただあの時あーちゃんが見た仮面の子は、コスモスなんだと思う」


 そうしてこれは誰だ、と言わんばかりのボタンの変貌振りだった。瞬きもせずに、はっきりとモクレンさんにそう言ったのである。


「何を根拠に……」

「その万年筆に持ち主の気配がするもの。そうしてそれは確かにあの空間に一緒にいた、私たち以外のあの人だよ」

「お前、一体どうしちゃったんだよ」


 怪訝そうな声を出したのはナツメだ。


「どうしちゃったの? モクレンさんのお友達だっつってんだろ、そんな言い方してんじゃないよ」


 いつも刺々しい物言いが、今日は殊更に鋭い。私はあまりにもボタンが不憫に思えてきて、年下二人の間に入った。


「まぁまぁまぁ、落ち着いてよ。取りあえずタケさんに相談してみよう? 誰だかは仮面を取ってみない限り分からないんだから!」

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