第8話 放課後の校庭

「みんなー? おっはよー!」


 やたら笑顔のまぶしい男性教員が校庭のど真ん中で私たちを待っていた。彼の名はマツ先生、ジャパン学園の体育教師である。タケさんぐらいの年齢に思えるが、彼よりは十センチ以上背が高かった。


 黒いジャージの隙間からまっ黄色のTシャツに『I LOVE 体育 ♥』という文字がプリントされているのが見え隠れしている。ご丁寧にハートの部分はビビッドピンクであった。凄いTシャツだ。一体どこで売ってんだ? 肩で息をしながらそんなことを考えていた。


「何よなによー、また遅れちゃったわけ? 仲良し二人組さんめ!」


 私は汗をぬぐいながら横で同じく汗を拭っているボタンを睨んだ。私が早く起きてもこいつが起きないんじゃしょうがない。ボタンは精一杯の笑顔で「ごめんねっ?」と小首を傾げている。こっそり教室からテレポートを使ったが、みんなの死角の場所から校庭の真ん中まで走るのは遠すぎた。


「分かってるよねー? 二人とも。今日の放課後はもぅ、帰さないんだからね!」


 マツ先生は両腕を脇に締めて腰をくねらせている。妙に嬉しそうだ……おどけた口調だし。


「……分かってます、放課後球拾いですね」


 私はなるたけ項垂れて、反省しているポーズをとった。ジャパン学園では学年対抗球技大会なるものがあり、しかももう近日に迫っているため各学年練習に必死なのだった。


 授業中だけにかかわらず、休み時間も練習している生徒が多い。そのため校庭の周り、あるいは寮付近にまでも球技用のボールが散乱しているのだ。ボタンのおかげせいで、まだ転校して間もないのに、この罰当番は初めてではないのだった。なかなかキツい。


「……ナツメー、なつめ」


 ボタンが手を口に添えて、ひそひそと話しかけてくる。


「何? 静かにしろよ、また罰増えるぞ」


 私はボタンの耳にすばやく耳打ちした。こういう時テレパシーが使えれば良いのに、とは流石に思う。


「だって……知ってるでしょう? あたし今日残れないよ……」


 あ、そーだった。……先日ボタンは政経の授業で、キキョウさんに教えてもらってしっかりやってきた宿題を、これまたしっかり寮に忘れてきてしまったのだ。気づいたのが先生に言われて提出しようとした瞬間なのだから逃げようもなく……。


「政経の居残りだもんな、いいよ私一人でやっとくから」


 怯えた小鼠みたいな顔しているボタンに笑いかけてやると、見るからにホッとした表情に戻っていた。本当はこういうタイプ大っ嫌いだというのに、彼女の面倒をついつい見てしまうのは、他の三人にどこかで褒められたいからかも知れない。でも、それって。


「さいあく」


 暗い気持ちの私の耳に、心から明るい掛け声が響き渡った。


「みんな揃ったな、じゃあ第一体操、行っくわよー!!!」


 この先生、何で朝っぱらからこんな元気なんでしょうか……。



* * *



 そんなこんなで放課後、私は一人体育倉庫にいた。校庭中から集めてきたボールを片づけてゆく。マツ先生の指示(おそらく趣味)で、いくら放課後でも作業の時は体操着! 女子部の体操着は白いTシャツにブルマだ。コロニーNの中学校ではハーフパンツだったので、心から恥ずかしい。


 もう秋の気温設定になってきていた。剥き出しの膝が赤く染まる。気がつくと辺りも紅色に染まってきていた。私が突然誰かの視線を感じ、フッと顔を上げると、目の前に知らない眼鏡の少女が立っていた。初めて会うというのに、私にはそれが誰だかすぐ分かった。


 端正な顔立ちに華奢な背格好、神経質そうに眉間に皺を寄せて、黒髪が茜色の空を背景にたなびいている。キキョウさんのクラスのキンモクセイさんだ。彼女のことは、異様に詳しくキキョウさんから聞いていた。


「ほら……」


 いきなりソフトボールの白い球を投げて寄越す。その時キラリと左手が光ったのが見えた。彼女は指輪をしていた(ちょっと意外だった)。


「残ってたよ」

「わわ」


 何とか受け取って、突然さに文句を言おうと顔を上げると、キンモクセイさんはもう私に背を向けて、倉庫から遠ざかっていた。


「何のつもりか知らないけど、もう帰った方がいいよ。六時過ぎると学校と寮間の渡り廊下は遮断されるんだ。帰れなくなっちゃうよ」

「でも非常口を先生が開けといてくれるんで……」

「先生……ってどの?」


 そこで歩みを止めて、キンモクセイさんはもう一度振り返った。理由もなくドキリとする。


「ま、マツ先生ですが」

「マツが……?」


 呼び捨て? 『先生』じゃあなくて?


 そこに、何だか言い知れぬ親密さが感じられた。それに気づいてしまってなんだか気持ちがざわめく。その時、体育倉庫の外を通り過ぎる影があった。


 それはユリさんとナデシコで、夕日を浴びながら校庭へ向かっているようだった。淡い髪がそれぞれ、紅の中で金色に煌めいている。ナデシコの髪は前よりなんだか色素が抜けたように思えた。ぼーと見とれているうちに二人のシルエットは遠ざかって行ってしまう。


 私はハッとして、二人を追おうと唐突に決めた。


「すみません、私もう行かなきゃ!」


 キンモクセイさんに真っすぐに会釈して、急いで倉庫を走り出た。二人を監視しなきゃというのもあったけど、キンモクセイさんの前から早く逃げ出したいという気持ちもあった。だから走るスピードはより速まった。


 どんどん離れていくのに、不思議とキンモクセイさんの視線はいつまでも私の背に刺さる。そんなことより、二人はなぜ校庭へ?


 キンモクセイさんの話だと六時を過ぎると学校寮間の渡り廊下は遮断されてしまう。先生の許可をもらってる私と違って、二人はどうやって寮に戻る気なのだろう。第三倉庫を曲がればすぐ校庭に突き出る。しかし、私は曲がる寸前で踏みとどまった。


 心臓が早鐘のように感じる。妙に冷たい汗が額から滴り落ちた。校庭にはナデシコとユリしかいない。受信系の能力はてんでないはずなのに、私は彼女たちの他に、二つの気配を感じ取っていた。


 校庭の中心でユリは立ち止まった。止まった拍子に車椅子はカタンと音を立てて、ナデシコの頭部が左に傾く。どうやら気を失っているようだ。車椅子の車輪の影が沈みゆく紅に長く伸びる。私は息を呑んだ。影がいつのまにか増えている。

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