第11話 それぞれの対価

「キキョウさん~」


 急に視界が真っ暗になった。この人がこういう子供っぽいことをしてくるのは珍しい。鈍器みたいな胸が後頭部にぶち当たって、私は思わず衝撃に低く呻いた。


「ぶぶっ……。モクレンさん、それボタンのテンションですよ」

「え~?」


 クスクスと笑い声。瞼の上の、柔らかくて私よりわずかに小さい両手をどけると、はにかんだ笑顔が目の前にあって妙にドキマギした。何度も言うようだが、私は年上の女性に異様に弱い(そしてそれを恥じている)。


「一、二年生今日四限だけだったから、あの子たち先に行ってると思うよ~」

「え、本当に? 羨ましい!」


 私たちは今日の放課後、五人が初めて出会ったあのビルの地下で、PSIを正しく使えるようにタケさんにレッスンを受けることになっていた。最初に試された時もそう思ったが、これって誰か『敵』と戦う可能性があるってことじゃないのか?


「キキョウさんはさ、何と引き換えにここに来ることにしたの~?」


 ビルに向かいながら考え込む私に、モクレンさんが話し掛けてくれる。私たちは、ここコロニーJへ来ることと引き換えに、ある『要求』をタケさんにしていたはずだった(私がそうだからだ)。彼女の白くて丸い頬に、街路樹の影が次々と映っては消える。私はちょっと思案したが、事実を伝えることにした。


「……私んちさ、父さんリストラされちゃって。このままだと『コロニーS』を追い出されそーだったんだ。ジャパン学園に受かっちゃえば生徒の家族の生活は全部国が保証してくれるってタケさんが言ってたから……。要求はね、ここでの父さんの新しい仕事を紹介してもらうってこと」

「ふむふむ」

「あと、私ってあんまり自主性がなくって。ここへ来るって決めたのも結構自分的に大きな一歩ってか、何て言うか……」


「なるほど~、ご家族のために偉いね。あと、私はキキョウさんのこと特に『自主性がない』とか思ったことないけどな〜」

「全然だよ、ぜんぜん。お手洗いだって連れ立って行くタイプ」

「うふふ、本当に~? とっても意外」


 あんまり言いたくなかったけど、モクレンさんに聞きにくい同じ質問ができるチャンスだと思って、私は正直に答えた。そしてドキドキしながら本題だ。


「モクレンさんは?」

「私?」


 モクレンさんは少し笑って話し始めた。


「私はね~、実はジャパン学園入学を目指してたんだ」

「えっ?」


 驚いたものの、編入テストの時の彼女の問題を解く姿が浮かんできて、ひどく納得がいった。


「聞けば一年生から入学じゃなくて、年齢にあった学年に編入できるっていうじゃない~? 馬鹿高い受験料も払ってくれるってことだし、私はホントはそれだけで十分だったんだけど~……」


 そこで一息ついて、


「キキョウさん、私がいた『コロニーO』ってどんなとこか知ってるでしょ?」


と、モクレンさんはあっけらかんと言って、私を見つめて目を細めた。彼女から目を逸らし、こっくりと頷く。『コロニーO』。別名『捨て子コロニー』。事故や病気で親を亡くした子供たちなど、身寄りのない子供はみんなこのコロニーに集められ、集団生活を余儀なくされる。


 多数の養護施設と、そこで働く職員の住居などで形成されている。『捨て子コロニー』と呼ばれるのは、送られてくる子供らの大半が、貧しいコロニー内で子供たちだからだ。


 酷いところだと聞いている。全施設に配給もままならず、職員の人数も足りていないとか……。成長した子どもたちの一部は、そこで働く職員になり、一生をそこで終える者もいると聞く。


「だから、私が育った施設への定期的な配給を頼んだの。年長者の私が欠けたら寮母さんが大変だから……。少しでも楽にしてあげないとね~」


 努めて明るく振舞おうとするモクレンさんを見かねて、私は黙って手を握った。……冷たい……。握られてモクレンさんは私に微笑む。ちょっと弱々しい綺麗な……どこかで見たような……そう夢の……!


「モクレンさん!」


 気づいた時にはモクレンさんの両肩を掴んでいた。


「なにっ? 痛い! キキョウさん~!」

「ああ、ごめん、つい……」


 取り乱してしまった。


「あのさ、あのね」


 私は胸に手を当てて長く息を吐くと、自分を落ち着かせる。ひどく興奮していた。


「モクレンさん。『コロニーO』に行く前、『コロニーS』にいなかった?」


 一瞬の沈黙。


「……ううん~」

「え」

「私、赤ちゃんの時に施設に引き取られたもの~」

「そ、そっかごめんね……」


 なんだそうか、何となく力が抜けた。というか夢の少女がモクレンさんじゃなくて、私は正直がっかりしている。私は取り乱したのが恥ずかしくなって、必死で話題を変えようと思った。それがどうやら良くなかったらしい。


「も、モクレンさんが施設の年長者って言ったけど、モクレンさんと同い年ぐらいの子は、他にいなかったの?」


 モクレンさんの顔色が明らかに変わった。木漏れ日の中、酷く青ざめて見える。


「……一人、いたんだけどね~」


 彼女はそれ以上、何も言わなかった。

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