第1話 豪勢なホテル

 荷物をベッドの上に置いて周りを見渡す。このコロニーではありふれたホテルなのだろうが、今まで家族と旅行した『コロニーS』内のどの宿泊施設と比べても、ひどく豪華絢爛ごうかけんらんに感じられた。


 薔薇刺繍の施された絨毯、照明はシャンデリア。振り向いた先の姿見には、数日前まで在籍していた学校の、黒セーラー姿の自分が映っている。胸には私のファーストネーム、イニシャル『K』が刺繍されている。


 私の名前は桔梗キキョウという。母が好きな花の名前だ。とある対価と引き換えに、『国立ジャパン学園』へ潜入するためここへやって来た。学園内で、何かが起こっているのだという。


 春先に短くした黒い髪は、やっと肩口まで伸びていた。水色のカチューシャと、それについている白いレースの飾りも相まって、それなりに清潔そうに見えるけれど。


「……変かな?」


 このコロニーではどんな服が流行っているのか分からなくて、私服を着て行くのは何だか気後れした。暫し迷ったが結局着替える気にはなれず、時計を確認して割り当てられた部屋を出る。


 オートロックの重い扉が閉まる瞬間、長い廊下を進んだ見えない先から、他の客室の扉が同時に閉まる音がわずかに聞こえた。


 このホテルは円柱状になっていて、廊下もカーブして曲がりくねっている。歩いていくと目指すエスカレーター乗り場の先に、自分と同い年くらいの『赤髪の女の子』が一人、立っていた。


 エスカレーターを降りていく赤髪の女の子は、ホテルの窓からの光を受けて最初はよく顔まで見えなかった。しかしスタイルが良い。スラッと長い足がホットパンツから伸びていて、背筋もいやにまっすぐだ。


 刈揃えられた赤い髪の毛は短くて、鼻が高い、まつ毛が外に向かって飛び出しているその横顔は、彫刻みたいでとても美しくて、私は息を呑んだ。


「……あ」


 こちらの視線に気づいたのだろうか。赤髪の女の子が顔を上げて、その緑色の瞳が私を映しかけた瞬間に、小さい頭は下の階へと流れるように消えていった。


「ちょっと……」


 私は思わず急いで、ガラス張りのエスカレーターホールから下の階をのぞき込んで見た。だが、赤髪の女の子の姿はもう見えない。何となくこのホテルに滞在する目的が一緒な気がする……。そうなると行き着く先で彼女に会えるだろう、そんな予感がしたのだ。


 すると、今度は奥の部屋から誰かがこちらに向かって来る足音が聞こえて、私は急いでエスカレーターに飛び乗った。エレベーターだとその足音の人物と鉢合わせしそうで怖かった。革靴の足取りは重たく、大人の男性のような気配だった。


 エスカレーターの脇はガラス張りになっていて、『コロニーJ』の街並みが見渡せる。人工の空は恐ろしいほど澄んで青く、どこまでも続いているように感じられた。


「良くできたもんだ」


 溜め息のように口の中で呟いて、今度は建物に目を移す。大量のビル群、それは競うようにそれぞれがとんでもなく高く、初めて目にした私を圧倒させた。しかし、視線を巡らせても、いつも私を安心させてくれる『あの樹』はどこにもない。


 だって、ここは『コロニーJ』だ。


 私は一階に降り立つと、指定されたビルの場所を地図で確認する。そこで具体的に何があるのかは知らない。『ある男』から集合時間も指定されていた(十五時だ)。


 ホテルを出て、目当てのビルを探す。『コロニーS』と違って、一軒家の住宅街がほとんどなく、ビルやマンションばかりである。思わず『おのぼりさん』丸出しでキョロキョロ上を向いて歩いていると、胸元に軽く衝撃があった。


「わ!」

「あっ! ごめんなさい……!!」


 ぶつかってきた子の方が私に押し負けて転げてしまった。謝罪をしながらひっくり返ったままの少女に手を差し伸べる。


 特徴的なポンチョを着て、フードを被っている。どこのコロニーだったか……確か汚染が酷いとあるコロニーで、こんな風なポンチョを支給されて、住民が生活している居住区があったはずだ。


「もしかして、あなたも違うコロニーから来たの?」

「!」

「奇遇だね、私もだよ」


 そう言って私が笑いかけると、フードを被った『フードちゃん』は安心したようにほぅっとため息をついて顔を上げた。


 黄緑色のグラデーションの髪が、まるで咲き乱れるように彼女のフードからこぼれ落ちている。バシバシのまつ毛も色素が薄くって、それが守っている水色の瞳がまぁ大きかった。


 こらまたこちらのコンプレックスを刺激するような、えらい美少女だな……と私は感心する。


「あ、の……あたし。建物を探しててぇ」

「うん?」


 私が良く聞こうと首を傾げて近づくと、フードちゃんは「……きれいですね」と蚊の鳴くような声で呟いたかと思ったら、急に真っ赤になってわたわたと私と距離を取った。


「あ、やっぱり自分で探しますぅ!」


 そのまま何かを喚きながら、私の前から走り去ってしまった。私は多少呆気にとられて、フードちゃんの後ろ姿を見送ったのだけれど……。


 私はわたしで行かねばならぬところがあるので、気を取り直して目的地を目指すことにする。ようやくいくつか目印になる建物を見つけて、目当ての場所の前に立った。


 その建物は一見何の変哲もないビルディングだった。どこか企業を装っているのだろうか。周りに比べて高すぎず低すぎず。二階や三階に『英会話教室』や『マッサージ』などと窓に貼られているのも実に『らし』かった。

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